13
アパートの裏にはいつもよりも遅く咲き出した八重桜がやっと散り始めている。
その桜を窓から眺めながら、雅緋は小さくため息をついた。細く開けた窓からは少し冷たい夜風が吹き込んでくる。
瑠樺は雅緋に草薙響の件を相談するために部屋に招いていた。
そして、もう一人。
「なあなあ、これ、食べて良いんじゃろ?」
巫女の着物姿でおかっぱ頭の小柄な少女、木偶人形に入り込んだ呉明沙羅はそう言って、答えを待たずに箱を開けると美味しそうにフライドチキンにかぶりつく。もともと霊体として雅緋の身体に宿る沙羅だが、最近では木偶人形を使って実体化することが多くなっている。
瑠樺の話を一通り聞いた後――
「あの男が矢塚さんのところにね」雅緋は静かに言った。
「まさか、それで学校を休んでいたとは思いませんでした」
「休んでたっけ?」
相変わらずクラスメイトにはほとんど興味を示さない雅緋らしい反応だ。
「休んでました。草薙君がいなかったことも気づかなかったんですか」
「なんか……警戒するほどの存在じゃないかと思って」
「だとしてもクラスメイトなんですから。彼は矢塚さんと何か関係があったんでしょうか?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれないわよ。矢塚さんが彼に連絡を取ったってこともあるんじゃないの?」
「矢塚さんのほうから彼に? じゃあ、矢塚さんは草薙君のことを知っていたんでしょうか? それとも彼の力に気づいた?」
「それはわからないわ。でも、矢塚さんと彼と、どっちが癖者かっていうと、矢塚のほうだと思うだけよ」
「草薙君を信じるってことですね?」
「違うわよ」
雅緋は慌てたようにすぐに否定した。「私は瑠樺さんと違って、そんなに人を簡単に信じない。でも、去年に会った彼と、今年になって会った彼とは同一人物とは思えない」
それは瑠樺も同じ気持ちだ。
「……中身が違う……なんてことあるんでしょうか」
「人形ならね」
「人形?」
雅緋の言った意味がわからず、瑠樺は聞き返した。
「いえ、ちょっと思っただけよ。矢塚の屋敷に行ってみるのが手っ取り早いんじゃないの?」
「それは無理です。今は結界がはられていますから」
「結界なんて破ればいいじゃないの」
雅緋は簡単に言った。それが本当に出来るものかどうかはわからないが、雅緋が言うと不可能ではないように思えてくる。
「矢塚さんの土地にはられた結界ですよ。雅緋さんでも難しいんじゃありませんか?」
「どうかしらね。やってみればわかるわ」
そう言って、指をポキリと鳴らす。
「そんな乱暴なこと言わないでください」
「瑠樺さんはいつもそうなんだから。一条春影は何て言ってるの?」
「春影さま?」
「相談したんじゃないの?」
「もともと矢塚さんが結界をはることは事前に話してありました。それに草薙君のことを知っているのは私たちと蓮華さん姉妹だけです」
「ふぅん、それじゃ彼については、まだ一条家には黙っているのね」
少し満足そうに雅緋は言った。
「彼のことはハッキリするまで伏せておいたほうがいいかと思って。それに一条家でも今は忙しいですし」
「忙しい? そういえばあなたも忙しいみたいね」
ジロリと瑠樺の顔を見る。
「いや……私は……」
「留学、どうするか決めたの?」
瑠樺はそれを聞いて表情を強張らせた。
「な……なぜ、雅緋さんがその話を?」
「あなたがいつまでも話を保留してるって、先生が悩んでいたわよ」
そう言って、少し意地の悪い視線を瑠樺に投げかける。
「それは……」
「ずいぶん良い条件らしいじゃないの。瑠樺さんは興味ないの?」
学校でほとんど誰かと会話をしているのを見たことがないのに、わざわざ担任に話を聞いてきたのだろうか。
「そんなことはないですけど、あれは春影さまが勝手にーー」
「一条春影ね。まあ、そんなことだろうと思ったわ。でも、そんなこと気にする必要なんてないわよ。大事なのは瑠樺さんの気持ちなんだから」
「え?……もしかして、雅緋さんは私が行ったほうがいいと思ってるんですか?」
少し意外だった。どこか、自分が留学などしようものなら、雅緋が怒って反対するような気がしていたからだ。
「私がどう思うかどうかなんて関係ないでしょ。大切なのは、あなたにとってプラスになるかどうかってことよ。あなたにとって良いことなら、私が反対するほうがおかしいじゃないの。違う?」
「そう……ですね」
当たり前の意見だが、それを雅緋に言われると意外な気がする。
「で? どうするの?」
「どうって言われても、今はそれどころじゃ……」
その言葉に、雅緋はすぐに反応した。
「今は? それって蓮華さんのケガのこともそれに関係あるのかしら? あの人が何日も休むようなケガをするって普通のことじゃないわよね。腕の一本、二本切り落とされたって、すぐに治るような人なんだから」
「怖いこと言わないでください」
「何が? 私は事実を言ってるだけよ。ああ、そういえば瑠樺さんは七尾流との戦いを実際に見てはいなかったわね」
それは昨年の秋、『七尾の一族』の力を借りるため、青森に出向いた時のことだ。あの時は雅緋と蓮華の二人で七尾流の対処に当たってもらったのだが、そこまでの状況になっていたことは知らなかった。
「あ、いや……そういえばこの前、雅緋さんも何か相談があるって言ってませんでしたか?」
瑠樺は慌てて話題を変えようとした。
「何よ、それ。まだ内緒にする気なの?」
「いえ、そういうことじゃありませんよ。この前、雅緋さんの話を聞けなかったから、先にその話をしようかと」
「私の相談なんて大したことじゃないわ。ただ、最近、沙羅がよく眠るようになったってだけのことよ」
少し声を潜めて雅緋は言った。沙羅はこちらの話など聞こえていないかのように、夢中になってフライドチキンにかぶりついている。
「眠る?」
「そう。でも、寝ていてくれたほうが私は楽だから、それほど気になることでもないわ。それよりも今、何が起きてるの? 少しくらい話してくれてもいいんじゃないかしら。私ってそんなに信用されていないのかしら?」
雅緋はそう言って瑠樺に詰め寄った。
(あぁ、ダメだ……)
草薙のことを相談した手前、これ以上黙っているわけにもいかないだろう。瑠樺は仕方なく、ここ最近の妖かしについての異変、そして、『詩季の一族』について雅緋に話して聞かせた。もちろん、『詩季の一族』が瑠樺に戦いを挑むと言っている話はまだ黙っていることにした。
話が終わるとーー
「ずいぶん厄介なことになってるみたいね。もっと早く話してくれればいいのに」
ムッとしたように雅緋は言った。
「ごめんなさい」と瑠樺が謝ると、
「べ……別にあなたが謝る必要はないわ。あなたにも立場ってものがあるんでしょうから」
怒ってみせながら、すぐにフォローを入れる。こういうところが雅緋の根が優しいところだ。
「何か気づいたことはありますか?」
雅緋は沙羅を宿しているため、その記憶も連動している。
「詩季の一族……ね」
「詩季の一族は『戦神』じゃ」
いつから話を聞いていたのか、沙羅が突然口を挟む。「あやつらは戦うことだけしか頭にない一族じゃ。イマドキの言葉で言えば『戦バカ』といったところじゃな。しかし、この飲み物はやっぱ美味いもんじゃのぉ」
そう言うと、美味しそうにゴクゴクとサイダーを飲みほした。もともと平安時代に生きていた沙羅にとって、今の時代の食べ物はどれもこれも珍しく感じるのだろう。
そんな沙羅に向かって雅緋はーー
「何が言いたいの? 沙羅、ちゃんと最後まで言いなさい」
まるで母親が子供に諭すように言う。そして、窓から離れてテーブルの前に腰をおろした。
「ん? そんなたいそうな話ではないわ。ただ、あの一族は我を見習うのではないかと思うておったのじゃ」
「見習う?」
「身体を捨て、霊体として生きる。それが我ら一族にとって最も強くなる方法じゃ。それを我が一族の皆に示した」
「そんなことあなた以外にも出来るの?」
「わからん。じゃが、それがもっとも強くなる方法と考えれば、迷わずアヤツらはそれを選ぶ。『詩季の一族』はそういう者たちじゃ。そういうバカじゃ」
沙羅はヒッヒッヒと笑った。あまり仲が良くなかったのか、沙羅は生きていた頃の話をする時、『妖かしの一族』に対して好意的な言い方をすることは少なかった。
「なら、『詩季の一族』は肉体を捨て、霊体となって帰ってきてるというの? それじゃ、捜しても見つからないわね」
雅緋は口惜しそうに言った。
「ねえ沙羅さんーー」
と、瑠樺はさらに問いかけた。「1400年前、どうしてあなたが『魔化』と戦うことになったのか教えてくれる?」
「何を今さら」
「だって『詩季の一族』は『戦神』と呼ばれるほど強かったのでしょう? それならなぜ『詩季の一族』ではなく、沙羅さんが霊体になって戦わなければいけなかったの?」
それは以前、矢塚から言われた言葉を思い出したからだ。なぜ、『魔化』との戦いに沙羅が霊体にならなければいけなかったのか、考えれば考えるほど疑問に思えてくる。
沙羅は少し驚いたように瑠樺を見つめ、そしてーー
「それは……よく知らん」
「知らない?」
「あれは大人たちが決めたことじゃからな。我はただ父の言葉に従ったまでじゃ。もともと霊体化というのは『呉明の一族』が使う傀儡の術を基本にしておるからじゃとも思うが」
「でも、『詩季の一族』でも霊体として生きることは出来るのでしょう?」
「じゃから、我はよくわからん。そんなもん、矢塚にでも聞いとれよ」
沙羅は面倒くさそうにそっぽを向いた。
その記憶を受け継いでいる雅緋も何も補足しようとはしなかった。きっと本当に沙羅はそれ以上のことを知らないのだろう。
明確な答えは一切出てはいないが、これ以上聞いたところで真実は見えてこない気がする。そもそも、なぜ矢塚はあんなことを言い出したのだろう。今更、沙羅が『摩化』と戦うことになった理由など、瑠樺が知る理由などあるのだろうか。だが、あの矢塚がまるで意味のないことなど言わないようにも思える。
「なかなか面白いお話ですね」
その声に瑠樺たちはハッとして窓のほうへと視線を向けた。




