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 瑠樺が気になっているのは、今年の春に転校してきた草薙響というクラスメイトのことだ。

 草薙響と出会ったのは昨年の秋だった。一条家の務めで青森に行った先で、草薙と知り合うことになった。その出会いは決して良いものとはいえなかった。彼が転校してきてすぐに雅緋の手によって問い詰められることになったのだが、草薙は瑠樺たちのことなどまったく記憶していなかった。

 その後、草薙には人の魂に『生命を与える』という力があることがわかった。

 このことを知っているのは、瑠樺と音無雅緋、蓮華芽衣子とその妹の千波の4人だけだ。

 ここ最近の妖かしの異変と、草薙響がこの街に現れたことと関係しているといえば、確かにそんな気がしてくる。

 ただ、草薙響という男が、自分たちにとってそんな危険な存在だと思えなかった。

 何よりも草薙には蓮華の生命を助けられている。

「どうかしたのかい?」

 矢塚に声をかけられ、ふと我に返る。

「いえ、なんでもありません」

 草薙のことは矢塚にもまだ話す気にはならなかった。

「そういえば、雅緋君はどうしてるんだい?」

「どうって……」

 瑠樺は答えに迷った。雅緋はどちらかというと、この矢塚のことを嫌っていたからだ。

「今でも呉明沙羅の過去に興味を持っているのかい?」

 以前、雅緋は密かに呉明沙羅について調べるため、矢塚の家にある古文書などを読み漁っていた時期がある。だが、結局、必要なものを見つけ出すことは出来ず、その後は一度もこの屋敷を訪れていない。

「興味はあるようですけど、調べようがないんじゃないですか? 矢塚さんのところにあるものには、そういう大切な情報は書かれていなかったみたいですし」

「1400年以上も前のことだからね。そう簡単に昔のことを調べるのは難しいさ。昔の資料は文字すら難しい。一族の名前を見つけ出すのも一苦労だろうね」

「そういえば……『和彩』って、昔は『一沙』なんですね。前に雅緋さんのために資料を借りた時、驚いたことがあります」

「よく気がついたね。ま、初歩の初歩だけどね」

「すいません」

「いやいや、小さなことでも気づくことが大切なんだよ。興味が出てきたら、瑠樺君も読んでみるといいよ。名前一つだけでもいろいろ気づくこともあるかもしれないよ。ちなみに『矢塚』は『八塚』ではなく『厄塚』なんだよ」

「え?」

「いや、なんでもない。でも、君たちは少し過去に興味を持ったほうがいいよ。例えばこの書物には林正という名の若者がここを旅立っていく前日のことが書かれている。沙羅君が呉明の家に入るずっと前のことだ。『八神家』の一族が皆、集まったと書かれているよ」

 矢塚は無造作に床に置かれていた書物を手にとった。ボロボロの書物からパッと埃が舞う。

「また、誰かの日記ですか?」

「まあ、そういうとこだよ。そんな嫌な顔をするものじゃない。古いことを知るには意味があるんだよ。沙羅君が『魔化』と戦ったことだって、なぜ、彼女が戦うことになったのか疑問に思わないかい?」

「なぜって……」

 想像もしてなかった矢塚の問いかけに瑠樺は戸惑った。沙羅の過去に興味がなかったわけではない。それでも今までそんなことを考えたことはなかった。

「なあに、そんなに悩むようなことじゃないさ。さまざまなことに疑問を持ったほうがいいってだけだよ」

「そこにはその理由が書かれているんですか?」

「いいや、ここにはその宴の出席者とどんな料理が出されたのかが書かれているだけさ。雅緋君にも、また必要になったらいつでも来ていいと伝えてくれよ」

「矢塚さんがわざと役に立たない資料ばかりを渡すから怒ったんじゃありませんか? そんなものを見せたら、また怒りますよ」

「役に立たないはひどいなぁ。世の中に役に立たないものなんてないんだよ」

「でも、雅緋さんが望まないものをわざと渡していたことは事実じゃありませんか」

「おや、そんなつもりはなかったんだけどねぇ。そういえば、雅緋君は今回の件に関わってはいないのかい?」

「そう何度も雅緋さんを巻き込むわけにはいきませんよ。今、雅緋さんは一条家とは無関係な立場なんですから」

「そういう意味じゃないよ。今回の異変に関わっていないのかってことだよ」

 その言葉にギョッとした。

「それって雅緋さんが原因だとでも?」

「彼女に変わりは?」

「まさか。雅緋さんは無関係です」

「ハッキリ言うんだね。その根拠は?」

「根拠って……この異変は今年に入って、少しずつ起こったことです。その間、雅緋さんに特別な変化があったわけではありません」

「なるほど。しかし、キミのその考えは希望じゃないのかい? 雅緋君に何も変化がないと言えるほど、彼女の動きを監視していたわけじゃないだろう?」

「……それはそうですけど」

 確かに矢塚の言うとおりかもしれない。それでも雅緋と今回のことを結びつけて考えたくはなかった。

「春影さまからは何か聞いているかい?」

「実は一条春影さまから呼び出されています」

「うん、そのことなら知っている。ここ最近の妖かしたちの異変について思うところを聞かれたのでね。たぶん、ボクが進言したことを聞かされることになるんだろうね」

「矢塚さんの進言? それは何ですか? まさか雅緋さんが原因だとでも言ったんですか?」

 瑠樺は思わず緊張した。ただでさえ最強の霊体である沙羅をその身に宿している雅緋は多くの術者から警戒されていて微妙な立場といえる。

「いいや。そんなことは言っていないよ。実は僕も雅緋君が原因だとは思っていないからね」

「脅かさないでください。じゃあ、春影さまには何て言ったんですか?」

「春影さまから聞いてもらったほうが良いんだが、それほどもったいつけることでもないか。今、考えられる原因は『詩季の一族』だよ。彼らが帰ってきたのかもしれない」

 それは瑠樺にとって、意外な一言だった。『詩季の一族』は『妖かしの一族』の一つだ。だが、一条家に支配されるのを嫌い、1000年以上前にこの地を離れたと聞いている。

「詩季って……本当なんですか?」

「可能性の問題だよ。僕も『詩季の一族』と会ったことはない。しかし、『詩季の一族』は『戦神』と呼ばれるほどの力を持っていると言い伝えられている。もし、彼らが戻ってきたとしたら、その力にこの地に住む妖かしたちが反応しても不思議じゃない」

「そんなことがあるんですか?」

「妖かしは強い力を感じやすいものさ。ちなみにボクはその件で近々山を閉じることになる」

「山を閉じる? それってどういうことですか?」

「ここには多くの『妖かしの一族』が眠っている。もしも外部からの異変の影響を受けるようなことがあれば、何が起こるかわからない。また、以前のように霊体が封印から解かれるなんてことも起きかねない。そのため、異変の影響を受けないよう、結界をはることにした」

 矢塚が言っているのは呉明沙羅のことだろう。かつて霊体となって封印されたのだが、今は音無雅緋の身体に宿っている。この山にどれほどの霊体が封印されているのか、詳しいことは瑠樺も知らない。だが、確かにそれらの霊体が目覚めるようなことになれば、それが厄介なことになることは想像出来る。

「それは春影さまのご指示ですか?」

「いいや。だが、ボクも『妖かしの一族』の『墓守』という仕事があるからね。一応、そのくらいの仕事はやっておかないとね。春影さまには瑠樺君から話しておいてくれないか」

「わかりました」

 瑠樺は素直に頷いた。「春影さまは最近、少しお変わりになった気がします」

「変わった? どんなふうに? まさかまた妖夢に呑まれたというようなことじゃないだろう?」

「いえ、そんなことじゃありません。むしろ、逆です。以前よりも穏やかになられたような、去年の秋の頃からでしょうか。以前は『西ノ宮』と争いになる可能性を心配されていましたが、最近ではそういうことを言わなくなりました」

 矢塚は冷静だった。

「そりゃあそうだろう。もともと一条家は『西ノ宮』とはつながりが深い。春影さまの家族だって向こうにいる」

「本当ですか?」

「ある意味、『西ノ宮』に人質を取られているようなものだ。むしろ、昨年のように『西ノ宮』相手に戦争が起きるかのような雰囲気のほうが異質だったんだ」

「じゃあ、もう『西ノ宮』とぶつかるようなことは無いんですか?」

「いや、そうとも限らない。『西ノ宮』との関係が完全に修復されたという話も聞かないからね。ただ、春影さまもいろいろ自分の役割というものを自覚するようになったのだろう」

「役割?」

「一条家の役割さ。一条家がこの地に派遣されてからすでに1200年。長いね、長すぎるね。それだけ長い時間が過ぎれば、自分たちの役割なんて誰でもわからなくなるものだよ」

「一条家の役割って、『妖かしの一族』を統治することじゃないんですか?」

「それだけだと思うかい? たったそれだけのためにこんな田舎へやってきて、1200年も居続けると思うかい?」

「他にも何か?」

「さあ、どうだろうね。ボクは一条家の人間じゃないからね」

 相変わらずの惚けたような言葉を矢塚は発した。だが、それはおそらく本心とは違っている。矢塚とはそういう男だ。

「そうですか、なら結構です」

「おや? なんだい、ずいぶん投げやりじゃないか? ボクがいい加減なことを言っていると思っているのかい?」

「そんなことは思いませんよ」

 そう、本当にそうは思っていない。だが、このやり取りを続けたところで、きっと矢塚は何も話さないだろう。矢塚はこういう時、大事なことを決して喋ろうとはしないだろうということを瑠樺はわかっていた。

「じゃあ、なんでそんなふうに?」

「今、私が知らないということは、今は知らなくて良いことだからです。春影さまは、何かあればきっと私にも話してくれるはずです」

「なるほど、もっともだ。しかし、瑠樺君は少し一条家を信用しすぎてないかい?」

「そうでしょうか?」

 瑠樺にそんなつもりはない。父を殺したのは、妖夢に意識を呑まれていた一条春影だ。だが、亡くなった父がこの地に戻ってきたのは、一条春影がいたからこそだ。父は、春影こそが『妖かしの一族』と人ととを結びつけることが出来ると信じていた。それを思うと、ついつい春影を信じる気持ちが強くなるのは確かだ。

「気をつけたほうがいいよ。所詮、陰陽師たちにとって『妖かし』は管理対象だ。彼らの中にはいざとなったら妖かしを助ける必要などないと考えている者もいる」

「以前はそうだったみたいです。でも、最近は少し変わってきている気がします」

「一条家だけじゃない。妖かしの一族だって、皆、一枚岩というわけじゃあない。誰が味方で誰が敵なのかわからないものだよ。人は皆、それぞれに抱えているものがある。それによっては味方を裏切ることだってある。ボクだってこの先どうなるかわからないよ」

 いつものように冗談めいて笑う。

「嫌なこと言わないでください」

「そう深刻な話じゃないよ。僕が言っているのは、相手が誰であろうと信用しすぎちゃいけないということだよ」

「わかりました。十分注意することにします」

 瑠樺は軽く答えた。親しい誰かが裏切るなどと考えたくはなかった。特に雅緋については殊更のことだ。しかし、矢塚の言うこともわからないわけではない。確かに今はまだ草薙について一条家に報告をしないほうがいいかもしれない。

 そんな瑠樺を眺めながら、矢塚が声をかけた。

「ところでお母さんと連絡は取れたかい?」

 瑠樺は表情を曇らせた。

「……いいえ」

 仙台に住む母が仕事を辞めたのは昨年の秋のことだ。

 突然、仕事を辞めるというメールが届き、その理由を聞いてみてもハッキリした答えはもらえなかった。ただ、自分のやりたいことのために仕事を辞めるのだと言っていた。

 だが、それ以来、母との連絡はまったく取れなくなった。年が明けてすぐに仙台に行ってみたのだが、既にアパートは解約されていた。そして、今もその居場所はわからないままだ。

 なぜ母は姿を消したのだろう。

「矢塚さん、ウチの母と会ったことは?」

「辰巳さんの葬儀の時に一度会っているよ」

「――でしたね」

 思えば、瑠樺が矢塚に最初に出会ったのも、父の葬儀の時だった。

「なかなか芯の強い人だと感じたよ。捜そうとは思わないのかい?」

「正直言って、捜したい気持ちはあります。でも、一方でその必要はないようにも思えるんです」

「どうして?」

「母は強い人です。自分のやるべきことをしっかり持っている人です。私なんかに心配されるような人じゃありませんよ」

「なにか事件に巻き込まれているとか心配しないのかい?」

「そう……ですね」

瑠樺は少し考えてからーー「どうしてかはわからないんですが、その可能性だけは無いような気がするんです。母って、昔から生きることには長けてるような感じがして」

「生きることに長けてる……か」

 矢塚はフフッと小さく笑った。「確かにそんな印象だったかもしれないな」

「でも……母がいなくなったのは、私と関係があるんでしょうか? 私がここで『妖かしの一族』として生きることと決めたことが原因なのでしょうか?」

 それは瑠樺にとって、ずっと感じてきた不安だった。父と共に仙台を離れ、この街にやって来た時も母は反対しようとはしなかった。そして、父が死んだ後、瑠樺がここに残ると決めた時も何も言おうとはしなかった。

 母にとって、その自分の決断はどう映っていたのだろう?

「さあ、それはボクにはわからない。キミはここに帰ってきたことを、一条家で働くことに後悔はしていないのかい?」

「どうしてですか?」

「キミは将来のことを夢見たりしないのかい?」

「将来?」

「キミの年齢なら、いろいろな未来を想像し、さまざまな将来を思い描くんじゃないのかい? だが、キミの場合はどうなのだろう? 今後も一条家に仕えるのなら、キミにとって将来はなくなったようなものじゃないか」

「……意地悪なことを言うんですね。ここで『妖かしの一族』として生きるからといって、将来がなくなったわけじゃありません。田舎町だけど、今はいろんな可能性がある時代です。それに『西ノ宮』とのことが片付けば、もっと可能性が広がります」

「そうか。そうだね、可能性は捨てちゃいけない」

「私は後悔してはいませんよ」

 自分に言い聞かせるように瑠樺は改めて言った。

 考えなければいけないことが多すぎて、矢塚がいつもと少し違うことに、瑠樺は気づかなかった。


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