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5-3

 行き交う人々をただ眺める。人を待つという時間はあまり好きではない。

 それが人の多い場所で、好きでもない相手なら尚更のこと。


 絶世を枕詞に付けても恥ずかしくない顔立ちは不本意なことによく目立つ。

 隠すことはできる。けれど、それでは意味がない。


 雑踏の中から感じる視線。もはや慣れたそれの中からあれの気配を探す。

 残念ながら八潮や健ほど感知能力に優れているわけではない夜では特定には至らない。


 それでもこの中にいるのは間違いない。長い時間、隠れ切っていたステルススキルは侮れないということだ。


「あの子もいるのかしらね。このどこかに」


 それだって分からない。貴族街から直接の面識のない相手を特定できる方がおかしいのだ。

 もしかしたら本条世人もいるのかもしれない。そこまで考えて自嘲気味に笑う。


 あの二人がいれば、すぐに夜に気付いて行動を起こすことだろう。

 人混みの中に不自然な動きをする者はいない。気配の特定はできなくてもそれは分かる。


「あ、夜さん。遅くなってすみません。女の子は準備が遅くなるものですから大目に見てください」

「その理屈だと私も遅れているはずよ。それと、名前で呼ぶなと何度言ったら分かるのかしら」

「夜さんこそ、そろそろ諦めた方がいいですよ」


 暗に呼ぶのをやめるつもりはないと告げる無邪気な声に息を吐く。

 普段執事服をまとっている声の主は珍しく女物の服をまとっている。


「珍しい格好をしているのね。心境の変化でもあったの?」

「女子会っぽくおめかししたんですよぅ。メイクも髪も頑張ったんですよ?」


 悠は女装して潜入する際は基本的に短い髪を二つに結んでいることが多い。

 とある人物を意識しての姿とは違い、今日は違うアレンジを髪に施している。ウェーブをかけた髪を所謂編み込みカチューシャにしている。


 普段の姿を一転、可愛らしく飾り付けたその姿を見て、悠だと気付く者はほとんどいないだろう。


「紫苑ちゃんもいつもと違う格好なんだね」

「ゴスロリなんて悪目立ちするでしょう。あれは仕事着みたいなものよ」


 素っ気なく答える夜もまた、身を包むことの多い漆黒のドレスではなく流行に則った私服姿である。それでも黒を基調としているのは変わりないが。


「それにしても相変わらず女の人が多いですね」

「スイーツのお店がたくさんあるからね、誰かさんのせいで」


 史源駅周辺は今やスイーツ激戦区となっている。

 数年前までは多少賑わっているくらいの場所で、短期間で大きく成長した。


 それに大きく貢献した人物こそ、三人の頭の中に浮かんでいる彼である。

 気紛れにお店を訪れては好きなだけ甘い物を食べ、そのやけに肥えた舌で批評する。ただそれを繰り返しているうちに噂を聞きつけた店が次々と移ってきたのだ。


 今では特別アドバイザーとして、いろんな店から新商品の味見を頼まれているらしい。

 確かな舌で吟味され、生き残った店たちが高レベルの戦いを繰り広げているというのがここの実情だ。


「テレビとかもよく来てますもんね。ほら、あそこ、撮影してます」


 悠が指差した先には大きなカメラやマイクを持った集団がいる。人気の俳優が来ているらしい。


 生憎、三人ともテレビを見る習慣がないので一切興味がない。むしろ、夜はテレビ関係者との関わりを避けたいので、少しだけ歩調を速めた。

 その心情を知る悠は当然に、星もまた事情を聞くこともなく夜の歩調に合わせる。


「あ、あそこ。最近できたワッフル屋さんだ」

「ああ、健兄さんが行きたがっていた場所ですね。帰りにお土産を買っていきましょう!! ねえ、夜さん」

「好きになさい」


 会話に混ざりたくないという意思を表すように素っ気なく返す。


 今日、三人で買い物に出掛けることになったのは何も仲良くするためではない。

 二人きりで買い物をしたくなくて悠も一緒に呼んだのだ。長い睫毛で縁取られた目で役目を果たせと悠を睨みつける。


 受ける悠はどこ吹く風で人選を誤ったと嘆息する。

 悠が夜の思い通りに動いてくれるわけがない。性格の悪さは一級品だ。


「紫苑ちゃんは甘い物好き?」

「好きでも嫌いでもないわ」


 食への頓着はない。どうせ食べるなら美味しいものがいいと考えるくらいの執着心だけはある。


「だったら今度、紫苑ちゃんにお菓子作ってきてもいいかな。私、お菓子作るのが好きなんだ」

「嫌よ。貴方と慣れ合うつもりはないわ」

「紫苑ちゃんはどんなお菓子が好き?」

「……貴方、人の話を聞かないタイプね」


 そんなタイプだとは思わなかったという意味も込めて言葉を返す。

 健と一緒にいるときの星はどちらかと言うと一歩引いた立場を守っている。


 健気なヒロイン。可愛らしい子。そんな印象ばかり抱いていた。

 こんな笑顔で強引に話を進められるタイプとは思わなかった。いや、だからこそ健の婚約者なんてやっていられるのかもしれない。


「私に作るより健に作ればいいじゃない」


 観念したような夜へ見せる星の笑顔が悪魔のように見えた。

 綺麗で、汚いものを何も知らない笑顔。そう見える笑顔が、彼女の婚約者がよく見せる悪魔の微笑みとよく似ていた。


 要は似た者同士なのだと考える。だから彼女を好きになったかと聞かれれば、答えは否だ。


「むしろ、二人で健兄さんのお菓子を作ったらいいんじゃないですか。夜さんも料理お上手ですし」

「最低限、自炊できる程度よ。余計なこと言わないで」


 いつもやり込められている夜への復讐の機会だと思って生き生きしだす悠。

 もはや睨むことしないままに夜は歩みを止めた。


「着いたわ」


 今回の目的はドレスの材料をかくことで、目的地はハンドメイド材料専門店だ。

 もう何度も訪れているそこへいつも通りに足を踏み入れた夜の後ろで、星と悠は興味津々に辺りを見ている。


「初めて来たけどこんな感じなんだね。すごい、いろいろある」


 ハンドメイド用の材料を売っている店なので、生地や糸など以外にも様々なものを売っている。

 服だけではなく、アクセサリーなども作っている夜は勝手知ったる場所だ。迷いなく店の中を歩いていく。


「星さんも初めてなんですね」

「お菓子作りは好きでよくやっているけど裁縫はあんまり……。お姉様はよく来てるみたいだよ」

「ああ。月さん、制服もいろいろ改造してましたもんね」


 二人の会話を聞きながら進む夜は高価な生地が並ぶエリアで止まる。


「作りかけのやつを使うのに生地まで買う必要あるんです?」

「安物を生地で作ったドレスなんて貴族街じゃ恥をかくだけよ」


 桜稟アカデミーのパーティ用、ましてや春野家の人間が着るものとなれば、材料もそれなりのものである必要がある。


 裁縫を覚えたての子供が母親に贈ろうとしていたワンピースなんかでは駄目だ。

 頭の中でドレスのデザインを思い浮かべつつ、頭の中で必要なものをリストアップしていく。幸い、時間はたっぷりあるので、店にないものは通販で頼めばいい。


 処刑人の報酬で、それなりにお金を持っている夜は値段で妥協はしない。

 そもそも、そんなことは夜のプライドは許さない。作るなら、満足できるクオリティにするのが信条だ。


「春野星、そこに立ちなさい」


 着る本人がいた方がより理想に近いものを選ぶことができる。

 目についた布を手にとっては星と並べて比べる。肌の色、髪の色、それして本人がまとう色。

 どれがもっとも合うか、その目で見極めていく。


 流石、お姫様なだけあって着せ替え人形になるのは慣れているらしい。真剣に布を選ぶ夜にされるがままになっている。


「こんなものかしらね。少し待ってなさい」


 最終的に決めた布を持って、カット台へ向かう。

 ここで悠の登場だ。文句を言う悠に持てない分の布を持たせて、必要分だけ切り分けてもらう。

 他に装飾用の材料も共に買えば、今回の目的は終わりだ。


 ここまであれの動きはない。もっとも効果的なタイミングで来ると考えれば、これから先を警戒するべきだろう。


「次は健へのお土産を買いに行くんだったかしら?」

「思っていたより乗り気なんですね。ずっと無言だったから大反対なのかと思っていましたよ」

「話す必要性を感じなかっただけよ」


 出来たばかりの店というのは得てして人が多い。話題性のある場所なら尚更。


 若い女性が多い店内に足を踏み入れる。店内で食べることもでき、複数の女性グループが楽しげに談笑している。

 意識せずとも聞こえてくる会話を掻き消すように有線から流行りの曲が流れている。積極的に聞いているわけでもないのに耳馴染みのある曲だ。


 材料を買うときは主導だった夜もここでは一歩譲るように沈黙を守る。楽しげにワッフルを選ぶ二人を眺めながら、意味もなくBGMに耳を傾ける。


 音楽を聞くことは嫌いじゃない。

 一音を積み重ねて生まれるメロディ。使っているものは同じでも、生まれるメロディが変わってくるから面白い。

 流行りのものというのはそれだけ人の心を掴むものがあるということだ。


 一曲が終わり、次の曲が始まる。静かなイントロを耳に入れたと同時に夜の表情が変わった。

 綻んですらいた口元が一文字に引き結ばれ、瞳が冷たく光る。


「私は外で待っているわ」


 ほんの数秒、耳を擽る音だけで分かる。小さな頃から、いや、生まれる前からずっと聞いていたから。


「私たちがいなくても曲を作れるなんて当たり前の話だわ」


 夜たちと出会う前からあの人は作曲をしていたのだから。


 今、胸に湧き起こる感情の名前は、夜自身にだってつけられない。


 いつか自分が歌うと約束をした人物の曲を自分ではない少女が歌っていることに裏切られたと感じているのか。少女へ嫉妬心を抱いているのか。

 音楽の女神に見放されたと大仰なことを言って作曲をやめたくせにあっさりと再開させていることへの怒りか。


「くだらないわ」


 死した夜にはもう関係ない。関係ない話だと言い聞かせる。

 夜の人生は一度リセットされた。リセットされた人生にかつての人々は関係ない。


「紫苑ちゃん」


 可愛らしい声が名前を呼んだ。本名ではなく、偽物の名前を。


 本名で呼ぶなと夜が言ったからだ。最愛の彼以外には呼ばれたくないと、そう思う心だって過去への執着だ。死んだと嘯くならば、名前すらも捨ててしまえばいい。


 結局、人間というのは矛盾していて、歪んでいる。


「これ、紫苑ちゃんの。シンプルな方がいいかなと思って」

「そう。ありがとう」


 先に出てきたらしい星からワッフルを受け取る。白いクリームがこれでもかと挟まれたワッフルにかぶりつく。

 柔らかな甘さを口の中で味わいながら、口の端についたクリームを舐め取る。


「おいしいわね」

「でしょ。きっと健も気に入るね」


 星のことは嫌いだが、おいしいものはおいしい。感情に任せて意固地になるのは愚かしく、今を犠牲にするのはもっと愚かしい。

 渦巻く感情を押しやって、ただワッフルの味を堪能する。そんな時。


「夜姉?」


 知っている声に名前を呼ばれた。今の登場人物ではない過去の関係者の声。

 一声聞いただけで、すぐに顔が思い浮かぶくらいには近くにいたと言えるだろう。


「人違いです」


 一切付け入る隙を与えないままに言い放つ。これ以上、会話を続ける気はないと星すらも置いて歩き出す。


「まっ、待って。夜姉でしょ!? 私、ずっと探して……」


 食い下がる癖っ毛の少女。聞く耳を持たない態度を貫く夜。

 このまま撒いてしまおうと考えていた夜は感じた気配にはっと息を呑んだ。


 あれがついに動き出したのだと追い縋る少女を顧みた。驚く少女の、その後ろで一人の女が歪に笑っている。


「ひっさしぶりぃ、リーダー?」


 楽しげに手を振る女が邪悪に笑う。嗤う。哂う。


 ●●●


 稟王戦に向けての稽古の音を聞きながら健は読書に勤しむ。その横には真面目に勉強に勤しむ優雅と、課題に頭を抱える夏凛がいる。


 派閥を作ったといっても、それらしいことは一切していない。即興で作った拠点で各々好きなように過ごしている。

 身分など気にせず自由に過ごせる場所にあると思えば作った甲斐は十二分にあると言えるだろう。


 いつも騒がしくしている人もおらず、静かでいいと考えて小さく笑う。

 きっとこれを言ったら、分かりやすく騒ぎ立てるだろうと。


「健様」


 読書の邪魔をしないようにという配慮を最大限にした声をかけられる。

 半年近い付き合いのお陰か、少しずつ健との距離を掴んできた梓のものである。


「読書中失礼します。急ぎのお手紙が届いております」

「ん、ありがとう」


 手紙に差出人の名前はない。急ぎ、という言葉も相俟って、不穏の気配を悟る。

 とはいえ、封を開けるその手に躊躇いはない。普通に手紙を開けるのと同じ心持ちで白い紙を取り出す。取り出して、二つ折りにされたそれを開く。


『お姫サまはわタシの手ノなかに。

 取リモどしたケれバ、一人で来イ』


 よくある新聞の切り抜きで作られた文章。書かれている文言もまたらしい言葉で逡巡する。


 お姫様というのは十中八九、星のことだろう。健にとってのお姫様はただ一人、彼女だけだ。

 今日、星は夜と悠とともに、史源町で出掛けている。出掛けた先で誰かに捕らえられたのだろう。


 立場上、健を憎からず思っている人物は少なくない。顔も、名前も知らない相手から勝手に恨まれていることもたくさんある。


 差出人が書かれていないと犯人を特定するまでは至らない。

 動くべきか、動かざるべきか、考える。考え、夜とのやり取りを思い出して息を吐く。


 ――力を貸した方がいい?


 健の問いかけに夜は「必要ない」とそう言っていた。

 強がりとは違う言葉だ。感情と違うところで物事を判断できる人だから、信用できる。


 信用した先で健が取る行動は、行動しないということだ。

 決めたなら迅速にと、手紙は瞬き一つで炎に呑まれて灰へと変わる。


「信用してるよ、夜のこと」


 誰に言うでもなく言って、健は何事もなかったように読書は再開された。

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