6-11
処刑人との対決当日、優雅は初めて桜宮家本家へと足を踏み入れた。
貴族街の中枢――噂として聞いていたその場所に初めて。
強いて言うとしたら神秘的といったところか。独特の雰囲気を持つ空間はどうにも落ち着かない。
それは一行を案内する青年にも言えることである。
執事服を纏う紅目の青年。纏う雰囲気はただの執事とは思えないもので、微かに覚える引っ掛かりは瞬きのうちに零れ落ちていく。
「こちらです」
案内されたのは広い空間だ。中央に円形の舞台が設置されており、あそこが対戦場所なのだろう。
観客用の席も用意されており、遠巻きに見ている巫女らしき人物がちらほらいる。
閉鎖された空間で、外を知らない巫女たちにとっていい娯楽なのだろう。
注目を浴びることには慣れている優雅は気にせず、目の前のことに集中する。
「お久しぶりです。ってあれ? 星さんも来てるんですか。まさか、戦ったりしませんよね?」
相変わらずの無邪気さの悠は思わぬ人物の姿に丸い目をさらに丸くする。
読めない相手なだけに悠は冗談ではなく、本気の言葉として投げかけた。
「私は戦わないよ。んー、どっちかっていうと応援かな」
「ちなみにどっちの応援なんです?」
「どっちだろうね」
首を傾げる星は本気で分からないと言っているようだ。
婚約者と応援すると盲目的に言わない辺り、星らしい。星にとってこの対戦はさして重要なものではないのかもしれない。
それを怒るでも、嘆くでもなく悠は息を吐いて笑った。
「星さんらしいですね。どっちにしろ、僕は僕の目的のために戦うだけすし」
ちらりと和幸を一瞥して悠は無邪気ですべてを覆い隠す。
「見たところ、優雅さんも強くなっているようですし、成長具合が楽しみですね」
「頑張るよ……。健はまだ来ていないんだね」
「健兄さんは……ちょーっと用事があるので後で来ますよ」
含みを言葉に滲ませた悠の表情には無邪気では覆い隠せない感情が見え隠れしている。
心配の色を悟り、健に何かあったのだろうかと考える。それを確認する前に、
「健に見てもらえないのは残念かしら」
甘い香りを纏う美声が投げかけられた。闇色の少女、夜のものである。
タイミングを読んだ声かけに二人が何か隠しているのだと察する。察して、敢えて問い詰めるのはやめた。
「私で満足してくれると助かるのだけど」
「十分すぎるくらいですよ」
今回の対戦相手となる夜と、押し負けないように向かい合う。
深められる笑みが何を意味するものなのかまでは分からない。
「それでは改めまして、此度の決闘について説明させていただきます」
場の空気をまとめるような声が場に響き渡る。優雅を案内した紅目の執事である。
処刑人との対決は決闘、ということになっている。
貴族街に伝わる伝統。明確な法がない貴族街の中で地位の低い者たちが己を押し通すために生まれたものだ。
敗者は勝者に従い、決闘で決められたことは誰にも――桜宮家当主だって覆すことはできない。
「処刑人のお三方と有志の決闘となります。処刑人全員に勝てたら有志勢の勝利。一度でも負けたら敗北となります。敗者は勝者の望みを叶える。これが此度に決闘の概要となります」
負けたら相手の望みを叶える。言葉に従う。それが今回の決闘の内容だ。
優雅にとって決闘の内容は重要なものではない。戦うことが重要なのだ。
「戦闘不能。場外に出る。降伏宣言。いずれかを満たした場合、敗北となります。よろしいですね」
ルールの確認。参加者たちは各々、決闘への思いを映し出して首肯する。
それを確認した紅目の執事は改めて見物する衆と参加者に向けて声を上げる。
「審判は私、紅が務めさせていただきます」
一礼し、名乗りあげる紅目の執事――紅。その紅い目が夜と優雅へと向けられ、
「本条夜様、鳳優雅様、前へ」
隅で黒が揺れる。ゴシックロリータと飛ばれる漆黒のドレスを纏う少女は、高いヒールで床を叩きながら中央の舞台へと立つ。
傾国の美女の立ち姿は演劇の一幕のようだ。舞台上の美少女はその顔に笑みを湛えて、優雅を見ている。
深く息を吐く、優雅はどこか心地よい緊張の中で舞台の上に立った。
これで対等。彼女が優雅の対戦相手だと身を引き締め、腰に佩いた両刃剣を抜いた。
その輝きは真剣の輝き。その重みは真剣の重み。
「両者、構えを」
紅の声に優雅は桜流剣術の構えを取り、夜はただ微笑みだけで迎え撃たんとする。
「それでは始め!」
鋭い声とほとんど同時に優雅は飛び出す。和幸との鍛錬で馴染ませた真剣の重みを感じながら剣を振るう。
夜はただ一歩下がってこれ避け、薄く口を開く。
「起動――辻風」
甘く溶ける声に応えて風が巻き起こる。荒れ狂う風が優雅を包み、その服と髪を乱れさせる。
不審を募らせる。夜が無駄なことをするわけがないという信頼から優雅は思考を巡らす。
その思考へ語りかけるように濃密な香りが鼻腔を擽り、夜の目的を明らかにする。
魅了の術。脳裏に浮かべた言葉を笑みで肯定する夜は舞うように歩み寄り――視界の隅にきらめいた銀閃に気付いて、剣を薙いだ。
「気付いたの。流石ね」
銀閃――投げられたカッターナイフの刃へ意識を向けたうちに迫った夜が耳元で囁く。
「あの刃は囮っ⁉」
「そう。策は二重三重に絡めるものよ」
風で届けられた甘い香りはブラフ。本命は投げられた刃と思わせておいて優雅へと迫る。
おそらく刃にも魅了の術がかけられていたのだろう。優雅はまんまと策に嵌まったのだ。
「起動――武器生成“ナイフ”」
指輪を犠牲に生み出されたナイフを握り、夜は優雅へ斬りかかる。
策に嵌まった優雅は夜を懐に迎えた状態だ。間合いは夜の味方をしている。
身を屈めた一閃を辛うじて剣で防ぐ。重い一撃を受ける優雅は女性らしからぬ膂力を見せる身体を蹴り飛ばす。
女性の全力で蹴るのに躊躇いはあるが、それで手加減して勝てる相手ではない。
別段、優雅にはこの決闘に勝ちたいとは思っていない。しかし、繋げたいと思っている。
――俺はあいつらに兄弟に話をする機会を作ってやりたいんだよ。
鍛錬の最中、語られた言葉に潜む想いは優雅が抱えているものと同じだった。
同じ、彼を思う気持ち。だから賛同して、だから負けるわけにはいかない。
思いを力に変えるように握り直し、蹴りで広げた間合いを詰める。
金属音。蹴られたダメージを感じさせない夜はナイフで軽々受け止める。
そこからは刃の打ち合いだ。夜はただ舞うように、優雅は必死に追い縋る思いで打ち合いを重ねる。
「優雅さんも強くなったんですね。王様の鍛錬の賜物ってやつですか」
「あいつの才能だよ。基礎はできていたし、呑み込みも早い。俺は大して教えていないさ」
不規則に鳴る金属音をBGMに次に対戦者である二人は言葉を交わす。
対戦相手への感慨はなく、いつも通りに隣り合っている。
「俺の方こそ驚いたぞ。話には聞いていたが、紫苑があんなに動けるとはな」
「そりゃあ健兄さんの協力者ですもん。血筋的に運動神経もいいですし?」
煽るような物言いに一度瞑目し、戦う二人へ目を向ける。
果敢に切り込む優雅。その太刀筋は戦いながら徐々に洗練されたものへとなっていく。
実戦の中でもどんどん成長していっているようだ。今まで実戦経験がほとんどなかったからこそ、という部分も多分にあるだろう。
「若いってのは成長が早くて面白いな」
「僕や健兄さんもその若いうちに入ると思うんですがっ」
「お前らは別格すぎて化け物としか思わない。俺が教えたわけでもないしな」
「化け物呼ばわりとは酷いですねぇ。否定はしませんがっ。でも、夜さんだって化け物に並び立てるくらいには強いですよ?」
「でも、優雅が勝つさ」
暗に勝ち目はないと告げる悠に和幸は視線を二人から外さないままに返す。
優雅への信頼とは違うものがその目には映し出されている。
「起動――氷花」
宙で作り出されるのは氷の花弁で、それは一斉に優雅へ襲い掛かる。
美しく舞う花弁を躱し、あるいは剣で切り裂く優雅。片手間にそれを行いながら優雅は攻めの一手を選ぶ。
駆ける足は速く、舞うだけの花など相手にはならない。
「足元が疎かになっているわよ」
花弁が一枚、優雅の爪先を掠めて氷で地面に縫い付ける。
中途半端に動きを止められ、バランスを崩しながらも優雅は掌を夜へと向ける。
「風刃」
届かない剣の代わりと渦巻く風が夜へ牙を剥く。
「ああ。貴方、術が使えたのね」
ナイフを軽く振っただけで夜は風刃を打ち消す。髪の毛数本をその余波の犠牲にした夜は切れ長の目をわずかに驚きで見開いた。
両手剣の切っ先が眼前に迫っている。氷で縫い留められた靴を脱ぎ捨て、夜が風刃を打ち消している間に距離を詰めたのだ。
闇色の目で一瞬驚きを映し出しながら夜は冷静にナイフの軌道を変えた。
鋭い音が響き渡る。勝負をつけるため、放った攻撃はあっさりと受け止められる。
「まだ……っ」
これでも届かないかと優雅は歯噛みする。実力差を悔やみ暇はないと優雅はすぐに思考を切り替えて両手剣を握り直す。そこへ――。
「私の負けのようね、鳳優雅」
次の手に意識を傾ける優雅にそんな言葉を投げかけられた。
理解が追い付かず一拍。突然の降伏宣言か、と混乱する優雅へ夜は自分の足元を示した。
戦闘にはそぐわない高いヒールのブーツ。それが半歩、線の外を踏んでいる。
「場外により、鳳優雅様の勝利となります」
処刑人との決闘、第一回戦目は本人とっては少々消化不良な形で決着がついた。
ルール的は確かに優雅の勝ち。しかし、勝てたと素直には喜べない勝ち方だ。
結局、優雅はまだ彼女らの領域には届かない。
「私を追い詰めたのは間違いないのだから、もう少し誇りなさないな。最後は危なかったわ」
届かなかった、と落ちる肩を叩く声。美しいその声は素っ気なく、それでいて温かみを宿している。
どことなく友人に似ていて、優雅は小さく笑みを零した。
二週間の鍛錬だけでも少しは届いたのかと思うと、胸の辺りが少し高揚感で沸き立った。