19
蓮華を待たせ、春影がいる『奥の院』へは瑠樺一人で向かった。
春影の表情は硬かった。
それも当然だろう。妖かしたちの異変、矢塚の裏切り、美月ふみのの死、春影にとっても頭の痛くなる話であることに間違いない。
いつも脇に控えている斑目や栢野の姿が今日は見えない。屋敷内にも術者たちの姿は少なく感じた。きっと『常世鴉』や『九頭竜』を使って矢塚の行方を追っているのだろう。
「美月ふみのさんの葬儀は滞りなく済んだそうですね」
「はい、さきほど」
「ふみのさんにはこれまでいろいろ助けていただきました。本来なら、私も参列すべきなのでしょうが、私が行けば事が大げさになります。近親者のみで行いたいというあやのさんの意見に従わせてもらいました」
「そうでしたか」
春影は言葉を捜しているように見えた。当たり障りのない話をしながら、まるで瑠樺の様子を伺っているようだった。
やがて、一度、言葉を切ってからーー
「今日、あなたに来てもらったのは、矢塚のことを話しておかなければいけないと思いましてね」
それを聞いて、瑠樺のほうにも緊張が走る。
「何かわかったんですか? 矢塚さんの行方が?」
しかし、それに対して春影は首を振った。
「矢塚はまだ見つかっていません。今、斑目や栢野に言って行方を捜してもらっているところです」
「では、話というのは?」
春影は何を話すつもりなのだろう。
「今、起きている妖かしの異変、あの原因は矢塚だったのだと思われます」
「矢塚さんが? どうして?」
「あれらの妖かしは全て、かつて封印され、矢塚の土地で眠っていたものたちであったことがわかりました。矢塚がそれを目覚めさせたのです」
「でも、あれは『詩季の一族』の影響という話ではなかったですか?」
「そう意見していたのは矢塚です。おそらく真実を隠すためにそう言ったのでしょう」
「何のために?」
その問いかけに、春影は困ったように小さく首を振った。
「ハッキリしたことは言えません。ただ、自分が密かにやっていることの目くらましのためだったかもしれません。それを美月ふみのに見咎められ彼女を殺すことになった。そう考えるしかないのでしょう」
「矢塚さんが密かにやっていたこととは何ですか?」
「……いえ、それはまだわかりません」
春影の瞳がわずかに左右に動く。「あなたは何か知りませんか?」
「どうして私に?」
「いえ、あなたは矢塚の屋敷にはよく出入りしていたので何か気づいたことはないかと思いましてね」
「すいません、私は何も……」
「そうですか。いずれにせよ、矢塚を捜し出せばこの件は終わるでしょう」
フッと春影は息を吐き出した。それはまるで瑠樺が何も知らないことを確認して安堵しているように見えた。
「終わり?」
「そうです、終わりです。ですから、あなたはこの件からは手を引きなさい」
瑠樺は耳を疑った。
「え? 何を言っているんです? 手を引くってーー」
「瑠樺さん、あなたは学生です。今後、一条家の務めに出ることは止めてください。いえ、一条家当主として許可出来ない……と言ったほうがいいでしょう。もちろん、これまで働いていただいたことには感謝しています。一条家への出入りもこれまで通りです。今後、あなたの生活についても保証します。ただし、『常世鴉』と共に務めをすることだけはやめてもらいます」
「春影さま、何を……何を言い出すんですか?」
「私たちはあなたに甘えすぎたのです。あなたはすでに『八神家』を離れた身です。この地で妖かしの対処をするのは我々一条家の者でなければいけません。ちゃんと区切りをつけないといけないのです。あなたはあなたの将来のことを考えなければいけません。これからは普通の人間として生きていってほしいのです」
突然の話に頭のなかが真っ白になる。
理解出来なかった。そして、春影がこんな曖昧な話をしていることも。やはり、春影は以前と何かが変わった気がする。
もちろん、昨年、妖夢に意識を呑まれた時とは違っている。
「本気で言っているんですか? 春影さま、本当に矢塚さんがこの全てをやったと思われてるんですか?」
瑠樺は思わず問いかけた。
一瞬、春影は声を発さずに口を動かした。それは迷いに感じられた。その迷いの後に声が続く。
「証拠がそう語っています」
それは真実の言葉ではない。
春影はまだ何か隠しているような気がする。
「証拠って、どこにどんな証拠が? ただ、矢塚さんの屋敷でふみのさんが殺されていたというだけじゃないですか」
「それだけで十分です。いずれにせよ、あなたにはもう妖かしとは関わってほしくないのです」
「関わるとか関わらないとかいうことではありません。私は『妖かしの一族』です」
このまま引くことは出来ない。そんなことをすればきっと後悔することになる。
「あんたをこの世界に巻き込んでしまったことは私自身、申し訳ないと思っています。しかし、いつまでもこんなことに関わっていてもあなたにとってプラスにはなりません」
「そんな……」
「あなたは今後、どうしていくつもりなのですか?」
「あ、それは……」
瑠樺は言葉に詰まった。
「悪いことは言いません。これからは光の当たる場所であなたは生きなさい」
「でも、妖かしは存在しています。誰かがそれに対処しないと」
「だからこそ一条家がここにあるのです。それがあなたである必要はありません。あなたの家は一度、その立場を離れたのです。後のことは私たちに任せなさい。あなたはあなたの道を捜してください」
「……私には、この仕事は出来ないということですか?」
春影は伏目がちにーー
「あなたには相応しくないと思っています。少なくとも矢塚の行動に気づくことは出来なかったのですから」
それは重い言葉だった。瑠樺はそれを聞き、膝の上に置いた拳を強く握りしめた。
(考えろ)
いったい今、何が起きているのか、春影が何をしようといているのか、それを理解しなければ話にならない。このまま春影の言いなりになってはいけない。
しかし、春影はさらに続けた。
「ところで音無雅緋さんはどうしていますか?」
「雅緋さん? なぜ雅緋さんのことを?」
「いえ……彼女は亡くなった美月ふみのとも親しかったと聞いています。今、どうしているかと思いましてね」
その言葉もやあり歯切れが悪い。春影自身、そのもどかしさを感じているように思える。
(違う)
そういえば、ふみのは雅緋の中に沙羅を宿すことになったのは大人の事情だと言っていた。もしかしたら、その理由も春影は知っているのではないだろうか。
だとしたら、今、春影が言っていることにはやはり嘘がある。
「春影さま、今、何が起きているのですか? 何を隠しているんですか?」
思い切って瑠樺は訊ねた。
「何が……とは?」
「私には言えないことなのですか? 春影さまは草薙響君のことを知っていますか?」
「瑠樺さん……それは……」
言葉を濁す。だが、その表情は変わらない。やはり草薙を知っているのだ。
「春影さま、教えてください! 私は春影さまを信じてきました。私に言えないことなのですか?」
瑠樺は春影の顔を見つめた。彼女の口から真実を聞きたかった。
「瑠樺さん、私もあなたを信じています。そして、私がやるべきことも正しいことだと信じています。いえ、信じなければいけないのです。だからこそ、あなたは今、一条家を離れるべきなのです」
「おっしゃられている意味がわかりません」
「昨年、『妖夢』となった私をあなたは助けてくれましたね。父親を殺されたというのに、あなたは私を助けようとした。けれど、その優しさこそがあなたの弱点なのです。あなたにはこの務めは向きません」
「もう少しわかるように話してもらえませんか」
春影は少し間をあけてから、再び口を開いた。
「私には娘がいます。今年、20才になります。幼い頃、夫と共に『西ノ宮』へ行きました。彼女が陰陽師として、京で修行をしたほうがいいと考えたからです。それなのにここ数年、私はそれを忘れていたのです」
「忘れてって……」
「文字通りの意味です。そんな馬鹿なことと思うかもしれませんが、本当に私は娘たちの存在を忘れてしまっていたのです。それどころか、私はいつの間にか『西ノ宮』を憎むようになっていた。『西ノ宮』と戦うことを考えるようになりました。今にして思えば、私が『妖夢』に意識を飲まれたのもそれが原因なのでしょう。私はいつしか闇に取り込まれていたのです」
「闇?」
「しかし、いかに闇に取り込まれていたとはいえ、私たちにとって、それもこれも全ては務めのため。家族よりも大切な人たちよりも重要視しなければいけないことというのはあるのです。私は夫と戦う覚悟があります。娘と殺し合うこともあるかもしれません。それでも自分の道を進むつもりでいます。ここに生きるものはそういう覚悟が必要なのです。あなたはあなたの大切な人と戦うことが出来ますか?」
「それって……そんな覚悟はおかしいです」
「そうかもしれませんね。けれど、私たちにはそれが出来る。使命のためならば、愛する人、大切な人を切り捨てることが出来るのです。今後、私たちはそういうものと向き合わなければいけなくなります。あなたが私たちと同じようになる必要はないのです。なってほしくはないのです。あなたはここから離れなさい」
春影が自分のことを思って言ってくれているのが感じられる。それは春影の優しさだ。
しかしーー
「お断りします」
その優しさを受け入れてはいけない。
「瑠樺さんーー」
その時、襖が開いて若い術者が飛び込んできた。
「妖かしが現れました」
だが、それがその言葉だけの出来事でないのは明らかだ。妖かしが現れただけで、わざわざ春影のもとにまで報告にくるはずがない。
「どこに?」と咄嗟に瑠樺が訊く。
「矢塚さんの屋敷の周囲です。無数の妖かしが突然現れました」
それを聞いて、すぐに瑠樺は立ち上がった。
「瑠樺さん、いけません!」
「今は行かせてください。話はまた戻ってきてから聞かせていただきます」
そう言って瑠樺は座敷を飛び出した。
後に、瑠樺はこの時の判断を悔やむことになるのだが、この時の瑠樺にとってはジッとしていることは出来なかった。




