勇気
研修室で僕が取り乱してから、明楽とはまともに顔を合わせることが出来ずにいた。頭では謝らなきゃいけないと思っていても、気持ちの方は理性についてこなかった。明楽は気まずそうに僕をチラチラと見るばかりで、話しかけようとはしてこない。それは当然の反応だった。あんなに大きな声を出して取り乱したんだ。女の子なら誰だって怖がるだろう。島田さんと岡島さんも、明楽と同様で僕に話しかけようとはしなかった。
でも、これで良かったのかもしれないとも思う。だって、これ以上山田くんとの問題に皆を巻き込むわけにはいかない。もし僕を助けようとしたことが原因で、山田くんが僕以外の人に嫌がらせをするようになれば、きっと僕は皆から恨まれてしまう。それだけは避けたかった。友達に嫌われるくらいなら、最初から一人のほうが良い。
結局僕は、放課後まで明楽と会話をせずに過ごした。相変わらず山田くんからの嫌がらせは続いていたが、それはまだ我慢できる範囲にとどまっていた。今は現状を維持して、山田くんが僕に飽きるのを待つしかない。
そんな事を考えていたら、突然明楽が僕に声をかけてきた。
「今日の放課後、また研修室に来てくれないかな」
僕は嬉しさとか苛立ちとかよりも先に、疑問が湧いた。昨日あんなにひどいことを言ったのに、何でこの子はまだ僕に話しかけるんだろう。
「……少しだけなら」
僕は迷った挙句、そう答えた。断ることだって出来たはずなのに、心のなかではまだ明楽と友達でいたいという思いがあるのかもしれない。僕はそんな自分の甘い考えに失望した。そうだ、これっきりにしよう。昨日は一方的に自分の気持ちをまくし立てただけだし、明楽には僕の考えがちゃんと伝わっていなかったんだ。今日改めてちゃんと説明して、明楽とはもう関わらないようにしよう……。
そう心のなかで決意し、僕は放課後までの、やけに長く感じる時間を過ごした。
そして放課後、僕は今、研修室で明楽と対面している。今日は島田さんと岡島さんの姿はない。
「岡島さんと島田さんは?」
「今日は、先に帰ってもらったの。二人でないと話しづらいこともあるかと思って」
どうやら明楽は僕に気を使って、二人っきりにしてくれたらしい。ありがたい気遣いだった。
「それよりも、昨日のことなんだけど」
明楽にしては珍しく、僕との会話に緊張しているようだった。僕は明楽のそんな様子を見て、まず言わなきゃならないことがあると思った。
「昨日はごめん。突然怒鳴ったりして」
「ううん。別にいいの。私達の方こそ、日向に何があったかも知らないで、好き勝手言ってごめんね」
「いや、島田さんの言ったことも本当のことだし、別に気にしてないよ」
明楽はまだ緊張しているのか、顔をずっと下に向けている。なにか言いたいが、本当に言っても良いのか迷っているような、そんな表情だった。
「……実は僕、お母さんがお父さんと離婚してるんだ」
僕は、自分から話した。自分の両親について。アキという女の子について。健について。以前の学校について。僕が今まで何をして、何をされてきたか。全部話した。全部を包み隠さず話すことが、明楽たちと決別するために必要な行動に思えた。だから、話した。 明楽はずっと僕の話を黙って聞いていた。途中でなにか言いたそうな顔をしたが、それでもずっと黙って聞いてくれていた。
「……転校した初日に、明楽が僕に話しかけてくれて、嬉しかった。友達って、こういう感じなんだって、改めて思ったよ。健と話していた頃を思い出した」
僕は、拳を握りしめる。決意を力に変えるために。息を深く吸い込む。そして吐いた。
「……でも、このまま僕と友達でいると、山田くんは明楽たちを狙うようになるかもしれない。それが一番ダメなんだ。だから……」
次の言葉を言おうとした時、研修室の扉が勢いよく開かれた。
「あ、明楽! 神山が!」
そう言って研修室に入ってきたのは、島田さんと岡島さんだった。
「果歩とちーちゃん? 一体どうしたの?」
明楽は驚いた表情で皆に尋ねた。僕は突然のことに、頭が混乱したままだ。
「神山が、山田と一緒にどこかへ行っちゃったのよ!」
「武が……!?」
明楽は目を見開いて手を口に当てたまま固まってしまう。僕はいまいち状況が飲み込めずにいた。
「えっと……どうして神山くんと山田くんが?」
「……そうか、あんたは転校してきたばかりだから知らないのね。あの二人のこと」
「……?」
「神山はね、去年山田と揉めてたのよ」
島田さんは、僕に去年のことについて教えてくれた。
「……だから、あきは神山のために桜田探偵クラブを作ったの」
「武はずっと、山田から人を助ける度に、苦しんでた。ずっと一人で、誰にも喜ばれることなく、困ってる人を助けてた。だから、私も一緒に困ってる人を助けられるようにって思って……」
僕は、ようやく理解した。山田くんの言ってたことを。神山と喋るなという言葉の意味を。
「山田くんは、僕に言ったんだ。もう神山くんと喋るなって……」
「山田は、いつも誰かを虐めるときは、その人に必ず『神山に関わるな』って言ってたの。そうすることで、武から人を遠ざけようとしてたのよ……武はそれを知らずに、いつも虐められた人を助けてた。でも助けた相手は、武と関わろうとはしなかった。去年武と同じクラスだった子がそう言ってた」
僕は、まんまと山田くんの言うとおりに動いてたみたいだ。結果的に、僕は神山くんから距離をおいてしまった。
「……武を探さなきゃ」
明楽は、小さく、でもはっきりとそう言った。
「私は、武と一緒に困ってる人を助けるために桜田探偵クラブを作ったの……日向の言いたいことは何となくわかるよ……でも、私はやっぱり、友達を放ってはおけないから。日向のことも、武のことも、私は助ける」
そう言って、明楽は教室を飛び出した。島田さんと岡島さんは、慌てて明楽についていこうとする。しかし、島田さんは立ち止まって僕の方を振り返った。
「あんたは、何もしないの?」
「え……?」
「あきも神山も、あんたのために山田のところに行ったんだよ? なのにあんたは、何もせずにずっと見てるだけなの? それって最低だよ」
「僕は……」
「もういい。私達は行くから。行こう、千恵里」
「え、う、うん……」
二人は、明楽を追って部屋から出ていってしまった。僕は、山田くんを恐れて神山くんを避けてしまった。それなのに、神山くんは僕のために山田くんを止めに行った。なのに僕は、過去に囚われたまま、身動き一つ取れない臆病者だ。島田さんの言う通り、僕は最低なやつだ。健が僕を恨んだのも、当然だ……
「……健」
そうだ……健は最初、僕を庇ってくれていたんだ。なのに僕は、健に自分のことを話さなかった。だから健は僕の代わりに傷つけられたんだ。僕はずっと、健に裏切られたと感じていた。だけど、最初に裏切ったのは、僕だ。健は僕のせいでひどい目に合ったんだ。
神山くんと明楽も、今僕のために行動してくれている。それなのに、僕は何で動かないんだ。ここで僕が行動しなければ、二人を裏切ることになるんじゃないのか。健のときと同じように。
虐められるのは怖い。人を裏切るのは怖い。一人になるのは怖い……だったら、もうやることは一つだけだ。
――立ち向かうしかない。
「……」
僕は震える拳を握り締める。そうだ、逃げたって何も変わらない。それは、もう以前に学んだはずだ。
僕は、研修室を飛び出した。




