表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

日常と非日常

 平時のありがたさとは、失って初めて気付くものである。

 高熱を出した時、健康とは何か分からなくなるように。或いは世界中で疫病が流行って、色んな行動に制限を掛けられるように。

 日常に飽いて非日常を願った僕へと、()()は唐突にやって来た。


 失った後で日常の大切さに気付いても、それはどんなに望んだってもう返ってこないのだ。


 ————————————————————


「——ん!おーい、兄さん!起きて!」

 少年の声で目が覚める。覚醒しきらない意識にもどかしさを感じながら、僕は体を起こした。


「おはよう、兄さん。もう起きる時間だよ。ほら、準備して!」

「んん……」

 この、情けなくも年下の少年に起こされていた男が僕——白羽葵(しらはね あおい)だ。

 そして、僕を起こしてくれた年下の少年こと三歳下の弟は、名を白羽 莉久(しらはね りく)と言う。

 自堕落な兄と違いしっかり者の彼は、僕を起こすだけ起こした後、さっさと階下へ降りていってしまった。


「おはよう、葵」

「おはよう母さん」

 着替えて僕も下へ行くと、既に母が朝食の準備をしてくれていた。莉久も父も、無言で母謹製の食事を摂っている。

「……いただきます」

 父とは挨拶を交わさないまま、僕も朝食を食べ始めた。正直なところ、父とは反りが合わずあまり上手くいっていない。弟と比べて出来の悪い僕を、父は『出来損ない』と言って憚らないのだ。


 ——朝食を終えると、もう家を出なければならない時間だった。新聞を読んでいるせいでまだ食べ終わっていない父を差し置き、僕は玄関へ向かう。

「ふぅ……行ってきまーす」

 聞こえているのかいないのか、いつも何かしら返してくれる母からの返事は無い。

 そんな気分の時もあるのだろう、と挨拶は繰り返さないままに外へ出る。眩い朝日に目を細めながら、見飽きた通学路を一人歩き始めた。


「ようっ、葵!相変わらずしけた面してんなぁ……ちゃんと運動してるのか?」

「してないよ。耀太(ようた)は相変わらずうるさいな……」

 不意に大音量で声を掛けてきたのは、幼馴染みかつ腐れ縁の清水耀太(しみず ようた)だ。筋肉質で大柄な肉体に、日焼けして黒い肌。スポーツ刈りにしてある頭髪は、ツンツンとして痛そうである。


「まあそう邪険にすんなって。どうだ?葵も部活に入って運動始めれば、ちょっとはマシな顔つきになって友達も増えるかもだぞ。折角背も高いんだし、ウチのバスケ部とかさ!」

「やらない。何回も言ってるけど、運動は好きじゃないんだ。……というかその勧誘、いい加減諦めなよ。去年一年間誘って全部断られてるんだから、望み無しとか思わない?」

「思うが、俺は諦めん!お前の幼馴染みとして、俺は絶対にお前を見捨てないぞ!」

「そりゃどーも」

 昔から変わらず暑苦しい耀太に、適当な返事をしてその場をやり過ごした。

 その後は数学の宿題がどうだったとか、今日は体育が無いからどうだとか。他愛も無い会話を続けて、通学中の暇を潰す。


 そして、僕達の通う高校——県立櫻庭(さくらば)高等学校に到着した。僕も耀太も、今年でここの二年生になっている。

 まだ四月ともなれば馴染んでいない新入生ばかりで、春特有のどこか落ち着かない雰囲気が辺りに満ちていた。

「よし……んじゃあ俺は新入生の勧誘に行ってくるから、また後でな!」

「ん、分かった。頑張れー」

 校門を過ぎた辺りで耀太とは別れ、僕はそのまま教室へと直行した。


「あ、おはよう白羽くん!」

 教室の扉を開くと、その近くで固まって話をしていた女子グループの一人から声を掛けられる。

「おはよう、如月(きさらぎ)さん」

 彼女は如月夏鈴(きさらぎ かりん)。小学校からずっと同じ学校へ通っているが、それほど接点がある訳では無い。栗色の髪をいつもポニーテールにしており、それがトレードマークにもなっている。明朗快活な性格から男女共に人気が高く、かなり目立つ存在だ。


 自分の席に座った後は、携帯を弄ったり机に突っ伏して寝たりして、ホームルームが始まるのを待つ。

 耀太が時間ギリギリで教室に来て、そのすぐ後に担任が来て。ホームルームが終わったら授業が始まって、それも終わったら休み時間。何回かそれを繰り返せば、いつの間にか一日も終わってる。

 大して変わり映えしない、平和で退屈な日常。その繰り返しに飽き飽きして、僕は何か目の覚めるような、非日常が訪れないかと期待する。

 ——それすらもまた、日常の一部になっているけれど。


 真面目に授業を受けたり、不真面目に寝たりしている内に、もう放課後だ。夕暮れ色に染まる校庭を横目に、強烈な眠気が僕を襲う。

「今日は、やけに眠いな……」

 別に、急いで帰らなければならない理由も無い。少し遅れて帰ればいいだろうと、誰も居なくなった教室で一人、僕は目を閉じた。

 

 ——————————————————


「——い!おーい、葵!帰るよ!」

 女子の声で目が覚める。覚醒しきらない意識にもどかしさを感じながら、僕は体を起こした。

 ……しかし僕のことを下の名前で呼ぶ女子なんて、誰かいただろうか?

「あっ、起きた。大丈夫?今日ほとんど寝てたみたいだけど……」

「——如月、さん?」

 やけに距離感が近いが、声の主は如月夏鈴だった。そんな彼女に、僕は違和感を覚えて——


 いや、それよりももっと大きな違和感が、()()の中にあった。

 声だろうか。違う、声だけじゃない。髪、首、腕、胸、脚——全身の至るところに、強烈な違和感がある。

 恐る恐る、僕は自分の体を確認しようと下を向いた。

「葵、本当に大丈夫?何か——」

「何だ、これ」

 彼女の言葉は耳に入らない。今の僕には、人の話を聞けるほどの余裕なんて無かった。


 ——だって、()()()()()()()()()()()()()()()

 男じゃありえない程大きく、胸が膨らんでいた。声が高かった。髪も長かった。服も違った。

 驚いて立ち上がる。視点が普段と比べ物にならないくらい低い。如月さんよりも低い。太ももが露出している。足元がスースーする。


 信じ難いことに、だがどこをどう見ても、僕は女の子になっていた。

「き、如月さん!何で、いつの間に僕は、こんな体に——」

 そんなこと、彼女に聞いても答えを得られないのは分かっている。しかし混乱する僕の脳は、藁にも縋る思いでこの状況の答えを彼女に求めた。


「……?なんでそんなにオロオロしてるのか分からないけど、心配しなくても()()()()()()()()()()()よ」

「——え?」

 自分の耳を疑った。彼女から得られたのは求めていたものなんかじゃなく、それどころかもっと残酷な何かだった。

 どこからどう見ても僕は僕じゃないのに、彼女は僕を僕だと認識している。訳の分からない状況に、頭がどうにかなりそうだった。


「き、如月さん。僕って男……だったよね?」

 冷や汗が止まらない。

 僕の質問を聞いて、彼女は首を傾げる。


「えっとー……葵はずっと女の子だよ?」


 ——求めていた非日常は、僕の望まぬ形で訪れた。

最後まで読んでくださってありがとうございました!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ