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いつかの春に  作者: 村井なお
第二章 それはいつかの春のこと
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7. もし貴方が私を愛してくれて

 城東高校の普通科に入学してからは、声楽に縁のない生活を送りました。父は時折物言いたげにしておりましたが、母は何も言いませんでした。


 八月の初めのことです。そんな母が、コンクールの見学に同行してほしいと頼み込んできました。母の恩師に誘われたとのことでした。その恩師は中学生の部に生徒を出場させるということで、私にまでお声がかかったのです。


 そのコンクールは、名を全日本ユースクラシックコンクールといいます。ピアノ部門、声楽部門、作曲部門といった各分野について、年少の部、中学生の部と年代別に審査を行います。


 ピアノやヴァイオリンであれば、十代はおろかそれ未満であっても出場できるコンクールは数多く催されておりますが、声楽の世界で中学生が出場できる全国区のコンクールといえば、この全日本ユースを措いて他にありません。


 私は一昨年に全国で第四位、昨年には第三位の高評価を戴きました。先方が私をお招きになったのも、そうしたご縁があってのことです。


 母は、無理に来なくともよいと言ってくれましたが、私は母に同行することにしました。声楽のこと、そして羽沢先生のことで母には負い目がありましたから。


 もしもお誘いされたのが中学生の部ではなく高校生の部であったなら。私がその日そのときその場に立っていた可能性がある舞台であったなら。私は一も二も無くお断りしていたでしょう。


 そしてもう一つ。私が見学しようと思い至ったのは、その出場するという生徒の名前に聞き覚えがあったからです。私は客席でパンフレットをめくり、出場者一覧にその名前が記載されているのを確かめました。


 伊東涼歌さん。


 私が涼歌さんのことを知ったのは、一昨年の全日本ユースの全国大会でのことです。その演奏は正確なものでした。一音たりとて外してなるものかという執念のようなものを感じました。


 当時彼女は中学一年生と幼く、肺活量や声量といった身体能力に関して未熟なところがありましたが、技術には目を見張るものがありました。一分の隙間も残さぬ石垣のような正確さ。それは艱難辛苦の日々を通して積み上げた研鑽があったればこそのものです。


 彼女の目指すところは私のそれに近いのではないか。そういったシンパシーを抱いたからこそ、私の記憶に彼女は深く刻み込まれることとなったのです。


 しかし今年の涼歌さんは別人でした。


 演奏曲は『Se tu m'ami』。コンクールでは定番中の定番である、パリゾッティによるイタリア歌曲集に載るカンツォーネです。『もしあなたが私を愛してくれて』という曲名の通り、その詞は男性から数多くの愛を受ける女性の思いを語ります。『あなたに愛されることは喜ばしいが、だからといって私が愛し返すとは思いなさるな。誰が忠告しようと私は愛すものを自分で選ぶ』という覚悟を、ヘ短調の悲壮な調べに乗せて奏でることを意図して作曲されたものです。


 しかし涼歌さんの演奏はそうではありませんでした。


 正確さを誇っていたかつての演奏は見る影もありませんでした。晴れやかで、前向きで、伴奏のピアノを置き去りにするような、前へ前へと出る演奏でした。走っていたわけではありません。リズムは正確でした。違っていたのはピッチです。


 ピアニストがピアノに求めるものは何か。それは透明であることです。癖があっては困るのです。このホールのピアノはこういった癖があるから指遣いを少し変えよう。そうした雑念を挟ませないこと。世界中どこにいっても同じであること。透明であるとはそういうことです。


 ヴァイオリニストや管楽器奏者とは異なり、ピアニストは愛用の楽器を持ち歩くということができません。だからこそ世界中の音楽ホールはどこもスタインウェイのピアノを置き、四番目のAを440ヘルツに調律してピアニストを迎え入れるのです。


 伴奏も同様です。声楽家からすれば伴奏は透明であってほしいものです。ですから声楽コンクールの場合であってもピアノは440ヘルツです。そのとき会場に置かれていたスタインウェイも当然そうでした。


 しかし涼歌さんは高かった。彼女のAは445ヘルツでした。あらゆる音が445ヘルツのAに合わせて高くなっておりました。彼女の音程は精確でした。しかしある意味正確ではありませんでした。


 こうしたピッチのギャップは、意図的に生み出されることもあります。オーケストラは440ヘルツに合わせ、ソロのヴァイオリンだけを445ヘルツに調律する。そうするとヴァイオリンの音は明るく、鮮烈に浮き上がるようになるのです。それは聴く者のために奏でられる音、エンタテインメントの音です。コンクールでは以ての外です。コンクールでは正確さ以外に確固たる評価の基準はありません。


 入りのミスか。最初はそう疑いました。涼歌さんは正確な音の高さを知っている演奏家です。二年前の全国大会で披露した演奏が彼女の能力を物語っています。ですからピッチのギャップは突発的な事故ではないかと、私はそう思ったのです。


 しかし違うと気づきました。涼歌さんの声に迷いはありませんでした。その5ヘルツは意図してのものでした。楽譜に刻まれた悲壮な覚悟を、彼女は自らのオルガンで別のものに変じさせたのです。


 悲壮な覚悟ではない。


 では何か。


 これ以上を語ることは、今の私にはできません。私に分かるのはここまでです。伊東涼歌さんは私より空に近いところにいらっしゃいます。


 ただ私はそのとき感じました。これが『運命』なのだと。


 休憩時間になり、私はロビーに出ました。涼歌さんは前半最後の演奏者でした。ロビーはどよめいておりました。彼女から受けた衝撃の余韻をみな引き摺っていたのです。


 と、ロビーの片隅に見覚えのある顔を見つけました。スーツ姿であったため最初はそうと分かりませんでしたが、ふと気づきました。彼は一学期の考査で首席を獲った伊東秀和さんであると。そして直観がざわめきました。伊東という名字はもしや。そうではないかと思ってみると、顔に面影があるような。


 そして私は伊東さんに声をかけました。顔と名前が辛うじて一致する程度の同級生に声をかけるなど、普段の私ならば考えられないことです。私もまた昂ぶっていたのでしょう。


 私が「城東一年の天城です。こんなところで奇遇ですね」と話しかけると、伊東さんは「ああ、二組の」と応えました。どうやら顔と名前くらいは覚えていてくださったようです。


 涼歌さんとの関係を伺おうとしたちょうどそのとき、当の御本人が姿を現しました。控え室から出てきた彼女はこちらへと駆けてきました。


 涼歌さんは、ミント色をしたシフォン地のワンピース・ドレスを身にまとったままでした。演奏中は尋常でないほどの汗をかきます。会場は冷房を利かせているため、演奏が終わったらすぐに着替えるのが鉄則です。


 しかし彼女は、服装も気温も知ったことではないと言わんばかりに顔を上気させて伊東さんに向き合いました。


 涼歌さんは息も切れ切れになりながら、それでも明瞭な声で言いました。


「音高に行かせてください」と。


 私は思わず横から口を挟みました。「音大を目指すのでしたら、他の道もありますよ」と。


 何と恥知らずで、卑屈な物言いでしょう。今でも思い出す度に胸が疼きます。慚愧ざんきの念に堪えません。


 涼歌さんは、驚いたように私の方を見てから、更に目を見開きました。


 その後、彼女は満面の笑みを浮かべました。そして仰ったのです。「分かっています。でも私、聴いてほしいんです」と。


 ……気づけば私は泣いておりました。滂沱ぼうだの涙を流す私に、お二人は慌てふためきました。


 私は「失敬」と声にならない声で言い残し、その場を去りました。


 次に伊東さんとお会いしたのは、始業式の日の放課後でした。



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