第十九話 偶像ミソジ
少女は、夢を見ている。
いつか、大きな舞台に立つことを。
大好きな歌で、世界中の人に感動を与えることを。
歌い終わった後には、すべての観客がスタンディングオベーションで割れんばかりの拍手喝采を送る。
そんなことを考えながら少女は病室から、窓の外の殺風景な景色をただ眺めていた。
中庭では、車いすを押す見舞客が散歩をしていた。
自分が寝かされているベッドの傍らでは、白衣の看護師たちが慌ただしく機材を片付けていた。
帰り際には、一人の看護師が窓のカーテンをさっと閉めていってしまった。
それでも、少女は色気もないただの布きれをじっと眺めていた。
今日の検査は終わった。
小難しい話を主治医に言われたが、半分も理解できなかった。
ただ、病状は良くなってはおらず、また検査があるということはわかった。
そうして、この真っ白い部屋での毎日は過ぎていく。
明日も検査だ、明後日も、そのまた次の日も。
ある日、中学校の友人が見舞いに来た、大きなバッグを肩から下げて、手に一枚のチラシを持って。
スラッとしたスリムな体型、腰まで伸びたストレートの黒髪、身長が高いので大きなバッグも妙に似合って見える。
中学生に上がってすぐに入院することになってしまったので、病院内にある学校で勉強をしていた。
だが、こうして時々、本当だったら通っていた中学校から友達が見舞いに来てくれている。
「隼歌~、これ受けてみない?」
そこに書かれていたのは、大手レコード会社の新人ボーカルオーディションの開催に関してだった。
「ここって、あんまりオーディションやらないんだって!手伝うからさぁ、今からムービー撮って応募しようよ!」
この友人は幼稚園からの幼馴染で、少女の夢のこともよく知っていた。
急に病気になって、入院しなければならなくなった時もずっと傍にいて励ましてくれていた。
もしかしたら、実の家族より長い時間を一緒に過ごしているのかもしれない。
渡されたチラシを見た。
誰でも一度は聞いたことのあるようなレコード会社だ。
応募資格も、年齢性別など問わないらしい。
合格者は、即デビューといううたい文句だった。
少女は、しばらく考え込んで口を開いた。
「だって、入院してから全然歌ってないし、人前に出るのも顔だってこんなに痩せこけてるし……」
そう力ない声でつぶやくと、ベッドの上で体操座りをして、両手で頬をさすった。
入院中に痩せてしまったが元々は丸顔で、下がった八の字眉毛にクリッとした目が小動物のような愛くるしさを放っていた。
そういうと思ったとばかりに、友人はドヤ顔をして持参していた大きなバッグから何かを取り出した。
「じゃーん!」
友人は、秘密道具を出さんばかりのテンションで、メイク道具を顔の前に掲げた。
「この天才メイクアップアーティストの風間大美様にお任せあれ!」
「未来のってのが抜けてるよ」
隼歌と呼ばれた少女は、観念した様子で冷静に突っ込みをいれた。
そして、少し深呼吸をすると、
「わかったよ、せっかくここまで大美が用意してくれたんだから、出来るだけやってみる!」
それから、数週間後、母親が一次選考の合格通知とともにやってきた。
夢が叶うかもしれない。
そのせいかはわからないが、一年近く入院することになった病気もみるみる良くなっていった。
そして、二次選考の日までには、以前よりも元気になって退院することができたのだ。
それは主治医を驚かせるほどの回復力だった。
大美は、自分のことのように喜んでくれ二次選考用のメイクも施してくれた。
二次選考の会場は、都内のドーム型球場だった。
今回のオーディションは一次選考の応募者数が一万人を超えており、二次選考でも千人以上いるらしい。
まるでレジを待つ買い物客のように、長蛇の列をひたすら順番が来るまで待つ。
緊張のせいか、かなり長い時間を待ったような気がする。 それこそ、数年ここにいたんじゃないかと思うほどに。
ただ、病室で過ごしていた頃に比べれば、隼歌には全然大したことではなかった。
順番が来ると、長机に座っている審査員に向かって全力で歌を歌った。
歌い始めは緊張していたが、歌っているうちにそんなものはどこかへいってしまい、歌えることの喜びと夢を追いかけている幸せを感じていた。
そして二年後。
とあるテレビ局の楽屋に、一文字 隼歌は座っている。
もうすぐ、テレビの歌番組の収録があるのだ。
生放送ではないが、緊張感はライブの時と変わらない。
マネージャーは一足先にスタジオに入っていたので、一人で鏡に向かって集中していた。
「ハヤカちゃーん、もうすぐスタンバイよろしくですー」
見た目も軽そうな若い男性スタッフがドア越しに呼びに来た。
「はーい、今行きます」
隼歌は、すっと立ち上がると鏡に映った自分を見た。
フリフリの蛍光色がまぶしいミニスカートとヘソの見えるトップスを着た自分を。
バイナリ組.comという六人組のアイドルグループのセンターになっていた。
十四歳で、歌手を夢見て受けたオーディション。
十六歳の現在、アイドルとして歌うこと以外にも踊ったり、しゃべったり、愛想ふりまいたり、水着になって写真を撮られたりする自分。
鏡に映ったかつて想像していた斜め上の恰好をしている自分を見ながら、ため息交じりにつぶやいた。
「ドウシテコウナッタ……」