6-8
今日この日、岡山家には珍しい面子が集まっていた。
春野家当主に、桜稟アカデミーの生徒、門衛。後は処刑部隊の副隊長と妖界の王の息子。肩書だけ見れば、錚々たる顔触れが揃っている。
ただの高校生である自分が少し場違いのような気がする星司である。ここは自分も岡山総合病院の跡取り息子と名乗った方がいいかもしれない、とくだらないことを考える。
この中でももっとも位が高いと言える二人は既知なので特別緊張はない。
今緊張しているとしたら弟の部屋に足を踏み入れているからだろう。
健の部屋に入った回数は両手で数えられる程度で、健がアカデミーに入学してからは初めてだ。
「思っていたより物があるんだね。もっと質素な感じだと思ってたよ」
「寮や春野家の部屋は質素なものだし、間違ったイメージではないぞ」
初めて足を踏み入れた海里が漏らした感想に和幸が言葉を返す。
薄暗い部屋には限界まで本が詰め込まれた本棚に、怪しげな薬が置かれた小さな棚。
部屋の隅や机の上には何かの書類が雑然と置かれている。
意外にも物が多い部屋は長いこと主が不在にしているためか、どこか寂寞とした空気をまとっている。
「医学書が多いですね」
「自分ら、健の部屋に興味があるのはええけど、本来の目的を忘れてへんやろうな」
興味津々に部屋を見回す面々に苦言を零すのは門衛、八潮だ。
ここにきた本来の目的、それは処刑人の拠点に行くことだ。
岡山家の健の部屋に扉がある、という話は桜宮家本家から帰る前に本人から聞いてことだ。
「ベッドの下だったか?」
健の言葉を思い出しながら、部屋の奥に鎮座しているベッドへ目を向ける。
簡素な作りのベッドで、男手ばかりの面子なら動かすのも難しくはないだろう。
あまり力がない健でも動かせるような重量だ。八潮が軽々とどかし、床に人一人が通れるサイズの扉が現れる。
この部屋は二階なので、扉を開けた先にあるのは普通ならば一階のはずだ。
しかし一階で天井に扉があるのを見たとはない、と思う。天井なんて日常的に見るものではないので自信はないが、ないとは思うし、健が天井から登場したこともない。
ともかく、この扉が別のところに繋がっているという事実は疑いようはないだろう。
「中は見えませんね」
八潮が開けた扉の仲は闇が広がっているだけ。
この先が拠点だと言われても迂闊に飛び込むのは憚れる雰囲気がある。
「そない警戒せんでも危ないことはあらへんよ」
言って、八潮は慣れたように闇の中へ飛び込む。その身体が闇の中へ呑まれるよりも先に手招きで続くように星司たちへ促した。
それを受けて続くのは海里だ。意外と強かで恐れ知らずな彼は八潮同様に躊躇いなく飛び込んだ。
護衛対象の大胆な行動に息を吐いてレオンが後に続き、星司は優雅と和幸と目を合わせ先に中へ入った。
視界が闇を映し出し、平衡感覚を失うような空間を経て、すぐに見知らぬ場所へ辿り着いた。
「ここが健の……なんつーか、近未来っぽいつーか」
今立っているのは談話室のようなものだろうか。
必要最低限に置かれた調度品は話し合いをするために置かれているといった印象だ。とはいえ、使われた形跡はほとんどない。
今回のために用意されたと言われても信じてしまいそうなほどだ。
「奥は何があるんですか」
「あっちは資料室みたいなもんです。興味があるなら覗いてみますか」
「よろしいんですか」
部屋の奥には廊下が続いている。暗くてよく見えないが、かなりの広さがあるようだ。
「別に止められとるわけやないからな。好きにさせたらいいってそう言われとる」
一歩、八潮が廊下へ踏み出すと瞬く間に明かりがついてその全貌が明らかになる。
全貌と言っても廊下の終わりまでは見えない。ずっと先まで続いているようで、この拠点は思ったより広いらしい。
長い廊下にはいくつも扉が立ち並んでいる。先頭を進む八潮に続くように灰色で統一された空間の中へ足を踏み入れる。
「鍵がかかっているみたい――っ」
「海里様!?」
何個か目の扉に触れた海里が痛みを感じたように手を引っ込めた。
「大丈夫。何か静電気みたいな、ってあれ、開いてる」
小さく呟いた海里は『妖界』と扉に書かれた部屋の中へと入った。
外から見た感じではあるが、八潮の言葉通りに資料室のようだ。ガラス扉の奥に膨大な数の資料が並んでいる。
並ぶ扉の分、同じように資料があると考えると相当な量と言えるだろう。
これが健の知識の源だと思えば、あの博識っぷりも頷ける。
「健さんはこれほどの情報を一体どこから?」
「さて。俺もよう知りません。健も嬢ちゃんも意外と顔が広いからなあ。知り合いが多い分、入ってくる情報も多いっちゅうことやないですか」
本当に知らないのか、はぐらかしているのか、よく分からない人だ。
関西弁のせいだろうか。親しみやすくて、でもどこか掴みどころのない空気をまとっている。
近いようでどこか距離を感じさせる姿はなんとなく健の協力者なのだと実感させられた気分だ。
「お前ら、拠点に興味があるのは分かるが、そろそろ本題に入るぞ」
呆れ顔の和幸に呼びかけられ、面々は元の部屋へ再び元の部屋に集合した。
それぞれソファに腰かけ、話し合いの姿勢を整える。
議題は健、悠、夜の三人の攻略法。そしてそれを元にした対策会議である。
「攻略法と言っても俺が知っているのは健と悠くらいだから頼りにしてるぞ、八潮」
「そない期待されて応えられるか分からへんけど頑張りますわ」
形だけの謙遜を口にする八潮は攻略方をもっとも知る人物と言えよう。
処刑人の一人として八潮は何度も共に戦ってきた。鍛錬でも、実戦でも、この場にいる誰よりも近くで見てきた人だ。その知識は何よりも力になるだろう。
「しかし、本当に信用していいものですか」
「言われへんことはあるけど、嘘は吐かへんで。健に言われたことには従う。この言葉がどれだけ信用できるかは分からんけど信じるかどうかは自分らで決めてくれたらええ」
疑いの目すらおおらかに躱しながらも、ぶれないものを感じさせる。
掴みどころのない振る舞いの中に掴めるものの片鱗を見つけ出したような気分だ。
「まずは紫苑の嬢ちゃんについて話したらええかな」
「そうだな。正直俺としては一番謎が多い相手だからな、紫苑は」
「健と同じくらい秘密主義やからなあ」
夜と和幸は盗撮事件のときに顔を合わせたものだという。それまでは存在を軽く知っているだけだったと知って、星司も驚いたものだ。
てっきり健の協力者はある程度把握しているものだと思っていた。
健は貴族街でもあのまま自由にやっているらしい。
「嬢ちゃんはあれこれ策を考えて戦うタイプやな。処刑人の頭脳担当やし、単純な力比べやったら俺でも勝てるくらいや」
「暗殺組織を壊滅させた奴に言われもな……」
「あれは健の協力があったお陰です。俺一人やったら半ばで終わってたやろうな」
呆れ混じりの和幸の言葉を聞いて星司は思わず八潮を見た。
星司の中で八潮の印象は話しやすいお兄さんといった感じだ。
門衛と言うからにはそれなりに戦闘の心得はあるとは思っていたが、想像以上に強いらしい。
人好きのする表情で笑う姿と、壊滅という言葉が上手く符合しない。
「嬢ちゃんの戦法はざっくり言うと二つを基盤にしとる」
指で二を作った八潮はすぐに内一本を折った。
「一つは魅了の術や。術ってか体質みたいなもんらしいけど。自分に好意を抱いた相手の判断力を奪う、いわば催眠状態にする術やな」
「あの容姿ならかなり強力な力ですね。好意というのは具体的にどこまでが対象になるんですか?」
「髪が綺麗って思うだけでも有効やって話やな。分かりやすい指標としては、嬢ちゃんが纏う香りを好ましいと思うか、どうかってところやな」
確かに夜からは甘い香りが漂っていたように思う。とはいえ、言われて思い出したくらいであまり星司の中では印象に残っていない。
「普段は抑えとるし、あんまり印象に残ってないかもしれへんけど」
ここにいる面子はみな、盗撮事件で知り合ったばかりだ。一緒に行動していた優雅ならともかく、夜とは少し言葉を交わしたくらいでしかない。
「鼻を塞いで匂いを嗅げない状態にするのは駄目なんすか」
「指標って言ったやろ。匂いをいいって思ったら、嬢ちゃんの術中に嵌まってると思った方がええって話や」
楽観的な思いを混ぜた提案への答えに星司は小さく頷く。
「健が言うには術中に嵌まってることを自覚するだけでも効果があるらしいけどな。頑なになると余計深みに落ちていくらしい」
逆らうのではなく受け入れた上で行動した方が幾分かマシだと八潮は語る。
人伝てらしい言い回しが気になっていたが、大体は健から聞いた話らしい。夜から聞いたものもきっとあるのだろう。
「嬢ちゃんも本気で仕掛けてはこんやろうし、今回はそれくらいで十分だと思うで」
「紫苑のスタンスがいまいち分からないんだが、本気にならないってのがお前の見解か?」
「健に言われたから、くらいのノリやと思います。俺も嬢ちゃんの考え全部分かるわけやないから絶対とは言えへんけど……嬢ちゃんの本気度は装飾品の数でも分かります」
言いながら、八潮はガラス球を一つ、テーブルの上に置いた。ビー玉サイズのガラス玉だ。
どこか安物めいた輝きのそれを突然出されて困惑しかない。
「起動――ライト」
八潮の呟きに応えて宙に光の玉が浮かぶ。周辺をわずかに照らす程度の光が生まれた代償とでもいうように、ガラス玉は真っ二つに割れてしまう。
「これは健が作った妖具もどきや。霊力を込めるだけで誰でも健レベルの術が使えるようになるちゅう代物なんやけど、嬢ちゃんの身に着けているものは大体これと同じものだと思ってもらったらええ」
星司も使っているところは見たことがある。夜の能力か何かと思っていたが、健由来のものだったとは。
健の術の腕はかなりのものだと海里が以前言っていた。今、低級の術を練習している身からしてみれば、興味心がかなり擽られる話である。
「見ての通り、一回こっきりの使い捨てやけどな」
「込められている術も決まっているみたいだし、戦闘に使うのは面倒が多そうだね。紫苑さんなら問題ないのかな」
「嬢ちゃんは頭が回るからなあ。痒いところに手が届く感じでいっつも助けられてばかりや」
海里の言う通り、計画性と判断力が必要な代物で、それを戦闘に持ち込むのは難易度が高い。
聞いた限りじゃ、夜はその『妖具もどき』をメインに戦っているらしい。単に実力があるだけではなく、八潮が再三言うようにかなり頭も回るのだ。
「今回は準備する時間もなかっただろうし、使えるものも限られていると考えた方がいいか」
「とはいえ油断はできないかと。頭が回るというなら隠し種もいくつか用意しているでしょう。あちらには健さんもいますし、新しく作っっている可能性もあります」
「一緒に戦ったことあるけど、頭脳派だって侮れないくらいに身体能力も高かったからね」
この場にいる中で特に経験が豊富な三人が夜の対策に頭を悩ませている。
頭も良くて身体能力も高い。魅了の術に、健レベルの術が使える妖具もどき。
聞けば聞くほど、隙と呼べるものが存在しないように思えてくる。
「本気でないのがせめてもの救いか」
「そうでなくともハンデくらいはつけてくれるやろうし、そういう意味では悠の方が厄介かもな」
悠の名前を聞いた和幸の顔に分かりやすく苦いものが混じる。
「んじゃ、次は悠の話を――」
「いや、悠の相手は俺がするから必要ない。あいつのことは俺もよく知ってるからな」
「ああ……まあ、それが妥当だと思います」
通じ合っている二人の会話について行けず星司は顔に困惑を描いた。
「王様は健の相手をするんじゃないんすか⁉」
対戦相手として選出された三人の中でもっとも強いのは健。
そして集まったメンバーの中でもっとも強いのは和幸。
それが星司の認識だ。
強い人が強い人の相手をする。当たり前に考えていたことを否定されて星司は勢いのままに問いかける。
「俺は健の相手はしない。一番厄介で面倒な奴の相手をしないといけないからな」
「悠さんはそれほどお強いんですか? 正直、あまりイメージはできませんが」
レオンの言葉に星司は強く頷く。
悠のイメージといえば、治癒などのサポートメインが一番に来る。いつも健と一緒にいるくらいだから多少戦えるとはいえ、そこまで強くはない。そんなイメージでいた。
少し前まで、戦闘に立っているというイメージもなかったくらいなのだ。
「近距離なら一番強いんじゃないか?」
無邪気を詰め込んだだけの悠に似合わない肯定を和幸は軽い口調で口にした。
「状況によって健にも勝てるんやない?」
軽い口調へ、同じく軽い口調の八潮が同調する。それを聞く星司にもたらす衝撃はそれなりのものだ。
戦いとは無縁みたいな空気を出しながらまさかそこまで強いとは。
「治癒の腕が高いのは知ってたけど」
「そこが面倒なんだよな……。まあ、俺の方で対策は練ってあるから心配はいらない」
健との付き合いの長さと同じくらい、和幸は悠とも付き合いが長い。言葉通りに心配はいらないだろう。
他人の心配をしているよりも今の星司には考えるべきことが他にもある。