6-13
二回戦まで終わって、順調に勝ち進んでいる。残すところは――。
「岡山健様、岡山星司様、前へ」
審判役を務める紅の声に応えて前に出る人物は一人しかいない。
健がいないのだ。今回、桜宮家本家へ訪れて、まだ一度も健は姿を見せていない。
悠は後で来ると言っていた。その言葉に偽りはないだろう、と考える和幸の目が一人の少年を見つけ出す。
「遅くなってすみません。少し準備に手間取ってしまって」
無表情で、無感情に少年は姿を現した。
実年齢を知っていても信じられないと思うほどに小柄な身体。サイズの大きい服をまとっていることがより華奢さを引き立てる。
しかし、見た目のか細さに反してまとう空気は強大――いや、今日は何か違和感がある。
「俺の相手は兄さんか。お手柔らかに頼むよ」
全員の視線を浴びながら健はゆったりとした足取りで舞台に立つ。
地面の感触を確かめるように立ち、先に立っていた星司と向かい合う。
「俺の方こそお手柔らかに頼むぜ、健」
二週間ぶりに顔を合わせる兄弟は、その感慨を表情には映し出さない。
ただこれから始まる戦いへ意識を割いている。
「両者、構えを」
星司の持つおもちゃの剣が霊力をまとい、その刀身を伸ばす。星司が普段使っている竹刀と同じ長さだ。
対する健はただ佇むだけの立ち姿。隙だらけに見えて隙のないその姿は健のデフォルトだ。
そのまとう霊力がいつでも命令を実行できるように渦巻いているのが、和幸の目には微かに視認できる。
「始め!」
一回戦目、二回戦目と違い、始まりを告げる声とともに戦況は動かない。
互いに動きを探るような数秒ののちに星司が仕掛ける。地面を駆け、霊力の刃を剣に向ける。
丸腰のはずの健は静かにそれを待ち受け、そっと手をあげる。
「いい動きをするよーになったね。八潮さんの教えの賜物かな」
渾身の一撃を易々と受け止めた健の言葉。見た目通りの筋力しかない健が受け止められているのは身体強化の術のお陰だ。
ハンデとして健は術の行使を禁じられている。唯一使えるのが身体強化の術だ。
部分的にかけることで身体への負担を最小限に、それでいて効果は最大限。
幼い頃から頭に入れてきた医学の知識が大いに役立っている。
「健……っ⁉」
「何」
二合目、と斬りこむ星司の呼びかけに健は短く答える。
一手、一手を必死に繋ぐ星司とは違い、健には余裕がある。戦闘中に小首を傾ける仕草すら見せているくらいだ。
「なんでお前はこの決闘を仕組んだんだ?」
直接聞けばいい、と言われた通りに星司は健へ問いかける。
逃げ続けてきた自分自身と決別の意志を込めた目で真っ直ぐ射抜く。
射抜かれた健はわずかに目を見開いて気付かれない程度に口元を綻ばせた。
和幸は辛うじて気付けたが、他に何人気付いているかは分からない。星司はきっと気付いていないだろう。
「仕組んだなんて言われると人聞きが悪い気もするけど……そーだね。大した理由はないよ」
本筋からずらすように言葉を重ねる。それは健の癖だと言っていい。
隠し事や触れられたくないことが多いから言葉を重ねて誤魔化してきた。それが日常の中でも現れているのだろう。
「強く、なったでしょ。兄さんも、キングも。強いて言うならそれかな」
おざなりに、投げやりに答える健の言葉の真意は読み取りに行く。
「海里が言ってた通り……なんで、お前は俺らを強くしたいんだ?」
「弱いよりいいでしょ」
それ以上に理由はない、と短い言葉で告げる。
言葉に誤魔化しも嘘もなく、ただ今度は言葉を極限まで削っている。
掴みどころのなさを強調する健は受けるばかりだった剣に力を入れる。
会話のために規則的にぶつかり合っていた金属音が変わる。重い音が響き渡った。
「強くなったけど、俺相手じゃまだまだだね」
動きが速くなったわけではない。一撃が重くなったわけではない。
最適化されただけの動きは今までの打ち合いがお遊びだったと告げている。
身体のスペック。持っている知識。踏みしめる床の感触。肌で撫でる空気の感触。そして星司の動き。
この状況を作り上げるすべてを分析した上で、機械的に最適解を叩き出す。
星司の攻撃が受けるのは変わらず、そこからカウンターとして攻撃を放つ。と、攻撃を放った健の腕を星司が掴んだ。
片手で剣を受け、もう一方の手で健の腕を掴んだのだ。
「っらあ!」
不格好な形ながら星司は片手で健の身体を投げ飛ばした。
華奢な健は見た目以上に軽い。日頃から鍛えている星司なら片手で投げ飛ばすことくらい可能だろう。
宙を一回転する健へ、星司は霊力の剣を構えた。
無機質な目に驚きを宿しながら健は星司の剣を受ける。が、不安定な場所にいるせいで、力の差が如実に表れる。
「っ」
致命的なダメージを受けていないものの、着地に失敗した健が初めて表情を崩した。
狙い目、と体勢を崩した健に刃を向ける星司。健はこれを予想していたように受ける。
「びっくりした」
投げられたことも含めて一言そう称した健。
崩れた体勢のまま、星司の剣を払い、己の剣を首筋に突き立てようと――健の身体が崩れた。
文字通り崩れたのだ。その顔に、身体に皹が入り、バラバラに崩れ去る。健であったものが一瞬にして土塊へと化した。
対戦相手、それも弟が目の前で崩れたのだ。理解の追い付かない星司は混乱から徐々に状況を咀嚼していく。
「もう少し持つかと思っていたけれど、時間切れのようね」
星司が状況を咀嚼している間に舞台へと上がった夜が崩れた健の欠片を拾いあげている。
「時間切れって?」
「見ての通りよ。貴方が戦っていたのは健を模した人形。遠隔で操っていたの。それができなくなったから崩れたのよ」
淡々と事実だけを告げる姿はさらに疑問を増やすものだ。
和幸は以前本家を訪れたときからなんとなく察しているので、端的な説明でも理解できる。
しかし、星司や優雅には困惑を生み出すものでしかないだろう。
同じく事情を知らないであろう星だけは表情を変えない。星の場合、直感的に理解している可能性があるので何とも言えない。
「詳しくは実際目にした方が早いでしょう。僕が案内します。構いませんね?」
「はい。当主様からはお二人の判断に任せるよう仰せつかっていますので」
紅に確認を取った悠は状況を読めていない星司と優雅、そして和幸と星を順繰りに見る。案内役として同行していた沙羅を除いた桜宮家本家来訪メンバーである。
「百聞は一見に如かず、みなさんこちらへ」
質問は受け付けない、と言った様子で悠は先を歩いていく。冷たさをまとう悠の態度に夜は肩を竦めて、混乱する面々へ後に続くように促す。
「桜宮家本家の中枢、貴人の私室がある場所よ。粗相のないようにね」
美声にそう念を押され、一行は悠の背中を追う。観客として集った巫女たちの横を抜けて、和幸も入ったことのない領域へ踏み込んだ。
下っ端の巫女や使用人たちの居住区をさえ抜けてさらに奥へ。
ただえさえ緊張を強いる場所の最奥ともなれば、呼吸すら気を遣う空間だ。
気安さを感じさせる足取りで進む悠の後ろで身を硬くして追う面々。星だけは処刑人の二人と同様に普段通りの歩みで進んでいる。
「ここです」
精巧な意匠が施された扉の前で悠は立ち止まった。ここに健がいる、ということだろうか。
扉には侵入者を拒むための結界が張られているようだ。微かに感じる霊力はこの屋敷全体を覆うものと同じで、おそらく桜宮家当主が張ったものだろう。
それだけで健が中にいる信憑性が格段に上がる。
「なるべくお静かに。大きな音は出さないようにお願いします。まあ、それで起きるとは思いませんが」
最後にそう念を押して、悠は扉を開けた。見た目以上に複雑な結界を抜けたら、いよいよ健とご対面だ。
「健……!?」
驚きをまとった星司の声。ある程度事情を察している和幸ですら驚いたのだから無理もない話だ。
部屋には大きな天蓋付きのベッドが置かれている。そのベッドに健が眠っているわけだが、和幸が驚いたのはベッドを覆う結界だ。
扉にかけられた結界とはレベルが違う。術式が複雑すぎて和幸にはその全容を知ることはできない。薄い膜に刻み込まれた術式が奇怪な紋様のようだ。
「どういう状況なんだ、これは。健は眠っているだけなんだよな」
「そうですよ。死人みたいですが、眠っているだけなのでご心配なく。そして、これが遠隔で人形を操っていた理由になります」
一度言葉を切った悠が指を鳴らすと人数分の椅子が現れる。
背もたれのない丸椅子と、人が眠るベッド。雰囲気だけで見るならお見舞いだ。
「立って話すのもあれなんで座ってください」
促され、腰をかける。夜だけが離れた位置で立っている状態だ。
夜以外の全員が腰を落ち着けたのを確認し、悠は無邪気を消した静かな面持ちで口を開いた。
「今の健兄さんは簡単に言うと療養中ってところですかね。この結果は治癒やら諸々の術がかけてある、らしいです。僕もその辺りはよく分かりませんが」
分からないままで放置しているのは信頼が理由ではない。
仕掛けた相手が相手なだけに悠も下手に動くことができないといったところだろう。機嫌を損ねられても困る。
「療養中ってのは……」
「星司さんはご存知だと思いますが、健兄さんは身体があまり丈夫ではないので。その癖、無理ばっかり重ねるからこんな風にキャパオーバーになるんですよ」
不満げな口調の悠は和幸の考えていたことを肯定する。
ここ最近、健の眠る姿を見ることが多かった。それは身体に限界が近付いていたということで、そこを桜宮家当主に突かれて療養するに至ったのだろう。
「当主様の計らいでこうして療養させてもらっているんです。健兄さんは不本意のようですが……まあ、仲がよろしくないので、お二人は」
苦い顔で告げる悠の横で星司もまた複雑な表情を見せている。八潮辺りにでも話を聞いたのだろうか。
「逃げられたら困る、というか、嫌がらせ込みで結界には強制睡眠の術がかけられています。ざっくり言うと体力が一定以下になると強制的に眠らされる術ようです」
「なるほどな。術者である健が眠ったから人形が崩れたってことか」
「そういうことです。体力が回復すれば起きてる時間も長くなるらしいですけど、今は眠っている時間の方が長いですね。大人しくしてくれるって意味では僕的にありがたいですけど」
起きていたら人の話を聞き入れずに動き回る。これだけだとまるで幼児のようだが、健はそういう人間だ。
身体が悲鳴をあげていようが、顔色一つ変えないままに無理を繰り返す。そうして生きてきた結果が今の状態だ。
眠っているなら動かない。単純な理屈で、悠が今の状況を受け入れている理由の一つだろう。
「僕は健兄さんが万全の状態になるまで帰るつもりはありません。みなさんは好きにしてくれていいですよ? 帰るなり、滞在するなり、決闘に勝ったと主張して願いを叶えますか」
「そんな主張を押し通すほど、俺らは勝ちにこだわっていない。お前と違ってな」
悪戯めいた口調の悠に皮肉交じりの言葉を返せば、不満げな視線を返される。
「二、三日なら滞在しても問題ないでしょうし、ゆっくり考えたらいかがですか。ここは時間の流れが早いので」
「妖界と同じってことか」
「微妙に違いますよ。ここの時間の流れ方はお上の気分で変わりますから」
この屋敷、この空間の中では時間すらも当主の都合で変わる。
健の言葉を借りるなら、ありとあらゆるものが彼を甘やかしているのだ。
「二、三日の間に変えられるってことはないよな?」
「不敬って言われますよ。まあ、でも、心配はいりませんよ。健兄さんが交渉したらしいので」
健が当主と交渉したという不穏な言葉への思考は放棄しつつ、和幸はただ「なるほど」と頷く。
そうして和幸たちは数日の猶予を得た。決闘は引き分け、その先で帰るか残るかはそれぞれで決めるということで話はまとまった。
どちらにせよ、和幸は仕事があるので帰らざる得ないが、作られた猶予くらいはゆっくり過ごすとしよう。