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1-6

 早く、早く、距離を引き離すように足を動かす。

 誰もいない場所を求めて中庭に抜けた。手入れの行き届いた庭には様々な花が咲いている。

 星のお気に入りの花園だと言っていたのを思い出して胸がちくりと痛んだ。

 星は花が好きで、可愛いものが好きで。自分との差を見せつけられる花園にいるのが怖くなった。


「……そうだ」


 中庭には抜け道がある。幼い頃、鬼ごっこの最中に見つけたそれは夏凛と星だけの秘密だ。

 きっと和幸だって知らない抜け道を、記憶を頼りに見つけ出した。正門で待っているであろう桐葉に申し訳ないと思いながら外に出た。

 これ以上、星の面影を感じる場所にいたくなかったのだ。


「私がもっと可愛かったら違ったのかな」


 女の子は何でできている?

 砂糖にスパイス それにすきなものばかり。そういうものでできている。


 甘くて柔らかくて可愛くて、みんなが望むお姫様でいられたら和幸が笑われることも、星が悲しそうな目をすることもなくなる。

 夏凛が夏凛らしくいることは大好きな人たちを苦しませる。


 ――君が君らしくいられる世界を俺が守るよ。


「そんなことを言うなら、最後まで責任持ってよ」


 約束するだけして、姿を消すなんて無責任にも程がある。

 彼がいてくれたら夏凛がこうして思い悩むこともなかった――なんてのは自分の弱さを隠すための言い訳だ。

 誰の期待にも応えられない夏凛に弱音を吐く資格なんてない。


「なにしてるんだろ、私」


 感情のままに屋敷から抜け出して、これでは桐葉にも和幸にも迷惑をかけてしまう。

 戻らなくては。そう思ったときだった。


「こんなところでどうしたのかな?」

「な、なんでもないです。家に帰るので……」


 不審者だと判断した夏凛の対応は迅速だ。相手に隙を与えないようにそそくさ踵を返す。

 いざという時に、護身術を使う準備も万全だ。


「なんでもないことないだろ。だって泣いてる」


 腕を引っ張られ、反射的に顔を上げる。涙で潤んだ顔がわずかに見開かれ、目の前の男を見つめる。

 短く切り揃えられた白い髪は毛先だけが赤く染められている。和らげられた瞳は人好きのする雰囲気を与え、警戒していた心がゆっくりと解かれていくのを感じる。


「こんなに目を紅くして。どうかな、話くらい聞くよ? 君の願いだって叶えてあげられる」

「私の願い……?」


 何故だろう。

 全く知らない人物で、数秒前には不審者とすら思っていたのに、今は長年の親友と言えるくらいに心を許している自分がいる。言葉一つ聞いただけで、彼は信用できる人だと心が訴えかけてくる。


「夏凛さん!」


 切迫した声が夏凛を現実に引き戻す――前に腕を引かれた。

 青年の胸にダイブした夏凛を噎せ返るほどの甘い香りが襲う。そのまま誘われるように意識を手放した。


「彼女をどーするつもりですか」

「心配はいらない。僕は彼女の望みを叶えるだけだよ。彼女以外の人間を選んだ君にとやかく言う資格はあるのかい?」


 柔らかな笑顔を見せつける男は、自失した夏凛を抱きかかえる。向けられる無機質な瞳に宿る警戒の色が愉快で仕方がない。


 本当に彼が、あの方の言っていた人物なのか、と。

 子供そのものな容姿は聞いていた通りで、向けられる視線や纏う雰囲気は想像を遥かに下回る。


 今まで警戒していたのが嘘のようだ。自分の声に心を乱されている姿を見る限り、警戒に値するようには思えない。所詮は小学生だ。


「また会いましょう。そこまで間をあけないないでくれると失望しないで済む」


 懐から取り出した石が眩い光を放ち、二人を包み込む。動揺と警戒が織り交ぜられた顔を目に焼き付けた青年は一瞬にして姿を消した。


「お姫様を見つけられるのは王子様だけさ」


 そんな一言を残して。




 白い光に纏われ、姿を消した青年を見届けた健は息をすべて吐き出す。浮かべていた表情を消す。

 二人が消える間際、行使した追跡の術を跳ね返されてしまった。白い光によって。

 嫌な予感が見事なまでに当たってしまった。さらに面倒な方に転がり、状況は最悪。


「貴方は気付いていたんですか、夏凛さんのこと」


 投げかけられた声は虚空に消え、返ってくる声はない。無機質だった瞳に不機嫌な色が混じり、人間らしさを見せる。

 珍しい姿を指摘する者がいなければ、そもそもできる者はいない。

 隠しもしない怒気は凄まじく、鼠一匹すら近づけない空気を周囲に撒き散らしている。


〈否〉


 不機嫌な健を堪能したタイミングで、地を這うような低い声が轟いた。健の目がさらに不機嫌に彩られる。

 漆黒の瞳が捉えているのは宙を浮かぶ透明な玉。水晶に似たそれは紅く明滅している。


〈我とて予想外の状況だ。まさか、和幸の娘があれほどの力を持っていようとはな〉

「本当に? 覗き魔な貴方が知らなかっただなんて到底信じられません」


 健の声に反応した夏凛の目は紅く輝いていた。

 紅は鬼神を象徴する色。紅く輝いた目は鬼神の力を使っていたことを示す。


 夏凛は巫女の素養があった。それは唐突に生まれるものではない。

 そして、声の主が巫女の素養があるはずの人間に気付かないわけがない。彼は貴族街の全てを知っている存在なのだから。


〈本来、あれの力は弱いものであった。我が気付かないくらいにな。それが強まった理由が分からぬお主ではあるまい?〉

「……俺のせいか」


 隣に座っていた短い間、健は夏凛と接触する機会があった。

 ほんの一瞬。互いが触れたことを気にもしないくらいの刹那。健の身体に宿る力が流れ出し、密やかな才能に力を与えた。

 自身の拳を見つめ、無言で握りしめる。


〈力の制御ができぬうちは危険だ。やはりお主は本家に置くべきだったか……。今からでも遅くない。どうだ――?〉

「それで俺が従うでも? 随分とおめでたい脳内してるね。人を覗いている暇があるなら、老化予防の方法でも調べたらいーんじゃない」


 敬語を使うことすらやめた健は分かりやすく嘲りの笑みを浮かべる。


「夏凛さんのことは俺がけりをつけます」

〈姫巫女になりうる逸材だ。くれぐれも――〉

「あんたの指図は受けない。俺自身の責任で、俺の好きに動くよ」


 長い袖で隠された手で透明な玉に触れる。一際強く瞬けば、玉は一瞬にして砕け散る。

 散らばった破片が陽光を受けて輝く様を美しいと思う感慨もなく、すぐに視線を外した。代わりに男が立っていた場所を注視する。


「痕跡がないわけじゃないけど……。はぁ、自己主張が激しーのも困りものだね」


 吐き捨てるように呟き、自身の霊力で白い残滓を消し去る。


 白はある存在を示す色。

 今の今まで沈黙を守っていたあれが動き出したという事実が損なわれていた機嫌をさらに悪くする。

 珍しく乱れた感情を一呼吸で落ち着ける。冷静さを取り戻した脳内は次にするべき行動を機械的に導き出す。


「夏凛さんの目は紅くなっていた。……能力が何か聞いてから壊すべきだったな」


 いつの間にか、破片すらなくなっている。あれが完全に身を引いた証だ。

 狙ったようなタイミングで現われ、狙ったようなタイミングで去っていく。


 あれがその気になれば、破壊されたとしても再生して会話を続けることだってできるのだ。そうしなかったのは状況を面白がっているから。それ以外の理由が見つからない。

 逆撫でられた神経を細めた目だけで表し、すぐに思考を切り替える。


「何かが動いた形跡はなかった。となると遠隔、いや」


 夏凛が操っていたのは目に見えないものに違いない。

 そこで思い浮かぶのが彼女の特技である占いだ。

 夏凛の占いはよく当たる。以前、星が嬉々とした表情で語っていた。


 占いは見るものだ。性格。運命。オーラ。よく当たる占い師はそれだけ見る力が優れているということだ。

 夏凛もその類の人間だと、今の今まで深く考えてこなかった。


「……まずいな」


 よく当たる占いには別の力が働いていた。

 紅い目は万物を操る鬼神の象徴。巫女と呼ばれる少女たちはみな、その恩恵を受けている。


 そして、夏凛の能力はおそらく運命を操るというものだ。無意識化で使われていた力は、占いがよく当たるという形で表れていた。

 思っていたよりも悪い状況になっていることを自覚した健はただ冷静に思考をシフトさせる。


 ――お姫様を見つけられるのは王子様だけさ。


 最後に残された言葉。これはヒントだ。

 王子様だけが夏凛のことを見つけられるように運命は操られた。


「王子様か……。星なら何か知ってるかな」


 残念ながら、健はそこまで夏凛と親しい間柄ではない。ゆえに、夏凛にとっての王子様と聞かれて答える術を持っていない。

 一番近いところにいる星ならば何か知っている可能性は高い。

 和幸辺りに聞いてみる手も考えたが、娘にふられるくらいだから役には立たないだろう。


「他人の子供にばっか気にかけてるからこーゆーことになるんだよ……。放っておけばいーのに」


 本人の前で言わないのは、傷付けると分かっているから。

 どの道、夏凛が誘拐されたという報告をしなければならないのだ。聞いて自責の念に駆られるのは目に見えているし、さらに追い打ちをかける真似はしたくない。

 それは周囲から恐れられる少年の不器用な優しさだった。

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