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5-4

 ゆっくりが意識が浮上する。それと同じに活動を再開させる脳が触れ合う空気からの情報を少しずつ咀嚼する。どこか冷たい空気が肌を撫でるのを感じながら、夜は目を開けた。


 手足は縛られているが、目隠しをされているわけではない。嗅覚と聴覚が一足早く手に入れていた情報をその目で確認する。

 薄暗い灰色の部屋が視界に収まっている。窓はなく、ここがどこなのか、今がいつなのか判断する材料があまりにも少ない。


 少なくとも、自身の身体の状態からそれほど日数は経っていないと思われる。まだ今日も終わっていない、精々、数時間程度だろうか。


 この場にいるのは夜の他に二人の少女が同じように拘束されている。意識はまだないらしい。

 今は席を外しているらしく、犯人の気配は近くに感じない。好都合だと情報収集に集中する。


 術が付与されたアクセサリーはつけられたまま、夜の戦い方を知っている彼女が見逃すとは思えない。いや、知っているからこそとも言えるだろう。


「術封じ、有効な手ね」


 身に着けているものの、どこまで術が付加されているのか第三者が判断するのは難しい。そもそも夜は術が使えないわけではないのだ。


 潔く術を封じる手は悪くない。その効果を生み出しているであろう呪符が部屋の四隅に貼られているのが見える。

 術が使えない上に得物のカッターナイフも奪われた状態ではそれが分かってもどうしようもない。


「ん、ここは……」


 隣に寝かされていた人物が身じろぎをする。冷たい床に広がる黒髪に、金に近い琥珀色の髪が混ざる。

 黒い目がゆっくりと部屋を一巡して、状況を理解するように瞬きをする。


「監禁されてる、のかな」

「思っていたより落ち着いているのね」


 箱入り娘ともなれば、こんな暗い場所に閉じ込められていたと知って騒ぎ立ててもおかしくない。

 しかし、夜の隣に寝かされている少女は騒ぐどころか、その目に恐怖すら映し出していない。

 朝、目が覚めたときと変わりなく、薄暗い空間をただその目に収めている。


「健を信じているから?」

「うーん、今回は違うかなあ。だって、健は助けに来ないでしょう?」


 当たり前のことのように星はそう言った。


 婚約者を見捨てる。非道としか言えない所業を自分の恋人がするのだとそう言って、そのことを嘆いてすらいない。

 捨てられたのだと考えているわけでもないと強い光を湛えた目が語っている。


「貴方は穢れを知らないお姫様だと思っていたのけれど全然違うのね。穢れを知らないふりをしているだけ、想像以上に強かだわ」


 汚いものから守られてばかりの無垢なお姫様。それが最初の印象で、遠くから見ている中で強かな娘だと知り、それでも無垢なお姫様という印象は変わりない。

 何も知らないでいることを選んだ少女。違う。何も知らない少女であることを選んだのだ。


「私が知らない方が健が助かるでしょ」


 八潮がそうであるように、夜がそうであるように彼女も健にとって都合のいい人間を演じている。

 それに気付いたからといって彼女が嫌いなのは変わりないが。


「紫苑ちゃんには何か考えがあるんでしょ。わざとだもんね」

「そこまで気付いてたのね。でも、その考えに貴方の安全は考慮されていないかもしれないわよ」

「大丈夫。紫苑ちゃんは健を裏切らないから」


 無垢なお姫様を演じながらも、星の紡ぐ言葉は力強い。

 まるでそれしか知らないように目の前にぶら下がる言葉を音読するように紡ぐ。


「流石、健が選んだと言ったところかしら」


 見えているものが、いや、見ているものが違うのだろう。確かにこれでは健が黒星を重ねるわけだ。


「一つ、聞いてもいい?」

「なに」

「あの子は紫苑ちゃんの知り合いなの?」


 夜と星の他に寝かされている少女。癖のある茶髪をポニーテールに結い上げた中学生くらいの少女だ。


 会うのは数年ぶりだが、一目で分かるくらいにあの頃と変わらない。

 正真正銘に純粋無垢。何も知らず、巻き込まれた哀れな子。


「……小柳朝陽(こやなぎあさひ)。私の、父の再婚相手が連れていた子よ。一応、妹ってことになるのかしらね」


 一緒にいた短い間、やたら懐かれたのは覚えている。


 何も知らないその目が狂おしいほどに嫌いだった。汚いものは何もないと思い込むその目が嫌いで、それを教えてあげる義理もないので何も言わず、ただ遠ざけた。

 そんな夜の心根すら気付かず、懐く姿に苛立ちを募らせた。


「大切なんだね」

「大切なんかじゃないわ。むしろ嫌いだった」


 吐き捨てるようにそう言って、意識を切り替えたその時、傍らで朝陽の瞼が震えた。

 まずいと状況を理解した夜の思考より速く朝陽は目覚める。


「ここは……」


 ゆっくりと開かれた目が巡り、やがて恐怖に支配された。


「なに、ここ……。なんで……いやぁ、だ、誰か」

「朝陽、落ち着きなさい。騒ぐと犯人が来るわ」

「夜姉……。でもっ」

「いいから」

「とか言ってやがるうちに来ちゃったりして」


 女が嗤いながら、夜と朝陽の間に割って入る。バラバラに切り揃えられた前髪が不思議な色彩の目にかかる。

 捕まったときと目の色が変わっており、大方カラーコンタクトを入れているのだろう。


「素敵な色の瞳ね」

「あっ、分かりやがります? 気に入ってんです。夜ちゃんに褒められるなんて滾りやがりますねぇ」

「名前で呼ばないで」


 冷たく返す夜に女はさらに笑みを深めた。凶悪極まりない表情はただ状況を楽しんでいるようにも見える。


「そうでしたね。リーダーは名前で呼ばれんの嫌いで嫌いで仕方ねーんですもんね。嫌がられると余計に呼びたくなりやがりますけどね、キャハッ」


 当然知っていると笑う女をやはり冷たい目だけを寄越した。その視線すらも喜ぶ女はただ楽しげな声を上げる。


 凶悪を煮詰めたその顔を夜に近付け、不思議な色彩で舐めるように見つめる。

 そして、短いスカートの中からナイフを取り出した。丁寧に手入れされたい刃は一撫ででも十分なほどの切れ味を想像させる。


「ひっ」


 刃を恐れる心など夜にはなく、代わりに朝陽が小さく悲鳴を上げた。

 鋭すぎる刃が夜の頬に触れる。ひんやりとした感触に、色が複雑に絡み合う目を見上げる。


「綺麗すぎるもんってぐちゃぐちゃに汚してやりたくなるんですよね。ねぇ!?」


 白い肌に赤い線が描かれる。滲んだ血が頬を伝った。

 一度、夜から離れたナイフが向きを変えて、今度は闇色の目を狙ってきらめいた。


「夜姉……! お願い、やめて。夜姉を傷つけないでっ」

「うるせぇなあ! ただのおまけごときがきゃんきゃん騒いんでんじゃなぇよ。クソが!」

「ぐふっ」


 上機嫌から一転、声を荒げた女は朝陽の腹を蹴り上げる。苛立ちに任せ、何度も何度も執拗にその足を叩きこんだ。


 その度に朝陽は悲鳴をあげて、「やめて」と涙声で必死に懇願する。当然、そんな言葉でやめるほど優しくはない。悲鳴を聞くたびに、女は口角をあげて、笑声を零す。


「やめなさい」


 凛、と声が場の空気を変えた。決して大きくはなく、それでも聞き逃せない響きを持って、数億はくだらない楽器とも並び立てるその美声に女の機嫌が再び上向く。


「流石の夜ちゃんも可愛い妹が酷い目の遭うのは耐えられねぇんですか? キャハッ」

「時間を無駄にしたくないだけよ。縄が食い込んで痛いの。きつく縛り過ぎじゃないかしら」

「緩めたら逃げやがるでしょう? アタシが満足するまでたっぷり遊んでくれねぇと困りやがりますよ」


 くるくると手癖悪く回すナイフを再び夜へ向ける。


「ねえ」


 鋭利なそれが牙を剥くその前に沈黙を守っていた星が声を上げた。

 黙して、状況をただ見ていた星はより深く理解するために口を開いた。


「貴方は誰? 名前を教えて」


 場を理解できていないようにも思える問い。その目もまた無理解を示していた。

 星の十八番である、何も知らない無垢のふりだ。


「お姫様は暢気でいやがりますね。アタシの名前がそんなに知りたいと? 知って、アタシを理解して、自分の偽善でどうにかしてやるって思っていやがるんですか」

「私は知りたいだけだよ?」


 苛立ちのままに向けられるナイフに星の目は真っ直ぐに向かい合う。


 恐れはなく、無垢なお姫様と詰るには気高く、力強い。夜がそうだったように、星もまた刃の鋭さに自分を曲げる生き方はしていないのだ。

 図らずも美しいと思ってしまった星の横顔に笑みを零す。


佐久島依愛(さくじまいより)よ」


 女の代わりに目を紡いだのは夜だ。


 佐久島依愛。天使を守る会と名付けられた組織では四番と呼ばれていた。

 ちなみに創始者である夜は一番だ。彼女は四番目に入った人物だった。


「私が作った組織に所属していたけれど、ルールを犯して追放されたの」


 天使を守る会とはその名の通り、天使と仰ぐその存在を守るためにある。その目的を果たすためにいくつかのルールが設けてある。


 一つ、天使と直接接触してはならない(例外を除く)。

 一つ、天使とその周囲の人間を身体及び精神を害することを禁ずる。

 一つ、天使のプライベートを侵す行為を禁ずる。

 一つ、創始者たる本条夜が定めたルールを遵守するべし。

 一つ、上記を違反した者は創始者、本条夜によって裁きが下される。


「ルール違反って何をしたの?」

「貴方の殺そうとしたのよ。未遂に終わっても罪は罪」


 一度目は未然に防いだ。そして逃がしてしまったのは夜の失態だ。

 二度目はそうはならないと夜は自らは囮にして、依愛を引き寄せた。


「アタシの話を聞いてビビっちまいましたか? ちびりやがりましたか。でも、安心してくれていいですよ。今回はまだ殺しちまったりしませんから」


 手癖のように依愛はその手に持ったナイフを弄ぶ。


「そんなんつまんねぇですから。今回はもっと楽しませてくれねぇと困りやがります。お姫様を壊しちまえば、アタシの天使様も壊れてくれやがりますかね」


 それこそが、依愛が星を殺そうとした理由だ。


 気に入った人であるほど、深い愛情を抱くほどに壊したくなる性質なのだ。

 大事なものをすべて壊して、愛する人の心を壊したい。

 絶望した顔や、泣き叫ぶ声こそ興奮する。その欲を抑えられないのだ。


 夜は基本的にどんな愛の形でも肯定する。依愛の愛し方が間違っていると思わない。

 ただ夜は夜で、自分の愛のために行動するだけだ。


「本当は男でも連れ込んでお楽しみでもやってやりたかったけーど、生憎ここは男子禁制なんで」

「ああ。そういう結界を張っているのね。健や八潮対策かしら?」

「夜ちゃんには頼りになる男がたくさんいやがりますから」


 依愛の言葉に夜は小さく笑んだ。


「それで? 今回の貴方の目的は何かしら。そろそろ教えてもらえる?」

「ん? ああ、盛り上がってすっかり忘れちまってました。おい! クズ虫、いつまで寝てやがるんですか。てめえの出番ですよ」

「ぐふっ」


 鋭い蹴りを入れられ、苦鳴を零して薄目を開けた。


「てめえが知りたがっていたことを知る機会を与えてやりますよ」

「知りた、いこと」


 わざわざ朝陽が接触するまで待って、共に攫った理由を理解して息を吐く。


「私は話すなんて言った覚えはないけれど?」

「悪い話じゃねぇはずですよ。しつこく探されて鬱陶しいって思ってやがってたんでしょう? 本当のことを話しちまったらオサラバできんじゃねぇんですか」


「そうね。でもそれのどこに貴方はメリットを感じるのかしら」

「メリット? んな、高尚なもんねぇですよ。アタシは綺麗なもんが嫌いで仕方ねぇってだけです。汚してやりたくなる。メインをいただく前の前菜くらいには楽しませてくれやがんじゃねえですか」


 過去をほじくり返して根掘り葉掘り聞くことが前菜だという。

 そうして乱される夜の心にこそ依愛は快楽を覚えるのだろう。本当にいい趣味をしている。

 人の性質を誰よりも見抜くその目で依愛の心根を見抜き、美貌に笑みを乗せた。


「まあ、いいわ。話してあげる」


 依愛の言葉も一つの事実。朝陽には悪いが、本人が知りたいと願っているだからそれがいい。

 別に隠すようなものは一つとしてない。これから話すのはありふれた物語の一つだ。

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