17
矢塚を追っていた美月あやのは、翌日に姿を現し、矢塚に逃げられたことを告げた。
あやのの無念な気持ちを思いながらも、瑠樺は一方で矢塚が捕まらなかったことに密かに安堵していた。
美月ふみのの葬儀が行われたのは、それから三日後だった。
取り仕切ったのは一条家だった。ふみのは秋田市内に家があり、正式な葬儀はそちらで執り行われるらしい。こちらでの葬儀に参列した人たちで、直接ふみののことを知る者はそう多くはなかった。そして、彼女の表の顔は瑠樺の知るものとはまるで違っていた。口数少なく、謙虚で大人しく、物静かだと誰もが話していた。ふみのがウェブデザイナーという仕事をしていたということも初めて知った。
彼女にとって『美月の一族』というものはいったいどんな意味を持っていたのだろう。
通常、一条家が取り仕切る葬儀は矢塚の屋敷の近くの寺で行われるのだが、今回ばかりはそこから離れた崇覚寺という一条家ゆかりの寺で行われた。
寺の裏庭からは、あの矢塚の住む山が遠くに見えていた。
その山をボンヤリと眺めながら、葬儀前、茉莉穂乃果とした会話を思い出していた。
「まさかこんなことになるとは思いませんでした」
中学生の穂乃果はそう言って少し赤くなった目をハンカチでおさえた。
彼女は『妖かしの一族』の一つ『茉莉の一族』であり、神巫女と呼ばれる務めについている。しかし、その正体は『不死鳥』であり、『妖かしの一族』にとっては神聖なる神が宿る身なのだが、本人はそのことを知らずにいる。
「私、まだ現実のような気がしなくて」
「そう……ですよね。あの、ふみのさんが亡くなるなんて……ところで今日、草薙さんはいらっしゃらないのですか?」
実は、草薙響と知り合ったのは瑠樺のほうが先だったが、この春以降、彼の力を認識したのは穂乃果のほうが早かった。偶然、街で知り合った穂乃果が、草薙がある妖かしについて悩んでいることを知って一条家のことを紹介したのだ。
草薙の行方は今もまだわかっていない。だが、それを穂乃果は知らないのだ。
「どうして彼が? ふみのさんとは面識がないんじゃないかな?」
変幻自在、『騙し神』とも呼ばれる『美月の一族』ではあるが、草薙からふみのの話を聞いたことはなかった。
しかし、穂乃果は怪訝そうな顔をした。
「でも、一条家とは関係があるんじゃありませんか?」
「どうしてそう思うの?」
「私、あの人とは前に会ってるんです。いや、見かけたっていうほうが正しいのかな」
「前って?」
「去年の秋です。草薙さん本人が忘れていたようなので、人違いかもしれないと思っていたんですけど、やっぱりアレは草薙さんだと思うんです」
「それってどこで?」
「もちろん一条の屋敷ですよ。去年、瑠樺さん、青森に行かれたことがありましたよね。あの時だったと思います。あの頃って、詳しい事情はわからないけど一条家の人間に外出禁止令が出ていましたよね。外部の人たちの出入りも制限されていたし。そんな時にお客さんとして来られたのでビックリしたのを覚えてるんです。今度会ったら聞いてみたいと思っていたんですけど、なかなか会えなくて」
「一条の屋敷ってことは、春影さまのところに?」
「たぶんそうだと思います。あれって何だったんでしょうね」
穂乃果はそう言って、空を仰ぎ見た。
穂乃果の見間違い、ということは無いような気がする。なぜか草薙は記憶を失っているらしいが、その頃、彼がこの辺りにやってきたことは間違いない。
つまり春影は、草薙響のことを知っていたことになる。草薙が一条家のことを知っていると聞いたことはない。つまり、彼の失った記憶のなかに、一条との関係があることになる。
二人はどんな関係なのだろう?
まさか、草薙が行方不明になっていることも、春影は把握しているのだろうか。
そんなことを考えていたため、美月あやのが背後から近づいてきたことに気づかなかった。
突然、腰元をツンと突かれて、思わず小さく妙な声が出てしまった。
「どうしたの? 何を黄昏れてるの?」
喪服姿のあやのは小さく笑ってみせた。
「い、いえ……すいません。席を外してしまっていて」
自分が出したその声に恥ずかしさを感じて、思わず他に聞かれてはいないかと周囲を見回す。幸いにも他には誰の姿も見えない。
「いいさ。あんなつまらない儀式なんて大人たちに任せておけばいい。それよりも意外だったんじゃないかい?」
「何がですか?」
「ふみののことだよ。瑠樺ちゃんの知っているあいつと、世間の人が知っているあいつとはまるで違うだろ?」
「どっちが本当のふみのさんだったんでしょう?」
「そんなこと決まっている。どっちもだよ。表の顔とか、裏の顔とか思っているかもしれないけど、私たちにとってはどっちも本物の顔なんだよ。静かにしていたいと思うこともあるし、自由にバカなこと言いたいことだってあるさ。瑠樺ちゃんだって同じだろ? それを私たちは楽しく使い分けていただけだよ」
いつものようにアッケラカンとさばけた物言いをする。それを見ていると、ふみのが死んだという事実を忘れてしまいそうになる。
「あやのさんは平気なんですか?」
言った瞬間、バカなことを言ったと後悔した。双子の妹を失って平気なはずがない。怒られても仕方ないようなセリフだ。
だが、あやのは決して怒りはしなかった。
「そうだね。やっぱり平気じゃないね」
表情を変えないままに、静かにあやのは答えた。
「ごめんなさい。私、バカなことを……」
「なぁに、いいんだよ。むしろ瑠樺ちゃんは私たちのことをちゃんと理解してくれている。私たち『妖かしの一族』の生き方は普通とは言えないからね。そんな感情だって他とは違っているかもしれない。そういえば、ふみのと話したそうじゃないか」
「何か言ってましたか?」
「瑠樺ちゃんの成長を楽しみにしていたよ」
「何ですか、それ」
「ふみのも私と同じで瑠樺ちゃんのことが大好きだったのさ」
「どっかの親戚みたい」
「親戚じゃないか。知らないのかい? 私たち『妖かしの一族』は古くは一つの一族だったんだよ」
「そういえば、誰かがそんなこと言っていましたね」
それを怜羅が言っていたことを、瑠樺は思い出していた。
「瑠樺ちゃん、ふみのが死んだことを悲しんでくれるのは姉としても嬉しいよ。でも、それであなたが立ち止まっていちゃいけないよ」
「どうしてそんなことを」
「前から思っていたけど、瑠樺ちゃんは優しすぎるのさ。私たちはね、人間であって人間じゃない。『妖かしの一族』だよ。その生き方は野生の動物に近いと思ったほうが良い。親兄弟が死ねば、そりゃあ悲しむ。だからといって、いつまでも悲しんでばかりはいない。自分たちが生きるためにエネルギーを使うべきなんだ。人間にとって優しさは美点だ。でも、優しすぎれば弱くなる。『妖かしの一族』は強くなければ生きていけない。そういう覚悟を持って生きてるからこそ、妖かしの生命を奪うことだって出来るし、時には人の生命を奪うことも出来る」
「……覚悟ですか」
自分にそんなものはあるのだろうか。
「それにふみのは無駄に死んだわけじゃない。ふみのはね、自分の進むべき道を見つけたと言っていた。だから何が起こっても悲しむなと言っていたよ」
その言葉に違和感を覚えた。
「まるで死ぬのがわかっていたみたいな言い方ですね」
「そうだよ。私たちは知っていた」
「何を言っているんですか?」
「六花にそう言われていたからね」
「六花? それって『六花の一族』のことですか?」
「そうだよ。六花は夢見をする一族だ。以前から、いつか私かふみののどちらかが死ぬと言われていたんだよ。どっちかというと私のほうが死ぬと思い込んでいたなぁ」
「前に、あやのさんは私に、六花に会えと言っていましたよね」
「そうだね。瑠樺ちゃんは六花に会ったほうがいい」
「六花の一族はどこにいるんですか?」
「わからない」
即座に、決まり文句のようにあやのは言った。
「どうすれば会えますか?」
「わからない。でもね、その時は必ずやってくるよ」
「……その時」
きっと彼女は知っている。『六花の一族』のことも、そして、それ以上のことも。それでも話そうとしないのは、それが今の自分にとって知るべきではないと考えているのだろう。
「私ももう一度、『六花の一族』には会わなきゃいけない」
「ふみのさんのことでですか?」
「うん、そうだ。六花こそが『妖かしの一族』の家を継ぐものを決めることが出来るからね」
「『六花の一族』が?」
「私たち一族は、誰かが暴走しないように縛り合っているんだよ」
「縛りあう?」
「実はね、七尾の術は美月には効かない。詩季は自分勝手だが、逆に誰もその言葉を聞こうとはしない。そうは言っても、『詩季』は自分勝手な奴らだし、『七尾』はいつの間にか憑いた妖かしによって跡目が決まるようになった。そういう意味では、『和彩』や『美月』のような立場じゃなければ、六花の承認など特別な理由がなければ本当はいらないんだ。でも、『美月』は六花に会うことにしている。だから私も六花に会う必要がある。ふみのが正統な美月の継承者だったからね」
「え? あやのさんじゃないんですか?」
双子とはいっても、あやののほうが姉だったはずだ。
「私はそういうのが嫌で逃げ出したんだよ。もちろんずっと手伝いはしていたけどね。さすがにこうなったからは私も覚悟を決めるしかないか。ハッハッハ」
「覚悟ですか」
それは自分も考えなければいけないことだ。もし、自分が『和彩』を継ぐことで誰かのためになるのならーー
だが、その心の中を見透かすようにあやのは言った。
「違うよ。瑠樺ちゃんの思っているのと私の覚悟は違うからね」
「どう違うんですか?」
「確かにふみのが死んだことで私は家を継ぐ覚悟を決めた。でも、私はもともとやりたくないことは何があってもやらない。ふみのも同じだった。だから、この覚悟も自分がやる気になったというだけなんだよ。やりたくないことに責任を感じてやるわけじゃない。瑠樺ちゃんもやりたくないことをやっちゃいけないよ。そんなことをしてもきっと後悔するだけだ」
「私にも『和彩』の血を引くものとしての責任というのはあります」
「それが違うんだよ。ふみのの死は私の死と同じものだ。だから、今回のことは私にも責任があるんだ。あの子は私のかわりに死んだ」
「そんな……」
「いやいや、誤解しないでおくれ。別に私はただ意味なく自分を責めてるなんてことじゃないよ。誰かを責めたり、誰かに責任を転嫁させるだけじゃダメなんだ。これはただの事実だ。こういう時はね、ちゃんと事実と向き合うことが大切なんだよ。私は、これまでふみのが背負っていたものを、自分で背負ってみたくなったのさ。ふみののために、矢塚のためにもね」
「え? 矢塚さんを恨んではいないんですか?」
瑠樺は思わず訊いた。
「恨んでいるよ、当然さ。矢塚がふみのを手にかけたってことも紛れもない事実だからね。こんな私だけど、妹のことは大切に思っていた。ロクな姉じゃなかったけどさ。でも、それとこれとは違う話なんだ」
「違う話?」
「私たちは大人だからね。だから、清濁併せ呑まなければいけないことを知っている。でも、彼女はどうだろうね」
「彼女?」
「雅緋ちゃんだよ。私はむしろ彼女が心配だ。ふみのは少し雅緋ちゃんに近づきすぎていたからね。雅緋ちゃんのほうもふみののことを慕ってくれていた」
それは瑠樺にもよくわかっていた。あの時の雅緋の泣き声は今でも耳を離れない。
「雅緋さんはどうしているんですか?」
雅緋はあれ以来、学校を休んでいる。今日の葬儀にも顔を出してはいなかった。いったいどこで何をしているのだろう。
「あれ以来、矢塚を捜しているみたいだね」
「見つけられると思いますか?」
「どうだろうね。雅緋ちゃんは強い。けれど、強すぎる。強すぎる人っていうのはね、自分があまりに強すぎるために他人の微弱な気を掴まえるのは苦手なんだ。そもそも彼女の力は、中にいる沙羅のものだ。沙羅自身、そういう力は弱そうだからね」
「そうですか」
それを聞いて少しホッとしている自分がいる。そして、すぐにあやのもそれに気づいたようだ。
「やっぱり瑠樺ちゃんは優しいね。そうだね、どっちが彼女のためになるのだろうね。私も、むしろ彼女が見つけた時のことを考えるのが怖いよ。彼女は怒りにかられている。私が先に見つけてあげないといけないね」
見つけてどうするんですか……その言葉を瑠樺は慌てて飲み込んだ。あやのにとっても矢塚は裏切り者であり、復讐するべき相手なのだ。
ふと、背後から近づいてくる気配を感じて瑠樺は振り返った。
そこにいたのは蓮華芽衣子だった。
ここ数日、見舞いにも行けていなかったが、既に見た目はすっかり回復しているようだ。彼女は瑠樺に近づいてくると、小さく頭を下げた。
「今日から務めに復帰させていただくことになりました」
「大丈夫なんですか?」
「はい、一条様がお呼びです」




