6-12
一回戦は優雅の勝利。続く二回戦はいよいよ和幸の出番だ。
相手は先程まで会話していた執事服をまとった少年風の少女である。無邪気を詰め込んだ表情のまま、悠は舞台へと立つ。
和幸もまた悠と向かい合うようにして大衆の前に立ちながら、胸に懐かしさを落とした。
大衆の前で戦うなど桜稟アカデミーの生徒だった頃以来だ。最近は指導者として見本を見せるのが精々だ。
「王様の言葉通り、優雅さんが勝ちましたね」
「意外だな。お前はもっと怒ると思っていたぞ」
この決闘において勝利にこだわっているのは悠、ただ一人だ。
一人でも、その気持ちは誰よりも強い。夜が負けることを許容するとは思っていなかった。
「怒ったところで夜さん相手じゃ流されるだけですもん。どうせ手を抜くのは分かっていましたから。それにぃ、僕、ずぅーっと王様と戦いたいと思っていたんですよねぇ」
見慣れた無邪気さを全面に出した状態で向けられる満面の笑み。
好意的にも見えるその姿に好意が宿っていないことは長年の付き合いで容易に悟れる。
「できることなら相手したくないんだけどな、俺は」
「良心が痛むって奴ですか? あっ、それとも負けるのが怖いんですか?」
「相手するのが面倒だからだよ」
息を吐くように答える。知り合いに剣を向けることを躊躇うような生き方はしてきていないし、悠相手に手も足も出ずに負けるとも思っていない。二人の実力はほぼ互角だと言っていいだろう。
倒しにくさ、殺しにくさで言えば、悠に分があるので面倒というだけ。
「両者、構えを」
審判役を務める執事――紅の声に応じて剣を抜く。抜き身の刃を目の前に悠は変わらず佇んでいる。
構えを取らないのが悠の構え。普段通りの姿でも隙は欠片もない。
そもそも悠はあれでいて、普段から隙が少しもない人間なのだ。
「始め」
言い終わるのとほとんど同時に悠の身体が炎に呑まれた。
轟っ、と立ち昇る炎は悠を丸呑みにしたまま、勢いを失わずに燃え続ける。
声はない。しかし漂う焼けた肉の香りが、悠が呑まれたことを証明している。
と、炎の中から黒いものが飛び出した。炭化した人間である。
微かな火をその身にまといながら突進してくるそれの片足を剣で切り落とす。
バランスを崩す中で伸ばされる手すらも切り飛ばす。辛うじて肌色を残していた手は血を撒き散らしながら、くるくると宙を回転していく。
手足を失い、全身を燃やし尽くされて悠は仰向けで倒れ伏す。
決着はついた。ここまでされて生きている人間なんていない。普通ならばそう考えるだろう。
事実、観客たちは和幸の凶行を見て静まり返っている。
ただの決闘で人が殺されるところを見るとは思わなかった。そういう反応だ。
「もうっ、いきなり燃やすなんて酷いですね。僕にだって痛覚はあるんですよ。服も残らず燃えちゃいましたし……王様のエッチ。変態」
場の空気を壊す声がどこまでも場違いに響く。
顔形も分からなかったその顔は元の肌色を取り戻している。顔だけではなく、炭化していたはずの身体にも傷一つ、炎の呑まれた名残一つ残していない。
服は炎の中で失いながらも、綺麗な裸体を晒している。
切り離された足を慣れた手付きでくっつけた悠は、傍らにできた血色の水溜まりに触れる。
「よっと」
自らの血でできた水溜まりを、目を紅く輝かせながら引っ張りあげる。
液体であるはずのそれは宙をたなびき、一枚の布となって悠の身を包み込んだ。
裸体に血で作られたワンピースを一枚まとった状態だ。
「後は……と、あった」
戦闘中にも拘わらず、和幸へ背を向けた悠は最後のピース。切り飛ばされた手を拾い上げる。
それもまた元通りにくっつけて、くるりと一回転。
「これで悠くん、大復活ですよーっ!」
炎に呑まれた事実がなかったように明るく宣言する悠。
これこそが悠を厄介たらしめている所以である。戦うのが面倒な理由とも言えるだろう。
治癒の術を得意とする悠は、即死でなければ致命傷でも治すことができる。
和幸が知る中で最高峰の治癒術師だ。
悠はその腕前を自己修復機能として己に課している。心臓に刃を突き立てたところで悠が死ぬことはない。しかし、これにも弱点はある。
「今ので霊力をいくら消費したんだ?」
治癒の術――術というくらいだから当然霊力を消費する。そして大きな怪我であればあるほど消費する霊力も増えていく。
兄と違って化け物じみた霊力量というわけでもない悠を霊力不足に持ち込むのはそう難しい話ではない。
全身炭化した状態から全快するのにもかなり霊力を消費したことだろう。
「内緒です」
首を傾げて、口元に指を当てて答える悠の姿は余裕を感じさせる。
避けられたはずの攻撃をあえて避けなかったところを見ると、和幸へのハンデを設けてくれたといったところだろう。
二人の間に本来であれば必要のないそれをわざわざ設けるのが悠の性格の悪さだ。
ハンデがあったとしても勝てる、悠はそう挑発しているのだ。
「俺はその驕りに乗っからせてもらうけどな」
「驕りなんてものはありませんよ。王様と僕は互角だってちゃあんと分かっていますから。で、も、僕は王様の戦い方をよーく知っていますから、その差分くらいはと思っただけですよ。ね、幸様」
一瞬で距離を縮めた悠が回し蹴りを放つ。
身体強化していないとは到底信じられない威力だ。見た目からは想像できない一撃は悠に課せられた守鬼という役目に由来するものだ。
鬼神の宿主を守る者として鬼と同じ身体能力を生まれながら与えられている。
「由菜の記憶を持っていても、お前は由菜じゃない」
蹴りを空いている方の手で受け止める。想像以上の威力に息を詰め、それを悟らせないよう口の端を上げる。
「由菜はこんなぬるい攻撃はしない」
「挑発には挑発を、って感じですか。もっと動揺してくれてもいいのに、むぅ」
「お陰様で慣れたよ。お前の性格の悪さにはな」
挑発には挑発を、そして蹴りには蹴りを返す。身体強化を施した一撃を悠の腹部に叩き込む。
和幸の動きに合わせて悠は身を引き、入りは浅い。
想定通り、と剣を振るい、鮮血が散った。まとう赤い布を切ったのか、肉まで届いたのか、判別のつかない手応えを感じながら一度身を引く。
紅く光る目がより一層輝き、宙を舞う鮮血が鋭利な針となって降り注ぐ。
剣で弾く和幸の懐に身を屈めた悠が迫る。その手に握られているのは血色の両手剣。
「治癒させて消耗させるのはいい手ですけど、僕相手だとそれだけじゃ駄目ですよ」
「知っているさ」
悠の血液で作られた剣を鋼の剣で受ける。原材料が血でも鳴るのは金属音だ。
悠の剣術は我流。健の指導と、刻まれた記憶を頼りに作られた剣撃はその身体能力も合わさって、和幸にも引けを取らない。
桜流剣術当代最強の使い手と謳われる和幸に易々と食らいついてみせる。
表立って戦闘に参加しない悠の真価。サポートに回ることが多くても決して弱いわけではない、と。
「王様と戦えてすごく嬉しいんですよ。ずっとぶちのめしたいと思っていましたから」
「笑顔で言ってくれるな。……まあ、今更か。お前が俺を嫌いなのは前から知っている」
「勘違いしないでくださいよ。僕はむしろ王様のこと気に入っているんですよ?」
激しい剣撃の最中でも二人は言葉を交わし合う。速度も威力も落とさず、命を取るための一撃を互いに叩き込む。
殺す気はない。しかし、殺す気で剣を振るう。でなければ届かない。
「僕が嫌いなのは由菜さんです」
斬り込む血の剣から赤い液体が散る。
輝く目に応えて鮮血は鋭く姿を変え、和幸は悠の剣を受けるより先にそれらを弾き飛ばす。
「僕の中に幸福の記憶を刻み付けたあの人が嫌いで、あの人が残したあの人の大事なものを壊してやりたくなるだけです」
殺気立つ剣撃を繰り出しながら、悠は可愛らしく小首を傾げる。
この戦いの中でも無邪気な設定を守り通すのが悠だ。本当はもっと冷徹で冷酷な人間だ。
同じ冷たさを内に隠した人物を脳裏に思い浮かべる和幸は、
「由菜は幸せ、だったのか?」
「それを僕に聞くのは酷だ思いますが。大事なものを守りきったんです。守鬼としてそれ以上幸せなことはないと思います。――他の誰にも果たせなかったことですから」
守鬼の役目は鬼神の宿主を守ること。しかし、歴代の宿主たちはみな、破壊衝動に呑まれて命を落とした。守鬼がその命を奪ったこともあると聞いている。
その中で唯一、紫ノ宮由菜は宿主を守りきって死んだ守鬼だった。
歴代守鬼の記憶が刻み込まれた悠にはその幸福が呪いとなっているのだろう。
「僕だって健兄さんを守りきりたい。だから今回は勝ちを譲ってくれると嬉しいんですがっ」
「聞けない相談だな。俺には俺の目的がある」
「その目的が僕の願いよりも価値があるとでも?」
「どちらに価値があるかなんて俺が決めることじゃない。出しゃばる気はないさ」
血の剣を横へ弾き、その流れのまま突きを放つ。肩へと突き刺さる刃越しに骨まで触れた感触を味わう。
「十分出しゃばってると思いますけど」
痛みを感じさせない挙動で悠は和幸から距離を取る。
剣が抜けて溢れる血は瞬く間に止まり、傷がふさがったことを知らせる。
距離を取るのは想定済みだと和幸は悠の足元に術を発動させる。悠の動きを封じる術を。
地面が盛り上がり、悠の足を絡めとる。先程の戦闘で優雅が靴を脱いで抜け出したことを考慮し、足首までも完全に動きを封じた。
「大人ぶるのは構いませんよ。僕はそこに付け入れさせてもらうだけです」
言いながら、悠は自らの足を切り捨てる。足を封じられたら切り捨てればいいという発想だ。
悠は両足を失ったまま、バク転の要領で後ろへ回転する。切り離されたはずの足が地面につく頃には元通りに回復している。
治癒の術は本来、身体の機能を促進させて回復を早めるものだ。切り離されたものをくっつけることは可能だが、失ったものを再び作り出すことはできない。
そんな中、悠は新しく足を作り出し、くっつけるという芸当をしてみせたのだ。血液すらも霊力で生成して失った分を補完している。
「僕は健兄さんを守りたい。守鬼として不完全でもそこは譲れません。だから勝ちますよ」
「いいや、お前は負ける。お前の敗因は――」
一度言葉を切った和幸の動きが変わる。扱う型を変えたのだ。
和幸の使う桜流剣術には複数の型がある。貴族街で広く知れ渡る流派の中で、限られた者しか知らない型。桜流剣術零の型、その構えで切っ先を悠へ向ける。
「その中途半端さだ。感情に溺れても、理性を貫いてもいない。由菜の記憶を使うなら、お前は由菜になるべきだった」
「僕は由菜さんじゃありませんよ」
「知っているさ。ならばお前は、道具として由菜を使うべきだったんだ」
和幸は揺さぶるためではなく、勝つために武器として使うべきだったのだ。
言葉を詰まらせる悠へ和幸は刺突で炎を浴びせる。と同時に剣に薙ぎ、風を巻き起こす。
桜流剣術零の型は、剣に術をまとわせることに特化している。剣術としては邪道と言えるもので、故に限られた者しか知らないのだ。
炎を危なげなく避けた悠は強風の中で態勢を崩しながらも、剣を地面に突き立てて吹き飛ばされるのを防ぐ。
鬼と同等の身体能力を持つ悠ではあるが、その身体付きは少女と変わりない。
容易く風の煽りを受ける身体を、その力でなんとか耐えている状態だ。
それすらも崩すために和幸は悠へ迫り、一閃で血の剣を折った。支えるものを失い、悠の身体は宙を浮き、和幸は柄でその身体を殴り飛ばす。
「場外により、春野和幸様の勝利となります」
悠が着地した地面は舞台の外。勝敗が決したことを告げる声を聞いて、悠は悔しげに和幸を睨みつける。
「中途半端なことくらい分かってますよ」
拗ねるような口調で呟く悠は持っていた剣を元の血へと戻した。
中途半端な生き様は守鬼の特性とも言える。
守鬼の魂は死しても輪廻の輪には加わらない。浄化され、新たな魂として作り変えられることはない。
記憶もすべて受け継いだまま生まれ変わる。悠の中には複数人の記憶が刻み込まれているのだ。
与えられた役目で蓋をして、距離を取って自己を確立させる。縋るその役目すらも、破壊衝動に呑まれた主を殺すという形で裏切ることとなる。
上手いのだ。距離を取ることが。本気にならないことが。
「あーあ、王様に勝てば、割り切れると思ったんですけど。まだまだってことですかね。殺し合いなら勝ってたでしょうけどっ、仕方ないですね」
自らの宿命を無邪気で塗り潰して、悠はいつもの姿を取り戻す。
「反省、いえ、猛省するのは構わないけれど、服を着替えてからにしたらどうかしら?」
「そうでしたっ。あ、夜さんってば着替えを用意してくれたんですか。なんだかんだ優しいですよねぇ。ってことで僕は席を外します。マッハで戻ってくるので、では!」
そう言い残し、忙しない態度で悠は場を後にした。次は健の出番なので、言葉通りにすぐ戻ってくるだろう。