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4-8

 完璧なプロポーションを漆黒のドレスで身を包んだ少女。

 所謂ゴシックロリータと呼ばれる衣装を見るに、彼女が芳鬼の言っていた派手な服を着た女だろうか。


 整い過ぎた顔に蠱惑的な笑みを浮かべた少女はそっと薄い唇を開く。


「私のことはどうぞ、紫苑と呼んでくださいな」


 一音一音、その声が言葉を紡ぐ度に鼓膜が歓喜に震えているのを感じる。

 聞く人を惑わす声に、漂う甘い香り。なるほど、大抵の人は心を奪われてしまうことだろう。


「用件を聞こう」

「あら、そんなに警戒をする必要はないわ。ねえ?」


 長い睫毛で縁取られた目が陰鬼に同意を求める。


「幸様、この方は健様の協力者です」

「健の?」

「ええ、そう。健に頼まれてきたのよ。証拠もあるわ」


 言って、紫苑と名乗る少女は書状のようなものを差し出した。


 一目見ただけで分かる。健の霊力で編まれた手紙だ。

 拠点入る前、健が霊力の鳥を飛ばしていたと陰鬼から話を聞いている。おそらく、その鳥が手紙へと変化したのだろう。


 一先ず彼女、紫苑が言っていることは事実と納得した。


「それとこちらも。健が事前に手を回していたようね」


 その目の前に置かれたのはスマートフォンだ。画面にはメールが表示されている。


『ご連絡ありがとうございます。こちらにも健さんからの報告は来ています。

 処刑部隊からはレミと海里様を派遣することになりました。

 日時など詳細はおって連絡してください』


 メールはレオンからのもののようだ。

 二匹飛ばされたという鳥の片方は処刑部隊の方へ送られていたらしい。


 春ヶ峰学園で話をしたという報告は受けている。その際に何かしらのやり取りがあったのだろう。


「いい話でしょう? 二人の協力があれば、貴族街の戦力を割かなくても済むもの」

「そうだな」


 処刑部隊から派遣されるという二人の実力は和幸も知るところだ。

 特にレミは和幸の知る妖の中でもトップクラスに強い。協力してくれてこれほど心強い人もいない。


「それで何故ここまで来たんだ? わざわざそれを伝えるためというわけではないだろ」


 協力者の一人でしかない紫苑に報告義務なんてものはない。

 勝手に行って、勝手に解決した果てに健が報告書にまとめればいいだけの話だ。


「あら、それで十分じゃないかしら。貴方は処刑人の雇い主でしょう?」


 所作や言い回しがどこか芝居がかっていて本心が見えづらい。会って間もないこともあって彼女という人間がまだ掴めない。

 向けられる言葉一つに中身が伴っていないようにも思える。


「ついでだし、私が知っている情報でもお話ししましょうか」


 本当についでなのか、元々そういう予定だったのかすら、分からない。


「盗撮事件の首謀者は自称兄妹の二人組。どちらも自分の容姿にコンプレックスを持っているようね」

「短い間でそこまで調べあげたのか」

「いいえ。もっと前から調べていたことよ。私も一応、史源町の住人ですもの。不審な噂を聞けば調べもするわ」


 そう答える紫苑の目は処刑人に回ってくる案件だと知っていたと語っている。

 得体の知れなさを上回る、健が紫苑を協力者に選んだことへの納得。


 少し会話をしただけでも、彼女の優秀さは端々で感じ取れる。その上、まだ底が知れない。

 こんな逸材を健はどこで見つけてきたのだろうか。


「整った容姿の者を狙っているのは理想に叶う器を物色する意味があるようね」

「その情報を健は知っているのか」

「いいえ」


 当たり前のように否定した口はゆるりと弧を描く。


「依頼されてもいない事件の情報を与えて悠に睨まれるのはごめんだわ。それに裏の伝手を使わないよう、健に言い含めていたのは貴方でしょう?」


 処刑人に正義感は必要ない。ただ上に命令された通りに動いて処刑するだけ。

 対象が悪人とは限らず、下手な正義感は仕事の邪魔となる。


 悠にしろ、八潮にしろ、健に選ばれた者はみな、正義感よりも健のことを優先させる。彼女も例外ではないようだ。


「――三つ。今回の事件は三つの神具が持ち込まれているわ」

「神具?」

「創造神由来の道具よ。大盤振る舞いよね。余程、先の一件で消耗したようね」


 最後の一言は小さくて上手く聞き取れない。聞き取らせる気もないようで、敢えてスルーした。

 問題は彼女が口にした神具という単語だ。どこかで耳にしたことがあるような気がする。


「詳細は私も分からないわ。知っているのはこれだけ」

「十分だよ。よくもまあ、ここまで調べあげたものだ」


 噂を聞いてからなんて言っても、それほどの期間はなかったはずだ。

 健の情報の早さは彼女によって支えられているのかもしれない。協力者の中でも諜報や頭脳方面を担当しているだろうか。


「紫苑も拠点に行くのか」

「もちろん、そのつもり。これでも健の鍛錬を受けているから心配は無用よ」


 健の鍛錬といえば、八潮や悠が地獄と称するほど厳しいものである。

 剣術の腕も、術の腕も一級品。その上、健は教え方も上手い。


 最終試験で健に勝つことで卒業できる特別プログラムを乗り越えたのならば、確かに心配は必要ないだろう。


「貴方も来る?」

「ぇ……」


 驚く優雅へ甘い香りが雪崩れ込む。思考力を溶かす甘い香りが一気に部屋を満たしていく。

 それに気付いて初めて、今の今まで香りが抑えられていたことを知る。


「春野和幸は渋るでしょう。悠は怒るでしょう。……でも、健は気にしないわ」


 香りに紛れるよう、紡がれる声は美しい旋律を奏でているみたいだ。

 わざわざ言葉にされなくても、優雅は健が気にしないことを知っている。


 健が気にしなくても優雅自身が気にする。足手纏いになってしまうと分かっているから、一歩踏み出すことを諦める。

 優雅は理想に溺れることのできない人間だ。


「俺が行っても足を引っ張るだけです」

「退屈な返事ね。つまらないわ。悠が気に入るだけはあるかしら」


 吐かれるため息にさえも甘い香りをまとう。一挙一投足、誰かに見られている自覚があるかのようにすべて妖艶で洗練されている。


 期待外れを紡ぐ唇が優雅の耳元に息を吹きかける。


「そんなんじゃ望む場所へは行けないわ」


 紫苑が動けば、噎せ返るほどの甘い香りもまた動く。


「どうして俺にそこまで?」

「簡単な話よ。私は欲に塗れた人間が好きなの。己の欲だけに囚われた人間は愚かで醜くて面白い。それを特等席で見るのが私の趣味の一つよ」


 その微笑は美貌を魔貌へと高める。歪んだ性格すらも彼女の美しさを引き立てるのに一役買っていた。

 装飾一つ一つが計算しつくされたドレスの裾を揺らして優雅から離れた。


「答えは当日教えてくれたらいいわ」


 優雅のポケットに日時が書かれた紙を残して、紫苑は去っていく。

 また、使用人の一人を魅了して正面から出していく気だろう。屋敷のセキュリティを心配しつつ、例によって曲者らしい処刑人の最後に一人に息を吐いた。


 ●●●


 全員が帰った後、仕事を再開させた和幸のもとに一人の人物が訪れた。

 徹の治癒にあたっていた悠である。思っていたよりも遅い登場だ。


「治癒は粗方終わりましたよーっと。あれ、みんな帰ったんですね」


 ノック一つなく、いきなり扉を開ける無作法のまま、悠は部屋の中を見渡す。

 すんすんと匂いを嗅ぐように鼻を鳴らし、静かに瞬きをした。


「お前から言い出すなんて驚いたぞ。何が目的なんだ?」

「目的なんてありませんよう。怪我人を放っておけなかっただけですよ? ただの慈善活動です」

「ダウト」


 和幸の知る中でもっとも性格の悪い悠が慈善活動を自らすすんでするわけがない。

 その上、相手は健を散々馬鹿にしていた徹だ。何か裏にあるのではと邪推する心を許してほしい。


 不満げに涙を溜めた目で見ていることすら、ただの演技だと分かっている。


「嘘じゃありませんってば。健兄さんが助けた人ですもん。ちゃんと最後まで面倒見ないとダメじゃないですか。健兄さんを愚弄する人間ですからちょこーっと身体を弄らせてもらったりもしましたがっ」


 無邪気に隠れる残忍さに小さく息を吐く。そんなことだろうと思っていた。


「にしても、この匂い……もしかして夜さんが来てましたか」

「夜……? 紫苑のことか?」

「ああ、紫苑って名乗ってたんですね。本名は本条夜(ほんじょうよる)っていうんですよ。他人に名前を呼ばれるのが嫌いだからって偽名を使ってるんです。王様相手にもなんて怖いもの知らずですね」


 お前が言うか、という言葉が出かかったが、そっと飲み込んだ。

 それにしても、やはり偽名だったか。本条という名字に聞き間違えはなく、外の人間なのだろうかと推測する。


「それで夜さんは何で来てたんですか」

「健の指示らしいぞ。処刑部隊の方にも連絡をとっていたみたいだな、あいつは」

「相変わらずですねぇ、健兄さんは」


 そう言う悠は心から嬉しそうに笑っている。演技であることが多い悠の無邪気さも今回ばかりは本物だ。


「情報共有できていないのも相変わらずだな。紫苑から聞いているのかと思っていたが」

「必要な情報さえもらえたらそれで充分ですからね。僕たちは健兄さんにとって都合のいい存在であれたらそれでいいんです」


 健の命令に説明はない。知らされていない情報があることも珍しくない。

 それでも上手くいっているのは協力者が皆一様にそのスタンスだからだ。


「お前も行くんだろ?」

「健兄さんを助けに、ですか。それはもちろんですよ。処刑部隊や夜さんがいるなら僕なんかは必要ないかもしれませんが、健兄さんは僕の大事な人ですもん」

「お前ならそう言うと思ったよ」


 来るな、と指示されていない限り、悠は行くだろう、と。きっと一人でも。

 健を守るために生きるのが悠の使命。一人で動いても申し分ないほどの実力を持っているのは知っているので和幸も何も言わない。


「夜さんが来るのは分かりましたけど、他は誰が来るんです? 処刑部隊なら誰が来ても足手纏いにはならないでしょうけど」

「レミと海里という話だったな。あとは優雅が来るか、どうかか」


 呟く言葉にただえさえ大きく丸い目がさらに大きく見開かれる。予想外という顔だ。


「優雅さんはそういうこと言い出さないと思ってました」

「言い出したというか、紫苑が唆したって感じだな」

「なるほど、そういうことですか。夜さんらしいですね、まったく……」


 思っていたよりも不機嫌になっていないのは紫苑改め夜の為人を知っているからか。

 どちらかと言えば、困ったような表情で顔を彩って息を吐く。


「困った人ですね~。あの人はいっつもこうやって僕を試すような真似をして遊ぶんですから。意地悪な人ですよね」

「とはいえ、気に入ってはいるんだろ」


 性格は歪んでいるようだが、そんなことは悠にとって何の問題ない。


 頭が回り、春野家のセキュリティを掻い潜れるほどの実力がある。先回りして事件を調べあげる有能さだけ見ても、どれだけ健にとって有益な人材か理解できる。

 悠が重要視するのはそこで、夜は十二分以上に満足のいく基準を満たしているように見える。


「王様のお考えの通りですよ。夜さんは僕より優秀ですからね。健兄さんもすっごく頼りにしていますし? 思考回路というか、判断の基準が似ているんですよね」

「何者なんだ、紫苑は」


 本条という名字は貴族街にはない。本人の史源町に住んでいるという発言を含めて外の人間だろうと推測はしている。

 けれど、ただ外の人間だと片付けるには彼女は異質すぎる。


 あのような逸材を健はどこから見つけてきたのか。

 問いかけを聞いて、悩むように沈黙する悠が答えてくれるかは分からない。

 本人の中で理屈が通っていたとしても、他人から見れば気紛れにしか見えないのが悠だ。


「夜さんは僕にとっても、王様にとっても浅からぬ縁のある方ですよ」


 どうやら話してくれるらしい。


 健の協力者として既知の間柄なのだから元々浅からぬ縁ではある悠はともかく、和幸にも縁があるとは。

 勿体ぶる言い方には慣れているので、あえて突っ込まずに続く言葉を待つ。


「本条夜ってのは彼女がこの世に生を受けたときの名前です。夜さんって実は二度ほど名字が変わってるんですよ。大人の都合に振り回されたって感じらしーですけど」


 核心を避けるように長々と語る悠が深く笑みを作る。


紫ノ宮(しのみや)夜。それが最後の名前です」

「紫ノ宮……」


 その名字はよく知っている。

 貴族街にある家をすべて記憶している和幸でも、その名字は別の意味でよく知っていた。

 物心ついた頃からずっと傍にいたメイドの名字が紫ノ宮だった。


 和幸の人生を形作ったその人物が生まれた家。といっても、彼女は和幸のメイドになるべく幼い頃に家を出たので、思い入れも何もなかったようだが。


 ――幸様、私に妹ができたらしいですよ。


 まるで他人事のように語っていた彼女の姿を思い出した。


「由菜の妹……いや、その娘か」

「ご明察! 別の言い方をするなら先代処刑人の娘ですね」


 初めて知る情報に驚いて目を見開く和幸に悠はただ無邪気に笑う。


「王様も知らなかったんですね。処刑人はみんな、ローブを着て、仮面つけて、おまけに声も分からないようにしてあるから誰だか全然分からないんですよね。僕も健兄さんの話を聞くまで知りませんでしたよ」


 処刑人はいつも桜宮家当主がちょうどいい人材を見つけて任命する。和幸はただ任務を伝えるくらいで、大きな関わりもなかったから気にも留めていなかった。

 それが貴族街で生き抜くために必要な処世術だから。


 自ら志願し、処刑以外の仕事も手掛けている健が特別なだけで、処刑人は春野家当主にとっても正体不明であることが多い。


「健は一体どこから情報を仕入れてくるんだろうな」


 仮でも、長たる和幸すら知らない情報までも。


「知りませんよー。お上から聞いたとかじゃないですか。頻繁にちょっかい出されているようですし?」


 悠の言葉になるほどと頷ける思いを抱きながら息を吐く。

 あの方は健のことをかなり気に入っている。健にとっては不本意なことなのだろうが。

 貴族街のルールそのものに気に入られることは国宝級の価値で、ある種の不幸だと思う。


「夜さんは一番常識がある方なので信用はできますよ」


 言われて、夜の姿を思い浮かべる。

 整いすぎた美貌と漆黒のドレス。異性を惑わす魔女か、悪魔かと疑いたくなる容姿で常識があると言われても素直に信じがたい。


 そんな考えを見透かしたように悠が笑い声をあげた。


「見た目と常識の有無は関係ありませんよ。もしそうだったら僕や八潮さんが一番常識があることになっちゃいますよ」

「お前の見た目はともかく、確かに言う通りだな」


「僕の見た目はともかくってどういう意味ですか!? どっからどう見ても真面目な執事ですよ」

「休みでも、夜中でも関係なく制服を着てた奴が言うな」


 執事となった今は上手く隠れているが、私服を持っていない悠の服装は特定の日時では異質なものとなる。

 非日常に紛れる日常の異質さを演出する格好していた者が常識的だとは思えない。


「立場が分かりやすくていいじゃないですか」


 こういうところである。まったくおかしいと思っていない顔をしている。

 付き合いの長さから予想していた反応にはあえて触れず、


「健が信用しているなら俺も信用するよ。……和音のことを頼む」

「保障はしませんよ。僕が大事なのは健兄さんですから」


 冷酷な無邪気さで悠は執務室を去っていく。

 おそらく、これから夜のもとへ行くのだろう。作戦の打ち合わせではなく、恨み言を言いに。

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