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4-13

 敵拠点に一人きりで飛ばされた少女は不安の表情を微塵も宿さない。

 整った顔立ちは可愛らしく、表情には凛々しい美しさをまとっている。


 適度な警戒を巡らせて、それでも迷いのない足取りは慣れだった。伊達に長いこと処刑部隊のエースをしていない。戦闘力だけでエースになったわけではないのだ。


「雪か。少し肌寒いなってきたな」


 ちらちらと白いものが舞い散る。露出した肌を撫でる風が冷たい。


 レミの故郷は気温的に気温が低い。曇りが雨が降っているばかりで、場所によっては雪が降っていることもあり、寒さに強い方だ。

 突き刺すような寒さを薄着で歩いていても特に支障はない。


「もし、そこのお方」


 舞い散る程度だった雪が吹雪へと変わる最中、声をかけられた。

 か細い声。淡い髪色を長く垂らした白い着物の女性が立っている。その手に赤ん坊を抱いて。


 女性の周囲だけは吹雪が避けているようだ。どこか浮世離れした雰囲気は人外の知らせだ。


「この子を抱いてくださいませんか」

「悪いが先を急いでいるんだ」

「そうですか」


 伏せられる睫毛は長く、儚げに震えている。やがて風が強くなり、雪が容赦なく白い肌を叩く。

 同時に踏みしめていた雪が崩れ、レミの身体は後ろへ倒れていく。進んできた道が消え失せて、そのまま崖から落下する。


 真っ直ぐ上を見る藍白の目が、白い塊を捉える。身動きのできない空中であんなものを食らったらただじゃ済まない。普通ならば。

 ばさりと音を立てて、純白の翼が咲いた。


「宙は私のフィールドだ」


 伸ばした手の先で巻き起こる風刃が雪の魂を切り裂く。

 もはや脅威と言えないレベルまで切り刻まれた雪を浴びながら翼をはためかせる。

 白雪の中に羽根を混ぜるように急加速。一気に女性の前へ戻って不敵に笑う。


「雪女か。大した相手ではないな」


 レミは彼女のように寒気を味方につけて戦う人を知っている。その人の足元にも及ばないと評価をつけて、己の妖力へ命令を下す。

 低級も低級。風に刃の鋭さを与えただけの術は、幹部の娘の手で字面以上の力を発揮する。


「――」


 悲鳴を上げる間もなく、女性の身体は切り裂かれる。あがるのは血飛沫ではなく水飛沫。

 残虐とも思える攻撃が残した死体はただ雪だけ。


「一人一人の敵は大したことないとはいえ、位置も分からないまま動き回る不安は大きいな。クリス様の糸も反応しない……海里様はご無事だろうか」


 正直、レミは海里が来ることに反対だった。けれども、立場的にも、心情的にも海里の意思には逆らえない。せめてと渡された互いの位置が分かるブレスレッドもこの空間では正常に働いてくれないようだ。


 日々の鍛錬を怠らない海里の実力はかなりものだ。それは分かっている。

 それでも心配で仕方がない心は消えるわけではない。


「せめて誰かと一緒なことを祈るとするか」


 ここでうだうだ考えても仕方ない。引き摺ることなく、切り換えが早いのがレミの長所だ。

 迷うよりも、どんどん進んで合流する確率をあげる方がずっといい。


 ●●●


 星司が、悠が、レミがそうであるように海里もまた一人きりでそこに立つ。

 何もない空間。四方、どこを見ても誰もいないし、何もない。


 不安を掻き立てるような空間の中で海里は常の微笑みを絶やさない。その手には竹刀が握られ、微笑みながらも周囲への警戒を巡らせていく。


〈何が起こるか分からない。慎重に〉

「うん」


 透けた身体を持つ少年がふっと海里の前に現れる。まだ幼い容姿ながらも、その顔立ちは海里と瓜二つだ。


 唯一違う金色の髪を揺らし、海里以上の警戒を張り巡らせている。

 海里にしか見えないその姿を慈愛で見つめ、無の世界を進む。何もなくたって、誰もいなくたって海里は一人きりになるわけではない。


 一つの身体に二つの魂。孤独とは無縁の身体だ。


「本当に何もないね。敵の拠点とは思えないくらいだ」


 進めど進めど景色は変わらず誰の気配も感じない。


「うーん、感知能力はそれなりにあるはずなんだけど」


 本当の本当に何も感じない。変わりない長い道を歩き続けて、緩んだところを狙うつもりなのかもしれない。敵にとって残念なことに海里の心は緩むどころか、ここに足を踏み入れたときから何一つ変わっていない。


 海里という人間は大きく乱れることがそもそも少ない。

常に平静。今だって多少警戒していても、基本的に普段と同じ姿だ。だからこそ、緩むこともない。根本的な話だ。


「何もないと進んでるのかもよく分からなくなってくるな……」


 立ち止まった先の床へ、海里は竹刀で一閃を放つ。続く二閃目。

 刻まれたバツ印は目印だ。再び歩き出した海里は五分ほど歩いて今度は違う印を刻む。

 これを何度か繰り返しながら、さらに歩き続ける。出迎えるのは傷一つないまっさらな床ばかり。


「進んでいるのは進んでいるってことか」


 仄かに霊力をまとわせた傷口は癒えたとしても残滓は残る。それを感じないということは一先ず進んでいることとして、そろそろ状況を打開する策を考えた方がいいかもしれないと考える。


「レミがいたら高速で駆け抜けることもできるんだけど」


 呟き、軽くストレッチをする。アキレス腱を伸ばし、呼吸を整えて、身体強化を施した足で地面を踏みしめる。


 と同時に地面を蹴った。一瞬で海里の姿は消え失せて、再び姿を現した頃にもう一度地面を蹴る。

 人間離れした速さでどんどん前へ前へ進んでいく。


 一歩で数メートル。ようやく元の長さに戻ったばかりの長い髪が藍色の軌跡を描く。

 ほとんど間もないままに進み続けていた海里が踏みしめたのは柔らかな地面。


 急に変わった感触にブレーキをかけて、味わうように歩を緩めた。柔らかく、けれども不安定な感じもする歩き心地だ。


 剥き出しの地面をただ歩いているうちに短い草が足元を擽る。

 見知らぬ光景でも、ここは知っているような気がした。そこまで多くの時間を過ごしていたわけでもないけれど、どこか懐かしくて温かい。


「この気配は……」


 海里と、透けた少年だけだった世界にようやく新たな気配だ。

 それも、この空間のように知っている気配。知っていてもすぐに思い出せるほど近くにはなくて、それでも心を温かくさせる。


 その気配は、草木が花々が咲き誇る世界の中心にただ一つだけ存在している。広大な世界の中でただ一人だけ、その人物はいるのだ。


「――」


 色とりどりの花に囲まれた世界に佇む金色の花。長い金髪に覆われた世界を見ただけでも分かる圧倒的な存在感。彼女のためだけにすべて作られたような空間は清らかな神気で満たされている。


 彼女はたった一人きりの世界の王だった。


「妾の世界に足を踏み入れることを誰が許可した」


 温かさを感じていたのが嘘のように、その声は冷たく怒りを含んでいた。

 足元に生えていた草が絡めとらんと蠢く。反射でこれを避け、すぐに竹刀を構えようとしてやめた。


 着地した場所を狙う緑もまた避け、舞う花弁の合間を潜り抜ける。生成したそよ風で操るように王への道を作っていく。

 草一本、花弁一枚すら、傷つけないよう避け続ける。


 美しい花園の頂点に君臨する存在は暴君ではない。草一本すら慈しむ愛情深い人だ。


「一つも傷つけなんだか」


 向かい来る攻撃のすべて避けきった海里は美しき女性の傍に立つ。

 よく知る気配だけれど、こうしてちゃんと話すのは初めてだ。


「見事な舞いであった。気に入った。しばしの間、妾の話し相手になるがよい」

「光栄です」


 攻撃を避け続ける姿を舞いと称した女性へ頭を下げる。


「そなたは……ふむ、そなたから龍の気配がするの。藍の色は妾も嫌いではない」


 金に輝く髪と同じ色をした目が海里を見つめる。

 神と呼ばれる存在と目を合わせながら海里は変わらず平静だ。


「目は違うのだな。銀目もよいが、深淵の闇もよい。片目は何色だ? 同じ深淵か?」

「いいえ、青です。ちょうどこの空みたいな」

「青……あれと同じ色か」


 剥き出しの足が地面を踏んだ。衣擦れの音と共に歩み寄り、白い指を海里の頬にかける。


「そなたはあれの子じゃな」

「――はい」


 この頃はまだ「妖華」の名は持っていなかったのだろう。広い花園に咲く花の一つで、神に近い存在が作り上げた特別な花。


 歌うように聞かされていた昔話がある。


 神話の世界のような美しい花園でただ一人生き続ける女がいた。

 金の目と金の髪を持つ彼女は永遠に続く孤独の生を嘆く。

 金の目から零れた雫が地面に落ちて、一つの生命が生まれた。

 生まれた芽はやがて成長し、彼女と同じ金色の花を咲かせた。

 花は同じ永遠の命を持ち、女の話し相手となったのだという。


 その花こそが妖界を統べる王であり、海里の母親だ。


「先の世の使者といったところか。そちらの世でもあれは息災か? 幸せにしておるか」

「幸せかどうかは俺には分かりません」


 幸せだと簡単に結論づけられるような道のりを母は歩んでいない。

 最愛を早くに失い、血を分けた息子とは公に触れ合えない。王という立場は彼女を深く縛り付ける。不幸である理由はいくらでも思い浮かべられる。


 けれど、それが不幸の証明とは言えない。海里も同じだから。


「でも、あの人はたくさんの不幸に負けない人だと思います。不幸の中から幸福を見つけられる人です」


 たくさんいる大好きで大切な人の一人を思い浮かべて笑う。


 遥かに長い時間を生きた人。幼い顔立ちにはどこか痛感していて、誰かのための優しさで溢れている。

 積み重なった悲哀を悲しいだけで終わらせない、そういう人だ。


「理解が足りないのは妾の方であった。無粋を働いた。謝罪しよう」

「いえ、母を思って問いかけだと分かっていますから」


 複雑な立場上、海里が表だって母と呼ぶことは少ない。ここは隔絶された世界だからと自然に口にした。


「むしろ、母が愛されていることを感じられて嬉しいです」

「あれを愛しているのはそなたとて同じであろう?」

「そう、ですね。――俺も母を愛しています」


 ここは隔絶された世界だから。外に出たら、簡単に口に出せない言葉を音にする。

 ここで口にしても届かない。それでも構わないと思えるのは言葉だけが伝える方法ではないと知っているから。


 お互い愛しているのに、家族として一緒にいられない。これを聞いたら同情する人もいるだろう。

 可哀想と言われるかもしれない。実際、表面的にはそうなんだろうと思う。


 では、自分たち家族は不幸なのか。


 答えは否だ。不幸の理由は、互いの愛を感じ合う幸福には勝てない。


「よい顔をするものじゃな。そなたと会えてよかった」


 金の目が細められる。小さな世界を埋め尽くす草木や花々が歓喜するように騒めいた。

 彼女が怒れば共に怒り、彼女が喜べば共に喜ぶ。本当に彼女のために作られた世界なのだと実感する。


「悪くない時間であった。褒美として、先の道をそなたの望むものへ繋げてやろう」


 つい、と伸ばされた指の先で金色の道が開けられた。祝福するように光が舞う。


「俺も話せてよかったです」

「そなたが望むのであれば、そちらの世の妾と言葉を交わすがよい」

「そうですね。今度は母も含めて三人で」


 海里の母、妖華は不定期に親しい者を招いてお茶会を開いている。それに参加するのもいいかもしれない。

 常連のクリスとともにならば、海里のことを快く思っていない者たちも誤魔化せるだろう。


 たまになら上司と部下ではなく、母子として。


「ありがとうございました」

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