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 何も考えられなかった。

 どうすればいいかわからなかった。

 ただ、呆然としながら山を降りていく。

 美月ふみのが死んだこと、矢塚冬陽が裏切ったこと、そして、草薙響の行方がわからないこと。

 雅緋の涙。

 全てが瑠樺にとってショックだった。

 山を降りたところのバス停に怜羅の姿があった。

 つい先日、そこで美月ふみのと会ったときのことを思い出す。彼女はなぜあの日、この場所にいたのだろう。

――矢塚を監視していた

 斑目はそう言っていた。そのためにここにいたのだろうか。

 だが、矢塚の何を?

 ゆっくりと歩いていく瑠樺に怜羅が声をかける。

「大変なことになったようですね」

「怜羅さん……それじゃ雅緋さんがここに来たのは?」

「私が起こしました。何か大変なことが起きたことは、瑠樺さんの様子でわかりましたから。まさか、音無さんには内緒にしておこうなんて思っていたわけではないのでしょう? そんなことしたら、後々あなたが苦しむことになりますよ」

「そんなことは……思いませんでした。ふみのさんは、美月ふみのさんは雅緋さんにとって大切な存在でしたから」

 怜羅の言うことはもっともだ。大切な人の死に立ち会えないことの悔しさは瑠樺もよくわかっている。

「私もわかるような気がいたします」

「やっぱり私たちは普通ではないんでしょうね」

「もちろんです。我々のような存在は、普通に生きて普通に死ぬなんて出来ないことが多いですから」

「ハッキリ言うんですね」

「誤魔化してみても仕方ありませんわ。現実というものは常に辛いことの繰り返し。だからこそ、大切に生きる価値があるんです」

「そう……ですね」

 きっと怜羅は慰めてくれているのだろう。

「ところで瑠樺さん。お忙しいところ申し訳ありませんが、これからお時間いただけませんか?」

「これから?」

「前に言ったはずです。『詩季の一族』はあなたに戦いに挑むと」

「どうしてもやらなければいけませんか?」

「それが『詩季の一族』の望みです」

「私にどんなメリットが?」

「メリット? おや、そんなことを聞かれるとは思いませんでした。では、こういうのはいかがでしょうか? あなたが勝てば『詩季の一族』は、あなたの指示に従いましょう」

「結局、そうなるのですね」

 瑠樺は小さくため息をついた。

「こんな時に申し訳ありませんが、私としてもわざわざ出向いてきている手前、いつまでも手をこまねいているわけにもいきません」

「今……ですか?」

「本当は今である必要はありません。ですが、明日まで伸ばしたところで何が変わるわけでもないでしょう」

「そうですね」

「今はショックで戦えないというようなことがあれば別ですが」

「いいえ、大丈夫です」

 ショックであることは間違いない。だが、それで戦えないようでは話にならない。自分は『妖かしの一族』なのだ。『和彩』の血を継ぐ者なのだ。

「良かった。では、あちらに行きましょう。『詩季の一族』の方をご紹介します」

 そう言って怜羅は背を向けて歩きだす。瑠樺はその背に向けてーー

「あなたが詩季の一族なのでしょう」

 その言葉に怜羅は振り返った。


*   *   *


 その怜羅の表情は穏やかなものだった。

「私が?」

 瑠樺の言葉にも決して驚いてはいない。いや、そもそも彼女は自分がいかなるものかを最初から隠す気などなかったのだろう。

「『詩季の一族』は、かつて蝦夷に渡ったと聞いています。そして、アイヌの民と共に生きる道を選んだと。あなたはそのアイヌの民なのではありませんか? 怜羅、それは『レラ』、風を表すアイヌの名前なのでしょう?」

「よくご存知ですね。しかし、私はあくまでも詩季の使いです」

「『詩季の使い』ではなく『詩季を使う者』なのでは?」

「どうしてそう思うのですか?」

「『詩季の一族』は『戦神』。戦うことに生命を燃やす人たちです。かつて同じように肉体を捨て霊体となった呉明沙羅の存在を目の前に見た『詩季の一族』は同じように霊体となる道を選んだのではないですか? そして、あなたは亡くなられた人の魂をその身に宿す力を持っています。それと同じように『戦う霊体』となった詩季を宿すことも出来るのではありませんか?」

「六花の婆さまの言う通り。賢いお方ですね」

 怜羅は嬉しそうに目を細めた。

「六花の婆さま? それじゃ、あなたは『六花の一族』を知っているんですか?」

「はい、私に瑠樺さんのことを話してくれたのは六花の婆さまですから」

「教えてください。私は『六花の一族』に会わなければいけないんです」

「では丁度いいではありませんか。私に勝ったらご紹介しましょう」

「今、『私』と言いましたね」

「あら、私としたことが」と、そっと口を抑える。

「では、やはり『詩季の一族』はあなたの中に?」

「そういう言い方も出来るのでしょうね」

「あなたは七尾と同じような力を?」

 瑠樺は『七尾の一族』のことを思い出していた。『七尾の一族』はその身に『妖かし』を宿す力を持っている。

 しかし、怜羅は首を振った。

「それは違います。私は『詩季の一族』の血を引いています。けれど、『詩季』を名乗りはしませんでした。ある意味、純粋なる『詩季の一族』は滅びたのです」

「滅びた?」

「あなたの言うように、『詩季の一族』は究極の強さを求めました。そして、呉明沙羅を真似て自らの身体を捨てようとしました。そして、それは成功した。だが、それは継ぐものを捨てたことにもなりました。霊体としての存在では子孫を残すことは出来ませんからね。しかし、私の祖先だけは唯一『詩季の一族』でありながら肉体を捨てなかった。そして、アイヌと結ばれ名を捨てたのです。その子孫である私もその名は継がなかったのです」

「だから滅びた」

「それでも『詩季の一族』は満足せずに、さらなる強さを求めました。霊体であることをさらに進化させ、魂すら捨てて強靭さだけを追求したのです。『詩季の一族』は一人ひとりが術となり、力となり、技となり、隼音家の者の中に残ることを選んだのです。私が使う術は、『詩季の一族』の術ではなく、『詩季の一族』そのものなのです」

「あなたの使う術、それが『詩季の一族』」

 つまり、怜羅のなかには『詩季の一族』の全てが存在しているということか。

「さあ、やりましょうか?」

 当たり前のように怜羅は言ったが、瑠樺にはまだ躊躇いがあった。

「どうしてもですか?」

「それが『詩季の一族』の役割です」

「あなたは『詩季の一族』ではありませんよね」

「けれど、『詩季の一族』と共に歩むと決めた者です」

 言葉はいつものように柔らかい。殺気も感じない。それでも、彼女の本気、強さがしっかりと伝わってくる。

 誤魔化せるものならと思っていたが、これ以上は無理だろう。

 頬に風が当たる。

(風……か)

 穏やかな表情で怜羅が見つめている。

 その瞳が何かを語りかけている。

 心が落ち着く。

 どちらが先に動いたかは瑠樺にもわからない。瑠樺自身、その自らの動きを認識してはいなかった。手の中の羽が鋭い刃となって怜羅の喉に向かっていく。そして、同時に怜羅の傘が大きく弧を描いた。

(これはーー)

 次の瞬間、お互いの動きがピタリと止まった。

 瑠樺の羽、怜羅の和傘がお互いの首元で動きを止めている。

「お見事」

 ニッコリと怜羅は微笑んだ。「『詩季の一族』は喜んであなたに従いましょう」

「詩季の術は使わないのですか?」

「あなたを相手にその必要はありませんよ。私だって殺し合いをしたいわけじゃありません。同じ一族なのですから」

 怜羅はゆっくりと傘を下ろす。

「でも、今のはーー」

「『詩季の一族』は『戦神』、私たち以上の強さなどはじめから求めていません。私たちの目に適うかどうか、それを見極めたかったのです。ただ、一つだけ謝らなければいけないことがあります。私、さきほど嘘をつきました。実は六花の婆さまがどこにいるのか存じません」

「知らない?」

「はい、あの方はいつもふいに私の前に現れるのです。だから、今はどこにいるのかわからないのです」


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