プロローグ:陰でもいいと思っていた。
わたしは、陰のような存在だった。
眩しく輝いている陽光を見ることも出来ずにただ誰かの、後ろで静かに地面にその姿を落としているのだ。いわゆる陰キャである。
通っている高校ではぽつんと孤立し、節操のない雑多な会話を交わすクラスメイトに混じることもなく。
ただそこにいて、誰にも認知されずに毎日通っては帰路につく。
強いて言うなら授業で先生に問題を当てられた時は別だけど、その時にも周りの生徒たちは表情を変えず、こちらを見遣るような仕草もしないので認知されていないも同然だろう。名前を呼ばれたこともないし、先生にでさえ忘れられている時もある。
でも勉強だけは真面目に取り組んでいたし、成績もそこそこの結果を出していたので特段何か言われずにこの学校という牢獄で実害はなく過ごせている。
それが独りぼっちになっていることに拍車をかけているとも言えるけど。
…ただわたしは、教室にただ一人、気になる女の子がいる。
彼女の名前は藤森 千陽さん。
わたしと違って彼女は光を周りに届ける太陽そのものだ。
陰と陽。
わたしと彼女はそういう存在だ。完全に対立する立ち位置に。
藤森さんはきらきらとした金髪を伸ばしてネイルも塗ってるし正直絵に描いたようなギャルの風貌だ。あといつも元気なイメージで、友達や先生に笑顔を振り撒いている。
どうみても明らかに陽キャというわたしとは相容れないオーラをバリバリ出しているのだが。
そんな彼女に意識をし始めたのはつい先月、この学校に入学して一か月経った五月のある日の放課後。授業から解放されて次々とみんなが教室からおさらばするところでわたしは机の中に放り込まれた教室やプリントの整理をしていた。
しばらくするとしんと静まり返っていたので、周囲を確認せずに今ひとりだと思いこんだまま手を忙しなく動かす。
そして何を思ったか、ぽつっと言葉を漏らし始めた。
「へへへっ……明日は休みだから思いっきり引きこもって朝まで積みゲー消化出来るぜ……。新作のBLゲーが出たのはいいけど積んでいるやつをクリアしなきゃやる気しないしね。まずどの男から手をつけようか……」
たとえ一人であっても普段学校では口を開かないのに、この時かなり油断をしていたのかプライベート駄々もれかつクソ内容な独り言を呟いていると、ふと気配を感じて顔をあげる。
すると、そこには居た。あの、藤森千陽さんが居た。
鞄のひもを肩にかけてまっすぐこちらに視線を留めている。
「コッ……コヒュッ」
一気に顔の表面温度があがりつつ喉から気持ちの悪い音を奏でて防衛本能からか一歩後ずさりをする。
その時後ろにひいていた椅子に足がひっかかってただでさえ不安定でガリヒョロな体が大きく傾いた。
「危ない!」
その声とともに教室の床が少し大きく音を立てた。
藤森さんが地面を蹴った? そう疑問に思いながらこのままでは地面へ倒れこんでしまうと感じ、まともに取れたことのない受け身の体制を取ろうとしたら体は急にぐんと引っ張られ、傾いたまま静止した。
顔に少しばかり荒い吐息がかかる。
「大丈夫?」
目の前にはいつもみんなに見せている可愛らしい藤森さんの顔があった。わたしの背中には彼女の細い右手が添えられてもう片方の手には……。
「……!!」
わたしの右手が握られていた。
夕陽に照らされる藤森さんの手はすごく綺麗で、ピンク色のネイルが反射して艶やかにその雰囲気を演出している。
いや、それよりも!
「あっ……あっ、すっ――すみません! わっわわわたしのためにそんな、あのっ」
学校でほとんど勤務のないはずのわたし声帯は突如としてこの瞬間にシフトが組まれ、慌てながらも彼女に声を届け続ける。家でもあまり出したことのない高さの声だった。出るとしたら一番の推しが尊すぎる時くらいだ。
「あっ、ありがとうございます! たたた助かりましたっ……えっと……」
彼女の名前を言おうとして恥ずかしさが頭の中に浮かんだがここ一番で頑張ってそれを打消して、
「ふ、藤森さん」
と喉奥から何とかその名前を引っ張り出した。
「……ふふっ。あはは!」
「えぇっ……」
わ、笑い出しちゃった。 た、確かに声もどもるし裏返ったし陽キャの藤森さんからしたらそんなの可笑しいよね。そりゃそうだよ。もともと相容れない陰と陽なんだから私たちは。へへへ。生まれてきてごめんなさい。
「いやいやごめんね。大日陰さん普段全然誰とも関わろうともしないから無言でそそくさと教室から出て行っちゃうんだと思ったけど、まさかあたしの名前を呼んでしかもお礼も言ってくれるなんて。すっごい嬉しい」
そう言ってはにかむ藤森さんの顔は天使そのものだった。いつも遠目で彼女をみていたけれど、近くでみるともっと可愛い。思わず女のわたしもどきっとしてしまう。
……ん? でも今信じられない言葉が出てきたような。絶対この学校の生徒からすんなりと出てくることのないあの言葉が。
「い、いま。藤森さん、オオヒカゲって……」
「ん? あぁ、そうだね。『大日陰 明子』さん。あなたの名前でしょ? 当然覚えているよ!」
「…………は」
「大日陰さん、凄い可愛い声出せるんだね。びっくりしちゃった。あ、ごめんね。ずっと体支えちゃって。体勢辛かったよね! ごめんごめん。よいしょっと」
ずっと彼女に支えられていたわたしの体は安定を取り戻してそのまま椅子へと腰をおろした。藤森さんはわたしから外れた両手を腰のうしろに回してにこにこと笑っている。
でも、わたしは。
「それにしても五月に入って少し暑くなってきたよね~。ほんと西日あっつ。うざくてもう勘弁してって感じ」
彼女がわたしに向けている話は少しも耳に入らなかった。
「汗かいてたら化粧落ちちゃうからやんなるんだよね。だから早めにいつもここ出てってるけど」
何故なら、自分の名前が。
「まぁ、でもたまにはいっか。こういう放課後も! よしっ、じゃあ改めて大日陰さん」
藤森さんの口から紡がれるとも思わなかったし。
「わたしと友達になってくれませんか」
こんなにも美しいと感じたこともなかったのだから。