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ロンリーガール

作者: John

トリニティ ブラッドフォードは今日も仕事の帰りにウォルマートで食材を買って帰る。店内は夕方の時間帯という事もあり主婦や仕事帰りの人々でレジにも列が出来ている。鮪の切り身と玉葱、にんにくとレタス、それに安物の白ワインのハーフボトルを篭に入れてレジに並ぶ。レジを撃っている40がらみの女性店員はどこか機械的で冷淡な物腰で接客している。ロボットのような無駄の無い動きでバーコードを通していく。「19ドル60セントです」私はプライヴェートとか私情といった類のものは一切職場には持ち込みませんといったようなある意味プロフェッショナルな毅然とした接客だ。トリニティは会計を済まし素早くレジ袋に買った物を詰めて外に出た。日はとっぷりと暮れ始め斜日が僅かに闇を照らしている。家路を急ぐ人々。トリニティの歩くスピードも自然と速くなる。落葉樹の並木が寒々しく感じられる。もう1、2ヶ月もすれば若葉も芽吹いてくるだろうとトリニティは想う。刺すような夜気がひんやりとトリニティの頬をなぞっていく。アパートに着くと空にはぽっかりと月が浮かんでいた。闇夜を照らす月と星々、そして白色灯の灯り。白と黒とのコントラストが幻想的でロマンティックな晩冬の夜空を演出している。バッグから部屋の鍵を取り出し鍵穴に挿し込み部屋に入るなり扉のロックをして灯りを点ける。誰もいない部屋。2年前には母のステイシーがそこにいた。2年前にステイシーは卒中で急逝した。まだ45歳の若さだった。トリニティとステイシーはよく姉妹に間違われた。仲が良く映画やショッピングなどにもよく二人で出掛けていた。ステイシーはレストランのウエイトレスのパートをして奨学金を活用して一人娘のトリニティを大学まで通わせた。父のグレゴリーはトリニティが2歳の時に蒸発した。それ以来、父方の縁者とは音信不通だった。母方も祖父母は既に他界しステイシーも一人娘だったのでトリニティとステイシーは親一人子一人という間柄だった。トリニティは大学で英米文学を専攻して地元の出版会社の校正という職に就いた。校正という職は孤独と忍耐を要する職だ。誤字脱字を探して修正する事はおろか、その語句が適切であるかどうかの取捨選択を著者に報告するという業務。語彙力と語学力を要求される仕事だ。やり甲斐のある仕事だし一人で黙々とする作業工程も自分には向いているとトリニティは想っていた。トリニティは手洗いと嗽を済ませエアコンのスイッチを入れる。買ってきた食材と白ワインのハーフボトルを冷蔵庫に仕舞う。そして、腕まくりをして浴槽を洗う。冷水で洗剤の泡を洗い流していると手が悴んできた。浴槽を洗い終えると湯を張りエッセンシャルオイルを数滴と乳化剤を浴槽の湯に馴染ませる。グレープフルーツの何とも言えない良い香りが浴室に漂う。上着とスカートをハンガーに掛けて後は洗濯篭に入れ浴室に入る。髪の毛と身体を入念に洗って浴槽にゆっくり浸かる。アロマに癒やされ一日の疲れが吹っ飛ぶ。15分くらいで浴室を出ると柔軟剤でふかふかに仕上がったバスタオルで身体を拭き上げてルームウェアを着る。ドライヤーで髪の毛を乾かしながらトリニティはふと想う。随分と髪も伸びたなあ。ステイシーが旅立った時に腰まで伸びていた栗色のロングヘアーをばっさり切ってショートヘアにした。それは、これから何もかも一人で生きていくという決意を何らかの形で示したいという衝動がトリニティをそうさせた。2年前には肩よりもかなり上まで鋏を入れた髪も今は肩甲骨の下くらいまで伸びている。2年という年月が長かったのか短かったのか自分の髪の毛を見ながら判然としないトリニティ。テレビを点けてCNNにチャンネルを切り替える。白ワインを開封してワイングラスに注ぎ一口含む。買ってきた食材を出してカルパッチョを作る。ステイシーがいた頃は包丁すら握った事も無かった。玉葱とにんにくをスライスしてレタスをカットする。鮪の切り身と混ぜてオリーブオイル、ワインビネガーとブラックペッパーを適量ずつ加えてよくかき混ぜる。母がよく作ってくれた料理だ。テレビの前のテーブルに持って行き一口食べる。今日は分量を間違えずに上手に作れたと自分自身に賛辞を送る。白ワインも冷蔵庫から出してきて夕食にする。テレビをぼーっと見ながら一人侘しい夕食。何とも味気ない。ステイシーがいた時には学生の女子寮みたいにいつも二人で賑やかに笑い合っていた。今も手を伸ばせば母の温もりがそこにあるような気がする。夕食を済ませ食器を片し残ったワインを嗜みながら読書に耽る。トリニティはフェイスブックやツイッター、ブログなどのSNSはしない。インターネットはあくまでも情報収集や知識の補足、ちょっとしたショッピングくらいでしか活用していない。暇があれば読書に耽る。本の手触りが好きだった。本棚からシャーロット ブロンテの『ジェーン エア』を抜き取りページを繰る。ヒロインのジェーン エアが幼少期に孤児になり義理の叔母の元に引き取られ叔母や従兄弟にいじめられながらも懸命に耐え忍び生きていくジェーンに涙するトリニティ。すると、携帯が鳴った。発信元は大学時代の親友ナタリーだった。ナタリーは編集の職に就き4ヶ月前から遠く離れたオレゴンに赴任している。お互い忙しくたまに連絡し合うのが最近の通例となっている。「トリニティ、元気にしてた?」「うん、元気だったよ。ナタリーはどうなの?」「あたしは元気よ。あたしってトリニティと違っていつも脳天気に生きてるから。トリニティは何にでも一生懸命で真面目だからね。そんなあたしでもちょっと落ち込んでてね。この前も編集長とちょっと衝突しちゃってね」「大丈夫なの?また何処か遠い所に飛ばされるんじゃないでしょうね」「まだ多分、大丈夫だと思うんだけど…それよりも、あたし彼氏が出来たの」「えっ、そうなの。おめでとう。で、どんな人なの?」「普通のサラリーマンよ。何処にでもいそうな。セールスポイントを挙げるとすれば明るくて抱擁感のある人ね。トリニティは誰か良い人はいないの?」「そんな人いないよ」トリニティは大学1年の時に図書サークルで知り合ったコリー ドレイファスと言う1つ年上の彼氏と1ヶ月だけ付き合った事がある。コリーは当初はサークルに入って来たトリニティに猫撫で声で言い寄ってきて感じの良い青年に見えた。しかし、いざ付き合ってみると化けの皮が剥がれた。高圧的で束縛したがり男性上位の物言いでトリニティはすぐに別れた。この一軒からトリニティは男性不信に陥った。トリニティはもう直25になるがヴァージンだった。父の蒸発やコリーの件で男性には良いイメージを持ってなかったので異性には興味を抱かなかった。「今、『ジェーン エア』を読み直してたとこなんだ。冒頭のジェーンがいじめられてるとこは何度読んでも泣いちゃうよね」「奇遇ね。あたしは『嵐が丘』(注釈、『嵐が丘』はシャーロット ブロンテの妹エミリー ブロンテの代表作)を読み直してるところよ。あたしにもブロンテ三姉妹(注釈、シャーロットにはエミリーの下にアン ブロンテと言う妹もいて彼女も作家)みたいに才能があれば作家を目指すんだけどね。いつか何処かの大学の創作科に入りたいなって想ってるんだ」「ナタリー、あなたなら出来るわよ。人間はチャレンジの連続よ。作家かあ。あたしも書いてみたいなあ。人に共感してもらえる本を…」「そうよ、トリニティ、あなたも職業上、語彙力には長けているんだからチャレンジするべきよ。二人で作家になんてなれたら夢みたいじゃないの」「そうだね。あたしも何か書いてみようかな」「それじゃ、切るね。まだまだ寒いから風邪引かないでね。おやすみ、トリニティ」「ナタリーもね。おやすみ、ナタリー」電話を切ってトリニティはグラスに残っていたワインを飲み干してグラスをシンクに置いた。残ったボトルを冷蔵庫に仕舞い歯を磨き寝支度を整えベッドに入った。目を瞑ると瞼の裏にステイシーやナタリーの笑顔がくっきりと浮かび上がってくる。トリニティは手で触れて感じる事の出来ない温もりが胸に染み母や親友との思い出を回顧しながら微睡みに落ちていった…

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