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4-17

 部屋の中心に人が座っている。何もない部屋で、この場にいるのは足を踏み入れたばかりの二人を合わせて三人きり。他には本当に何もない。


「あれは、和音さん!?」


 座っているのは春野和音だった。やけに豪奢な椅子に座って、顔を俯かせている。

 よく見れば、手足を椅子に括りつけられている。俯いているのは意識を失っているからのようだ。


「分かりやすい罠ね」


 闇色のドレスを身にまとう美少女が吐き捨てるように呟いた。

 和音の保護は拠点に潜入した理由である。ちらつかされて、盲目的に飛びつくような浅はかな人間は潜入メンバーの中にはいない。


 相手だってそれを見越しているだろう。ならば、この罠の狙いは別にある。

 裏の裏をかくように思考を回し、口元に笑みを乗せ、前へ踏み出した。


「行くんですか」

「心配しなくても大したことにはならないわ」


 普通なら引っ掛からないような罠にわざと引っ掛かる。それがこの部屋の正解であると夜は導き出した。答えを見つけ出してしまえば、行動に移すのに迷いはない。


「手を離さないで」


 こうして彼を手を繋ぐのは何度目になるだろうか。


 生来、夜は他者とのスキンシップを好まない性質だ。ある出来事をきっかけに人との関わりを極力を避けてきた。


 人を惹きつけてやまない体質を疎ましく思っていて、それを利用しようなんて夢にも思っていなかった。

 たとえ今までの自分を壊しても、昔の自分に笑われても構わないと思える。


 夜は今、愛に毒されている。愛に蝕まれている。人を愛するということは素晴らしいもので、どうしようもないほどに麻薬だ。


 愛しい人への想いを胸に膨らませる夜の足元が崩れた。比喩表現ではなく、和音へと近づいた先で床が崩壊したのだ。


「紫苑さんっ」


 下へ下へと落ちていく身体。夜を庇うために繋いでいない方の手を伸ばす優雅に嫣然と微笑んだ。


「起動――クッションその一」


 囁き声に応えて、夜が身に着けていた指輪が瞬きと共に崩れ落ちた。変わりに出現する大きなクッションが落下した二人を柔らかく包み込んだ。


 指輪も含め、夜が身に着けているアクセサリーはすべて術式が付加された特別製だ。使い捨てという条件で、最高峰の術者の術が誰でも扱えるようになる。


 ちなみに今回の術の命名は八潮がしたものである。他にも悠が考案した「人をダメにするやつ」というのもあったが、夜と健の二人にばっさりと切り捨てられた。


「上るのは難しそうですね」


 落ちた先は暗闇。見上げても光すら見つからない。

 そこまで長く落ちていた感じはなかったが、ここが不思議空間であることを考えるとこちらの常識が通じないこともあるだろう。


「あれは……糸?」


 見上げたままの優雅が暗闇の中に光る筋を見て呟く。細く、上から垂れ下がるのは白い糸だ。


「蜘蛛の糸ってところかしらね」

「芥川龍之介ですか」


 釈迦が男を地獄から救い出すために一本の蜘蛛の糸を垂らす、という話だ。

 最終的に地獄から這い出ようとした多くの罪人たちの重みで糸は切れてしまったが、二人分くらいなら問題ないだろう。


「起動――命綱」


 問題ないとはいえ、細い糸を登るのは不安もある。

 ドレスの装飾としてつけていた鎖の一つを外して、術を発動する。見る間に糸が補強され、登りやすいように加工される。


「悪いけれど先に登ってもらえるかしら。見ての通り、スカートだから」


 ふわりと闇色のスカートを揺らす。見せパンを履いてはいるが、慎みを持つのが淑女というものだ。

 おそらく上には敵が待ち構えている。相手の狙いが夜であることは分かっているし、考えなしに先制攻撃をするほど愚かではないはずだ。


 頷く優雅は術によって登りやすくなった糸――もはや縄と呼ぶべき姿になったそれを登っていく。少し遅れて夜も続く。強固な縄は二人分の重さを受けてもびくともしない。


「そろそろ上に――ぇ?」


 上まで登った優雅は目の前に広がる光景に驚きの声を漏らす。


 フリルとリボン。白にピンク。ファンシーで飾り付けられた部屋に一人の少女が立っている。

 顔立ちは平凡で、厚いメイクで元の顔を隠しているのが見て取れた。

 ただ重ねただけのメイクも、これでもかと盛られたフリルも夜の美意識に反するものだ。


「お初にお目にかかります。わたくしは姫子と申します」


 フリルだらけのスカートの裾を軽く持ち上げて礼をする。所作だけは完璧で、夜もまた同じように礼をする。同じでその完成度は姫子と名乗った少女を上書きする。


 見た目も完璧。所作も完璧。必死に積み重ねてきたであろうものを当たり前のように塗り潰す。


「初めまして、私のことは紫苑と呼んでくださいな」

「もちろん存じておりますわ、本条夜さん。貴方をお待ちしておりました」

「あら、私の本名まで調べているのね。流石、と言っておくわ」


 褒めるのは形だけだ。夜の本名など調べれば簡単に分かることだ。

 過去を調べられても弱みになるものはない。死者となったと同時に過去はすべて捨て去った。

 今、夜の中に残っているのは途方もないほどの健への愛だけだ。


「お褒めいただき光栄ですわ。そのお礼というわけではありませんけれど、こちらを」


 言って、姫子が指し示した先に一人の少年が現れる。鎖で縛られ、身動きを封じられた状態の少年は、罠として置かれていた人物と同じだ。


「人質がお礼だなんて嬉しいわ」


 人質にされた少年こと和音は気を失っているようだ。


 この場合はいいのか、悪いのか。夜としてはどちらでもいい話だ。

 どちらでも、対処してしまえばいいだけの話。


「それで? 大人しく貴方について行けばいいのかしら」

「物分かりがよろしいようですね。では、アクセサリーをすべて外してこちらに着替えてくださるかしら? 貴方の戦い方をわたくし、よく知っているの」

「分かったわ。鳳優雅、少し目を瞑っていて」


 必要ならば露出の多い服をまとうこともある夜にだってそれなりの恥じらいはある。


 慌てて背を向け、目を瞑る優雅を面白がるように笑みを浮かべて、髪を結い上げていたリボンを解いた。舞うように落ちる黒髪が背中を撫でるのを感じながら、指輪やブレスレット、すべてのアクセサリーを外していく。


 ブーツを脱ぎ、闇色のドレスを脱ぎ捨てた。黒とは対照的に白い肢体が露わになる。


「下着も脱いだ方がいいかしら?」

「そ、っそこまでは必要ありませんわ」


 あまりにも躊躇いなく夜が脱ぐものだから動揺しているようだ。

 踏んできた場数が違うのだと相手が用意したドレスをまとう。夜が普段好んでまとうとはゴシックロリータと呼ばれるもので、用意されたのはロリータと呼ばれるものだ。


 白とピンクで構成されたドレスにどこか落ち着かない気分になる。

 服を着替え終えた夜は最後にイヤリングを外した。片耳につけたそれは桜の花弁を模したもので、他のアクセサリーとは違う貴重なものだ。


「これは貴方が持っていてもらえるかしら。大事なものだから失くさないで」


 そう言って、イヤリングを姫子に渡した。怪しまれて捨てられる可能性もあったが、大人しく受け取ってくれた。


 どうやらそこまで気が回っていないようだ。その雰囲気からも分かる通り、裏の世界とは縁遠いところで生きていた人間なのだろう。


「鳳優雅さんも武器を捨ててもらえるかしら」

「分かり、ました」


 夜の着替えが終り、目を開けた優雅は和幸から借りた剣を地面に置いた。

 完全に無防備な状態となった姿を見て、姫子は二人に手枷を嵌める。


 妖具ではない普通の手枷だ。その気になれば、壊せると夜は静かに考える。


「それでは参りましょうか」


 優位に立って笑う姫子は一度、手を鳴らす。応えるように人質としてちらつかされていた和音の姿が掻き消えた。


 どうやら幻覚の類だったらしい。一度目の和音もきっと幻覚だ。

 気付いていた夜は驚くことはなく、優雅に視線を寄越す。アイコンタクトと頷きで互いの意思を確認した二人は先を歩く姫子へと続く。


 目的地には思っていたよりも早く着いた。


「久しぶりって感じがするね、夜。キングも」


 案内された先で夜の鼓膜を震わせたのは愛おしい人の声だった。

 男にしては高めの声が彩るように、その声を聞くのは本当に久しぶりな気がする。自分を飾るためとは違う笑みを、夜はその美貌に宿した。


「素敵な格好をしているわね。そういう趣味だったかしら」

「夜こそ珍しい服を着てるね。イメチェン?」


 敵の拠点、今まさに首謀者がいる中で二人は軽口を交わし合う。

 夜は武器を奪われた上に手枷を嵌められた状態で、健は身動きを封じられた状態で何かに繋がれている。


 傍から見れば危機的状況。しかし、四肢が動かないくらいで健を封じ込められると本気で思っているのなら笑い話にもならない。


 健から伸びる管は下半分を白く輝かせる水晶に繋がっている。おそらくあの管は健の霊力を吸い上げ、水晶に溜めているのだろう。水晶の全体が光れば、姫子たちの望みが叶えられる。


「よく来てくれたじゃないか。僕は王子。さあ、君もそこに寝てくれたまえ」


 やけに偉そうな口調でそう言ったのは、ファンタジー小説で見るような貴族服をまとった青年だった。


 青年が指し示した先には二つのベッドが並んでいる。手術台に似たベッドの片方には藍色の髪を持つ少年が寝かされ、いや。眠らされている。

 彼と夜が、王子と姫子と痛い名前を名乗る二人の次なる身体に選ばれたというわけだ。


 恐ろしいとも、おぞましいとも思わず、夜はただ愛しい人へ目を向ける。


「指示を仰いでいるのかな。無駄さ! 人質がいる以上、君たちは僕らの言うことを聞くしかないのさ」

「そうね」


 幻影で作られた和音の存在がまたもやちらつかされる。

 健や眠らされている海里もまた、彼をちらつかされて従うしかなかったのだろう。


 状況は不利の仮面を被っている。ならば、今、夜がその均衡を崩してみせよう。


 夜の目が紅く瞬く。誰も気付かないほどの刹那の時間で、手に嵌められていた枷が音もなく外れた。

 壊れた手枷が床を叩くより速く、夜は姫子へ迫る。


「どうして! 貴方は武器がなければ何もできないはずっ」

「あら、誰がそんなことを言ったのかしら? ――起動」


 赤い唇が紡ぐ言葉に姫子が身構える。それを嘲るように口角をあげた夜は腹部に蹴りを叩き込む。

 見た目以上の威力を持った一撃に姫子は蹲った。もはや、再起不能となった姫子へ一瞥すらくれずに王子の方へ向き直る。


「次は貴方ね」

「こっちには人質が……」

「人質? それがどうかしたの」


 一切気にしていない様子の夜に王子と名乗る青年が怯えを顔に映し出す。


 春野和音。春野家長男である彼は一つの側面から見れば、人質として役に立つ。たまたま夜がその側面から外れた場所から見ているだけ。

 夜にとって価値のあるものは限られている。ある意味、誰よりも自由な立場にいるのだ。


 夜を縛るのはたった一つ。この胸を満たす、健への愛。たったそれだけだ。


「簡単に倒されてくれてありがとう。余った時間は健との逢瀬に使わせてもらうわ」


 甘い声が紡ぐのは挑発だ。耳心地のいい声は思い通りに他者の心を揺らがせる。

 王子の目が夜を、夜だけを見ている。他に何も映し出さない目は夜の怒りで震えている。


「ぶざけやがって! お前みたいに恵まれた奴らにこれ以上、奪わせるものなんて俺にはない!」

「恵まれているか、どうかを言い訳にしている時点で貴方の負けよ」


 最後をもたらす悪魔の微笑みで夜は拳を握る。血筋のせいか、夜は術を使わずとも身体能力が高い。

 普段は隠されているそれは姫子を一撃で再起不能としたように、王子へ牙を剥く。


「奪わせ――」

「ごめん」


 抗うべく夜を睨みつけた王子の身体が沈んだ。似合わない貴族服をまとった身体が床に突っ伏した代わりに、隻眼と目が合った。

 竹刀を構えた少年は少し前まで台の上で眠らされていた人物だ。


「ナイス連携」


 夜だけに意識を向けた王子の隙をついて、眠ったふりをしていた海里が仕掛けた。

 打ち合わせなしの連携プレーに健が乾いた拍手を送る。繋がれていた管から容易く脱出した健は今回の首謀者たる王子のもとに歩み寄る。


「夜、キングの枷を外してあげて」


 背中でそう言って健は王子へ手を伸ばし――。


「記憶文庫<読み聞かせ(リーディング)>――絶望の願い」


 まだ意識が残っていたらしい王子の呟きとともに景色が塗り替わった。


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