我慢
その日の放課後、明楽と岡島さんと島田さんの三人は教室の隅で何やら話をしていた。今日は明楽と一緒に帰る約束は特にしていなかったので、三人の邪魔をしないように教室を出ようとしたところで、明楽に呼び止められた。
「日向、ちょっと待って。話があるの」
「……? どうしたの?」
「山田のことなんだけど」
明楽の表情はいつもと違って、真剣そのものだった。僕は少し身構えながら、明楽と島田さんと岡島さんの傍に寄った。
「山田くんのことって?」
「ここじゃちょっと喋りづらいから、研修室に行こう」
「……?」
ここに山田くんはいないが、わざわざ場所を変える必要があるのだろうか。そんな疑問を抱きながらも、僕らは四人で研修室へと向かった。
明楽を先頭に、僕らは研修室の前までたどり着いた。思えば、ここに来るのは桜田探偵クラブの見学に来て以来だ。あれからもう二週間もたっている。それなのに僕は、いまだに所属するクラブを決められていない。ちょっと前までは、担任の上杉先生からどこに入るか早く決めろと急かされていたが、最近はもう何も言われなくなってしまった。でも、どこのクラブにも興味を持てなかったので、放っておかれるのはありがたい。
「鍵は開いてるの?」
「うん。あやちゃんに貸してもらった」
そういえば、篠崎先生も見学の日以来会っていない。たまに学校で遠目に見かけることはあったが、会話は全然しなかった。
「あやちゃん、日向とまた話したいって寂しそうにしてたよ」
「そっか……」
僕は、正直なことを言えば、桜田探偵クラブの活動をもう一度してみたかった。明楽や篠崎先生、それに神山くん。もう一度あのメンバーで、クラブ見学した時のように依頼を解決してみたかった。でもそれはもう叶わない。山田くんがこの学校にいる限り、きっと僕はこのクラブに参加することはできない。
明楽は慣れた手つきで扉の鍵を開け、研修室の中へ入った。それに続くように、僕と島田さんと岡島さんも中へ入る。明楽が部屋の電気をつけると、そこには、依然見たものと変わらない光景が広がっていた。違う部分といえば、この場所に神山くんと篠崎先生はおらず、代わりに島田さんと岡島さんがいることぐらいだ。
部屋の真ん中に並べられた長机に、囲むように僕ら四人は座った。僕から見て右隣りが明楽。正面に島田さんとその隣に岡島さんが座っている。
「えっと……なんでわざわざ研修室まで来たの?」
僕は明楽に、ずっと疑問に思っていたことを口にした。あの時教室には山田くんがいなかったので、わざわざここまで移動する必要を感じなかったのだ。
「山田は友達というか、取り巻きが多いからさ。教室で話すと、人づてに山田まで話が伝わっちゃうと思って」
「……」
確かに、山田くんの周りには人が多い。僕が校舎裏で殴られた時も、山田くんはどこから入手したのか分からない、依頼の時に描いた遠足のしおりの絵を持っていた。あれは、沢口先生が主任の、二年生の生徒しか持っていないはずのしおりだ。おそらく、山田くんの取り巻きの一人に弟か妹がいる子がいたのだろう。そこからしおりの情報を知ったのかもしれない。
「単刀直入に言うけど、日向は山田に嫌がらせを受けてるんだよね」
「そ、それは……」
明楽の目はまっすぐに僕を見つめていた。そのまっすぐな視線を前にすると、自分の弱さを突き付けられているような気がしてくる。
今度は島田さんが口を開く。
「教室の様子を見てれば誰だってそんなこと分かるよ。それに、私のチューリップ。あれをやったのって、奥村じゃなくて山田たちなんでしょ?」
「な、なんでそれを……」
「私が、見てたんです」
島田さんの隣で俯きがちに座っていた岡島さんが、緊張した面持ちで言った。僕は驚いて、反射的に「えっ……」と声が漏れてしまった。
「私、あの日、体調が悪くて保健室に行ったんです。その時、たまたま山田くんに引っ張られていく奥村くんの姿が見えて……」
岡島さんは、あの光景を見ていたのか。僕がお腹を何度も殴られ、蹲って馬鹿にさている姿を。
「ご……ごめんなさい!」
岡島さんは、突然立ち上がり僕に向かって頭を下げた。突然のことに驚いて、僕は慌てて言う。
「な、なんで岡島さんが謝るの?」
「私、知ってたのに、先生に本当のことを言えなかったから……」
岡島さんは、声を震わせながらそう言った。
「それは、しょうがないことだよ……。それに、そもそも僕が山田くんの言ったことを否定しなかったのが悪いんだ……」
「ホントよ! なんで奥村はあいつらに何も言い返さないのよ! 千恵里だって怖いのを我慢して、勇気を出したのに!」
島田さんに言われて、僕は今日のことを思い出す。岡島さんは、僕の悪口を言う山田くんを注意し
た。震えた声で、か細い声で、でも強い心で。僕は、そんな岡島さんの姿を遠目で見ていることしかしなかった。
「僕は……みんなに……」
僕はここで言葉を止めた。これ以上僕の気持ちを話しても、きっと明楽は僕の言葉を否定すると確信していたから。ここで自分の気持ちを話すこと自体が、明楽に頼ることになる気がして何も言いたくなかった。
「なんで、ちゃんと言ってくれないの」
明楽は悲しげな表情でそう言った。
「ねえ、いい加減にしなよ! 私たちはあんたのために、こうやって話をしてるんだよ! それなのに」
「果歩ちゃん……」
「千恵里だって、あんたのために自分の責任を感じてるからここにいるんだよ! あきだって、全部あんたのために……!」
アキ。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で一つの記憶がよみがえる。手に残るひりひりとした感触。先生の怒鳴り声。顔を伏せて泣いている女の子。金切り声で叫ぶその母親。頭の中で喧嘩しているお父さんとお母さん……。
「……そんなのわかってるよ!」
自分でもびっくりするほど、大きな声が出た。島田さんは驚いた顔で、喋るのを止めた。
「僕があいつに反抗したって、どうせ何も変わらないんだ! それどころか、もっとひどいことになる! 僕を助けようとしてるみんなだって、タダじゃすまないかもしれない! それくらい、考えたら分かるだろ! そんなのどうしろって言うんだよ!」
一度あふれだした感情は、そう簡単に止めることはできない。僕は今までずっとため込んでいた感情を全部吐き出す勢いで叫び続けた。
「僕はこのままずっとあいつの標的になるしかないんだ! 僕が反抗したって、標的が変わるか、もっとひどい虐めになるだけだ! 標的が変ったら、今度は標的にされた人が僕を恨んで、結局また僕が虐められる!」
「日向……」
明楽は僕に声を掛けようとするが、僕はお構いなしに続ける。
「いままでだってそうだった! 友達を信用してても、友達に頼ってても、何も解決しない! 結局は裏切られるだけだ! お母さんだって、健だって……!」
最後に僕はもう一度ひときわ大きい声で叫んだ。
「だからもう、ほっといてくれよ! 一人でいるのが一番なんだ!」
今までの感情を、全部叫び声として外に出した。その代わりに僕の中に残ったのは、苛立ちだけだった。
「……あ」
周りを見渡せば、皆一様に困惑と怯えが混ざったような表情をしていた。僕はその瞬間に心の中に後悔の念が押し寄せてきた。僕は思わず席を立ちあがる。
「日向、あの」
明楽は何かを言おうとしていたが、僕は明楽の言葉を聞かないように、走って教室を飛び出した。後のことは一切考えず、今はあの場所からとにかく離れたい気持ちでいっぱいだった。
廊下は走るなと書かれた掲示板を無視して、全力で走った。心に残った後悔や苛立ちを置き去りにして、とにかく走った。途中で先生に注意されそうになったが、無視して走り抜けた。
やがて校門の近くまで走ったところで、不意に視界に人影が写った。僕は身をひねって躱そうとするが、思った以上にスピードが出ていて、躱す間もなくその人影とぶつかってしまう。
「いって……」
その人と僕は、お互いに尻餅をついた。全然周りが見えていなかった。とにかく謝らないと。そう思い、その人に視線を向けると、思わず声が出た。
「か、神山くん……」
「ん……? 奥村か?」
神山君は、僕の顔を見て少し驚いた顔をしていた。僕は神山くんの顔を見た瞬間、あの言葉を思い出してしまう。
――じゃあ、もうあいつと喋るな。
思い出した瞬間、僕は言葉を発することが出来なくなった。そんな僕の状況を知る由もない神山くんは、僕に言った。
「危ないだろ? 何をそんなに急いでたんだ」
神山くんは、僕を諭すような口調だった。
「……」
どうして山田くんは、神山くんと喋るなと言ったのか。それがずっと分からないままだった。しかし、僕はどうせ、山田くんたちに目をつけられている。ここで喋っても、何も変わらないような気がした。
「ご、ごめん……神山くん。ちょっと、家の用事があって」
適当な理由をつけてごまかす。研修室での出来事を神山くんに説明する気にはなれなかった。
「そうか……悪いな。引き止めて」
「いや、僕の方こそ……」
僕は神山君の脇を通り過ぎた。とにかく今は一人になりたかった。自分の中の感情が先ほどから不安定にざわめき続けている。
「……なあ、奥村!」
その場を離れようとした僕の背中に、神山くんの声がかかった。僕は足を止めて、神山くんの方を振り返る。
「な……何……?」
「お前さ、俺のこと避けてるよな。クラブ見学の日から」
それは、今最も触れてほしくない話題だった。僕は額に嫌な汗が浮かんだ。
「な、なんで、そう思うの……」
「だってお前、あれから一度もクラブに来てないだろ。それに、体育の授業の時も、ずっと俺に話しかけられないように顔を背けてたし」
「そ、それは……」
全部図星だった。体育の授業では、どうしても山田くんが一緒に授業を受けることになる。山田くんがいる時に、わざわざ神山くんに話しかけて、また殴られたりするのは嫌だった。
「山田に言われたのか? 俺にかかわるなとか、そんなことを」
「な、なんで……」
「やっぱりそうか……」
神山くんは、少し寂しそうな顔を浮かべた後、僕に向かって言った。
「お前は何も悪くない。悪いのは全部山田だ。だから、俺のことは気にしなくていい」
「神山くん……」
「まあ、言いたかったのはそれだけだ」
それだけ言って、神山くんは僕に背を向けて去っていった。僕は、去り際の神山くんの表情がいつもより険しくなっているように感じた。
神山くんや、明楽たちはみんな僕のことを心配してくれていた。でも、これ以上僕の手助けをすれば、山田くんは、標的を僕から他の人へ切り替えるかもしれない。それが怖くてたまらなかった。やっぱり、今の状況を悪化させないためには、僕がひたすら我慢するしかない。そう決意を込めて、僕は学校を後にした。




