第十話 登校ミソジ
タロウは眼前に広がる光景に、興奮を抑えきれなかった。
たくましい馬に乗った男たちが、土煙を上げて疾走していく。
目指す先に立ちはだかるのは、いったいどんなモンスターだろうか。
否、そんなものは存在しない。 騎馬達がある場所まで駆け抜けると、歓声とともに小さい紙切れが舞い上がっている。
「あぁ、生まれて初めて来たけど、やっぱりうまくいかないもんだなぁ」
まわりの人たちに混じって、タロウも持っていた紙切れを天高く放り投げた。
「山田さん……」
後ろから突然声がしたので、タロウは少し飛び上がってから恐る恐る振り返った。
そこには、鬼の形相をした高嶺が仁王立ちしている。
「まさか、ここに仲間がいるとか言いませんよねぇ?」
「え、えっとぉ……」
「ここは、競馬場というお金を賭けるところですが……?」
高嶺は少しずつ、タロウに近寄ってくる。
「だ、だってぇ」
タロウは半泣きになりながら、
「だって、お金がないんですもん!どこに行くにしてもお金がかかるし、こないだ倒したギュウノウスも結局お金落としてないし!会社も交通費は自腹だって言うし!これにかけるしかなかったんですよ!龍子さん!」
逆ギレ気味にそう言いながら、高嶺の両肩を掴んで揺さぶっている。
「……?」
いつもなら、定石やら勇者としての資質やら、正論でボコボコにされるはずだが、高嶺は黙ってされるがままになっている。
「龍子さん?どうしたんですかぁ?顔が赤くなってますけど……」
その指摘にハッと我に返った高嶺は、後ろを振り向いてしまった。
高嶺はこれまで異性に肩を掴まれたり、下の名前で呼ばれたことがなかった。
それを、不意打ちのようにタロウにコンボを決められたので、思考がフリーズしてしまったのだ。
「う、うるさいですよ!なんでもないですよ!別に、あなたを意識しているなんてことはないんですからね!」
タロウは、彼女が言っている意味が理解できずに、首をかしげている。
「っていうか、なんでここがわかったんですか?」
高嶺は後ろを振り向いたまま、
「あなたに持たせている社員証にはGPS機能がついています、本来は危機に陥ったときに救援を向かわせるために使うものなのですが、会社を出て行ったきりあまりに連絡がなかったので……」
そして、チラリと顔をタロウの方に向けて、
「で、結果はどうだったんですか?」
タロウは苦笑いをしながら、
「全財産すっちゃいました!大穴とかいうやつを全部買ってみたんですけど……」
「山田さん、競馬は初めてですか?」
「はい」
「山田さん、ルールとか仕組みとかご存知ですか?」
「いいえ」
高嶺は顔を引きつらせながら言った。
「ルールも何もしらない初めて来た人が全財産を大穴に賭けたってことですか?」
「はい!その通りです!」
タロウはヘラヘラと答えた。
この後、タロウは高嶺に二時間説教を食らった。
「今回だけですからね」
高嶺はポケットマネーから、いくらかのお金をタロウに渡した。
「ありがとうございますぅ……これで、電車に乗って帰れます」
全財産を賭けてしまったというのは、本当だったようだ。
「いやぁ、龍子さんは出来る秘書ですねぇ~いい大学とか出てるんでしょ?」
お金が入ったのがよほど嬉しかったのか、高嶺にゴマをすりだした。
「まぁ、それなりに勉強だけしてきましたから……」
高嶺はヨイショされて、まんざらでもないようだ。
「高校は、覇有っていうところを出て、大学は……」
「覇有?」
タロウは遮って聞き直した。
「そ、そうですよ?ご存知ですか?一応有名な進学校なんですよ」
ちょっと、自慢げに高嶺は答えた。
「卒業生で、有名人で言うとあの伝説のロックバンドの……」
言いかけている途中で、タロウの姿が消えていることに気付いた。
<覇有って、はある、とも読めるよねぇ……何かの偶然かも知れないけど、むやみやたらに歩き回るよりは……ねぇ>
タロウはスッと真面目な表情をして競馬場を後にした。
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操真は、午後最初の世界史の授業中であった。
ただ、内容があまりに退屈なのと昼ご飯の後だったので、眠気と戦っている。
左手で頬杖をつき、右手でシャープペンシルをくるくると器用に回していた。
思わず欠伸が出て、右手からシャープペンシルが落ちた。
机にバウンドして、窓から外に落ちていってしまった。
「あ……」
操真は左手をそっと、落ちていくシャープペンシルに向けて、意識を集中させた。
すると、重力に従って地面に激突するはずのシャープペンシルは空中で動きを止めた。 まるで重力に逆らうように。
左手をクイッと上に引き上げると、それは今度は空に向かって落ちていくかのように飛び上がり、彼の手に収まった。
「ふぅ……、うまくいった」
手に戻したあと、慌てて誰にも見られていないか周りをキョロキョロ見渡した。
「みんな、他人のことなんて気にしている余裕はないよな……」
皆一様に黒板と教師を注視しているようで、今行われたタネのないマジックショーに誰一人気が付いていなかった。
定期試験も近いことが理由の一つだ。 試験の順位が高ければ、後々大学の推薦枠を獲得する闘いに有利に働く。
操真は、父親と同じ大学を受験させられる予定だ。 推薦なんてもってのほか、実力で試験を勝ち抜かなければならないと決められている。
「勉強に集中しなきゃな……。 でもなんでこんな変なコトができるようになったんだろう」
体の熱っぽさを感じたあの日、午後にはその熱っぽさとダルさはなくなっていた。
体調の回復に安堵しながら、いつもの時間、いつもの道を通って帰ろうとしていた。
交通量の多い交差点で信号待ちをしていると、突然横から子供がビニールボールを追いかけて飛び出してきた。
まったく届く距離ではなかったが、思わず操真は手を伸ばした。
すると、子供は何かに引っ張られるように不自然に後ろに動かされた。 ボールは車に当たって大きく跳ね飛ばされていった。
操真の後ろで尻餅をついて何が起こったかわからず目を白黒させている。 ケガはないようだった。
もし、後ろに引っ張られてなければ、ボールと同じ運命をたどって下手すれば命に関わっていただろう。
操真は、自分の伸ばした右手をじっと見つめながら、今目の前で起きたことを考えていた。
「さっきのは、僕がやったのか?まさか、そんなこと……」
周りを見渡しても、自分と子供以外誰もいなかった。
帰宅してから、自分の部屋でいろいろ試してみた。 手を参考書や、消しゴムにかざして動けと念じてみたのだ。
すると、面白いくらいに、念じたとおりに動いた。
「嘘だろ……、でもこの力があれば、何だってできるんじゃ……?」
テレビに出て有名になったり、悪いことに利用してお金儲けをしたり。 そんなことを、その日はずっと考えていた、そして、興奮で一睡もできなかったのだ。
結局、この力をどうするか、自分の中で整理ができず誰にも言えずに今日まで過ごしてきた。
「どうしよう、まったく勉強に手がつかない……」
取り戻したシャープペンシルを再びくるくる回しながら、外を眺めていた。
すると、校門から誰かが入ってくるのが見えた。
スーツを着ている男だ。
誰かの親にしては若いが、兄弟という年齢でもなさそうだ。
警備の前を通らないと入れないはずだが、警備員はいないようだ。
辺りをうかがうように校舎の入り口に進んでいく男。 動きが怪しい。 手ぶらなので、教材等の営業でもなさそうだ。
「誰だ?あのオッサンは」