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 そこにいたのは紫の着物姿の隼音怜羅だった。

手にはやはり真っ赤な和傘を持っている。ベランダにいた怜羅は窓を開けてそっと中へと入ってきた。

「あ、あなたはーー」

「はい、隼音怜羅です。私のこと、お捜しのようでしたね」

「どっから入ってくるのよ」

 雅緋が眉をひそめて怜羅を睨む。

「あら失礼」

 怜羅は草履を脱いで、ベランダへと並べた。

「あなたというより、私たちが捜しているのは『詩季の一族』です」

「そうでしたか。先日もそちらの方が私を追いかけて来られたみたいですね。そういうことでしたか」

 そう言って雅緋のほうへ視線を向ける。あの夜、雅緋が早めに帰っていったのはどうやら怜羅の後を追いかけたためらしい。

「逃げ足は早いみたいね」悔しそうに雅緋が言う。

「だって、あなた怖いですもの。あ、これ、差し入れですわ。どうぞ」

 そう言ってコンビニの袋を差し出すと、それに目掛けて沙羅が目を輝かせて飛びつく。

「おぉ、なんじゃなんじゃ? 何を持ってきたのじゃ?」

 そのまま袋の中からポテトチップスやチキンナゲットを勝手に取り出し、睨んでいる雅緋のことなど気にも止めずに沙羅は嬉しそうに目を輝かせてぱくつき始めた。こうして見ていると本物の子供が甘えているようで可愛らしく思えてくる。霊体になった『最強の妖かしの一族』ということを忘れてしまう。

「怜羅さん、今夜はどうして?」

「楽しそうな宴、つい私も混ぜていただきたくなりまして」

 怜羅はそっと瑠樺の隣に座った。そして、レジ袋の中からコップ酒を取り出しておもむろに口をつける。一気に部屋の中に酒の匂いが充満する。

「あなた、自分がどういう立場かわかっているの?」と、雅緋が前のめりに言った。

「はい、私はただの使いですから」

「ただの使いでも、『詩季の一族』がどこにいるのかは知っているのじゃないの?」

「なぜ『詩季の一族』を捜すのです? 戦う気はないのでは?」

「それは瑠樺さんのことでしょ? 私は別よ」

「あら、やっぱり怖い人ですわね」

 そう言いながらもフフフと小さく笑う。言葉とは裏腹に、雅緋のことなどまるで怖がってなどいないようだ。どちらかというと言葉ほどは暴力的ではない雅緋の性格を見抜いているかのようだ。

「なんかムカつくわね。あなたの身に何かあれば駆けつけてくるんじゃない?」

「さて、どうでしょう?」

 怜羅は明らかにこの状況を楽しんでいる。

「試してみましょうか」

「ダメですよ」

 すぐに瑠樺は雅緋を止めた。「雅緋さんだって本当は戦いたいわけじゃないでしょう。私のためを思って言ってくれるなら止めてください」

 雅緋は何も答えずそっぽを向く。

「面白い方ですねえ」

「怜羅さん、あなたは『詩季の一族』に仕えていると言われましたね」

「はい、そのとおりです」

「あなたも『妖かしの一族』なのですか?」

「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません」

「曖昧ですね」

「曖昧なのです」

「どうして?」

「確かに私の身体には妖かしの血が流れております。けれど、もう一方で私には人間の血が、アイヌの血が流れております。どちらも私にとっては大切なものなのです」

「アイヌ……ですか」

 少し意外な気がした。きっと彼女の和装のせいだろう。アイヌというともっと違う民族衣装を思い出す。

「ああ、これですか? さすがにアイヌの服は目立ちますから。それに私はこういう和装も好きなんですよ。アイヌの民が和装をしてもよろしいでしょう?」

「もちろんです。そういえばアイヌの方って入れ墨をーー」

「あれは嫌ですわ」

 怜羅はサラリと言った。「さすがに今の若い女性で顔に入れ墨をいれる子はいませんよ」

「そうなんですか。ところで、あなたのあの術は? 不思議な術ですね」

「我が家に伝えられているものです」

「武士の魂と言われましたが」

「本当に魂を取り込んだわけではありません。彼らの魂を私たちの心に記憶してあるのです。記憶してある魂は、私にとって一つの術となります」

「魂が術に……では、『詩季の一族』の方々はどのような術を使うのですか?」

「あら、そんなことを私に訊くのですか? 私は『詩季の一族』の使いだというのに」

 そう言いながらも、怜羅はにこやかに微笑んでいる。怜羅と話していると、ついついそのペースにのせられてしまう。

「やっぱりダメですか?」

「いえいえ、せっかくお知り合いになれたのです。ご遠慮はなされずに。ご存知かと思いますが、『詩季の一族』は『戦神』です。戦うことに生命をかける者たちです。強くなるためならば、どのような術も使いこなします」

「どんな術でも?」

「瑠樺さんからそんなことを訊かれるなんて不思議ですね」

「それってどうして?」

「ご存知ないのですか? 妖かしの一族はもともと一つの祖であったという話を」

「一つ?」

「妖かしの一族は、それぞれ別の生き物ではないのです。皆、同じ生き物なのですよ。だから、術だってさまざまなものを使えるのです。ただ、どれを得意とするか、それだけなのです。ましてや和彩の一族ならば、どの一族の術でも一応は使いこなせるはずですよ」

 つまりは『妖かしの一族』ならば、誰でもが沙羅のように霊体として肉体を捨てて生きられるということだろうか。

「ただの使いのくせにずいぶん詳しいのね」

 雅緋が皮肉をこめて言った。それでも怜羅は気にもとめないようでニッコリと微笑む。

「使いだからこそですわ。主人のことは誰よりも、本人よりも理解しておかなければなりませんもの」

「ああ言えばこう言う。ホント、口がうまいわね」

「あなたも沙羅さんのこと、ちゃんと理解しないといけませんわ」

「は? 私は沙羅の使いじゃないわ」

 雅緋の目がつり上がる。

「おや、音無さま、少し顔が赤くありませんか?」

 怜羅に指摘され、雅緋は何かに気づいたようにクルリと沙羅のほうへと視線を向けた。沙羅は瑠樺たちに背を向けたまま何かを飲んでいる。

「沙羅、あなた、さっきから何を飲んでいるの?」

「ああん? なんじゃあ?」

 少しろれつの回らない口調で沙羅が振り返った。その顔は真っ赤に染まり、手にはしっかりと缶ビールが握られている。

「あなた、お酒を飲んでいるのね」

 さっき怜羅から渡された袋のなかに入っていたのだろう。

「なんじゃよ。いいじゃろ、このくらい。これもプハーッとなって美味いぞ。ちょっと苦いけどな」

「まったく、子供のくせに何を言っているのよ」

 呆れたように雅緋は沙羅から缶ビールを取り上げようとして手を伸ばした。その頬がほんのりと赤い。

「ひょっとして沙羅ちゃんが飲んだり食べたりするものって雅緋さんに影響が?」

「そんなわけないじゃないの」

 そう言った雅緋の頬がみるみるうちに赤くなっていく。

「雅緋さん、顔が真っ赤よ」

「え?」

 雅緋は自分の頬に手を当てた。「どうして? 沙羅が飲んだから?」

「知らなかったんですね」

「え? え? じゃあ、今まで沙羅が食べたり飲んだりしたものって、全部、私が食べたり飲んだりするのと同じになっていたの? 前はこんなこと無かったのに。どうりで最近、全然体重が減らないと……」

「み、雅緋さん?」

「沙羅……あんたね……」

 沙羅に向かって雅緋が立ち上がる……いや、立ち上がろうとして、フラリと身体が揺れた。そして、そのままひっくり返ってしまった。

「雅緋さん!」

「あらぁ、寝てしまわれましたね。お酒、弱かったのですね」

 怜羅が微笑んで雅緋の顔を覗き込む。いつの間にか沙羅は姿を消している。いや、雅緋が眠り込んだために術が解けたということなのだろう。

「雅緋さん、大丈夫?」

 声をかけても、雅緋は反応しない。

 仕方なく、瑠樺は押入れから毛布を出して、雅緋の身体にかけてあげた。雅緋は顔を赤くして静かに寝息をたてている。

「前はこんなこと無かったって仰っていましたね」

 ポツリと雅緋を眺めながら怜羅が呟くように言った。

「え? 何のことです?」

「沙羅さんと馴染んできたのかもしれませんね。沙羅さんが眠ることが増えたのもそれが原因かもしれません」

「怜羅さんは雅緋さんのことをご存知なんですか?」

「雅緋さんのこと? ああ、沙羅さんとの関係ですか? それならもちろん存じておりますわ。音無様は有名ですからね」

「有名? 誰から聞いたんですか?」

 その時、ドアがノックされた。

 思わず壁にかけられた時計に目を向ける。

 既に10時を回っている。

 こんな時間に誰だろう?

 嫌な予感がした。

 すぐに立ち上がって玄関に向かい、ドアを開ける。

 そこに立っていたのは乃上野愛だった。

 肩が大きく上下し、息を切らして走ってきたことがよくわかる。その顔はわずかに青ざめて見える。そのただならぬ様子に瑠樺は何かが起きたのだということを感じ取った。

「何かあったんですか?」

 瑠樺の問いかけに野愛はすぐには答えなかった。そして、自分を落ち着けようとするように息を整えてから口を開いた。

「矢塚さんが行方を消しました」


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