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第五十二話 接僧ミソジ⑪

ポーンっと、呼び出しの電子音が鳴る。


自分の順番まで、まだまだかかりそうだ。手元に渡された小型のタブレットに予想時間が表示されているが、なぜだかどんどん長くなっていき途中からうんざりして見るのを止めてしまった。


高嶺龍子は、病院の長い廊下の椅子に座っている。


「はぁ…、会社からの補助金が出るからって、調子に乗って日帰り人間ドックなんか受けなきゃよかった…」


深いため息をつきながら、眼前に通りすぎる老若男女を眺めている。それぞれにもし、共通点があるのなら、どこか具合が悪いのだろう。


そんな当たり前のことをぼんやり考えてしまうほど、退屈で疲れる時間だった。


「あ、お見舞いの人や付き添いの人かもしれないわね」


思わず大きめの独り言が出る。


ゲーム会社に勤務しているくせに、ほとんどゲームはやらない。ただ、その生真面目な性格もあって、人一倍勉強はしていたので知識だけは誰にも負けない自信があった。そのせいで、入社当初から社内では頭でっかちとか、ガリ勉など昭和を思わせるあだ名を陰で付けられたものだ。


「こんなときに、ゲームを楽しめたら苦痛でもなんでもないんだろうなぁ…」


と言いながら、自身の姿を見た。検査着を来ていて貴重品や何やらは更衣室のロッカーにしまっていた。


「あぁ、携帯すら置いてきたんだった…」


仕事をしている方が遥かに楽だ。早く会社に戻りたい。そう思いながら、ふと気がついた。


「そうだ、会社に戻ったところで仕事なんかないんだった」


タロウ達が、レベル上げや資金稼ぎという名目でゲームのメインストーリーの進行を止めてしまったのだ。


「これだけ隠し事があれば、まぁそうなるよね」


高嶺はすべてを知っているわけではない。だが、タロウ達に伝えていないこともたくさんあった。


ただのゲーム会社に超高性能AIテンノコエや、採用試験で使われたモンスターを呼び出す技術、勇者課の設備など持てるはずはない。それらの技術は、現在の世界には存在し得ないオーバーテクノロジーと言っても過言ではないシロモノだ。


ずいぶん前から、あの黒いローブの集団とは接点があり、数々の技術提供を受けていた。


ただ、彼らの素性がまったくわからないのは事実であり、時折突然現れては、一方的に予言めいた指示を出し、見たことのない機械を置いて消えてしまうのだ。


「私の叶えたい願いのため…」


最初は信じられなかった。会社に突如現れた黒いローブの人物達が、なんでも願いを叶えてやると言ったことを。


しかしそれは、すぐに信じざるを得なくなった。


その場にいた社長を含む社員のほとんどが、彼らの引き起こした【現実ゲーム化現象】によりゲームの世界に放りこまれたのだ。


集団催眠だと、最後まで信じなかった人もいたが、社長や重役達はすぐに彼らと契約を結んだ。


このゲームをクリアに導く【勇者】達を探し出しサポートすること。


そうすれば、参加者全員の願いをそれぞれに何でも叶えてくれる、という契約だった。


カタカタと手に持ったタブレットが起こす振動で記憶の世界から引き戻された。


少し順番が進んだようだ。


「お腹空いた…」


昨日の夜から検査のため絶食している。

もう昼ご飯という時間ではなくなってきていた。


「今、何でも願いを叶えてくれるなら、間違いなく有名店の焼き肉を好きなだけ食べる一択だな」


そう言いながら、よだれがズボンに落ちて慌てて周りを見渡す。


すると、一人の人物に目を奪われた。全身を覆う白いコート、一瞬白衣を着た医者かと思ったが、コートの所々に金属製のチェーンや、アクセサリーが施されており、歩く度に鈍く輝いていた。


それとは対照的に、男の頭はあらゆる光も通さないくらいの漆黒の髪色で、少し頬がこけているように見えるが整った顔をしている。


「あの人、どこかで会ったような……」


高嶺は、その男から視線を外せずにいた。

今までに会ったことのある既視感を感じてはいるが、まったく思い出せない。


優秀な頭脳がフル回転で記憶を辿るも、虚しく時間が過ぎるだけであった。


男の姿が消える。


「え!?」


思わず大きな声が出る。

隣に座っていた老婦人が、驚いて高嶺を見た。


視線はまったく逸らすことをしていなかったはずなのに、見失ってしまった。まさに、消えてしまったのだ。


立ち上がって、男の歩いていた通路に向かって走った。

あれだけ目立つ格好にも関わらず、歩いているのは先ほどから見慣れた老若男女達だ。


「消えた……?」


少し辺りを探してみたが、それらしき人物は見つからず、仕方なく元居た長椅子に戻り腰かける。


ポーン、ポーンと立て続けに呼び出し音が鳴る。それまでが嘘のように順番待ちの番号が進み出した。


「なんか気になるからもう少し探したいけど、検査の順番が来ちゃいそうだし……」


タブレットに目を向けると、血液検査まであと十分くらいの待ち時間らしい。


「さっきまで普通に二時間待ちとか、どっかのアトラクション並みの待ち時間だったけど、何で急にこんなに速くなったんだろ?」


今日は帰れる気がしなかったが、少し希望が出てきた。


「これ、食べない? お腹空いてるんでしょ?」

隣に座っていた老婦人に突然声をかけられた。

差し出された手を見ると、小さな飴玉が乗っかっている。


「あー、ありがとうございます、でも、これから検査があるんで……」


「ちょっとくらい大丈夫よ、あなた若いんだし」

そう言うと老婦人は、微笑んだ。


普段なら、知らない人から口に入れるものなど受け取らない高嶺であったが、同じ検査着を着ており、所作の端々に上品さを感じたその女性には、なぜだか心を許してしまっていた。


「そうですね、では遠慮なくいただきます」

袋に包まれている飴玉を開くと、口の中に放り込んだ。


「お、美味しい!」

空腹の影響もあるだろうが、今まで食べた飴の中でも最高の味だった。甘すぎず、でも薄味というわけでもなく、どことなく果実のような風味も感じる。


「何味でしょうか? フルーツ系だと思うんですけど」

高嶺が老婦人に尋ねると、彼女はいたずらっぽく答えた。


「さて、何味でしょうね? 実は、この世界にはない果物の味なんですよ」


「そんなぁ、教えてくださいよぉ」


高嶺はそう笑いながら言ったその時、何かが鼻から落ちた感じがした。


「よだれの次は鼻水か!」


焦って手で受け止めた。


受け止めたものを見て高嶺の動きが止まる。


手のひらに溜まっていたそれは、真っ赤な液体だった。


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