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6-5

 三日後、学生組の休日に合わせる形で春野家へ集合していた。


 常駐の庭師によって丹念に手入れされた広い庭を横切り、奥の奥へと進んでいく。目的の場所へ近付くにつれて、肌を撫でる空気が変わっていくのを感じる。

 張り詰めた神聖な空気に背筋が伸びる思いをしながら、和幸は久方ぶりにそこを訪れた。


 そこにあるのは小さな祠だ。固く閉じられたその扉こそが貴族街に点在する桜宮家本家へ繋がる扉だ。


「春野家にこんなとこあったんすね」

「人が滅多に立ち入らない場所だ。俺も来るのは数年ぶりだよ」


 その言葉に反して祠の周辺は手入れが行き届いている。

 人が立ち入らないのであって、鬼たちは頻繁に出入りしている。祠の周りははじまりの森同様、紅鬼衆たちが管理しているのだ。


「沙羅、頼む」

「はい。みなさん、少しお下がりください」


 桜宮家から許可された者だけが扉を開けることができる。

 本家へ行くための鍵をこの場で持っているのは沙羅一人だけだ。


 貴族街を治める春野家当主すら持っていない、と言えば、それがどれだけすごいことなのか察することができるだろう。

 ちなみに今行方不明となっている健も鍵を持っている。本人は不本意だろうが、それだけ気に入られているのだ。


 扉に手を翳す沙羅。その掌に光が集い、薄紅色の鍵が出現する。

 柔らかに光の粒を零す鍵を祠へと近付ければ、光は少しずつ溶けるように呑み込まれている。

 完全の鍵を呑み込んだ祠は同じ色の光を溢れさせならが扉を開いた。


「みなさんも後に続いてください」


 先陣を切って光の中へ消えていく沙羅。それに四人が続く。

 光の抜けた先もまた薄紅色で満たされている。四方が薄紅に囲まれた道が見える限りずっと続いているのだ。


 本家を守る桜の結界である。よく見れば、囲む壁が、地面が桜の花弁であることが分かる。

 侵入者を値踏みするように花弁たちはそれぞれの身体に付き纏う。


「お久しぶりです。宮様に会わせていただけませんか」


 沙羅が語りかければ花弁はその身を翻し、道を開ける。

 資格を与えられた者でさえ、扉を開けられても進むには許可がいるのだ。


 無理に進もうとすれば、花弁は容赦なく侵入者へ牙を剥くことだろう。

 ひらひらと舞う花弁たちに監視されながら五人は薄紅の道を進んでいく。


「本家についたら先程お話しした通りに」


 頷く面々を確認して、沙羅は光の終わりへ踏み出した。

 薄紅の世界を抜けた先には大きな屋敷が待ち構えていた。百万の狂い桜と薄くかかった霧に覆われた屋敷。その広さは春野家を優に超える。


「沙羅様、和幸様、ようこそいらっしゃいました」


 先触れもなく訪れた五人を一人の女性が出迎える。

 黒髪を長く伸ばし、巫女服と神官服を合わせたような衣装に身を包んだ女性だ。


 姫宮。大姫巫女とも呼ばれる、巫女たちの頂点に立つ存在である。

 巫女の中でもっとも強く有用な力を持った者が選ばれる。


 巫女のまとめ役を務めると同時に、興味が向かなければ動かない当主の代わりに桜宮家を管理する役目を与えられている人物でもある。

 数ヵ月前まで沙羅が務めていた役割だ。


「宮様がお待ちです。こちらへ」


 来た理由を説明せずとも理解しているように姫宮は一行を先へ案内する。


 桜の結界での出来事はすべて当主に筒抜けだ。当主に会いに来たことはすでに伝わっており、それに応じてくれたから道が繋がれた。


 姫宮が出迎えた時点で会ってくれるという意思は示されている。驚きはなく、黙って後ろに続く。

 貴族街においてもっとも大事なルール。深く考えず上の指示に従うのが長生きの秘訣だ。


「私はこちらで控えておりますので」

「案内感謝致します」


 桜宮家本家、広すぎる屋敷の中心へ案内され、五人は大きな戸の前に立たされる。


 ゆっくりと滑るように開かれる戸。その先には御簾が待ち構えていた。

 離れた位置からでも伝わる威圧。御簾の先にいる人物こそが桜宮家の当主だと分かりやすく教えてくれている。


 場を支配する威厳に気圧されるように膝をついて頭を下げる。当主の怒りを買わないように低く低く、出来得る限り。たった一人、夜だけを除いて。


 美しすぎる少女は身を固くするほどの威圧を前に微笑すら浮かべてただ座っている。

 一歩間違えれば死ぬかもしれない。この場では国を傾ける美貌も役に立たない。

 それを理解していながら自分を曲げずにそこに佇んでいく。


「我の前では頭を下げろを言われなんだか?」

「貴方に敬意を払う必要ない、と私はそう教えられているわ」


 低く、地を這うような声に含まれた怒気。

 御簾の向こう側で動く手が夜の命を刈り取ろうとしていることは簡単に理解できた。


 一枚隔て、離れた位置で膝をついていても生唾を呑み込んでしまうほどの迫力がある。

 ただえさえ、緊張感に満ちた空間が衣擦れの音すら立てられない空間へと化している。


 そんな中、ただ一人、夜だけが変わらずの姿で当主と相対していた。


「ほう?」


 短い返答でも背筋に氷塊が滑り落ちる感覚に陥る。

 我を貫く夜を嗜めるために口を開いても、きっと余計な怒りを買ってしまうだけだ。今の和幸に出来るのは平伏し、ただ成り行きを見守るだけだ。


「お主は確か、紫ノ宮の娘であったな?」

「ええ。今は本条夜よ。紫苑って呼んでくださいな、当主様?」

「ふっ、強かな娘よ」


 張り詰めた空気を象徴するように当主が相好を崩した。

 表情は隠されて見えないが、笑ったことは弛緩した空気で分かった。


「あら、意外ね。もっと怒ると思っていたわ」

「入れ知恵した者が知れれば必要もない。いかにもあれが言いそうなことだ」


 夜が誰の協力者か分かれば、あの言葉を言った人物も自ずと判明する。

 健は当主のお気に入り。日頃から分かりやすく嫌悪している健に遠回しなやり口で嫌がらせされたとして怒ることもない。むしろ、愉快と声を上げて笑うのが二人の関係性だ。


「お主のことも気に入った。櫻宮と呼ぶことを許そう、紫苑」

「光栄だわ、櫻宮様」


 この二人は意外と相性が良いようだ。健が繋いだ絆と言えるだろう。

 一度落ちた機嫌が上へと傾いた。より交渉がしやすくなったと考えると夜はこれを狙っていたのかもしれない。


「沙羅。近くに」

「はい。失礼いたします」


 ゆっくりと顔を上げた沙羅は音もなく立ち上がり、御簾のすぐ前で座する。

 今度は平伏することなく、真っ直ぐに御簾の向こうを見つめている。


 影が動き、御簾越しに沙羅の顔に触れた。沙羅は頬に触れる手を受け入れるように微笑む。


「お主とまたこうして顔を合わせると思っておらなんだ。どうだ? 戻ってくる気になったか?」

「いいえ」


 凛とした声が空気を揺らす。


 この場に足を踏み入れた瞬間から当主に命を握られている。

 腕に覚えがある和幸でも当主が相手では十秒も持つか分からない。夜ならば逃げ延びる術を持っているかもしれないが、沙羅には抗う術がない。


 姫宮まで上り詰めた力も当主相手では役に立たないのだ。

 当主の前では真に無力な少女である沙羅は恐れを映し出すことなく当主を見ている。


「意見は変わらん、か。まあよい」


 沙羅を首が飛ぶことはなく、当主は興味が失せたと言わんばかりに手を放した。


「して、我に何の用だ? 大方、予想はついているがな」

「健さんに会わせていただきたいのです。少しだけお話する機会を与えてくださいませんか」


「断る、そう言ったらどうする? 我にはその望みを叶える理由はない」

「今の私には差し出せるものが何もありません。ですので、私の未来を差し上げます。アカデミーを卒業した先の人生のすべてを宮様へ捧げます」


 迷いなく沙羅はそう告げた。


 当主がそうであるように、沙羅だってそこまでする理由はない。沙羅と健は精々、顔見知り程度の仲でしかないのだから。

 にも拘わらず、そこまでするのは健が連れ去られた場に居合わせたことに責任を感じているからだろう。


「……。お主の懇願に免じて特別に願いを聞き入れてやろう」

「感謝致します」


 深々と頭を下げる沙羅に合わせて、和幸も伏した頭をさらに低く畳に擦りつけた。

 想定よりもスムーズに話が進められ、心中で沙羅の頼もしさに感謝を述べる。


「顔を上げ、座して待っているがよい」


 ようやく許可が下りた三人はゆっくりと頭を上げる。最初に顔を上げたのは和幸。他の二人は続く形だ。


 間もなくして戸が開かれ、姫宮に案内された人物が五人の前に立つ。

 本家で暮らす巫女たちのものと似た衣装で身を包んだよく知る少年だ。無機質と称されることの多いその目はいつも以上に光が宿っていない。ただ茫洋とその場に立っている。


 そもそも健は何も言わず、当主の趣味が反映された服をまとっていることが異常だ。


「まさかっ、健さんに傀儡(かいらい)の術を?」

「あれを従わせるのは我でも難儀する。必死に反抗する姿は愉快だが、こうして従順になった姿を愛でるのもなかなかに痛快であるぞ」


 その名の通り、相手を傀儡(くぐつ)にする術。桜宮家当主がもっとも得意とする術だ。

 気に入らない者は排除し、気に入った者は術で支配する。そうしてずっと頂点に君臨してきた。


「健の力は有用だ。傀儡(くぐつ)として手元に置くのに丁度いい」

「そんな道具みたいに――っ」


 耐え切れずに零れた星司の言葉に冷たい視線が刺さる。

 鋭すぎる眼光は視線で射殺さんばかりに向けられている。視線に応えるように空気も鋭利さを持って佇む。


「誰が口を開いていいと言った?」

「宮様、この方は――」

「沙羅、お主には聞いておらぬ。ほれ、答えてみろ。確か、健の兄だったか」


 間接的に触れるだけだった当主の威圧を向けられ、星司は身を固くする。


 呼吸を忘れ、生唾を呑む星司をフォローすることは許されない。

 最悪な事態になったときに守れるようにすぐ動ける準備だけはしておく。


傀儡(くぐつ)にするなとでもお主は我に説教するつもりか?」

「俺はただ健を……」

「守りたいなどとぬかすつもりか? くだらん道化だな。いっそ、その首を落とした方がまだマシか」


 御簾越しに紅が瞬いたのが分かった。腰を浮かした和幸のすぐ横を剥き出しの刃が駆け抜ける。

 それに対抗するように生成された霊力の刃とぶつかり、甲高い音が響いた。弾かれた刃は畳に落下し、霊力の刃は霧散した。


「お主が我に反抗するとはな。血迷ったか、和幸よ」

「星司の無作法は俺の教育不足です。この場は俺に免じて怒りをお収めください」

「ふんっ、我に指図する気か――ぁ」


 当主が小さな声を漏らした。不審に思うよりも先に御簾に映し出されていた影に一閃が走り、首と胴が切り離された。


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