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5-1

ここから五章に入ります

ヒロイン中心の話です

 上を見れば、青々とした空が広がっている。どこまでも続く、終わりの見えない青い世界。


 吹き付ける風が日差しで火照った身体に涼しさを届けてくれる。

 強い日差しに晒されることに不安を覚える白い肌には汗一つ浮かんでいない。


 健はただ髪を優しく揺らす風を味わうように目を瞑る。

 忙しい日々を送っているとたまに自然のささやきに耳を傾けたくなる。


 自然の音しか聞こえない静かな空間。情報は溢れ返る世界が遠いこの空間は休息には持ってこいだ。

 静かな世界に自然のものとは違う音が混じる。ヒールが地面を叩く音だ。


 目を開ければ、美しい少女が立っている。生まれながらの完璧なプロポーションの身体を闇色のドレスで包み、魔貌とも言うべき顔は蠱惑的に微笑んでいる。

 長い睫毛が縁取られた目は強い情愛を健に注いでいる。


「こんなところにいたら熱中症になるって悠に怒られるわよ」

「夜がアカデミーまで来るなんて珍しいね。急用というわけじゃなさそーだけど」

「悠に招待されたの。貴方の快気祝いパーティを開くらしいわね」


 一度(ひとたび)耳にすれば、心を掴んで離さない声が意地悪く奏でる。端を上げた唇は楽しげで健はジト目でその美貌を見つめる。


「祝うほどのことじゃないってのに」

「貴方が体調を崩すなんて日常茶飯事だものね」


 歩み寄る夜はその手で健の頬に触れた。

冷たい指先のひんやりとした感触を味わいながらただ見返す。 驚きも、戸惑いも、照れもそこには存在しない。


「貴方にしては珍しく悠に従ってるじゃない。何か弱みでも握られているの?」

「別に。たまたま気が向いただけ」


 甘い吐息が顔にかかる。すぐ傍まで迫った美貌への健の反応は瞬き一つだけ。

 人を狂わせる甘い香りに健は惑わされない。そんなことは知っていると言わんばかりに夜はさらに顔を近付けた。


 弧を描いたまま薄く開いた唇が健の頬に触れた。ただ触れるだけのキスは柔らかな余韻だけを残して、健の頬から離れる。


「あ」


 小さな声を零した健の目は向かってくる複数の影を見つけた。

 健と優雅が共同で補足した派閥のメンバー三人。良、夏凛、そして星だ。


 健の婚約者である星と、キスをしたままの姿勢の夜との邂逅。俗にいう修羅場というものだ。

 夏凛は星を裏切ったことへの怒り、良は見てはいけないものを見たと目を伏せる。


 その中でただ一人、星は大きく表情を変えないままに健へ真っ直ぐ歩み寄った。


「や。今日は来るのが遅いんだね」


 悪びれることのない健の態度に空気が揺らぐ。夏凛はさらに怒りをその顔に映した。


「講義が長引いちゃって」


 やはり星は変わらぬ態度で、いつも通りに健の前で笑う。そして夜の顔を覗き込むように首を傾げた。

 怒りも悲しみもないどころか、そこには夜への興味で満ちていた。


「また会えたね。ずっと会いたいと思ってたの。貴方の名前を聞いてもいい?」

「……」

「夜だよ、本条夜」


 無言を返す夜の代わりに答えるのは健だ。黒曜石を嵌め込んだような目が恨めしげに見つめるのを、健はどこ吹く風で微笑だけで受け流す。


 健の言葉を受け取った星は「夜ちゃんか」と小さく呟いた。

 馴染ませるような呟きを聞き止めた夜はその目に不機嫌をまとわせる。


「紫苑。そう呼びなさい。貴方に名前で呼ぶ許可を出した覚えはないわ」


 夜は気安く本名で呼ばれるのを嫌う。今のところ、夜と呼ぶことを許されているのは健一人きりだ。


 それだけ自分の名前を大切にしているということで、もう取り戻すことのない過去への唯一の執着だ。彼女にとって大切な思い出の象徴であるのが名前なのだ。

 美しすぎる顔に怒りを宿らせ、迫力満点な苛立ちを見せる夜に星は意に介さない。


「紫苑ちゃん、よろしくね」

「私はよろしくするつもりはないわ」


 基本的に夜は他者との関わりを避ける性質だ。

人を惹きつけてやまない体質すらも潜ませて影に徹する。それでもその美貌は人の目を惹きつけてしまうが。


 人嫌いとは少し違って、ただ他者との関わり合いを嫌っているだけだ。

 そして、星に冷たくするのもまた星が嫌いだからだ。


 健のことを好きだと公言している身で、恋敵である星を嫌うのは納得できると言える。しかし、夜が星を嫌うのはもっと別の理由だ。


「なんか……星はすごいね。私だったらショックで寝込んでるよ」

「そうなんだ?」

「そうだよ。すっごくショックだし、すっごく泣くよ」

「夏凛を泣かせないように気を付けるよ」


 恋人が知らない女性と親しくしているどころか、キスできる距離で一緒にいるなんて多くの女性が傷つくシチュエーションだ。浮気だと騒ぎ立ててもおかしくはない。


 しかし、星はといえば傷つくでも怒るでも、嫉妬の炎を宿すでもなく、むしろ仲良くなろうとする始末。

 その根底にある感情といえば、


「だって健は私を好きなままでしょ」


 当たり前のように紡がれる言葉は希望ではなく確信だ。

 星は健よりも健のことを知っているし、理解もしている。


 もし健の心が夜に向いていたなどうなんだろう、と他人事のように考える。多分、それでも星は変わらない。

 星よりも星のことを知って、理解しいる健もまた確信を持っての答えだ。


「あ、みなさん! お揃いですね。ちょうど準備が終わったところですよ。パーティの始まりです!」


 悠が発案し、準備までした健の快気パーティ。何を企んでいるのやらと健は無表情の中で、その無邪気な笑顔を疑うように見つめる。


「夜さんも来てくれたんですね。嬉しいですよ。健兄さんもさあさあ、中へ」


 疑う視線を一瞥のようにくれて、健は素直に従う。

 見慣れた部屋の中は、手作り感満載の飾り付けが施され、いつもとは少し違う装いを見せている。


 悠の他、梓と知世の使用人組、早めに来ていた優雅と壬那が準備していたのだ。

 健も手伝おうとしたが、悠に大人しくしていろと言われたので自然を満喫していた。


「料理は梓さんたちが用意してくださいましたよ。健兄さんの大好きなスイーツもたっくさんありますよー」


 素人感が拭えない飾りと対照的に、テーブルの上に並べられた料理やスイーツは豪華の一言に尽きる。


 一目でその気合の入れようがはっきりと理解できるほどに。

 流石、使用人学校を首席で卒業した腕前は伊達ではないということか。


「気合入ってるね」

「健様は普段あまり食事をとられないのでつい……」


 健は小食にして偏食だ。基本的に甘い物しか食べない上に、食べるタイミングも不規則だ。

 食べない日も珍しくないが、最近は小うるさいのが三人に増えたのでそれなりに人間らしい生活はしていると思う。今までに比べれば。


 とはいえ、健はそれほど手の掛からないタイプなので梓はかなりその力を持て余していることだろう。

 どこか生き生きとしても見える梓を見ながら、たまには甘えた方がいいのだろうかと真剣に考える。


「梓の料理はいつも美味しいから期待してるよ」


 パーティなんて言っているが、ただ豪華な料理を楽しみ、談笑するだけの緩いものだ。正直、料理がついているだけのいつもの時間だ。


 健はただ梓が作ってくれたスイーツを食べながら、離れた位置でみんなを眺めているだけ。

 こういう日常も悪くないと遠い場所で目を細める。綻んだ目元が映し出す視界に無邪気が不協和音として流れ込んだ。


「ここも健兄さんの居場所ですよ」

「その話、まだ続いていたんだ」

「終わらせませんよ。僕はしつこく、執拗に話を振る所存です」


 胸を張ってまで主張する姿に息を吐く。今回のパーティを開催した理由はこれというわけだ。


 処刑人のメンバーを集めた健。派閥を作ろうと言い出したのは健。

 始めたのは健だ。けれど、そこにずっと健がいなくてもいいと思う。


 感情ではなく、計算で作った場所だ。利用するためだけの場所ならむしろ距離を置くべきだ。

 そう思っている。悠は絶対に受け入れてはくれないだろうが。


「まあ、でもアカデミーでの生活も後数か月で半年になるのかと思うと感慨深いよね」

「あからさまに話題を逸らしてきましたね……。まあ、確かに忙しいと時が経つのも早いですしね。そういえば、健兄さんは次の稟王戦には参加するんですか」

「しないよ。応援するだけ」


 自由参加な行事は参加しない主義だ。特に目立つような行事は。

 一度優勝した健の参加は多くが期待するところだろうが、目的がないのなら参加はしない。

 もし仮に参加したとしても、勝つ必要がないのなら潔く優雅に勝ちを譲るだろう。


「どうせなら夏らしいこともやりたいわね、二人っきりで」

「お生憎、俺は夏の行事とは相性が悪いから」


 夏祭りのような人の多いところでは体調を崩すし、海やプールで身体が冷えれば体調を崩す。

 精々、程よくクーラーの効いた部屋で夏らしい食べ物を食べるくらいだろうか。


 クーラーで冷え切った部屋でも体調は崩すし、暑いところにいても当然体調を崩す。

 術や鬼神の力を使えばある程度融通はきくものの、本当に面倒な身体だと思う。


「でも、星さんの浴衣とか水着とか見てみたいとは思ったりはするんじゃないですか」

「多少はね。でも、星は今のままでも十分に可愛いから」


 表情一つ言ってのける健の中に照れはない。健にとって当たり前すぎる事実で、別段照れるとでもないと思っているのだろう。

 そうは見えなくても、それくらいに星にぞっこんなのだ。


「言い切りますね。いっそ、夜さんがプロデュースしてもっと可愛くなんてどうですか!?」

「嫌よ」

「即答ですね。まあ、夜さんが嫌いなタイプでしょうけど」


 まるで穢れを知らないような綺麗な存在。汚いものを見たことがないような真っ直ぐな目。

 夜が恨むように、憎むように嫌っているタイプだ。


 ただ星は少しだけ違う。穢れも、汚れも知っていて、知らないふりをしているのだ。


 健のために。


「紫苑ちゃんのプロデュースかぁ。面白そうだね」


 話を聞きつけた星が処刑人たちの会話に加わる。夜は分かりやすく表情を変えた。

 国を傾けるほどの美貌に明らかなまでの不機嫌が宿る。


「夜のセンスは信用できるからね。一回くらいやってみたら?」

「……」


 最愛からの申し出に無言を返す夜。基本的に健の指示には従う夜だが、流石にこれは受け入れがたいらしい。

 無機質と称されることの多い目が静かに夜を見つめている。


「……。……分かったわ。ちょうど作りかけのまま触っていないものがあるから、それでいいならね」

「本当!? ありがとう、紫苑ちゃん」

「無駄にするのが嫌なだけよ」


 分かりやすいツンデレを見せる夜に健は笑みを乗せる。

 夜は星を嫌っている。星は夜を好ましく思っている。二人の相性はかなりいい。

 不本意というアピールをしていても夜はきっと全力を尽くしてくれる。


「アカデミーは年末にパーティもあるしね、その時まで楽しみにしてるよ」

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