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5-2

 桜稟アカデミーの敷地内を広く占拠する森の中に建てられた小屋。もっとも新しい派閥の拠点で開催されたささやかなパーティ。一足先にそこから帰路についた夜には美貌に表情一つ宿さないまま、自宅の床を踏んだ。


 この家もまた同じ森の中にある。もっともこちらは史源町に広がる方だが。

 見た目は仮設住宅のような家に一足踏み入れるとその広さに驚くことだろう。


 まず出迎えるのは一人用にしては広いリビング。その奥に部屋に続く扉がいくつも並んでいる。


 原理は貴族街と同じと健が言っていた。壁を境界にして別の空間に繋げているのだとか。

 説明されて理解はできても、実行まではできない神業だ。夜の想い人はそういうことを涼しい顔で当たり前のようにやってのける。


 セキュリティも厳しく、これもまた健が作り上げたものだ。高度な術式とプログラミングで組まれたセキュリティにより、許可を出された者だけが自由に出入りできる場所となっている。


 処刑人のメンバーが好き勝手に出入りしているリビングを抜け、夜は真っ直ぐに自室へ向かう。荷物運びとして八潮だけが入ったことがある自室へ。


 少女らしさよりも作業場という言葉がしっくり来る一室が夜を出迎える。

 ハンドメイドの材料が夜本人には場所が分かるくらいに散らばっている。


 まずはパソコンを開いて新しいメールが来ていないか確認。本業用のサイトに『依頼停止中』と表示を変え、星からの不本意極まりない依頼に取り掛かるための意識を切り替える。


 作りかけのまま触っていないもの。それが置かれているウェークインクローゼットの中へ。

 変装用の衣装や夜の私服が並ぶ中、一つだけ浮いているワンピースを手に取った。


 ――お母さんの誕生日にワンピースをプレゼントしたいの。


 小学生の頃、夜が住んでいた家の近くに裁縫が得意なお婆さんが暮らしていた。

 両親は忙しい人たちで、夜はよくそのお婆さんの家にお世話になっていた。そこで毎日のようにお婆さんが服や小物を作る様を見ていた。


 一枚の布、一枚の糸から生み出されていく姿は魔法のようで幼い夜はすぐ夢中になった。

 最初は見ているだけ、それから少しずつお婆さんに教えられながら自分でも作るようになっていった。


 子供でもできる簡単なものばかりを作る中で、夜自身がお婆さんに持ち掛けたものを、今でも鮮明に覚えている。


 大好きな母に似合いそうな服をデザインすることろから初めて、そして作りかけのまま終わってしまった。

 初めて作った服が完成する前にあげるはずの人がいなくなってしまったから。


 そのまま悪夢のように奥へ奥へしまって、今日この日までまともに見ることもなかった。

 あげる人がいなくなれば、作る必要もなくなる。これはそういう簡単な話だ。


「過去はもう私には必要ないもの」


 夜は一度死んだ身だ。過去はすべて捨てたもので、このワンピースだってもう終わった過去の一つだ。

 新しく別のものに生まれ変わる機会が得られたならそれでいい。


「また買い出しにいかないといけないわね。八潮の次の休みはいつだったかしら」


 荷物持ちである八潮の勤務表を思い出す夜の耳にインターフォンの音を捉えた。

 この家は人避けの術がかけてある。訪れることができるのは夜か、健が許した者だけだ。

 少ない人数の候補を頭で描きつつ、その中から該当する人物に当たりをつける。


「あら、貴方だったのね」


 玄関まで出迎えた夜の前に立つのは小太りの男だ。汗が滲む顔をハンカチで拭く男性は夜の姿を認識するなり、深々と頭を下げる。


「突然の訪問で申し訳ない。今、大丈夫ですか」

「ええ、上がってちょうだい」


 招き入れる夜はいつもの流れのようにお茶を出し、男性の向かいに座る。

 一応お茶菓子のストックもあるが、いつも遠慮してまったく手をつけないので出さない。


「あれが動き出したようなのでそのご報告を」

「そう」


 短い言葉の裏で考え込む。

 この男性は夜が作った組織のサブリーダーを務めている。


 組織なんて言っても十数人程度の人数で、その実態はただのファンクラブだ。ただの、と付けると少々誤解を生むかもしれないが、ただのファンクラブだ。

 処刑人のファンクラブ。特に癖の強いメンバーが集まった公式ファンクラブである。


 その性質のせいか、変わり者に好かれやすい面々ばかりなので、トラブルが起きないように夜が管理しているのである。


 そして、“あれ”は端的に言うと処刑人公式ファンクラブ「天使を守る会」の裏切り者だ。

 すっと所在が掴めなかったその存在がついに動き出したらしい。

 その狙いは前回と変わっていないはずだ。


「それともう一つ。リーダーを探している女性がいるようでして」


 ファンクラブ内で二番と呼ばれる男の言葉に、夜は一度思考を止める。


「完全に素人のようですがどうしますか」


 裏社会の人間でもなければ、ストーカーの類でもない。警察や探偵でもないだろう。

 該当する人物の選択肢を作って息を吐く。最後に脳裏に過ったのは最愛の人物だ。


「こちらで対処しておくわ。指示を出すまでいつも通りに」

「はい。仰せのままに」


 恭しく頭を下げる男を見送ってすぐに夜はスマートフォンを取り出した。電話をかければ、ほとんど待たずして相手が出る。

 大方、夜がかけてくるのを予測していたのだろう。一度のその頭の中を覗いてみたいと益体もなく考える。


「あの子のこと、知っていて私に伝えなかったわね」

『なんのこと?』

「惚けなくてもいいわよ。あの子が、朝陽(あさひ)がこっちまで来ているのでしょう?」

『夜を探しに、ね。身を潜めていても目立つからねー。噂を聞きつけて来たんじゃない?』


 方針転換してあっさりと肯定した健の言葉に瞑目する。


 瞼の裏に思い出されるのは癖っ毛の少女だ。雨の日のたびに爆発する髪の毛をつまんで、いつも夜の髪を羨ましがっていた。

 馬鹿みたいに無邪気で、無垢な笑顔の少女。もう何年も会っていないが、未だに夜を探しているとは思わなかった。


「私が死んだこと、知らされていないのね」


 戸籍上では夜は死んだことになっている。健の手を取ったあの日、夜は死んだのだ。

 ここにいるのは戸籍のない幽霊だ。


「史源町に住んでいる私も知らない情報をよく知っているわね。アカデミーじゃ、外の情報は入ってこないでしょうに」

『感知に引っ掛かったから少し調べただけだよ』


 謙遜しているように見えて謙遜していない。


「その精度なら八潮いらないじゃない」

『八潮さんほどの精度じゃないよ。まあ、ちょっと頭が回るからね、俺は』

「流石、天才様は言うことが違うわね」

『天才っていうなら八潮さんもそーでしょ。夜もその類だ』


 健が否定しないように夜もまた否定しない。


 国を傾けるほどの美貌。鼻歌すらも人を魅了する歌声。常人離れした身体能力もそうだし、健との会話に労しない頭脳もそうだ。


 夜は才に恵まれている。生まれ持っての才能にも、努力して実る才能にも。


 天才だ、秀才だなんて比べられるけれど、努力して実るならそれも十分に才能だ。夜はそう思っている。

 夜の基準では、健には敵わないと肩を落とす優雅もまた天才だ。


「貴方の周りは天才ばかりね」

『お陰で孤独知らずだよ』


 天才は孤独なものだという。誰にも理解されない苦しみも抱えているという。


 孤独で、孤高。寂しいものだと。


 健の周りには天才が多いといえども、健の隣に立てる者はいない。

 天才の形作るものはいくつかある。


 一つは才能。一つは積み重ねた努力や経験。後は環境の他いろいろと。

 それらすべての果てに、それ以外のすべて捨てれば、健の領域に立てる。怪物になれる。


「不満そうな声を出すものね」


 健は隣に立つものを求めていない。むしろ、その逆だ。

 孤高であることこそが、健の望みであるならば夜は人でいようと思う。


『そういえば世人(よひと)さんも史源町によく来てるらしーね。美空さんがいるからだろーけどな』


 良の妹である武藤美空(むとうみそら)。彼女はUMIという名で歌手をしている。

 その作曲をしているのが本条世人という人物。夜と同じ名字からも分かる、浅からぬ関係の男性の姿を思い浮かべて息を吐き出した。


 込み上げる感情を吐息にして吐き出すように深く深く。

 今更、何か思うことがあるわけではない。けれども、やはり切っても切れぬものがあるのだ。


『でも何で急に作曲を再開したんだろーね』

「知らないわ。興味もない」


 一度死んだ夜に過去はない。過去はないのだ。


『しばらく大人しくしていた方がいーかもね。会うわけにはいかないでしょ』

「私もそうしたいところだけれど、そうはいかないのが難しいところね」


 あれが動き出したのであれば、大人しくなんてしていられない。


『力を貸した方がいい?』

「必要ないわ。……あ、そうね。悠と春野星に伝言を頼まれてくれるかしら」


 予定変更だ。荷物持ちは八潮ではなく、別の人に頼むとしよう。

 本音を言えば、彼女と買い物になど行きたくない。ないが、利用できるものは利用するまでだ。


『星のこと、よろしくね』


 多くを語らない声には圧があった。


 健がどこまで状況を把握しているか分からない。どこまででも把握しているかもしれないし、何も知らないのかもしれない。

 少ない情報の中でも予想だけで正解も引き当てる。夜が何をしようとしているのか、予想だけして釘を刺しているのだ。


 危険な目に遭わせるな、とか。怪我をさせるな、とか。ちゃんと守れ、とか。

 そんなことは一つとして言わず、ただ「よろしく」と言う。薄情とは違うそれは圧以外の何物でもない。


「分かったわ」


 声だけでも感じる恐ろしさを味わうように夜は目を閉じた。

 危険な目には遭うだろう。怪我をするかもしれない。きちんと守りきれる保証もできない。


 それでも死なせはしない、とそれだけは示した。

 死ななければどうにでもなる。どうとでもするだろう健という男は。


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