第五十八話 接僧ミソジ⑰
冷たい空気が辺りを漂う、いや、実際に気温が下がっているわけではない。理由のわからない緊張感のような張りつめた空気がそう感じさせるのだ。
綺麗な白い球状の物体が少しだけ、ほんの僅か、いびつに歪んだ瞬間に気付いた者はこの場にはいなかった。
「君だ」
白い球体である本郷は、そう言うと、球体から矢印のような針が一本、真っ直ぐにその人物を指し示す。
皆が一斉に、そちらを振り向いた。
その針が指したのはタロウだった。
当の本人は、指されていることに気がつかず、誰もいない後ろを振り返っている。
「いや、お前だ!お前!」
思わず本郷含む全員が、ほぼ同時に突っ込んだ。
「あー、俺?」
眠たそうな顔をしてタロウは自分を指差した。
「心当たりがあるんじゃないのか?」
本郷がそう言うと、タロウは頭をかきむしりながら考え出した。
「むーーー、うーーーーん、むーーーーー」
そして、眠そうな目をカッと見開くと、
「わからん!!」
一言そう叫んだ。
「サークルユニコーンの入社試験の話だ………」
本郷がしびれをきらして語り出した。
「試験中、君は大怪我を負った、違うかね?」
「あ、あー、あー、あの時は死ぬかと思うほど痛かった」
「試験が終わった後、その怪我はどうなった?」
「医務室で寝かされてて、やっぱり身体中痛みが残ってたな~」
「あの採用試験は【ゲーム化現象】の中で行われていた」
「ってことは、試験が終わって現実に戻ったなら、本当だったら怪我はなかったことになってるはずですよね?」
ハルイチが間に入る。
「そうだ、だが、彼の場合、【ダメージ】というゲーム内における結果を、現実に持って帰ってきたのだ」
あの時、瀕死の重傷を負い、【僧侶】達からの回復魔法を受けていたタロウ。しかし、傷は治りきることなくダメージは残ったままであった。試験終了後、現実に戻ったタロウはその残ったダメージにより気を失い、医務室に運ばれた。
「なぜ、タロウさんだけが?」
ハヤカが不思議そうに聞いた。
「それは、今はまだ言える段階ではない。このゲームを進めていけばわかっていくだろう、彼が一体何者なのかが───」
「気に入らねぇなぁ~」
タチバナが怒り気味に声を上げた。
「例のウィルスを、このにーちゃんに感染させんだろ? 失敗したら死ぬじゃねーか」
タチバナがそう言うまで、この作戦のリスクに気づいていた者はほとんどいなかった。
「た、確かに……、現実で感染させてからゲーム内に入って、【ゲーム】内で上手く治療が出来たとしても、治療法が持ち帰れなかった場合、現実に戻った後、ウィルスで死んでしまう可能性が高いです………」
ハルイチが眉間に皺を寄せて言った。
「確かに、この作戦は山田太郎に危険な賭けを、その命を賭けさせるものだ。そして、私を信頼してもらうことが大前提でもある。自分の目的のために君たちを弄んでいる、この私を」
本郷が、続けて言った。
「この作戦を実行するかは、山田太郎に決めてもらう。当然拒否することも構わない、君にはその権利がある」
「あ、やります、やります~」
本郷が言い終わる前に、まるで簡単なお使いを頼まれたようにタロウは答えた。
「そ、そんな簡単に? 断ったっていいんですよ? 山田さんだけがそこまでリスクを負う必要なんて……」
ハルイチは涙目になっている。
「そうですよ! 皆で他の方法を考えましょう!」
ハヤカもつられて涙目で周りに訴える。
「いや、いいんだよー、僕がやらないといけないことだからさ」
その言葉を聞いた本郷を成す球体が、誰が気づくことが出来るかと思うほどの微動で反応した。
そして、現在に至る───。
ハルイチは、隔離病棟の前でハヤカとホウジョウと合流した。
「ダンジョンに突入するまでは、絶対に防護服を脱がないでください」
そう言うと、二人に白い防護服を手渡す。
「宝生………、久しぶりだな」
ハルイチの後ろに立っていた灰ニが、彼から防護服を受け取ると直接ホウジョウに渡した。
「あぁ………、もう会うことはないと思ってたんだがな」
「お前が、何をしようとしているのかはわからないが、あのお前がここに、今ここに来たということは、それだけで信じられる、任せていいんだな?」
「あの時の二の舞には絶対にさせない、俺は呪いを解きに来たんだ」
「ふ………、彼と同じような事を言うんだな、急げ、いつ発症するかわからんぞ」
素早く防護服を着込んだホウジョウとハヤカは、ハルイチと共に扉の先待つタロウの元へと急いだ。
「タロウさん、体大丈夫ですか?」
ハヤカが、扉の先のタロウを見つけるや否や、彼に駆け寄った。
「まー、いまんとこは、何ともないなぁ~」
「よかった………、いや、感染してるから、良くはないんですけど………、って私何を言ってるんでしょう?」
混乱気味のハヤカ。
「とにかく、すぐに攻略開始しましょう」
ハルイチはそう言うと、本郷から聞いた漆黒の森の入り口に向かう。
部屋の一番奥に、大きな古い姿見の鏡があった。
「いかにもって感じだね~」
タロウが鏡に触れた。
次の瞬間、タロウ、ハルイチ、ハヤカ、ホウジョウは、薄暗い森の中にいた。
「とりあえず、防護服を脱いでも大丈夫らしいです」
タロウはいつものスーツに鎧。ハルイチ達も防護服を脱ぐと、いつもの装備を着ている。
「あ、医者の先生の装備を用意するの忘れてた」
タロウが、一人だけ白衣姿のホウジョウを見て呟いた。
「おいおい、俺だけ薄着だけど大丈夫なんだろうな?」
「まぁ、現地調達ということで………、僧侶加入後初ダンジョンだから、専用の装備か拾えたと思───」
タロウは、そこまで言いかけると、口に手をやる。
そして、大量の血を吐き出した。




