崩れていく平穏
「ちょっと、日向」
帰りの会を終え、帰り支度をしていたところに明楽が声を掛けてきた。
「な、何? 明楽」
「今日の昼休み、山田に何かされたの?」
「え、えっと……」
僕は必死になって頭を回転させる。ここで正直に山田くんたちにされたことを話したら、また山田くんに酷いことをされてしまうかもしれない。
「一人でちょっと……学校を探検しようかなって。まだ知らないところとかあったし」
「なんで嘘つくの?」
明楽のまっすぐなその言葉に、僕は思わず一歩身を引いてしまう。僕は慌てて明楽の言葉を否定した。
「う、嘘なんてついてないよ……」
「だって私、日向が山田たちと一緒に教室を出るところを見たんだよ!」
僕はその言葉を聞いて、身が引き締まるような緊張感を肌で感じた。明楽は畳みかけるように言う。
「何かあったんでしょ? 山田たちと」
「それは……」
「私言ったよね。日向は私の友達だって。何か悩みがあるなら、私に相談してって」
その言葉を聞いた時、僕は健の顔を思い出していた。
――友達なんだから隠し事すんなよ!
……あの時、僕が正直に話していれば、健はクラスのやつらに虐められることはなかったのかもしれない。けど、今回はあの時と少し状況が違う。今ここで明楽に本当のことを言えば、明楽はきっと無茶なことをする。明楽がまっすぐで正義感の強い性格だってことは、ここでの短い学校生活でも何となく理解していた。だからこそ、明楽に本当のことを話すことはできなかった。本当のことを話さないという選択は、これは自分を守るためであり、明楽を守るためでもあった。
「本当に大丈夫だよ。ただちょっと、山田くんたちと遊んでただけだから」
「……」
明楽は不機嫌そうな顔を浮かべながら、僕の顔をジト目で見つめた。
「……ほら、もう帰ろう」
「桜田探偵クラブなら、何でも解決できるんだから。日向のことだって……」
「じゃあ、もしも助けてほしくなったら依頼するよ」
「……絶対だよ?」
「うん。もしも本当にその時が来たらね」
そう言いつつ、僕は決心を固めていた。絶対に明楽を巻き込まないと。
僕の、桜田小学校での生活は、山田くんの手によって徐々に平穏を蝕まれていった。
島田さんのチューリップを潰してしまった日から、山田くんからの小さな嫌がらせはずっと続いた。すれ違いざまにわざと僕にぶつかってきたり、大声で僕の悪口を言ったり、筆箱の中の消しゴムが千切られていたり。それらの嫌がらせは休み時間に、先生や明楽など、僕に味方をしてくれそうな人がいないところで行われた。
「奥村って、喋り方気持ち悪いよな~」
「そうそう、毎回噛むよな。日本語の練習、幼稚園からやり直した方が良いんじゃない?」
僕はなるべく悪口を聞かないように意識した。しかし、その声は大きくて、聞かないようにしてても耳に入ってくる。しまいには、ほかのクラスメイトを巻き込んで会話を始めた。
「なあ、樫田もそう思うだろ?」
「え? いや……」
樫田くんは小さな声で曖昧に返事をしていた。
山田くんは、次に島田さんに声を掛けた。
「なあ島田。お前もあいつの性格悪いと思うよな? だってあいつ、お前のチューリップをグシャグシャにしたんだぜ」
「それはそうだけど……」
島田さんは、少し困ったような声色だった。
「でもそれは……謝ってくれたし」
「あれが謝った内に入るか? 謝り方適当だっただろ」
「うーん……」
僕は、今すぐこの場を離れたくてしょうがなかった。しかし、僕の恐怖心は、僕の心の中に巣食ったまま、僕の自由を奪う。
「あ、あの……」
不意に、山田くんに声を掛ける女の子が現れた。その子は、明楽と島田さんとよく一緒に喋っていた子。岡島千恵里さんだった。
「なんだよ岡島」
山田くんの言葉に、岡島さんは怯えるように肩を震わせていた。それでも彼女は言った。
「えっと……そういう悪口、みたいなの……よくないと思います……」
岡島さんの言葉に、僕は思わず目を見開いていた。
「はぁ……? 何言ってんの? お前」
「え、えっと……その……だから……」
「ガリ勉眼鏡のくせに口出ししてんじゃねえよ!」
「ちょっと! 千恵里になんてこと言うのよ! 千恵里は何も間違ったこと言ってないじゃない!」
島田さんは、岡島さんの肩を持つように、山田くんにそう言い放った。
「それに、あんたは何でさっきから黙って聞いてるだけなのよ! 何か言い返しなさいよ! 聞こえてるんでしょ!」
島田さんは、僕を見て言った。それと同時に、みんなの視線は僕の方へ向いた。僕は向かってくる視線を受け止められず、顔をそむけてしまう。
「奥村。お前、何じろじろ見てんだよ」
「ぼ、僕は……」
「俺に何か文句でもあるのか?」
山田くんは、ゆっくりと歩いて僕の席まで来た。僕は山田くんが一歩、また一歩と僕に近づくたびに、心臓の鼓動が早くなった。やがて、僕の目の前で立ち止まった。
「……な、にも、ないよ」
「そうか、ならいいんだよ」
山田くんはそう言うと、僕の机を足で蹴ってから、両手をポケットに突っ込んで自分の席へと戻っていった。視線を感じ、そちらを向くと、島田さんが僕のことを鋭い目で睨んでいた。




