第四十四話 接僧ミソジ③
何が起きているのか、宝生には全く理解出来なかった。
目の前には、見るからに不審な全身黒づくめの人物。ハロウィンの仮装かコスプレイヤーか。大きな黒い鎌を持っている。
傍らには、血まみれで倒れている仮野。ついさっきまで笑顔で話しかけてくれていた。
死んだ? あいつは死んだと言っていた。仮野が死んだ。聞き間違えでなければ、そういうことらしい。頭の芯にひどく冷たくて重い感覚があって、どこか他人事のように感じた。
嘘だと思いたかったが、小柄な人物の持つ大きな黒い鎌の刃からは、まだ新しい赤い血が滴っていた。
「お前は何なんだ!? なんでこんなことをする!」
そう言葉を投げつけながら、仮野の出血部分を押さえて止血を試みる。
血を見ると意識が遠のきそうになり、押さえている手の力が入らない。
「くそっ、くそっ!」
歯痒さに苛立ちが見えた。
「無駄だっテー、もう手遅れだヨー、可哀想にネ、最後までお前をかばってたヨ、泣けるネー」
黒い小柄な人物は鎌を床に突き立てると、馬鹿にするように泣き真似をした。
かばって? 仮野さんが? ということは、こいつの狙いは俺ということだ。
理解できない状況が続くが、これだけはわかる。こいつは俺を殺しに来たんだ。
人に恨まれる覚えなんか仕事柄腐るほどあった。
特にあの二十年前の件。きっと、腕の中で死んでいったあの子の父親は俺の事を殺したいほど憎いだろう。命を救えなかったヤブ医者の俺を。
手に何かが当たった。
気づくと宝生の周りには、散乱した薬や消毒用のアルコールの入った瓶や注射器等が散乱していた。
「なんでカ、教えてあげよっカー、それはねーお前が【僧侶】だからだヨ」
そう言いながら黒い鎌を頭上でブンブンと回して、近づいてくる鎌使い。その言葉は楽しそうな口調の中にどこか憎しみを感じる言い方であった。
「何を言ってやがる! 俺は医者だ! 出家なんかしてねぇよ! 人違いもほどほどにしやがれ!」
宝生は、倒れている仮野をかばいながら少しずつ黒い鎌使いから距離を取ろうと後退りする。
手に少しの鼓動を感じた。
「仮野さん! まだ生きてる?」
宝生に引きずられた形の仮野の身体がわずかだが動いた。慌てて口元に手をやると、ほんのわずかだが呼吸している。
血を見ると失神してしまう恐怖から、しっかり仮野の容態を確認出来なかった自分をひどく情けなく感じる。
だが、重症なのは変わらない。
すぐに大きな病院に搬送しないといけない。
「こいつを何とかしないと、本当に仮野さんが死んじまう…」
とはいえ、こちらは丸腰。武器と言えば注射器やメスのようなおおよそ鎌には勝てないものばかり。
「しゃーない、やるか!」
宝生は自分の顔を両手で叩いて気合いを入れると、敵を近づかせないように、其処らに転がっているものを手当たり次第に投げつけた。
ガラスの割れる音が何度も診察室に響いた。
黒い鎌使いは、避ける仕草もなく飛んでくる全てを受け入れた。
「こんなもの、痛くも痒くもなイ」
その身に纏う黒いローブは、様々な液体でひどく濡れている。
「水責めはお嫌いかい? じゃあ、これはどうかな?」
宝生は、ひきつった笑顔で胸元から何かを取り出した。
「火責めならどうだ!!」
手に持っていたのはライターで、素早く着火すると床にこぼれた液体に火をつけた。
それは、導火線のように黒い鎌使いに向かって伸びており、放たれた炎が勢いを増しながら走っていく。
「な、ニ?」
爆発に近い燃え方で黒い鎌使いは一瞬で火ダルマになった。
飛び散った炎で診察室も炎上を始める。
宝生は、色んなものを手当たり次第に投げるふりをして、アルコールのガラス瓶だけを集中してぶつけていたのだ。
「くそっ、まだローンが残ってんのに!」
宝生は、その間に仮野を抱き抱えて裏口へと逃げようとした。
右足首に鈍い痛みを感じた。
バランスを崩し、床に倒れる宝生。仮野が頭を打たないようにしっかりと抱き抱えたままだ。
「っ痛!!」
重くて動かないその右足を見てみると、触手のようなものが巻きつき、恐ろしい力で締め付けている。
その出所は、炎上元の火ダルマから伸びていた。
「なんだよ、これ!」
近くに落ちていたメスで触手を切りつけたが、太くて固いそれは人の力でどうこうなるものではなさそうだった。
「こ、こいつは、あの化け物達と関係あるのか?」
狩りをしていた時に感じていた、特殊な雰囲気というか空気感のようなものをその肌にヒリヒリと突きつけられていることに今になって気がついた。
「狩ってきたやつの親玉か神様か何かか? 俺に復讐にきたのか?」
現実離れしているが、そう考えると辻褄が合う。
「おい、お前! 俺が悪かった! おとなしくやられてやるからこの娘だけは助けてやってくれ!」
そう言って仮野の前に出ると、触手の主に纏わりついている炎が左右にパックリ割れ、中から人の形をした何かが現れた。
黒いローブは焼け落ちて、細い手足が特徴的な木製の操り人形のような姿。顔の部分は不気味な落書きのような目と木材が乱暴に突き刺さったような鼻、口は割れ目が三日月のように広がっており、常に笑顔のようだ。
「なんだ? 人形?」
その人形の右手より触手が伸びていたが、突然締めつけが緩んだと感じた瞬間、手の中にすごい勢いで戻っていった。
「それでは、お望み通りに…」
急に声色が落ち着いた男性のような声に変わり、少したどたどしいしゃべり方が流暢に変化した。
人形の手ににぎられた先ほどまで黒い鎌だったものが、禍々しい装飾の槍に変わっていった。
刃の先を、宝生に向けたまま後ろに弓を弾くように振り絞ると一直線に突き立てた。
思わず目を閉じた宝生だったが、いつまで経っても痛みも衝撃も来ない。
「し、死んだのか」
少しずつ目を開けてみると、槍の刃先は宝生の後方から伸びてきた黒い何かで既のところで止められていた。
「あっぶないナー、もうちょいでお仕事失敗するところだったヨー」
それは黒い鎌で、扱うのも同じく黒いローブを来た小柄な少年のようだった。まさに先ほど炎上するまで眼前にいた黒い鎌使いによく似ていた。




