パーティ解散からはじまる危険人物の放逐 ~誰だアイツを放ったのは!?~
我らが『イリシャの赤草』は地方ギルドに所属する中級パーティだ。
拠点に近辺のダンジョンと近隣での護衛や採集で稼いで数年、今じゃ大半が20代半ばになっていた。
そんな折に出たパーティ解散の話は、まぁ誰もが予想していたことだろう。
「ここらで俺たちも、冒険者を廃業しようと思ってな」
そう口にしたのはリーダーである魔術師のイエナン。
諸王国地方、小国の集まったここらも70年ほどまえの戦争を境に平和になった。移動に制限もないし、冒険者にしては珍しく『イリシャの赤草』は堅実思考で危ない橋を渡ることは少なかった。貯蓄もそれなりにあるので足を洗うにはいい時期だったかもしれない。
総勢6人のパーティのうちそれぞれが解散宣言から今後の身の振り方を考える。
呪印魔術師のイエナンは、同じく後衛で回復役だった金融神付僧侶のアリーシャと結婚し、貴族家付の魔術師として就職するらしい。過去の依頼で縁が出来たらしく、公爵家付の魔術師隊への入隊だ。アリーシャはそのまま貴族領の教会に所属。子供が生まれる頃には市政に戻り普通に主婦業でもやるのだろう。
装甲鬼のナタリアは憲兵として首都の憲兵大隊。元々、その実力から各地で士官を勧められていたので、その中でも一番条件がよかったところを選んだのだろう。
狩猟者として探索役だったハーマンは故郷に戻って狩人に戻ると。師匠だった祖父が高齢で跡継ぎが欲しいのだという。村長のつてから地元の女性を紹介してもらい、こちらもそのまま定住を予定。
大盾戦士だったドワーフ族のダガンも近隣の親戚を頼って鍛冶師に復帰。鉱石不足により冒険者に転職したダガンであるが、鉱石不足の原因だった山間部の魔物暴走による鉱山都市も復興され、復職したとしても困ることはない。
遺跡探索者として活躍したゼルローンは、冒険者として貯めた資金を元にして商人に。護衛として同伴した行商の弟子として師事し、そのまま巡回経路や各地の顧客などの基盤をそのまま受け継ぐとのこと。
悪魔統率者のタウロだけだった。
単独でも、冒険者を続けようと思ったのは。
■ ■ ■
一人分の荷物を背嚢に詰めて、棍に革籠手をぶら下げる恰好で隣領へ続く道を進む。
同道は一人の小悪魔だけ。
ウコバク族の悪魔であるヒーン爺は、人間の膝丈ほどしかない背で長い松明を肩に担いでいる。
地獄では炎の管理を担う低級悪魔であるが、地上においては権能も制限されており出来ることは少ない。
とはいえ、最も付き合いの長い相棒であり、頼れる知恵袋であるので替えはきかない。
「しかし、坊主ももう15だっけか? 時が経つのは早いなぁ」
「そう? 僕もよく生きてるなぁって、よく思うけど」
「世話ぁなった人に挨拶せんでよかったのか」
「いいよ。皆忙しいだろうし、落ち着いてから手紙でも出すから」
「本当にそれでよいのかの?」
「ぐんちゃん、ちゃんとご飯食べてるかなぁ。一人暮らしって自分でやって初めてわかるけど、大変だよね。仕事だって大変そうだったし」
「そんなに心配なら声をかけてくればよかったのにのう」
かつて世話になった人の名前を呟きながら。
タウロは街道を歩いていく。
■ ■ ■
9歳で能力に目覚めて、10歳で神父に宣告を受けて。
そう単純な生き様でもなかった。
誕生日を境に、まるで潮目が変わるよう何かのスイッチがはいった。
最初は世界のひずみというか、景色の歪んでいるような場所が見えるようになった。
そのことを両親に相談すると、それが魔力溜まりや精霊の影響などによる世界の変化であることを神父に教えられた。おそらく、魔術的な素養が開花し始めたのだろうという説明と共に。
農村とはいえ職業加護の為に教会で聖別を受けるよう決まり事のある地方であった為、13歳の誕生日まではその能力を抑え、制御できるように神父から教えを受けた。魔術的素養に目覚める者は比較的少ないとはいえ、皆無というわけではない。能力が一定以上であれば領主や貴族に召し抱えられることもできるし、農家の三男坊という立場からすれば立派な立身出世の道が拓ける。
しかし、単なる農家の中で浮いた存在となった三男坊に対し、家の中は小さな混乱が生まれていく。
元々が山岳地帯の裾野にある荒れた土地だ。土砂崩れなどの影響から生じた地を開拓者達、曽祖父のまた祖父くらいの世代がなんとか切り開いて人の住める場所にしたような土地なのだ。夏場は土地がひび割れるほどに乾き、冬場は山から吹き下ろす風が吹雪となる。
神父の教えを受けることで読み書きも次第にできるようになるが、そんな環境から豊かではない地方農民の家であり、子供とはいえ立派な労働力として扱われる。
長男カールと次男グスタフも三男の特別扱いに思うところがあったのか、夏のとある日に三つ上の長男が「このあたりを耕し終わるまで教会にいくな」と弟に命令した。一つ上の次男は黙ったままそれを見ていた。
弟、タウロは困る。9歳になってしばらくとはいえ、新しく開墾の始まった土地を進めるにはまだまだ幼かった。乾いた土地に、造りだけはしっかりした鍬が一つ。それだけで放り出された。
どうしようという困惑と、ひとりぼっちという心細さから鍬を握りしめる。
さりとて、乾いた土地を前にしてできることはそう多くない。
手の皮が剥けるまで、必死に地面に鍬を振り下ろした。
遠く、野犬の声が聞こえては怯えた。それでも必死に鍬を振り下ろした。
小さい身体が汗にまみれて動けなくなり、日が暮れたころにようやく家に帰った。
今日やってた事を両親に聞かれ、兄に言われた通りどこどこを耕していたが進まなかったこを謝る。そのことに両親は眉を顰めるが、二人の兄は黙ったまま緩い麦がゆをかきこんでいた。タウロは簡単に進まないことと、教会での教えが途中であることからなんとかならないか両親に相談する。
途端に「甘えるな!」と怒鳴った長男が木の椀をタウロにぶつける。空の椀とはいえ無骨な造りのものがぶつかったことで額に青あざを作ったタウロは泣く。その様子に次男は流石に止めようとするが、牛の餌を確認してくると牛舎に逃げた長男は、家を出る時もタウロを睨みつけていた。
一体なにがそんなに気に障ったのかとタウロは困惑するが、母に額へ軟膏を塗られ、その日は長男を避けるように部屋の隅で眠った。
翌日もタウロは乾いた土地を両親に持たされた水筒で口の中を濡らしながら必死で掘り返す。
日差しは強く、汚れた麦わら帽子だけが日陰な為に暑さは絶え間なくタウロを苛む。
助けて欲しい、そう強く願った彼の傍に、どこかから繋がった因果、魔力の経路を伝って一匹の小さな悪魔が現れたのは、そんな日の正午だった。
「坊、お前は何をしているんだい?」
そう問いかけたのは、幼いタウロの胸元ほどしかない背丈をした灰色の肌の悪魔。
長い松明の棒を担いだ官吏のような恰好で、ぎょろりとした目と大口、そして長い髭をしていた。
「とちを、耕してるの」
「ふむ、人間の子どもじゃあぁ、こんな場所を耕すのは難しいんじゃないかのう?」
「でも、おとうさんも、おかあさんも、にいちゃんたちも、やれって」
「そうかぁ、家族の為か。なら、ちょっと爺様も手伝ってやろう」
「………手伝ってくれるの?」
「そうじゃ、約束してやる」
「ありがとう。じさま」
笑う悪魔に対し、べそをかきそうになりながらもタウロは頷いた。
強く太陽の照り付ける火の気配が強い場所で、たった一人いた少年。
彼が魔術技能として悪魔契約に目覚め、使い魔を手に入れたことは、次の日の朝には村の皆が知っていた。
最初は悪魔と聞いて村の大人が使い慣れない槍やら剣を持ち出したが、小さく弱い悪魔が子供と共に木の根を燃やし、土をほじくり返し、小さな開墾地を必死に広げようとしている様子に毒気を抜かれ、そのまま引き返していった。
家の仕事を手伝う必要があると知った神父は、最初こそ悪魔の存在にぎょっとしたものの、農村でお馴染みの水神ナーキッド、その加護によって悪魔に詐称や収奪、悪しき力の様子が見えないことを確認することで安全と判断を下した。それからは昼飯時に訪れ、ほんの一時間ばかりだが読み書きや文字を教えるようになった。
そうすると、他の家の次男や三男もなんだなんだと集まるようになり、何時の間にか青空教室の様相になっていた。
昼飯を抱えた子供たちが木陰で昔話を唱和したり、読み書きの一環で歌を歌ったりと、村の新たな日常がそこに生まれていた。
しかし、そこでまた新たな火種が生まれる。家を継がぬ次男三男、長女や次女といった子供たちに対し、家を継ぐ長男達が、それら青空教室を「神父の影に隠れて遊んでやがるな!」と文句を言うようになったのだ。
普段の仕事の合間にやっているし、遅れたら日が落ちるまで働くからと、皆が乞い、神父も、読み書きができれば家を出るしかない子供たちも街で仕事ができるかもしれないからと、親達に説明したことでその時の騒ぎは収まった。
ただ、憎々しげに事態の推移を見ていたタウロの兄、長男カールは舌打ちをしながら去っていった。
そして、小さな悪魔を連れたタウロが聖別を受ける10歳の誕生日。
決定的な最後は、この日だった。
神父の祝詞と共に、跪いて目を閉じたタウロに教会を通じて才能の開花を促す神々の力が降り注ぐ。
詳細はというと、教会という場と神父の唱える呪文によって、神々との経路が一時的に開き、最も適性のある力が授けられるというものだ。
僧侶の会得する加護も、名前や性質こそ違うが根本は似たようなものだ。
そして彼の得た職能は悪魔統率者だった。
なにがしかの魔術的職能というのは察していた両親であるが、悪魔の名を備えた職能に僅かな怯えを我が子に見せる。そして、その瞬間を狙っていたかのように、長男カールは自身の弟であるタウロに石を投げ、まるでタウロ自身が悪魔のように「不吉な存在だ! この呪われ子め!」と罵倒したのだ。
次男のグスタフがタウロを庇おうとすると、グスタフを殴りつけ、放り出されたタウロを踏みつけた。
あまりの騒ぎに村の面々が教会にやってくる。
怒りから神父が「職能だけでそんなことは起きない!」と大声で叫び、その場を解散させる。そこで村に不和を広げよることとなったカールに神父が声をかけようとしたが、彼は神父を突き飛ばし、その場を去っていった。そのまま彼はその晩は家にも戻ってこなかった。
その日の夜、タウロ達の隣家で鶏が殺され、近所の犬の前足が突然折られたことで村の騒ぎが広がった。
名指しでタウロを「村から追い出せ」と村長の息子であるアンドレイが叫ぶ。
まるで魔女狩りのように、村の家々から同調するような声が聞こえた。
あまりの狂奔に神父はタウロの身を危惧し、匿うと、村の外へ出るように促した。
取り急ぎ荷物をまとめ、ヒーン爺を召還していたタウロに手渡したグスタフは「兄貴が何を考えているかわからんが、とにかく逃げろ。神父様なら、街の事にも通じているから大丈夫だ」と口にし、夏にあんなきつい仕事を押し付けたことを詫びると、教会に押し寄せようとする一団に合流し、タウロが隣村に逃げたと誤った情報で誘導することで庇った。
そこで「逃がすな! ここで殺さないと村の評判が落ちる!」と一番に叫んでいたのは、残念ながら長男のカールだった。
誤った方向に進んでいく一団を他所に、タウロは神父と共に街道を抜けて、見つけた乗り合い馬車に押し込まれた。
「この手紙を街の教会にいるシスターへ見せなさい。取り計らってくれるはずです。どうか、無事で」
そう口にして僅かな銀貨、たった一人分の乗車賃を馭者に渡した神父は、遠ざかっていく乗り合い馬車を見えなくなるまで見送っていた。
そのまま、付近でも最も大きな街であるビストマークに辿り着いたタウロは、質素な教会の老シスターに手紙を見せ、教会に隣接する元孤児院に寝泊まりできるよう取り計らってもらった。街へしばらく通っていなかった神父は知らなかったのだが、預ける予定であった孤児院は数年前に閉鎖してしまったのだという。
今、教会には老いたシスターが一人きりで、若い僧侶達も別の土地へ移ってしまったという。
「領地同士で諍いがあってね、その影響からここも本当は閉めるはずだったのだけれど」
生まれ故郷だから、どうしても離れられなかったと老シスターのクラレントは、寂しそうに笑っていた。教会の運用資金も今となっては数えるほどしかなく、残念ながらすぐにでもタウロは仕事を探す必要があった。
そのことをシスター・クラレント相談したところ、最初に提案されたのが『冒険者』だった。
「悲しいことだけれど謂れのない差別や抑圧はどこにでもあるの。だからあなたは、自分の身を守れるだけの力を手に入れるべきだと私は思うわ」
はっきりとした口調でそう告げたシスター・クラレントに対し、タウロも頷いた。
長男カールの敵意に染まった顔、それが頭のどこかにこびり付いたままだったから。
そうしてシスターの教えに従って選んだのが、まだ二十台になっていない『イリシャの赤草』だった。
「いい? 女性がいて、顔や服装が極端に汚れていないパーティに声をかけてみなさい。人数は多いところがいいわ。この条件に合うところで、女性がないがしろにしてなければ当たりよ」
その意味をタウロは解らなかったが、シスター・クラレントの助言は的を射ていた。
結果、農村出の魔術師がリーダーというイエナン達に出会えたのだから。
「パーティにいれてください。まじゅつは、そのうちにつかえるようになります」
怯えたような、覚悟を決めたような奇妙な目をした子供は、そうのたまう。
古びた服からは洗濯された時のものか石鹸の淡い香りがした。
震える足を叱咤する様子にイエナンは躊躇したが、アリーシャが仏心を出したのだ。
他のメンバーも説得し、雑用係からでならと了承を引き出した。
今思えば、これは英断だったのだとイエナンは振り返る。
故郷から出て冒険者として活動を始め、やっと中級に入れるかというくらいの頃。
もし、タウロに出会わなければ、もっと悪辣で、外道になってしまったかもしれない。
勿論ならなかったかもしれない。
だが、今よりもっと酷い有様だった可能性は絶対にあったはずだ。
人間らしさというのは、人に優しくすることで手に入るのだから。
■ ■ ■
街道を歩いていたタウロは、外していた革籠手と兜を装備する。
黒い革製の装備に全身を包み、面頬に兜。肌一つ見せないその恰好は一見すると魔術職には見えないが、使う魔術との関係上、肌を晒したままだと支障が出るのだ。
掌を覆う硬い革製の籠手を確かめると、面頬を引き下ろす。
「盗賊かのう?」
「爺さまは後方警戒よろしく。人数確認して、駄目そうなら諦める」
「最初から見捨てればよかろうに」
「性分かな? イエナンさん達に怒られちゃうな」
「ま、よかろ。気をつけろよ」
「了解」
召還によって消えるヒーン爺との会話もそこそこに街道を塞ぐ馬車へ駆け寄っていく。
目の前には倒れた馬車と守る冒険者に攻める襲撃者。
影に溶けるよう物陰から忍び寄ったタウロが棍を突き出した事に気付いたのは、一人の襲撃者が喉を潰された後だった。
「な、仲間がいやがっ」
振り返った男が更に叫ぼうとした瞬間、横薙ぎに振り払われた棍で殴り倒される。
悪魔統率者だというのにやっていることは近接職のそれだ。相手が混乱しているうちに踵を返して木々の間に走り去っていった。
そして見えなくなった途端に物陰から魔術式による火炎弾が放たれた。
慌てて避ける襲撃者達だが、その間に木々の中、周囲を駆け回る気配が1つから3つ、4つと続けて増えた。そして、不意打ちのように、姿を現さずに火炎弾が飛んでくるのだ。慌てた襲撃者が統制を失うと、形勢を立て直した冒険者達によって反撃が開始された。
ほどなくして襲撃者の半数が殺され、残り数名が捕えられることで戦闘は終了した。
「ご無事で?」
「いや、助かった。ご同業かい?」
「えぇ、元はイリシャの赤草というパーティで中衛をやっていたタウロと申します」
「あ、これはご丁寧にどうも」
護衛役だったパーティのリーダー、名前をアウグストと名乗った剣士によると、山間部の集落を目指していた行商の護衛が今回の仕事で、山林にさしかかったところで突如として襲撃を受けたらしい。
「それにしても、この装備って、貴族家付兵士の支給品じゃないですか?」
「だよなぁ。これ、どうしたもんか」
没収された剣や槍といい、どれも量産品で同じ意匠をしていた。
貴族家、または商会の私兵団などが好んで使う類のものだ。
そんな人間がこんな場所で野盗じみた真似をしているとなると、どうも厄介ごとらしい。
そして。
「あぁ、エリザ、そんな、おぉ………」
馬車の傍で亡くなった女の子を抱える一人の男性商人を見たタウロの顔色が変わる。
育ちに反して随分と丁寧な、ともすれば人の好さそうな表情が、じわじわと怒りに染まっていく。
その視線は捕らえた盗賊もどき達へ冷たく注がれていた。
■ ■ ■
まだ幼いタウロにとって冒険者業は過酷なものだった。
農村部での開拓仕事をやっていたこともあり、まだ少年とはいえ体力だけはなんとかあった。
ただし、ダンジョンへの探索を主としていた『イリシャの赤草』の荷物持ちとして参加していたタウロにとって、見たこともない魔物達を横目に彼らの後を追っていくのは常に命懸けだった。そもそもが冒険者職において5年やって生きているのはよくて6割とさえ言われているような環境なのだ。
5年後、10人中4人は死んでいるという事実。
地域や仕事の内容によって死亡率も変わるが、ダンジョン探索を主とする人間は死亡率は常に高い。
そんな場所に潜るのは中堅に差し掛かる前だった『イリシャの赤草』。彼らにとってタウロという新入りを抱えたことはどういった意味をもったのか。
結果だけでいうと、彼の存在がブレーキでありバランサーになったのだ。
少年がいるということで安全策を議論し、危険な依頼を見極められるよう仲間内でよく話し合うようになった。そのおかげで仲間内での諍いが減り、余裕のなかったパーティ内に安定感が生まれたのだ。命を懸けて魔物と戦い続ける生活の中で、日常という正気を繋ぎ止める楔となったのだ。
農村出のイエナン達にとって、タウロに重ねるのはかつての自分達。
飢饉の影響から早くに家を出ることになったイエナン達にとって、選べる職など冒険者くらいしかなかったのだ。小銭を必死に貯めて魔術書を買い、なんとか素養にあった魔術式を覚えたイエナンを中心にパーティの活動を決め、冒険者用の安宿に身を寄せ合って泊まっていたあの頃を。
最初、大振りなナイフや長い棒で、猪や狼と戦って討伐依頼をこなした。
そうして、魔術式を覚えたイエナンと、加護に恵まれたアリーシャ、職能を扱えるよう鍛えたナタリアとハーマンで駆け出しから初級になったのが3年前、22歳になったばかりの頃だった。それから中級に上がり、ダガンとゼルローンのコンビが加わったのが2年前。
やっと中堅の更に上が目指せるかもしれない、そう思えるようになった頃に決断したのが解散。
その正式な解散届を提出に冒険者ギルドにきたイエナンは、襟首を受付嬢に掴まれていた。
「シャレたジョークねイエナン。遺言は?」
グンダリンティーヌ・アーエンシェマ。
元冒険者にして受付業務統括を務める才媛である。イエナン達にとっては初心者時代の先輩であり、冒険者ギルドの誰もが頼り、そして恐れる裏の支配者とも言える存在。その怒りを目の当たりにするような場面において、ギルド長だろうが副長だろうが土下座して許しを請うという。
「り、リンティ先輩、おち、落ち着いてください」
同席、というか、吊り上げられるイエナンにすがりつくような形のアリーシャ。
怯えながらもグンダリンティーヌの顔を見るアリーシャの姿に、さしもの彼女も一旦は殺気を抑えた。
「そうね、まず話を聞かせてもらうべきね。冒険者の廃業そのものは構わないけど、一人でタウロは送り出したのはどうつもりなのか、そこだけははっきり聞かせて」
二人を個室に案内したグンダリンティーヌが話の詳細を求めた。
その関係性からグンダリンティーヌと『イリシャの赤草』との関わりは長い。
グンダリンティーヌが現役時代、昇級クエストの一環として行った初心者講習において面倒を見たのが始まりであり、その後、グンダリンティーヌが当時のパーティ解散によって冒険者ギルドへの転職を行ったあとも、冒険者ギルド職員としてなにかと面倒を見てきた。
そんな『イリシャの赤草』が初級冒険者から卒業するかどうかという頃に連れてきたのがタウロだったのだ。
幼さの残る荷物持ちの少年に対し、どこかの孤児院に預けられないかなど何度も相談した。
だが、現実というのがそう甘いものでなく、「稼ぎがなければ路地裏で死ぬしかない」と真剣な目でそう呟いたイエナン。彼とアリーシャ、ハーマン、ナタリアの四人もまた、飢饉の影響から農村を出るしかなく肩を寄せ合い生きてきた者達だったから。
結局、まめに相談するよう厳命して見守るしかなかった。
そんなやきもきした経過はあったものの、少年の加入によってパーティの状況が上向きになったのは幸いだった。安全マージンの意識、連携の確認、事前情報を整理する習慣、そういった小さな積み重ねのきっかけになったのがタウロだった。
そのおかげで誰一人欠けずに冒険者稼業が続けてこられたのだ。
イエナンとアリーシャの関係が進展して同居していたタウロが身の振り方に困っている時、グンダリンティーヌが預かっていた時期などもある。彼女としても、顔見知りの少年ではなく大事な相手の一人だった。
最近は悪魔統率者としての実力をタウロも積み上げ十二分な戦力になり、追加加入したダガンとゼルローンとの軋轢などもないという理想的な状況だった。そのおかげで資産的にも余裕が出たことが、今回の結論に繋がったというのもあるのだろうが。
「自分とアリーシャは、彼を連れて士官先の貴族家へ行くつもりでした。けど」
「………あの子が、断ったと?」
「はい、私達には『新婚家庭に同居は勘弁して欲しい』とか冗談めかしていましたが、何度話しても冒険者稼業を続けると言い張って」
悩むような、それでいて何かを悟ったような顔のイエナンに対し、アリーシャが言葉を引き継ぐ。
「私達だって彼が気を遣っていることはわかっています。けど同時に、ここで同居を強要するというのも、あまりよくないというのも」
「それは?」
「あの子は、定住や地域のコミュニティに所属するというのをどこかで畏れています。私達が飢饉とはいえ自分達で家を出てきたのとは違い、彼は村を追われた経緯があるから」
「追放への危惧ね?」
「そうです。私だってあの子が一緒にいてくれた心強いと思いました。新しく弟や妹が出来れば、絶対にいいお兄ちゃんをやってくれるだろうなって」
泣きそうな顔のアリーシャの肩を抱き、イエナンはグンダリンティーヌを見る。
「たぶん、あの子が『納得』というか、自分がいていい場所を自分で見つけるまで、その心は決まらないと思います。だからこそ、俺達は単独で冒険者を続けると言うあいつを認めました。いつだって訪ねて欲しいと、各々の住所を渡して」
いつか、自らの手で過去の悲しみを乗り越えて。
自分がいていい場所、自分が掴んでいい幸せがあることを『納得』できる瞬間を。
そういったものを願って、タウロを見送るのだと。
「………あの子の問題について、個人的に調べたことがあるの」
立ち上がったグンダリンティーヌがそう呟く。
棚から取り出したのは束ねられた報告書だ。5年前、そしてつい数か月前の報告書がまとめられている。
それがタウロを追った村のことであると、イエナンとアリーシャはすぐに気付いた。
「俺達が見ても、いいんですか?」
「いいわ。所属冒険者の身辺調査としてギルドで動いたものだけど、管理は私の権限の内だから」
報告書の内容は簡潔であった。保管にあたりグンダリンティーヌが精査したらしい。
場所などはあえてぼかしてあったが、とある農村で山狩りがあった五年前。危険な魔獣か行方不明者でも出たのかと近隣の村から問い合わせが行ったところ「家畜が逃げた」と回答があり、結局見つからなかったということ。
その数年後、同じ村が音信不通に。盗賊により村が壊滅したとも言われるが詳細は不明。
定期的に行商をしていた商人に聞いたところ、妙な人間が道に居座っていたため、山賊か何かではないかと危惧し、引き返したとのこと。
「これ、ついこの前に話題になったサラントの村じゃないですか?」
「そうよ。ここらの冒険者ならすぐに解る話ね」
最近、冒険者ギルドでも問題視されている盗賊被害の増加。そしてその最初の被害者ではないかと言われているのがサラント村音信不通事件である。山林道、他国へ繋がる国境へ道などに出現する盗賊たちが、拠点とする為に村落を攻め滅ぼしたか、支配下においたのではないかと。
被害の多さから衛兵による巡回、および冒険者ギルドへの護衛依頼も増えている。本格的な調査についても計画が立てられているが、運が悪いことに中堅以上で調査や捜査の類が得意なパーティが出払っている為にまだ実行には移されていない。
「タウロの話が本当なら、たまたま物騒に見える職能に目覚めたあの子を村人が排除しようとした、くらいと思ったわ。だけど、なにかしっくりこないのよ」
「タウロがあの村にいるのがまずいと思った誰かがいたと?」
「最初は馬鹿げた予想とも思ったけど、何かね、そう考えると妙に符合していくのよ」
「つまり?」
「盗賊被害の増加、この裏に悪魔か、悪魔のような闇属性の魔物か何かが関わっているんじゃないかって」
「そんなまさか」
苦笑いするイエナンの隣、アリーシャの顔が強張る。
それに気づいたイエナンの顔が青くなる。
「おい、まさか」
「タウロ君が、最初に向かうって言ってたのが故郷の」
「最悪じゃない」
止める他のギルド職員を「うるせぇ!」と蹴散らしたグンダリンティーヌは業務をほっぽりだすと物々しい冒険者装備に身を包む。廃業当日だというのに同じく冒険者装備に身を包んだイエナンとアリーシャの二人と共に、彼女が街を跳びだしたのはそれから半日後だった。
■ ■ ■
アウグストは呻き声を飲み込んだ。
縛った貴族付き兵士と思しき者達の中から尋問にかけられた士官服姿の男が、吐瀉物と血にまみれた光景に思わず吐き気を催したからだ。アウグストとて盗賊や犯罪者のやり口でそういったものの結果を見たことはあるが、自らやる側になるとは今日の今日まで思わなかった。
「つまり逃亡兵だったと」
「らしいですね。それにしてもろくな情報を持ってなかった」
舌打ちと共に血と脂で汚れたナイフを捨てたタウロが汚れた手を包むグローブを外す。
尋問、または拷問じみた真似をやったのが彼だった。士官の顔を殴り、それでも喋らない相手の指一本すっ飛ばして、最後の方は焚火の中に掌を押し込んだ。
自分の焼けた臭いを嗅いで腹の中身を全て吐き出した士官を他所に、汚れたグローブやらナイフやらの作業で汚れたものを穴に埋めたタウロは眉間にしわを寄せる。元々士官達から取り上げた道具だ。扱いが悪かろうと感慨もない。
「増税令、地方の反乱、鎮圧失敗による逃走。話に聞いていた盗賊に仲間入りしようと拠点があるらしいこの地方に来たと」
「そして今やろうとしていた強盗も盗賊団の仕業として罪をかぶってもらうつもりだったというわけか。胸糞悪くなるな」
「まぁ、傷口も焼きましたし死にはしないでしょうからとっとと兵士さんに突き出してください。僕は彼らの言っていた盗賊の拠点だけ探りますが、行商護衛の皆さんはお気をつけて」
「待て。一人で行くのか?」
「探るだけなら単独の方が見つかり辛いので。冒険者ギルドへの報告はお願いします」
「待て、それならお前の職業は?」
木々の間を抜けて、闇へ消えようとしたタウロは短く答える。
「悪魔統率者のタウロです」
聞き慣れない職業に不吉なものを感じながらも、頷いたアウグストは即座に踵を返した。
何かは始まっている、そういうことを勘が囁いていたから。
■ ■ ■
タウロの職業である『悪魔統率者』。
これは悪魔召喚士とも悪魔憑きとも違う。悪魔召喚士は召喚と契約に特化し、そのかわりに契約難易度の低下、隷属化の補助がスキルによって行われる。悪魔憑きは悪魔に従属する危険性があるが、肉体に悪魔そのもののの力を宿すスキルを扱える。
そして悪魔統率者とは。
名前からすると悪魔召喚士や悪魔憑きの上位職業とも思いがちだが、そもそも悪魔召喚士は召喚士の上位職であり、悪魔憑きは個別職であり上位職も下位職もない。基本的に類似こそしているがどちらとも違う。
端的に言えば悪魔憑きと同じ個別職でありながら、悪魔を多数使役するという意味では悪魔召喚士の方に似ている。
しかし、悪魔統率者は従属、または隷属化や使役化と呼ばれる悪魔との契約に『補助』がないのだ。つまり、悪魔とは既に従属化した悪魔、または自らの力で戦い、服従を誓わせなければならない。交渉というテーブルにつくことさえ難しいのだ。
その条件下で、齢15歳にしてタウロは5体の悪魔と対峙し、そのうち1体を消滅、二体を従属、一体を隷属させ、最後の一体は契約ではなく盟約を結んでいるのもまた珍しい。
盟約を結んでいるのはヒーン爺。
消滅させたのはイグニス・ファトゥス・ゲヘナ。一般には人魂や愚者火とも呼ばれるウィル・オ・ウィスプの一種であるが、地獄の火に炙られた魂の成れの果てで、正確には悪魔もどきとも言われる危険な存在だ。邪霊、または悪霊ともされるが、水すら蒸発させる高温をまとい、その黒い炎はたちどころに一面を焼き尽くすという。
その出現に気付いたのはヒーン爺。あれは山麓にある無縁墓地のアンデット退治の帰りであった。
元々ヒーン爺はウコバクとも呼ばれる小悪魔、または低位悪魔とされている存在だ。地獄の火を管理する任を担い、地獄の釜の炎が絶えないように油を注ぎ続ける役目を受け持っていたという。また、花火と揚げ物を発明したともされるが、そこは作家なりのジョークだともされている。
その役目から下位とも言われているが、実際は地獄の環境を維持する為の自然霊に近しい存在だ。役割に見合った零落であり、存在を保つ神格を手放したことによりその地位に成り下がった古い古い霊的存在。
通常であればあふれんばかりの聖水か、高い階位の神職が必要なイグニス退治であったが、ヒーン爺という地獄の火に対する専門家は天敵としかいいようのない相手であった。
どこからともなく取り出した農業用のフォークで突き刺し、炎をケーキか何かのよう切り分けると、散った火を一息で吸い込んでしまったのだ。
あれにはタウロのみならず他の面々もぎょっとしていた。
結果、ヒーンは二回り分の『格』を取り戻し、ウコバクより二つ上の力を行使できるような存在に戻った。
本人にしてみれば「多少の手管が使えるだけさね」とのことだが。
その後、従属させたのはカラスの悪魔であるフローキ、影を司る悪魔であるスカシャランドゥである。
フローキは大鴉の姿で、スカシャランドゥは全身が真黒な歩兵鎧を着た骸骨の姿。
どちらもたまたま古書店で投げ売りされていた魔術書の写本、そのページが数枚しか残っていない切れ端から探し出した魔法陣から呼び出し、戦いに勝って従えた相手だ。
まぁ、フローキは洞穴の中、スカシャランドゥは真昼間の平原で灯した松明で囲んでおくという対抗措置をとって相手にしたのだが。
そして最後が隷属をさせた『死せるカブラカン』。
またの名を『地震の巨人』とも呼ばれる存在。かつて神代に存在していた神霊の成れの果てに悪魔と化した相手だった。これもまた戦いを経ずに隷属させたかなり特殊な存在である。
ただ、その扱いの難しさから、隷属後に召喚したのはたった1回。
切り札、というよりも最終手段。下手をしたらタウロごと周囲を巻き込む巨大な爆弾じみたもの。
その為、普段はヒーン爺、フローキ、スカシャランドゥだけがタウロの手札になる。
「あれか」
一人、木々の中を小走りに進んでいたタウロが集落に近付く。
道順を確かめて、森の様子を確かめて、そうして確認した限りでは間違いなかった。
そこは生まれ育った村、サラントだった。
そのはずの場所だった。
「………召喚、スカシャランドゥ」
影の奥からずるりと何かが噴き出す。真っ黒なタールなようなものが歩兵鎧に身を包んだ真っ黒な骸骨の姿をとると、暗い眼窩の中に真っ赤な光が点った。
「ありゃあ、なんだい坊ちゃん? なにやらいやーな気配がしやがるが」
「やっぱりか。悪魔か、それとも亜神、それとも魔獣の類がいるらしい」
「マジか。爺様、何かわかるかい?」
「はてさて、こんな集落の中でなんでそんなものがいるのやら」
ふわりとタウロの足元から召喚の宣誓もなく現れたヒーン爺も首を傾げる。あれから五年、家々の並びなどは記憶の中と同じようだが、夕暮れをあと数時間後にした現在、道々を歩くのは男や老人ばかりだった。
「どうも、盗賊か何かに占拠されているらしいけど」
「女性はどこかに逃げたようだの。煮炊きに集まっている様子もないし、どこかに捕まっているような場所もない」
「あぁ、監視役がいるような建物がないってことだね」
「そうじゃ。よう覚えておったのう」
「和んでる場合かよ爺さん。ひの、ふの、みの、っと、数えただけで30人くらいはごろつきみてぇなのいるけど、どうするんだい坊ちゃん?」
「撤退だね。嫌な気配の大本がどこにいるかも定かじゃないし、ぶつかるのはまずい」
「了解。気配は俺が誤魔化すから、とっとと下がろう」
「頼むね」
そこまで話した直後だった。
一人と二体が怖気を感じて同時に視線を動かす。
木々の間を這いまわる巨大な気配。ぬるりと長い蛇体がくねり、ボロボロの竜鱗が砂や鉄くずを擦らせるような音が鳴る。そして鼻を刺すような腐敗臭に続き、木陰から巨大な牙を備えた人に似た顔が覗いている。
「悪魔竜………!?」
想像した中でも最悪の部類であった。
デビルドラゴンとも言われるが、その中でも人面で翼のない種類となればそう数は多くない、バジリスクの変種か、それとも。
「ありゃアンデットか。復活したばっかりのようだの」
「死にかけの悪魔? そんなものが何故こんなところに」
「わからんのう」
そのまま森の奥に去っていく悪魔竜の姿を見送ると、気配は徐々に離れていった。
「復活自体が叶ったのはここ2,3日くらいじゃろう。まだ慣らしの状況のようだが、魔物でも食い始めたら一気に活性化するぞい」
「このまま引き返すと次の情報収集は無理そうだね」
どうしたものかと思案しているタウロの目線の先が、かつての実家を捉える。
そこに動く人影を確認したタウロは短く逡巡するも、家へ向けて駆け出していた。
元々人通りの皆無の状況であり、あの悪魔竜の影響か、歩き回っているような人間は誰もいない。
そのまま自宅の扉を僅かに開いて中を見ると、棒切れを構えた痩せた男が立っていた。
「グスタフ、兄さん」
「お前、タウロか………!?」
「う、うん」
「とにかく中に!」
五年ぶりの再会に対し、痩せたグスタフは涙をこらえながらタウロを家の中に引き込んだ。
かつて見慣れたはずの家の中は閑散としていて、タウロの両親も、そしてもう一人の兄であるカールもいなかった。
「お前、その恰好。もしかして冒険者に?」
「うん、先輩に面倒見てもらってなんとか。母さんと、父さんは?」
「だいぶ前に避難した。ここに残っているのは、逃げ遅れた人間だけだ」
「………カール兄さんは?」
「騒ぎの前に衰弱して動けなくなって、町の病院に運び込まれたままだ」
両親の無事に安堵すると同時、長兄の状態に思わず言葉を詰まらせる。
あんなこともあり嫌っているのだと自分でも思っていたが、それでも兄弟の情は残っていたらしい。
タウロは言葉を続ける。
「詳しく、聞かせてほしい」
面頬と兜を外したタウロを座るよう促したグスタフは、思考を巡らすように天井を見上げた。
遠く、あの竜体人頭の悪魔が暴れているのか、微かに家が揺れた。
「まず、お前を逃がしたあとから、順番にか。少し長くなるぞ」
「あの、化け物は?」
「今のところ大丈夫のようだ。鼻も耳も効いてないようで騒がなければ襲ってこない。いつまでかは解らないが」
「そう」
「それも話す」
5年前、タウロを追った若者をはじめとした一部と、事情を知らぬまま加わっていた一部の村人達が無駄足で戻ってきた後。
表面上は元の生活に戻っていた。どうせ10歳の子供が一人だ、あんな不吉な子供すぐにのたれ死ぬだろうと。何故そこまで悪意をもってタウロを追いやったのかは定かでないが、グスタフは黙ったまま彼等の動向を探っていたという。
何食わぬ顔で戻っていた神父であるが、職能が授けられる聖別の儀式を行える唯一の人間だ。騒ぎを扇動した村長の息子アンドレイと兄のカールもそれ以上の追求や嫌がらせが出来るわけでもなく、放置されるような形なった。ただし、神父の教えを受けながらタウロのような人間が出たことから、青空教室は無駄だ、不要だと禁止が村内で決められ、神父と子供達の接触も制限された。
ここまでの話に思うことがあってか、タウロ達の父や村長、村内の主導している面々が、青空教室の禁止措置を強硬した若者達に対して諫めようと話し合いの場を設ける。ただそれも猛反発したアンドレイとカールを中心にした村の若手達に閉口し、なし崩し的に禁止措置は実行された。
それ以降も、若者と村の大人達の間で何度か衝突が発生した。
新しい集会場を勝手に建てようとして伐採計画にない樹を倒したり、森の収穫物を規定量以上集めたりと、若者達、いわゆる長男衆が独自行動を始めたのだ。村全体の統率を乱し、たびたび諍いが起きるようになる。
村の雰囲気は最悪だったという。
それらを率いていたのがアンドレイとカールだ。カールに関しては畑の手伝いも徐々にしなくなり、その為にグスタフが両親達と三人でタウロが広げた部分を含め、日々作物の面倒を見ていたのだという。
「お前の耕したところもな、とうもろこしを新しく植えたら大きく育つようになってな」
「………そうなんだ」
懐かしそうにその時のことを話す兄に、知らずタウロの目元にも涙が僅かに浮かぶが、ぐっと奥歯を噛み締めると、話の続きを待つ。
そういった村の対立はあるものの、決定的な崩壊、最悪の事件が立て続けにおきたのは数か月前だった。
その日、冒険者気取りでアンドレイとカールが山の中に踏み入り何か獲物はいないかと探していると、付近を移動中だった盗賊を発見。本来なら彼等の様子を観察し、村に伝えてさえいれば対策もとれる幸運な出来事だったかもしれない。
しかしそうはならなかった。
二人は盗賊を奇襲し、十数人いる中の何人かを殺したのだ。
勿論、村を守ろうという考えもあったのだろう。ただ、あまりに無謀であったし、功名心によるところではないかと村でも責められた。慌てて反転した残りの盗賊達であるが、その殺気に正気に戻った二人が、山の中に早々に逃げたことで反撃は間に合わなかった。
彼等を追う過程で山中を駆けまわった盗賊達は、その最中に土砂で崩れた場所から奇妙な小屋を見つける。それは、かつてこの地に悪魔を封印した品を祀った隠し祠であったという。
「もしかして俺の加護も」
「その影響があった、そう神父さまも言っていたよ」
そんな事情を知らぬ盗賊の頭は祠の中に収めてあった封印の道具を持ち出してしまう。
奇しくも、封印が保たれた状況であれば、その封印具は悪魔の力を一部とはいえ制御できる魔道具としての機能をもっていたからだ。
それは封印の中から悪魔が力を放出し、外との繋がりを作ろうとしたことによる偶然だったのだろうが。
そんな偶然が重なった結果、悪魔の力を行使する魔道具を持ち、周辺の村々を襲う盗賊団が出来上がってしまった。
その力は、封印の要である祠から一定の範囲でしか使えず、それ以上離れて使うと自身の魔力が吸い上げられることから、襲撃範囲は自然と祠に近かったサラント村の周囲に限られることとなる。
「それにしても、兄さんはなんでそんなことまで知ってるの?」
「半分は神父さまの推測さ。似た話が教会の資料に残ってたんだと。状況から考えても、多分当たっていると俺も思う」
悪魔の力なんてものには代償がある。それは、いつか使っている人間が支払わねばならぬと。
代償を前払いしたが、後払いしたか、そして『何』を求めて『何』を払ったか。
盗賊とタウロの違いはそこなのだが、残念ながら盗賊の頭がその危険性を理解したのは破滅した瞬間だった。
「それに、もう一人だけ、もしかして『そうなるかもしれない』と気付いていた人間がいた」
「誰?」
苦々しい顔で、グスタフは口をつぐむ。
しばらく喉を押さえ、迷うようなそぶりをしたものの、真剣な顔で口を開く。
「兄貴だ」
それはあまりに予想外で。
そしてタウロにとって、あまりにも救いようのない真実であった。
■ ■ ■
預言者。それが長兄カールの授かった職であった。経験や血筋、環境が大きな影響を与える職能において、生まれてから農村から大きく離れたことのないカールがそんな職業の加護を得たのは一体どういった要素が絡んだのか。それはわからない。
その力は研鑽を積めば天災や人災、そういったものを予測し被害を未然に防げると言われるが、たまさかそんなものを手に入れた人間に使える職能など限られている。予知夢、そして予言を伝える先導くらいだった。
そして、予知夢で見たのは、たったの二つの選択肢。
弟を虐げ、追放騒ぎを起こして村人を先導する光景。
または、それを行わず、山賊が見つける前にあの祠を誰かが探り当ててしまい村が滅ぶ光景。
たった二つしか選択肢はなかった。
勿論、弟を犠牲にせずとも何も起こらないかもしれない。ただ、そんな誰も犠牲にならない選択肢が存在する確率が低いことは、予知夢を見る回数、その鮮明さが増していくことによって否定された。
そのうち、カールは眠れなくなった。
苦悩によって精神は削られ、時に日中ですら酩酊するように気絶するようになり、そんな時ですら予知夢を見るようになる。
結果として、彼は選んだ。
弟を虐げることになろうと、弟を村から追放するようなことになろうと。
村が、家族が、助かる確率が高いであろう道を。
それを気付かせないよう家族と距離を置いた。兄弟も、両親達ですら長兄の豹変が職業加護によるものだと思い至らぬように。
■ ■ ■
そうして今。
かつて周辺を荒らしまわった山賊は悪魔に食い殺された。
必死に状況を手繰り寄せようとした兄は倒れ伏した。
周辺地域に被害が出て、今は悪魔竜が闊歩している。
兄の苦労は報われず、延命を重ねていた村を含めた多くのものの寿命も終わる間近という状況だ。
「だから、兄貴のことは」
「………」
口元を掌で覆うタウロは、罵声も、悲鳴も、嗚咽も、全てを飲み込もうと黙りこむ。
それこそ「兄を、許せと? 自分には、恨むべき相手もいないのか」と、そんな言葉が喉からせり出そうとしたことを堪える。
兄はおそらく、意図的に村に不和を作ることで祠の発見を遅らせたのだ。誰かが祠の異物を持ち込み、村に影響が出ないように。下手に警戒を促せば祠に封じられていた『悪魔』にこちらのことが気取られてしまうため、ただひたすら誰に言うこともできずに。
おそらく村長の息子くらいだろう。具体的にではなくとも、カールが懸念している何らかの危機について気付いていたのは。
その苦悩を思えば、あの日、村を追われたことを批難など出来ない。
おそらく、そうしなければどうしようもなかったのだろうから。
いや、恨むべき、復讐すべき相手はいる。
お前の所為か。祠の悪魔よ。
竜体人頭の悪魔竜。かつて封じられた悪しき者。
お前のせいで、長兄は苦しみ、次兄は痩せ、俺は、これほどに辛い思いをすることになったのかと。
お前の所為なのか。
行商の小さな女の子が殺される遠因を作り、山賊による強奪と暴力を野放しにすることになったのは。
息が苦しい。心臓が痛い。
これは怒りだ。これは嘆きだ。
救えなかった相手への後悔と、こんなことを引き起こした相手への恨み。
赦せるものか。
赦せるものか!
深く息を吸い込んだタウロは、外していた兜と、面頬を装着し直す。
家具の影、竈門の火、隙間風、そんなものを媒介に姿を現わす悪魔達の姿に、思わずグスタフは目を見開く。
炎の悪魔ウコバクことキーン爺さん。
鴉の悪魔ビッグレイヴンであるフローキ。
影を司る悪魔シャドウポーンのスカシャランドゥ。
低位悪魔がたった3体。
それらを従えるタウロの、その身に纏う空気が変わった。
かつて荒れた畑で泣いていた幼子はそこにはおらず、息苦しくなるほどの殺気を纏った冒険者がそこにいた。
「タウロ」
「グスタフ兄さん、行ってくる」
止めようとしたその手が躊躇する。
既に踵を返したタウロは、家の扉を静かに開いた。
「あれは僕が殺さなければならない相手だ」
因果。
自身にもたらされた力の根源、それを叩き潰すのだと。
タウロはその手に棍を握りしめ、家から出て行った。
今度は自らの意志で。
■ ■ ■
騎馬で駆けるグンダリンティーヌは年下の元同居人の事を思う。
元々は後輩冒険者パーティーに引き取られた少年がタウロで、その立場から何かにつけて目にかけていた存在。その後、パーティー内で恋愛関係が深まったイエナンとアリーシャの邪魔になることに悩んだ彼等と同居中の彼を、グンダリンティーヌが一時的に預かり、独り立ちするまで同居していた。
楽しかった。
誰かが家にいるという環境も、後輩パーティーの騒ぎに混じることも。
帰宅した時、タウロが慣れない手つきで台所で料理している姿を見た。
その時、何故か泣いてしまったこともある。
冒険者稼業で、そしてギルドの受付として忙しく生きてきた今までで、ずっと忘れていた温もりがそこにあった。切り口の乱雑な野菜の放り込まれたシチューの味が忘れられない。
部屋で自分がこぼす愚痴に、タウロが適当な相槌を打つあの時間が好きだったのだ。
生活に余裕がうまれグンダリンティーヌの家を出ることになったタウロを、呼び止めようとも思った。
けど、なんて声をかけたらいいか解らずに。
まるでペットや召使いみたいに都合の良い相手にするつもりなのかと、心のどこかがその行為を押しとどめた。だが同時にそれは、きちんと相手と向き合うことを恐れ、あと一歩、本当に欲しいものを手に入れようと足を踏み出すことを恐れた弱気だったのだ。
一人に戻って。
けれど、それでも思い出して。
その感情がなんなのか考えようとしてどうにもわからず酒に逃げて。
酒場のトイレで嘔吐しているところをタウロに看護されるという醜態まで晒すことになった。
もう同居してないのに心配そうにくるなよタウロ。
なんか、どうしようもない人間になっていく気がしていた最近。
パーティ解散とタウロの独立を聞いたのは寝耳に水の出来事であった。
その瞬間、グンダリンティーヌの明晰なずのうはここしかないと結論をみちびきだす。
家族になったらいいんだ、と。
タウロが冒険者になった経緯だって知っている。
家族に対して、割り切れない感情を抱えているのも。
だからって、世捨て人みたいな道を選ぶあの子を一人にしていいはずがない。
それなら一生、死ぬまで面倒みてやる。
愛してやる、と。
もうそこまで覚悟を決めてしまえばあとは相手の気持ち次第である。
首根っこ捕まえて聞いてやろうと思う。
■ ■ ■
いつだって思い出す景色がある。
泥だらけのまま家に帰って、共同浴場で父に髪を洗ってもらう。
そのまま家に戻ると、固いパンと野菜のスープで囲む食卓が待っていた。
カール兄さんは昔、もっと口数が多かった気がする。
グスタフ兄さんは、しょっちゅうよそで喧嘩しては怒られていた。
夕焼け空を流れる雲を見上げ、やがて訪れる星空を待った。
やることもない夜は、兄たちと、いたかもしれない英雄の伝説を想像して、その話を語り合った。
カール兄さんが鋼の種族って伝説の巨人の話を元にして作り上げた即興話は面白かった。
そうやって、変わらないものだと思った。
変わらない毎日でいられると信じていた。
けれど、五年の間に。
父の顔も、母の顔も思い出せなくなりそうだった。
兄の声だって、数分前までぼやけていた。
追い出され、逃げて、必死に冒険者になって。
どうしようもない孤独感があった。一緒にいる誰かは、いつかいなくなることがたまらなく怖かった。
イエナンも、アリーシャも。
ナタリアも。ハーマンも。ダガンも。ゼルローンも。
そして。
グンダリンティーヌさん。
そう諦めていた。
だが、だとして。
そう思い詰めた顔で悪魔竜に対面するタウロは、全身に魔力を循環させ、既に戦闘態勢をとっていた。
『なんだ子供か。生贄にしては足らんのう』
余人には掠れた音の重なりにしか聞こえない言語が、その職能によってタウロにははっきりと人語に等しく理解できてしまう。
「………貴様なんぞにくれてやる命なんぞない」
『お前、わかるのか?』
「残念ながらな」
『ならば伝えよ。生贄を備え、こうべを垂れよ。さすれば飼ってやらんこともない』
「断る」
傲岸不遜、それもまた悪魔だ。だからこそ封じられたのだろう。
家族を、平和を、日常を奪った相手。
目の前にいる悪魔竜に語り掛ける。それは宣戦布告だ。
目の前の相手を殺すと伝える為の前口上だ。
「死んじまえクソ野郎」
地面へ伝わった魔力が炎に変換される。
キーン爺さんの能力である『釜の火』だ。地獄の炎を限定的とはいえ使役する能力。
それを悪魔統率者の力によって借り受ける。
燃え上がった炎の柱が悪魔竜に吹き付けるが、その威力に対しても悲鳴すら上げず人そっくりの相貌がタウロをひたりと見据えた。
『愚かな』
長い身体をくねらせた悪魔竜が頭をもたげる。
猛り狂う魔力が顕現し、暴風が吹き荒れた。
「師団」
吹き散らされた炎によって揺らめいていた木々の影から、続けて真っ黒な兵装の骸骨が何体も現れる。
スカシャランドゥと、その分身による仮初の軍勢は、手に手に長槍と長盾を構えて押し寄せていく。
その数は100。
百体の軍勢に悪魔竜は尾を振り抜く。
素早く身を躱した大半が攻撃を回避するが、位置取りの都合上一割ほどが叩き潰されて消えた。
まるで幻影のように溶けて消える存在に気を払う様子もなく、ずるりとタウロへ前進してくる。
「巨人の手」
しかし、まるで羽虫のよう無視されたはずの軍勢が一斉に槍を突き出すと、尖った巨岩が叩きつけられたかの衝突音と共に、小山と見紛うばかりの悪魔竜の巨体が弾き飛ばされた。
巨人の分霊にあたる『死せるカブラカン』の力、それをタウロが術式を経由してスカシャランドゥに付与したのだ。
これこそが悪魔統率者の真骨頂。
配下の悪魔との能力共有、付与、そして支配。
支配下の能力同士を共有することで、新たな力を構築する。
そうして林から荒れた傾斜地に追いやられた悪魔竜に対し、上空から粘つく炎が降り注ぐ。
飛翔するフローキの背に乗るキーン爺によって放たれる地獄の溶岩だ。
先程の炎とは温度も性質も異なる一撃に、初めて悪魔竜が咆哮を上げた。
その温度たるや周囲の岩をも溶かし、土砂すら大きく抉れた。
体表に粘土の高い溶岩がへばりつくのに対し、身をよじって振り落とす悪魔竜であるが、続けて目の前に跳びだしたタウロへの撃撃が遅れる。
「大火霊」
タウロを覆うように炎が迸る。
全身を包む鎧のよう形作られた炎がその身動ぎに追従し、悪魔竜に組み付いた瞬間により強く燃え上がった。
硬く冷たい竜鱗の幾つかが弾け飛ぶも、全身を曲げのたうった悪魔竜に弾き飛ばされる。
これだけの攻勢をかけても大きなダメージを与えられない相手の強大さに舌打ちするも、着地したタウロは衝撃を相殺するよう消えた炎の鎧の影に隠れ、林の中に飛び込んだ。
絶え間なく押し寄せるスカシャランドゥとその分身による波状攻撃。巨人の膂力を発揮できるのは短い時間であるが、一か所でも傷があればそれを少しずつ長槍によって抉っていく。
影で形作られた不死の軍勢による包囲網、上空や周囲から行われる中位の魔術師より多彩な炎の攻撃による強襲。
しかし、決定打のない包囲戦に対し、大きく首をもたげた悪魔竜が大きく口を開いた。
「坊主! 逃げるんじゃ!」
いち早く気付き、フローキの上から叫ぶキーン爺。
咄嗟にフローキの用いる風魔術で一気に飛翔するタウロと、影の中に埋没し、分身達による軍勢を盾に逃れるスカシャランドゥ。
僅かに遅れ、悪魔竜の放つブレスが周囲の木々ごと全てを溶かした。
酸性のブレスと思しき油のような濁った液体、それが濁流のよう全てをとろかし、押し流す。
周囲がぐちゃぐちゃの粘土のよう崩れていく中、ヒーン爺の指示によって村から引き離しておいた事にタウロは安堵した。
こんなものを村の周辺で喰らえば二度と住めなくなる。
山林の中であれば魔力の濃度もあり、ある程度であれば環境が中和してくれるだろうが、何度もブレスを吐かれれば環境も、そしてタウロも終わりだ。
「あの竜もどき、思ったより硬いぞ」
「まさか巨人の力で槍をぶちこんでも通らないとはなぁ。坊ちゃん、どうする?」
「………回復の度合いから言って、今倒さないと次がない。全部使う」
その言葉にキーン爺とスカシャランドゥが息をのむ。
まぁ、スカシャランドゥに関しては顔が骸骨なのでそんな雰囲気がしただけだが。
「坊ちゃん、それは」
「下手したら『もってかれるぞ』?」
心配する2体に対し、乾いた笑みを浮かべたタウロは、次の瞬間に犬歯を剥き出しに唸る。
「それでも、それでも野放しにはできないんだ」
あまりに強い決意。それに従うよう、二体もゆっくりと頷く。
地面に膝を着いたタウロ。
影の分身達が再出現しないことに周囲を警戒していた悪魔竜だが、濃厚な魔力の気配に反応し、タウロ達の居場所へ顔を向けた。
悪魔竜の人に似た顔が、にぃと、厭らしく笑う。
しかし、続いて迸る強大な存在の気配に、何か偉大なる、異質なる存在が新たに召喚されようとしていることに気付いた。
地に着いたタウロの膝を中心に地面へ赤く光る魔法陣が広がっていく。五重の円環、幾何学模様の羅列、生物の様に脈打つ図形、まるで地面を抉っていくように、呑み込むように広がった魔法陣からタウロが立ち上がった瞬間、魔法陣は一際赤く輝いた。
「死せるカブラカンよ、ここに在れ」
魔法陣という面から、まるで爆発するように巨大な身体が噴き出す。
地震と共に現れたのは、身の丈において悪魔竜の倍はあろうかという巨人だった。
黒曜石の仮面、赤く光る眼、痩せた身体。
かつての偉大なる巨人、死して尚存在が消失せず悪魔に墜ちた存在。
その巨体が立ち上がっていた。
巨人カブラカン。密林の茂る地において称えられた最後の巨人である。その身は山々を越え、その名は『地震』を意味している。その腕力で山を吹き飛ばす様子が古い書物に伝説が残っている存在。かつて英雄に討伐され、その遺体の一部が深い地下にて朽ちず悪魔となっていた。
地下の鍾乳洞にてタウロがその姿を発見したのは、まるで何かに呼びつけられたようであったと、後にイエナンは語っている。
カブラカンが契約時に望んだことは一つ。
尊厳ある死を。
騙し討ちによる誉無き最後に非ず、納得をもってこの世を去れる勲ある戦場を。
そう願い、タウロに隷属したカブラカンは、死した身体に燃料を注ぎ込まれ、今まさに動き出す。
口から、耳から、そして鼻と目から。
溢れ出した炎が真っ赤に顔を染め、仮面を除いた頭全体を炎で覆っていく。
地獄の炎を燃料に動き出したカブラカンは、そのまま大きく踏み出し、悪魔竜に組み付いた。
「坊っちゃん! 身体ぁ影から魔力を繋いで支えてるが、長くは動けない!」
「こっちもじゃ! 地獄の炎を汲み上げて遺骸に注ぎ込んじゃいるが早く終わらせんと身体の中からこぼれちまう!」
「頭痛い! 制御系はこっちで支えるから是が非でも維持して!」
二体の悪魔と一人分の悪魔統率者の力で、元神霊、神代の存在を仮初だろうと動かしているのだ。
下手をせずとも命の危険が生じる。
だくだくと流れる鼻血をそのままに、カブラカンと繋がった魔力経路からの制御を維持し、タウロは叫んだ。
「ぶちのめせ!」
巨人が突進する。
そのまま悪魔竜に巨体が組み付く景色の中、既に視界がぼやけ始めたタウロが必死に意識を繋ぐ。
走馬燈のように見えてはいけない景色まで見える。
暖かい寝床、寝起きの悪い同居人の女性。
失敗した料理、夕日に照らされた横顔。
焚き火を囲んで笑うイエナン、怒るアリーシャ、難しい顔のナタリアや、馬鹿騒ぎをするハーマン、ダガン、ゼルローン達。
そうだ。自分はもう、そこにはいない。
今日がその、独り立ちの初日なのだから。精々気張ろうじゃないか。
はっきりと視界が定まり、繋ぎ止めた意識によって指示を出す。
悪魔竜を投げ落としたカブラカンは、そのまま左の拳を叩きつけた。
衝撃に転がる悪魔竜が、山の地表ごと吹き飛ばされていく。
まるで散弾のように散らばった悪魔竜の鱗が、近くの樹木を幹ごと砕いた。
続いてカブラカンの組み付いた悪魔竜の身体が、直上へ勢い任せに放り投げられる。
今だ。
上空から舞い降りる大鴉に掴まり、空へ舞い上がるタウロ。
その手には、スカシャランドゥから手渡された真っ黒な剣が握られている。
放物線を描く悪魔竜の眼下では、制御を失ったカブラカンの身体が崩れ落ち、ゆっくりと送還されていく。黒曜石の仮面越しに空を見上げるその瞳は、タウロの握る真っ黒な剣が炎に包まれていく光景を映していた。
さんざんに打ち付けられ、防御能力を失った頭部へ炎を宿した影の剣。
黒曜石より薄く、溶岩より遙かに熱い斬撃が悪魔竜の額へ叩き込まれる。
そのまま顔を真半分に断ち切ったタウロは、他の悪魔の制御も失い、空中へと放り出された。
地面へと叩きつけられる悪魔竜の遺骸。
重たい衝撃音は、山を越えた別の街まで伝わったという。
■ ■ ■
英雄は生まれるのではない、発生してしまうのだ。
農村育ちの三男坊。
低い身長に褪せた黒髪、汚れた足をした子。
彼の面倒を見るあの小さな悪魔がいなければ、それこそ何時か簡単に死んでしまいそうだった。
本当の祖父のように彼を守っていたあの悪魔は、何を思って彼と共に居たのかわからない。
ただ、それでも辛い生き方だっただろう。
まだ幼いとさえ言える年齢で、冒険者という鉄火場に足を踏み入れた。
獣の咆哮、命を狙うトラップ、山賊まがいの同業者。
どれだけの危険の中を生き延びてきたというのか。
そして職能に呪われたような悪魔との遭遇。
おそらく、あの力に惹かれて、多くの魔物が、多くの運命が引き寄せられていた節がある。
今まで見つかることのなかったカブラカンがいい例だ。
まるで何かに備えるよう、まるで何かに抗うよう。
そうして培われた力を、十全に発揮する瞬間があるとすれば。
それこそ何かが図ったような絵面ではないか。
ならば何故、あんな優しい子がそんな目に合わなければならないというのか。
それを思うと、神であろうと呪いたくなる。
そうしなければならなかったのだろうと、もっとマシな選択肢はなかったのだろうかと。
例えば、家族がもっと彼を尊重する選択肢を選べれば。
例えば、本来その地を監督する貴族家がきちんと『何か』を管理していれば。
例えば。
もっと早く、彼を見守ることが出来る、自分がいれば。
泥の中を転がる彼を見つけた瞬間、心の中には後悔だけが広がった。
顔を自らの血で汚し、まるで廃棄物のように地面に転がる彼を見た瞬間のあの気持ちは。
おそらく一生忘れないだろう。
■ ■ ■
雨が降っていた。おそらく、悪魔竜を叩き斬る時に吹き上がった炎が呼んだ雨だろう。
軋む身体に呻きながら体を起こそうとするが、タウロは自身の顔を遮る影があることに気付き、視線を上げる。
「グン、ダリンティーヌさん?」
「………ぐんちゃんって呼んでよ」
彼女は泣いていた。
なにがあったのか、武装した姿で、自分の頭を膝に乗せるような恰好で。
「泣か、ないで」
腕を持ち上げようとして呻く。おそらく骨に罅がはいったか、折れている。
魔力の回復で頭痛こそ収まっていたがろくに動けない。
このまま放置されていれば魔物の餌になっていただろう。
「………たいなら」
「え?」
「痛いなら、痛いっていいなさいよ馬鹿!」
「えっと、うん、ごめんなさい」
「泣きたいなら泣いてよ! どんなに下手くそだって慰めるから!」
「そんな、僕は」
「一人ぼっちなんて、寂しいでしょ? こんな無茶して………」
「でも、そうするしか」
「本当に、そうするしかなかったの?」
「だって」
お互いになんて言いたいのかよく分からなかったように思う。
少なくともタウロは、何が伝えたかったのか、胸の痛みの答えがわからなかった。
一人でやっていけるようになりたいと思った。
一人でやっていけるようになるべきだと考えた。
だって、いつかはそうなるから。
それでも寂しかったし、それでも怖かった。
だとしても、あんなによくしてくれたみんなに、いつまでもしがみつくべきでないと。
そう思うも、こんなに泣いてくれる相手に対して、意地を張ることもできなかった。
「………村、追い出された理由が、あの人面竜のせいだって」
「うん」
「上の兄貴、預言者の職能で、それを察知して」
「うん」
「僕を追い出すことで、なんとかその原因から遠ざけようって、流れを作ろうとして」
「うん」
「あいつの、せいで」
「うん」
「兄貴も、両親も、僕だって。家族みんな、辛い目にあって」
「うん」
「ちくしょう」
「うん」
「畜生、畜生、畜生、畜生」
途中から涙が混じっていた。雨とは違う熱い液体が、目の端から零れ落ちていく。
とりとめもないタウロの独白を、グンダリンティーヌはただ頷き、聞いていた。
そして。
「ねぇ? 帰ろうよ。おうちに」
「………いいの?」
「いっしょに、いようよ」
「………うん」
あとにタウロが聞いた話だと。
遠く、木々の影から見守るイエナンも、アリーシャも泣いていたらしい。
その日。
長い、長い呪縛からタウロは解放された。
心に傷はある。けれども。
癒される日はくるのだろう。
■ ■ ■
顔を半分に断ち割られ、半死半生の状態でありながら、薄く悪魔竜は呼吸していた。
元々がアンデット、生死の理から外れたものであり、魂の安寧が易々と得られる存在ではない。
このまま身動きもできぬまま、朽ちるその時まで死に至る激痛を味わい続けるか。
このまま身動きもできぬまま、虫に食われ、地に溶ける感触に苛まれ続けるか。
どちらも悪夢だろう。たとえそれがアンデットという存在であろうとも。
「のう、悪魔にして竜よ。おぬし、なんでこのような場に封じられていた?」
そこに声をかけてくる者がいた。
あの悪魔使いの使役した小さな老人の姿をした悪魔。褪せた肌にぎょろりとした瞳。
牛に似た小さな角を備えた異貌の存在。
それが、二度目の死を迎えようとしている悪魔竜に話し掛けてきた。
『人を喰らった、村を潰した、野を放埓に乱した。己の命じるままに振舞った。それだけよ』
血しぶきの中で息絶える人間。
野に生きる獣たちの断末魔。
村を己の身体で轢き潰していく哀れな感触。
すべてが、すべてが。
悪魔として生じ、悪魔として生きた自分の証明であった。
「そのうえで、封じられたと」
『あの結界師の女、美しかったねぇ。けれど、見た目とは違い苛烈なほどの殺気を放っていた。完全に滅せぬとわかった瞬間、幾重にも封じよった。漏れ出る瘴気に人がおびき寄せられるまで、どれほどの時が必要だったか』
「その、目的は?」
『知れたこと。再びの蹂躙、再びの戮殺の日よ』
「なんとも、哀れな」
悪魔として生きた日々をまさか同じ悪魔に哀れまれるとは思わなかった。
あまりの事態に思わず呆気にとられるが、次に沸いた感情は怒りだった。
そんな、小さな存在の様に己を見るなど。
『黙れ爺。愚弄するか』
「黙らぬよ。本来、悪魔とは大いなる精霊の側面、世界を構成する力の結晶の一つ。無論、その力は歪であれどいつか天地に還るもの」
小さな爺の瞳は、それそこ深淵の、真っ黒な光を帯びていた。
ぞくりとした。この小悪魔は、それこそ天地の理に近い位置にいるのだと察した。
『な、にを』
「それが、放埓に、思うままにだと? ぬしは、大きな力を、世界との関りを、ろくに学べなかった愚者よ」
じわり、じわりと、悪魔竜の身体が黒い炎に灼かれる。
地面から噴き出す小さな炎によって徐々にとろかされていく。
「ぬしの存在は全てこの場で吸収させてもらう。僅かばかりの神性にしてしまう」
キーンの瞳が輝く。
その姿が一瞬、真っ赤な、捻じれた角をあしらった冠と星を模した意匠の仮面をかぶった長身の老人に見えた。
「赤き星。遠き日に忘却され、されども人の心に寄り添い、一人の信徒に生かされた存在」
『貴様は、まさか』
「我が名はキウン。かつて天空の神として、そして零落から地獄の悪魔と堕ちたもの」
天空神キウン。
旧い書で星の神と記されし古代の神。 名前は「宮殿」を意味し、かつて天空神として言い伝えられた時代をもつ存在。しかして、現代においてはその伝承は途絶え、幾つもの神々と混じり、移ろい、地獄の鬼の中に溶けてしまっていたもの。
「貴様を地獄へ案内しよう。その魂は炉にくべ、形を奪わせてもらうが」
『まて、やめろ』
「いいや、待たぬ。止めぬ」
『そんな、己の存在が、全て。なくなるのか』
己が刻んだ世界への傷が、この世界を苛んだ事柄が。
すべて、すべてなかったことにされていくというのか。容易く忘れられるというのか。
「諦めよ」
悪魔竜は、声にならぬ声で慟哭した。
揺れる瞳が、己の負けに対する忸怩たる想いと、自身の存在が呑まれ消えるという恐怖を称えながらも、その後、だたの一言を発することもなく悪魔竜は、その身を焼かれた。
あとに残るのは、まるで火葬のよう綺麗に残った、無害な骨の残骸だけだったという。
悪魔竜、失われしその名をトゥガーリン。
その恐怖を形作る伝説も、かつあって被害に対する記録も、今となっては残っていない。
全ては地獄の窯、そしてその存在を司る存在によってくべられてしまった。
一切を失った彼の者のことを、今、覚えているものは僅かばかりの村人と関係者だけだった。
■ ■ ■
一人での冒険は辛くも勝利に終わる。
少年は生き残った。
彼は愛すべき人と共に街へ戻り、その旅立ちは終わりを告げる。
それからの話は、さほどに多くはない。
夢に苛まれた長兄、カールは、町の病院に見舞いに来たタウロに対し、言葉少な気に詫びた。
その顔は黄土色に染まり、まるで死にかけの病人のようであった。
取り戻された村にやがて帰る日を待ち望んでいる彼と、タウロはかつての日々をなぞるように、ぽつり、ぽつりと思い出を確かめるよう話した。
両親とも言葉を交わしたが、すでに独り立ちした彼の姿を見て、二人は寂しそうに微笑んでいた。
幼年期の終わり。
そう表現することも出来るだろう。
そこに伴った痛みも、哀しみもたしかにあった。
だとしても、生きている限り人生には続きがある。
職能は変わらず彼にあり、彼の隣では見慣れた悪魔の老人が茶を啜っている。
「あの悪魔竜、悪いがとどめは儂が刺したでの」
「そうか。ごめんね、キーン爺」
「気にするでない。わしの役割だっただけだ」
オープンテラスの片隅に展開された状況に、見つけた人間は揃ってぎょっとする。
同じ席に角のある老人と、簡素な普段着の少年、骸骨の兵士、そして大鴉が一緒にいるのだ。
その様子からテイマーか何かだと察した人は離れていくが、何人かは怪訝にその姿を見守っている。
「どうしようか? これから」
あの騒ぎから明けて翌日。
封印された祠の扱いから領地内の統治不備、代々受け継がれるべき情報の紛失などの問題からこの周辺を治めていた貴族家はおとりつぶしとなり、傍流の人間に家督が譲られることになったという。
結局、家族のもとに戻らなかったタウロはかつての拠点でありグンダリンティーヌの家があるビストマークの街へ戻っていた。冒険者稼業を続けようとも思ったが、どうにも、活動再開の踏ん切りがつかないまま
二日が過ぎている。
このままだと年上の彼女に養われるヒモになってしまう。
それはそれで甘美な日々が約束されていそうだが、それはタウロ自身の良心が許さなかった。
「つっても、坊ちゃんは冒険者に戻る他ねぇんじゃないか? それともどっかで農家でも始めるかい?」
「農家と言っても一朝一夕で出来る仕事ではないからのう。まだ冒険者の方がマシじゃろ」
「そうすると、今後の指針としてはどうすべきか、だよね」
「どこかのパーティにはいるか、単独で続けるか」
「悪魔扱う職業なんて信用性がなぁ。坊ちゃんはどう思います?」
「スカシャランドゥの言う通り、ちょっと難しいかなぁ。下手したら前のパーティに寄生していたと思われるのがオチな気がする」
「単独か。どこぞのダンジョンに出稼ぎでもするかの」
「そっちの方が安全かなぁ」
「ただ、あのお嬢さんときちんと相談するのじゃぞ? そうでないと絶対にまた厄介ごとになる」
「まぁ、話し合いは大事だよね」
「………どうも、致命的な部分に齟齬が出てそうな気がするのう。怖いのう」
「爺様、男女の話に俺らが首ツッコむべきじゃねぇって」
「そうかのう? そうかもしれんのう」
「何の話かわからないけど、西に悪魔関係のアーティファクトの出土例があるダンジョンがあってさ」
そうして新たな働き先を求め同居再開から一週間も経たずに出稼ぎに行こうとするタウロに対し、グンダリンティーヌはギャン泣きした。
それからまぁ、右往左往することはあるが、二人は今も仲良しである。
結局、冒険者ギルドに辞表を叩きつけて引き留めようとするギルド関係者をいつかのように薙ぎ倒したグンダリンティーヌが「婚前旅行じゃぁ!」っとテンション高めに駆け出すのにタウロが続き、二人は新天地を目指す。
それはまた、別の話であるが。
- 完 -