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4-20

「あ! やっと健兄さんに会えました! みなさん、いるようですね」


 待ちに待った再会を喜ぶ悠の声が星司の中に安堵を生んだ。


 その場にいるメンバーを確認し、後は和音だけだと気を緩ませた目が白い瞬きを捉えた。

 嫌な予感に胸の辺りがざわついている。不吉な眩しすぎる光――。


「防御して!」


 らしくない健の大きな声が焦りを持って響いた。それを耳にして、意味を咀嚼している間に煉鬼とレミが同時に動き出す。

 行動の早さは流石の一言で、それぞれ炎と水を盾のように渦巻かせる。


 一拍置いてようやく理解が追い付いた星司もまた二人に遅れて防御の姿勢を取る。とはいえ、星司は防御に応用できる術を使えない。今はまだ勉強中の身で、できるのは申し訳程度に身を低くする程度だ。


 意識を集中させて、薄っぺらい結界を張る。これが今の星司にできる精一杯で、でもないよりはマシだと思いたい。


 白い光はどんどん大きくなり、視界を焼くように溢れていき、あっという間に空間を満たしていく。星司はその眩しさに思わず目を瞑った。


却下(キャンセル)

「起動――防御結界一〇〇%」


 二つの重なる声が耳に届いた。誰の声なのか判別もつかないままに世界が蹂躙される音がすべてを塗り潰した。


 誰かを呼ぶ声。誰かが呼ぶ声。苦悶の声。破壊音。

 世界が終わる音とはまさしくこのことを言うのではないだろうか。


 そんな益体のないことだけを非現実に考える星司の胸に広がるのは果てしない不安だ。音だけでは何も分からず、ただ不安だけが膨らんでいく。

 耐え切れなくなって薄く開けた目が純白の光に焼かれた。反射で強く目を閉じた。


「星司――っ!」


 破壊音に紛れて、誰かが星司を呼んだ。白に焼かれたように朧げな思考が理解に辿り着くよりも先に誰かに突き飛ばされた。


 微かに香るのは鉄の香りだ。瞑った瞼に赤い血飛沫を幻視した。

 炎の熱が柔らかく肌に触れて、その温かさに誘われるように星司はゆっくりと瞼を持ち上げた。


 破壊の音はすでに止んでいて、白以外の色を取り戻している。立っている者はいない。


 乱れる呼吸を落ち着けて、冷静さを意識するように周囲を確認する。


 星司の近くに誰かが倒れている。おそらく星司を突き倒した人物だろう。

 筋肉で引き締まった身体から流れる血に息を呑み、一瞬で冷静さは吹き飛んだ。


「煉鬼さん!? 大丈夫っすか」

「せい、じ……怪我はないか?」

「俺なんかより煉鬼さんの方が余っ程大怪我ですよ」


 庇われたという事実に乱れる心を押しやって、医者としての目で煉鬼へ歩み寄る。

 表情は変わりないが、地面を汚す血の量が危険な状態を教えてくれる。将来、父の病院を継ぐべく、医学の勉強をしている星司には一目瞭然だ。


 医学の知識があっても医療用の道具はない。せめて治癒系の術が使えれば話は別だが、星司には適性がないらしい。

 せめて何か応急処置に使えるものがないかと視線を巡らせる星司の手を煉鬼が掴んだ。


「俺は鬼だ。人間ほどやわじゃない」


 凶悪な顔立ちが、星司を安心させるために不器用な笑顔を見せる。

 その頭に生える二本の角が発光した。周辺の空気が渦を巻くように角へ集まり、傷口から流れる血が徐々に止まっていく。やがて薄皮が張り、瞬く間に危険域から脱した。


「鬼は角を介して大気中の霊力を吸い上げることができるんですよ。身体も丈夫ですし? 心配しなくても早々死んだりしませんよー」


 周囲の木々はすべてなぎ倒され、蹂躙されつくされた姿を見せる森の中でも変わらない無邪気さの悠が顔を覗かせた。

 攻撃を受けた気配を服だけに残している。悠が防御している姿だけは見ていなかったが、その身体に傷は一つとしてない。


「悠は無事だったんだな」

「この姿で無事と言われると微妙なところですけど、まあ、そうですね。元気満点ですよ」


 いつも通りの無邪気を振り撒く姿に安心する。

 非現実が形を成した世界でいつもの欠片を見つけることが心の救いとなる。

 こんな状況でも自分の心の安寧を求め星司の心根を見透かすように悠は一瞥をくれる。


「他の方たちも大きな怪我はしていないで、しょ――っ」


 地面に皹が入り、足元が崩れた。言い終わらないうちに悠の身体が地面の下に呑まれた。


 咄嗟に差し出した星司の身体もまた奈落の下へ。

 無残な姿を見せていた木々たちは消え失せ、人だけが底へと落ちていく。


 底は暗闇で、下に何があるのかも分からなければ、どこまで落ちるのかも分からない。

 手も、足も、空ばかりに触れる。


「起動――クッションその2」


 不確かばかりの中で、確かに響いたのは美しい声だった。甘く、一度聞いたら忘れられない、そんな声に応えるように大きな何かが展開される。

 暗闇の中に現れたそれは奈落に落ちた身体を柔らかく包み込んだ。


「元の家ですかね、ここは」

「妖具が閉じたのよ」


 高いヒールが軽く地面を叩けば、クッションが消え失せる。姿を現したのは何の変哲もないフローリングだ。

 フローリングだけではない。視界に広がるのはありふれた一室。物が一切置かれていないのでやけに広く感じるリビングだ。


「健兄さんはご無事ですか。僕、心配で心配で」

「無事よ、一応はね」

「むぅ、含みのある言い方をしますね」

「私は医者じゃないもの。外側からしか判断できないわ。気になるなら自分で確認なさい」


 冷たくあしらうように言葉を返す夜の目が星司を見た。深い闇を切り取ったようなその目が静かに見つめ、瞬きのうちに逸らされる。

気のせいだと思わせられる。そんな刹那だ。


「服、着替えたんすね」


 この家に入る前にまとっていたのは真っ黒なドレスだった。しかし夜が今まとっているのは白とピンクで彩られたファンシーなドレスだった。


 服の系統こそ似てはいるものの、色が違うだけで与える印象も変わってくる。

 整いすぎた容姿はどんな服でも着こなしてみせ、見た目だけなら違和感がないくらいに似合っている。ただ、まとう冷たさがどうしようもなく違和感を感じさせた。


 気まずさを感じての声掛けに夜は言葉を返さず、視線だけを寄越した。

 反応らしい反応すらもないままに夜は星司の横を通り過ぎ、床に落ちていた本を拾い上げた。


 白を基調とした装丁に銀の装飾が施された本だ。不思議な雰囲気をまとっている。

 夜は拾い上げた本の中身を確認するようにページを捲り、すぐに閉じた。


「回収できた?」

「ええ。中は白紙、発動しない限りはただの本と変わりないみたいね」


 不機嫌のようにも見えた夜は態度を軟化させて、話しかける少年に応える。

 高校生だと言われても冗談としか思えない、小柄な少年。星司の弟である健だ。

 かなりの値段がするらしい桜稟アカデミーの制服を赤く汚した姿に星司は言葉を失う。


「健、お前、その血……」


 消息不明となっていた弟が血塗れで現れたことの衝撃はかなりのものだ。

 立ち姿に危なげはなく、大きな怪我をしているようには見えない。


「全部返り血だから心配しないで」


 言って健は服をはらう仕草を見せる。服についた埃をはらうそんな仕草では普通、血がとれるわけがない。

 そんな常識を嘲笑うように制服についた血が一瞬にして消え失せた。


「こっちも回収したよ。全部で四つ、妖界の方で管理してもらえると助かります」

「分かった。預かるよ」


 聞こえた声に視線を動かせば、海里が立っている。常識を超えたことばかりが起こる中で身近な人物が近くにいるだけで落ち着くものがある。


 案の定、いつも通りの温かな笑顔の海里に安心したもの束の間、左袖を汚す血に気付いて瞬きをする。


「大した怪我じゃないよ。ちょっと掠めただけ」

「そうは言われても、そんなに血を垂れ流してたら心配になりますよ。悠」


 笑って誤魔化す海里へ息を吐くように言葉を返す健。その声に答える無邪気な声の持ち主は唇を尖らせている。


「健兄さんだけには言われたくないと思いますよ。いっつも心配ばかりかけて、こっちの身にもなってほしいです」

「はいはい。さっさと仕事して」

「むぅ、いじわる兄さん」


 さらに唇を尖らせながらも、悠は仕事を果たすべく海里の左手に触れる。

 仄温かい光が海里の手を包み込み、瞬く間に傷を治した。


「ありがとう」

「いーぃえ。これくらいお茶の子さいさいですよ、っと。治癒は専売特許ですから」


 不満げな表情から一転、悠は自信満々に顔を彩る。星司のよく知る悠らしい姿だ。


 いつの間にか和音も合流していたようで全員が揃い、不思議な空間は閉じた。一番大きな怪我をしているのが煉鬼で、他はかすり傷程度のようだ。

 犯人らしき人物も拘束されており、事件は無事解決したと言えるだろう――。


「健、ちょっといい?」


 完結させようとした星司の思考を割って入るような優雅の声が聞こえた。


「一人、姫子さんが見当たらないんだ」


 姫子、という名前に聞き覚えはなく、星司には誰か分からない。

 ただ言葉を聞いて緊迫を表情に混ぜる海里と、目をわずかに細める健を見てただならぬ状況であることだけは察した。


「逃げられた、か。どーしよっか」


 意見を求めるように夜を見る健はまだ焦っていない。視線を受けた夜も嫣然と微笑んで、余裕を見せつける。

 二人の姿は高みから状況を眺める強者だ。


「心配はいらないわ。逃げたうさぎのための準備はちゃんとしてあるもの」


 ●●●


 拠点となる家から逃げ出した姫子は呼吸を乱しながら進む。

好んで着ているフリルだらけのドレスはかなり動きにくい。高いヒールの靴もまた走りにくいもので、逃走するには不向きな格好と言えた。


 運動が得意な方でもない姫子はすぐに足をもつれさせて、地面に膝をついた。白いタイツが破けて、剥き出しになった白い肌に血が滲む。


 じんじんとした痛みに顔を顰め、それでも歩みは止めない。一刻も早く、少しでも遠くに逃げなければならなかった。

 不安だけが心の中を支配して、進む足に力が入らない。けれど進むしかなかった。


 あのままあの家にいたら姫子は間違いなく殺されていた。


 あの悪魔のような女に。その容姿で多くを誑かした女に。


 なるべく人混みに逃げるべきだろう。流石に人の多いところでは手を出しはしないはずだ。

 そう考えて走っているのに、全く人の気配がしない。世界に姫子しかいないのでは思わせられるほどに。


「きゃっ」


 誰もいない恐怖に駆られて歩を速める姫子は誰かとぶつかった。


「おや、大丈夫ですか」


 低い声に顔を上げる。ようやく人を見つけた、と。


 しかし、そこに立っていたのは姫子が嫌う醜い存在だった。

 姫子を受け止めた身体は柔らかく、おぞましい肉は服越しでも汗ばんでいるのが分かる。何より、醜く笑う顔が嫌だ。


 嫌で嫌でたまらなくて、それでもこの状況を変えるのには十分だ。


「た、助けて。怖い人に追われてるの」


 顔立ちは恵まれなくても、姫子は身体付きには恵まれていた。

 豊満な胸を押し付けて頼み込めば、こういう人間は簡単に絆されてくれるだろう。


 そう、思っていた。


「それは大変ですな――」

「お前、全然ダメ。つーか、キモイ。自分可愛いとか思ってんの? マジ、ありえねー」


 太った男の言葉を遮るように、別の男の声が畳みかけた。


 もう一人いたことに驚く以上に、その言い分に怒りしか湧いてこない。こういう外見でした人を判断できない人間も嫌い――湿ったものが剥き出しになった膝を撫でた。


 怖気が全身に走り、恐る恐る下に目を向ける。


「ひっ」

「アヘェ、おいしくないねぇ」


 また別の男が姫子の膝を舐めて、ニタリと笑う。


「八番、駄目ですよ。急に人を舐めては驚かせてしまいます。五番も女性は丁重に扱うべきです」

「二番は相っ変わらず紳士だねぇ。アタシは八潮様なら冷たくされてもいっかな」


 嗜める小太りの男ににやにやと近付く、今度は女性だ。この場にいるのは四人で全員のようだ。


「あっ、想像しただけでやっばい。ぐへ、ぐへへへへ」


 涎を垂らしながら妄想を膨らませる女性もまともではない。


 狂人だらけのこの場所にこれ以上いたくない、と後退る。

 戻れば殺される。進もうにも変態たちに阻まれる。手詰まりだ。


「怖がらせてしまったようですみません。変わり者ばかりですが、悪い人たちではありません。どうぞ手を――」

「いやっ」


 差し出された汗ばむ手を振り払い、太った男を押しのけて逃げ出す。

 追いかけてくる素振りはなく、安心する姫子はまた誰かにぶつかった。またしてもぶつかるまでその気配にまったく気付かなかった。


「あの面子じゃ逃げ出したなる気持ちも分からんでもないけどな」


 突然現れた気すらするその人は空気を壊すような態度で姫子を受け止めた。

 脂肪の柔らかない感触とは違う、引き締まった男の身体。仄かにいい香りがする。

 張り詰めていた空気が一瞬解け、男がまとう服を見て息を詰める。


「門衛っ⁉」

「仕事が終わってすぐに来たからなぁ。気にせんでええよ」

「わた、しを殺しに来たの……?」

「殺しはせえへんよ。いっくら人払いしとるって言うても、道端で人を殺すにはまだ明るすぎるしなぁ。嬢ちゃんにも殺せとは言われへんし」


 嬢ちゃんというのはあの女のことだろう。

 彼もあの女を崇拝する人間の一人なのだ。きっとあの変態たちも。

 姫子はこの世の理不尽を嘆くように溜息を吐いた。


「結局、顔なのね。顔がよければ、みんながついていく」


 呟きを聞く門衛の男は目を丸くして姫子を見ている。何を言っているのか分からない、そんな顔だ。


「俺が嬢ちゃんに従うのは嬢ちゃんが従うに値するお人やからや、確かに綺麗な顔立ちをしてるとは思うけど、俺にとってはどうでもええことや」


 本当にそう思っているかのように吐き捨てる男を姫子は信じられなかった。


 どんな優れていても顔の美醜はそれをあっさり覆す。

 美しければ周りが持て囃し、醜いものは蔑まれる。それは決して代えがたい、この世の摂理だと姫子はずっと教えられてきた。


「自分の顔やってそない悪くないで」

「そんな言葉、信じるわけ……」

「別に信じろなんて言ってへんよ。それだってどうでもええ。俺は俺の仕事を果たすだけや」


 門衛の手が姫子へ迫る。男の手だと一目で分かる大きな手。

 あれだけ胸を鷲掴みにしていた恐怖心は何も起こらない。ただ観念したように目を瞑る。


「あなたの名前を、教えて」

「俺の名前は君江八潮や」


 何てことのないように答えるその目に姫子は映っていない。

 本当にどうでもいいと考えているのだと思って、姫子の意識は闇へと消えた。

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