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6-15

 健はあまり夢をみたことがない。忘れているわけではないと健は確信を持って言える。


 眠りについたとき、健が訪れるのは闇の世界だ。健の心の中であり、界の狭間でもあるそこはある意味で夢と言えるだろう。

 しかし、そこで起きる事柄はどちらかと言えば現実をよりだ。夢と断ずるには鮮明でリアリティのある空間なのである。


 結果、健はあまり夢を見たことがない、に繋がるのだ。


 その健が今、いつぶりか分からない夢を見ている。これも夢と言っていいか分からないが、いつもの場所と違うという意味では夢と言ってもいいだろう。

 無機質と称されることの多いその目はとある親子を映し出していた。


「おと、さん」

「何だ、■。怖い夢でも見たのか?」


 帰ってきたばかり父親に泣きつく幼い少年。この時は確か、三歳だったはずだ。

 大粒の涙をその目から零しながら少年は父親に縋りつく。


「ま、っくらで……あかいめがおれをみてるの」


 “あかいめ”。幼い声で彩られた単語に父親である男性は何かに気付いたように息を呑んだ。

 春野家に連なる家系であれば、“あかいめ”が意味するものに心当たりがあるだろう。


 可能性に不安を膨らませ、考えすぎたと呑み込む父の姿に少年は気付かない。

 ただか弱い幼子として震える姿を健は冷たく見下ろしていた。


「大丈夫だ。何があってもお父さんが■を守ってやるから」


 内に揺らぐ感情はおくびも出さず、少年を安心させるために笑う父。


 紡がれた言葉を万能の言葉として受ける少年。涙痕が残る顔に安堵を灯すその姿を健はただ睨みつける。

 己の立場から目を逸らし、愚かしくも無垢をまとった少年。向ける視線に嫌悪だけが滲んでいる。


 その言葉が、その行いが何をもたらすのが知っているくせに。

 憎しみにも近い視線を向けながらも健は行動には移さない。


 これは過去の上映だ。もうすでにあった出来事なのだ。

 言葉で、行動で止めたところで今ある現実は変わらない。そんなのはただの自慰行為だ。

 感情のために動くなんて愚かな真似はもうしないと決めている。目的を果たすために。


 その目的を忘れて、感情に委ねるかつての自分のような過ちは犯さない。

 目の前の光景を睥睨していれば、ノイズが走り、視界が歪む。瞬きの間に景色は塗り替わり、また次の過去が上映される。


「なんなんだ、お前らは……!?」


 切迫した父の声が耳朶を打った。

 父と相対しているのは黒服の男たちだ。全部で三人、真っ黒なスーツにサングラス、見るからに怪しい姿をしている。


 突然の来訪者は無遠慮に家の中へ押し入り、目的のものを見つけ出す。

 父の静止の声も意味もなく、男たちは手分けして家の中を探し歩き、そして見つけたのだ。


 実ところ、ここまでの流れは健の記憶にはない。優れた聴覚が微かに捉えた音の記憶を頼りにそれらしい状況を作り出しているのだ。


 二階へ行った男の一人が、目的のものを見つけたと声を上げる。ここからが健の中に残る記憶の上映だ。

 仲間の声を聞いて二階へと上がる男二人と父に続くようにして健もまた階段を登る。


「おじさんたち、だれ?」


 幼い声が怯えを宿して問いかけた。その答えを得られないまま、問いの主は男に抱えあげられる。


「やっ、やだっ。はなして!? にいさん、たすけて……」


 二階で一緒に遊んでいた一つ上の兄へ、助けを求める少年。


 その悲痛な叫びに兄は肩を震わせ、一度は伸ばしかけた手を引っ込める。

 弟を助けたい。けれども、恐怖が胸を占めて竦んだ足が動かない。

 相反する感情を抱えて葛藤する幼い兄の姿を健は静かに見つめている。


 この日、この時、兄――星司は拭いきれない後悔を植え付けられた。

 無垢に助けを求めた弟の手を取れなかった後悔は今も星司を蝕んでいる。これが健の罪の一つ。


「たす、けて、たすけて、とうさん!? たすけてっ」

「健! お前たち、健をどこへ連れていく気だ!?」


 父の姿を見つけて、涙で濡れる顔で必死に助けを求める。


 約束がある。どんなことがあっても必ず自分を守ってくれるという約束だ。

 見るべきものから目を逸らし、交わした約束を盲目的に信じる姿はなんと愚かしいことか。


「我々は貴族街の者です。貴方ならこの意味が分かりますね?」

「――っ」


 貴族街の人間が彼を迎えに来た理由。


 父の脳裏に過ったのは夢を見たと泣きつく彼の姿だろう。 

 暗闇の中で紅い目が覗いている夢を見た、と言っていた姿を。


 紅は貴族街の守り神を象徴する色だ。現代社会で信じる者の少ない神の存在ではあるが、父は春野家に連なる家系として知り得ているのだ。

 先代の鬼神の宿主である和幸と知己の間柄であることもその知識を支えている。


 ともかく、鬼神の存在を知る父には、かつて語った夢と貴族街からの使者が上手く符号したことだろう。


「とうさん……」


 未だ父へ助けを求める少年から父は目を逸らす。

 外の人間とはいえ、岡山家は春野家の分家。貴族街を治める家の分家である以上貴族街の決定には逆らえない。


「すまない」


 消え入りそうな謝罪の言葉を裏切りだとは思わなかった。

 葛藤を痛苦として映し出した父の表情を見て、幼い少年の中には理解が広がった。


 約束に縋るのは父や兄、大切な人を傷付けるのだと理解して少年、健は抱き締めていた約束を手放す。

 もう守られる必要はない、と浮かべていた表情を消した。


 感情がすべて欠如した、人形めいた表情だけを幼い顔に宿した健はゆるりと口元を緩めた。


 涙痕が残る目元を静かに和らげ、慈愛に満ちた笑みを浮かべて父を、兄を見つめている。

 助けを求めるために伸ばしていた手を握り、引っ込める。


「ごめん」


 小さな呟きが届いたかは分からない。それを確認する間もなく、健は黒づくめの男たちに連れ去られた。

 その後、紆余曲折を経て、健は春野家へ滞在することとなる。


 自分の存在が重荷になると知って、健は愛される存在であることをやめた。


 健は罪を犯した。小さな謝罪では到底拭いきれない大きな罪。

 この日から健は形ばかりの贖罪の道を歩き出した。


 独り善がりの贖罪だ。ただの自己満足のために健は今を生きている。

 始まりもまた罪ならば、気付かせてくれたのもまた罪だった。だからもう健は間違わない。


「くだらないな」


 かつての自分の愚かさも、胸に秘めた決意すらもまとめてそう称した。


 それ以上の感情なんて健の中にありはしない。

 波打つ記憶の欠片が崩れていくのを静かに見つめ、現れた暗闇に小首を傾げた。


 馴染みの空間の奥に潜む紅い目に気付いたのが理由だ。

 かつての恐怖の対象であったそれは今では一番の協力者である。


「おはよう、でいーのかな。久しぶりだね」


 多くが恐れるその存在へ気安い口調で話しかける。

 血に濡れた紅い目が健を認め、ふっと和らぐ。笑うと抱いた印象が変わることをどれだけの人が知っているのだろうか、と場違いに考える。


「眠りから目覚めたという意味ではそれで間違いはないだろう」


 低い声は健の戯言に真面目な口調で答える。

 目覚めた、という言葉に小さく頷き、笑みを口元に宿した。


「思ってたよりも時間がかかったね。息子の悪戯だからって手心を加えたわけじゃないよね?」

「否。今の我はお主の協力者だ。愛息とて手心を与えはせぬ。そんな余裕もなかった」


 紅目がまた違った感情を宿す。


 愛だ。その目には愛を宿っていた。

 健にとっては好ましくない相手だとしても、やはり自分の子供は愛しいものらしい。


 最愛の忘れ形見ともなれば余計、その思いも強くなるものかもしれない。

 恐ろしい存在として伝えられている鬼神はこう見えて情に厚い男だから。


「あれも強くなったな。別れたのはまだ赤子の時分だったか」

「鬼神と春の宮の子供なら強くなるでしょーよ。面倒なくらいにね」


 鬼神の力は身近なものとして、春の宮――春華の力は知識として知っている。

 二人の血を受け継いでいる彼の力が弱いわけがない。藍の子と妖界の王の子供である彼らがそうであるように、力ある者の子は力ある者なのだ。


「それで? 目覚めてくれたのはありがたいけど、術の方はどーにかできそう?」

「難しいな……。元より我は術には疎いのだ。この手のことに詳しい者が周りに多かったからな」

「んー、その辺りも織り込み済みってことか。本っ当に性格が悪い」


 父親の苦手を突いてまで健を封じ込めている。

 手に入れるために妥協はせず、慈悲も与えないのがあの男の性質だ。徹底的に逃げる隙を潰すその手腕は、不本意ながら認めざる得ない。


「お主の方では解けぬのか。我よりも得意であろう?」

「外側から解くには術が複雑すぎてね。ゆっくり解読する時間が今の俺にはないからね」


 今の健は長時間起きていられない。起きていられる間に解読するにしても時間がかかりすぎる。


「だからせめて鬼神にかけられている分だけでも内側から解けたらよかったんだけど」


 無理ならば仕方がない。外側から地道に解いていくしかなさそうだ。

 健が内側から解ければよかったが、一番解きたいのは鬼神にかけられているものなのでどうしようもない。


 溜め息に近い息を吐き出す健は身体に疼きを感じた。頭が揺れ、立ち眩みを覚えたように足元がふらつく。


 身体が覚醒しようとしているのだ。あの結界は眠るタイミングと同様に起きるタイミングも健の自由にさせてくれない。

 抜け道を見つける隙すら与えてくれない結界に苛立ちつつ、目覚めの予兆に身を委ねる。


「じゃ……また」


 うつらうつらと頭を揺らしながら、鬼神へ別れを告げる。そのまま健は――目を開けた。


 ベッドの天井を目に映し出した健はその身体を起こした。

 身体は軽い。この結界にいる間、健の身体はすべての負荷から解放される。


 むしろ落ち着かない軽さを味わいつつ、健はベッドの端に寄って覆う膜に触れる。

 指先を通じて結界に組み込まれた術式が頭の中に流れ込んでくる。複雑に絡み合った術式を脳内で少しずつ読み解いていく。


 術式の中にはスカ、意味のない式が組み込まれているので解読は慎重を期し、時間がかかる。

 これが起きている時間のほとんどを費やしても解読できていない理由だ。


「ぐっ」


 脳内を流れる術式の一つに触れた瞬間、鋭い重みが頭を貫いた。


 傾く身体を支えるために伸ばした手が空を切る。

 常の不調から解放された身体は軽く、それ故の違いが咄嗟に現れてしまった。


 ベッドに触れるはずの手が目算を誤り、バランスを崩した健は床に転がり落ちる。

 結界を抜けた瞬間、紅い存在との繫がりが絶たれた感覚がして、


「っく、ぁ……」


 感じなかった重みが突如として健を襲い、苦しみに喘ぐ。

 数週間療養していたというのに、この身体はまだ万全には程遠い。それくらい壊れているのだ。


 落ちた状態のまま、健は胸を押さえて痛苦の波の中で呼吸を繰り返す。

 ベッドに戻ることもままならない。意識を手放さないことだけに全霊を注ぐ健へ近付く影があった。


「大丈夫か、健」

「お……さ、ま」


 現れた人物に抱えあげられた健は、その人物の姿を映し出して仄かに笑んだ。

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