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3-13

 時刻を少し遡った春野家の中庭。人を惑わす美貌を体現した少女が佇んでいる。


 清楚さの象徴とも言えるメイド服に身を包みながら、甘い色香を全身に纏っている。中庭に咲く色とりどりの花の匂いさえも塗り潰し、濃密な香りが甘く甘く満たしていく。


「そろそろね」


 聞く人の心をとらえてやまない美しい声が紡がれる。

 紫苑と名乗る少女の指には水晶に似た玉がおさまっている。白い光をまとうそれは天晶と呼ばれるもので、傍らに立つ少年が盗んできたものだ。


「白ってあまり好きじゃないのよね。壬那、貴方もそう思わない?」

「そ、そうですね」


 名前を呼ばれたことと、話しかけられたことに身を固くしながら少年こと壬那は答える。

 紫苑の指示通り天晶を持ってきたのはいいが、立ち去るタイミングを掴めないでいる。


 どこか楽しげな紫苑の目が不意に細められ、空気が張り詰める。さらに身を固くした壬那を他所に紫苑の持つ天晶が眩しいくらいの光を放つ。


「一体何か……っ」


 好きではないと言っていた白に囲まれながら、紫苑はただ笑う。


「リンクがちゃんと働いているようで安心でしたわ」


 光の放つ天晶が突然、音を立ててひび割れた。そうなることを知っていたように笑みを深めて、ひび割れた天晶を宙へ投げる。


「起動――グングニル一二〇%」


 つんざくような音が響き、鋭い光が天晶を貫いた。槍を彷彿とさせる姿のそれは残滓を散らせて消え去る。


「これでおしまいね」


 後は紫苑が世界で一番信頼している人物がどうにかしてくれることだろう。

 そう考える紫苑の耳が地面を踏みしめる音を捉えた。同じメイド服をまとった闖入者を見て、そっと目を細めた。艶めかしい唇が弧を描く。


「遅かったわね、悠」

「まるで待っていたみたいに言いますね」

「来る、と思っていただけよ。あちらでなく、こちらに来る、と」


 抽象的な言葉に、悠音を演じることを止めた悠は不機嫌に口を引き結ぶ。


「意地悪な言い方をしますね。僕はただ邪魔したらダメだと思っただけですよ」

「邪魔ねぇ。私を首謀者だって春野和幸に吹き込んだくせによく言わね」


 和幸の潜入初日、悠と二人で会話していた内容はちゃんと把握している。

 その上で問題ないと切り捨てた。敵だと思われているのなら、それを利用して動けばいい。


「怪しげな雰囲気だけを漂わせて、何も説明しないから悪いんですよ。僕は穴を指摘したまでです」

「仲間外れにされて、拗ねていたおこちゃまがそれらしい言い訳を考えたわね」


 会話は平行線で、ただピリつく空気を生み出している。


「あれだけ必死に付き従ってて、いざというときに頼られないなんて可哀想にねぇ」

「適材適所だって納得してますよ。壬那さんや王様まで使うなら僕にも声をかければいいのに」

「それこそ適材適所でしょう。御しきれない人間は使わない主義なの」

(よる)さんともあろう人が消極的なことを言いますね」


 ほとんど呼ばれることのない本名の響きが鼓膜を揺らし、紫苑と名乗る少女は笑んだ。

 蠱惑的とは違う、背筋が凍るような迫力ある笑みである。先程とは別の意味で空気が張り詰める。


「貴方にその名で呼ぶ許可をした覚えはないわよ、心悠(こはる)ちゃん」


 風が沸き起こる。一気に紫苑へと詰め寄った悠が起こした風が中庭に花弁を散らせる。

 いつもの無邪気が完全に消え、余裕のない顔には怒りだけが宿っている。

 至近距離で向かい合う二人の表情は対照的で、どちらが優位に立っているのかは明白だった。


「僕の名前は悠です」

「あらあら、怒っちゃって。可愛いわね、心悠ちゃん」


 笑みを含んだ言葉を吐く首筋に悠の手がかけられる。紫苑は表情を変えない。

 殺せないと高を括っているのではない。殺さないと分かっているのだ。

 紫苑は健にとって大切な駒の一つで、それを壊すような真似を悠はしない。


「なんや、来るタイミング間違えたかもしれへんな」


 指一つ動かすことさえ憚れるような緊迫感に一石が投じられた。


「あら、八潮も来たのね」

「また悠をからかっとるん? ほんまに好きやなぁ」

「仕掛けていたのは悠の方よ。私は相手をしてあげただけ」


 首をかけられていた手は下ろされている。八潮が来たタイミングでそっと距離を取った悠が背を向けて立っている。


「そんならそれでええけど、少しは彼を気にかけた方がええんとちゃう?」

「ああ。すっかり忘れていたわ。壬那、ごめんなさいね」


 悠の気迫ですっかり委縮していた壬那へ、紫苑は楽しみすぎていたことを謝罪する。

 そして、壬那へと歩み寄る。濃密な甘い香りが近付き、壬那の身体は自然と弛緩する。

 その声が、その香りが、壬那の中へ入り込んで思考力を、判断力を奪っていく。


「今日の仕事はこれで終わりよ。大人しくお家に帰りなさい」


 コクリと首肯する壬那を、手を振って見届ける。


 これこそが悠が和幸に説明した紫苑の力、いや体質だ。

 その整い過ぎた容姿を、聞く人の心をとらえてやまない声を好ましいと思えば、それだけで術中に嵌まってしまう。


 壬那のいなくなったこの場にその術中に嵌まる者は一人としていないが。


「……健兄さんはどうしたんです?」

「何か用があるらしいわ。後は自分で片付けるってゆうてたけど」


 悠の小さな問いかけの答えを聞く紫苑は美しすぎる顔に仄かな笑みを浮かべる。


「どこへ行くんですか」

「少し用事を思い出したのよ」


 それだけ紫苑は立ち去っていく。中庭に甘すぎる香りだけを残して。


 ●●●


 薄紅色覆われた世界を健は一人で歩いていく。歩を進めるほど薄紅色は増えていき、小さな花弁は健の身体にまとわりつく。


 貴族街のはじまりに関わる少女の忘れ形見。それを守るために存在する百万の桜たちが作り出した薄紅色の結界だ。

 侵入者を容赦なく攻撃するように組み込まれている花弁を巻き起こした風で吹き飛ばす。


「どーせ見てるんでしょ。早く出てきなよ」


 すぐに攻撃を再開しようと舞い踊る花弁の合間をぬって、声をあげる。

 高みの見物をして状況を楽しんでいるであろう、この世界の主に向けて。


 滲む怒りを見せつけるように生成した風刃で薄紅色を切り裂く。出て来ないなら、この結界を壊すというパフォーマンスだ。


〈手荒な真似をするものだな〉

「マザコンで臆病な貴方にはちょーどいーでしょ」


 紅く明滅する透明な玉の登場で、まとわりついていた薄紅色の花弁たちは大人しくなる。

 健を客人だと認めた証だ。薄紅色に囲まれた空間が開け、作られた道が健の行く先を示す。


「行かないよ。話をするだけならここでも問題ない」


 はっきり拒否する健に作られた道は惜しむように消えていく。


〈覚醒したようだな〉

「その話はどーでもいーよ。長居するつもりはないから」


 健は早くここから立ち去りたいのである。こんなことがなければ自主的に来ることは絶対になかった。

 とはいえ、これから頼むことは彼にしかできない。好ましくない相手ではあるが、その力だけは認めている。


「今回の件、知ってるよね。いや、知らないわけがないよね。自分であれだけ引っ掻き回したんだから」

〈そうさな。むしろ、お主が気付くのが遅すぎたのではないか〉

「その挑発には乗らないよ」


 冷たく返す健に紅い光が残念そうに瞬く。


 言われなくても分かっている。

 至から決闘を申し込まれる少し前、健は調子の悪い日が続いていた。鬼神の力が何かに抑えられていると気付いたのは少し後で、それが至の持つ天晶によるものだと気付いたのはもっと後。


 今回の健はどこまでも後手に回っていた。そのことに対して言い訳はしない。


「ここまで大事になったら、もー取り返しもつかない。丸く収めるには時間を巻き戻すくらいしか方法はない。貴方ならできるよね?」

〈ふむ、これは貸しとなるぞ〉


「貸し? 何を言ってるの。こーなることを想定して引っ掻き回したんでしょ。これは貸しじゃなくて、自分の尻拭いだよ」

〈お主の失態から始まったと記憶しているが?〉

「そこは否定しない。でも、大事にしたのはそっちでしょう?」


 健は自分の失態を誤魔化すつもりはない。目を背けないと、正しく受け入れると誓っている。


 時間を巻き戻さざるえないほどの事件へと成長させたのは彼だ。けれど、その始まりは健が徹との決闘、いや、壬那を助けようとして白い気配に翻弄されたからだ。

 調子が悪かったからとか、相手が悪かったとか、そんな言い訳をするつもりはない。


「ま、そっちの言い分も分かる。だからに代わりにいいものを見せてあげるよ」


 その一言で雰囲気をがらりと変えた健に薄紅色の世界が震える。何かしたわけではない。

 纏う気配だけで虚ろな空間の存在を揺るがすほどの迫力。健の内に宿る者を由来するものではなく、健自身が生み出したもの――。


〈よかろう〉


 変わった気配に価値を見出した低い声が短く了承を口にした。


〈時間を巻き戻せばよいのだな〉


 なんてことない口調とともに紅い光が溢れ返る。宙に浮く玉が生み出した紅い光は薄紅を侵食し、果ては空間の外へと零れていく。


 貴族街の頂点に立つ彼もまた鬼神の眷属なのだ。

 課せられた制約は「貴族街」。貴族街の枠におさまるものであれば、どんなものでも――たとえ理から外れたものでも操ることができる。

 それが時間であっても、彼にとっては些事だ。


「さて、俺も動くとしますか」


 最後まで使わないと決めていたこの力をまさか、こんなに早く使うことになるとは思わなかった。

 本番を迎える前にリハーサルができると前向きに考えるべきか。


 貴族街を満たす紅への差し色が混ざり合い、紫色が一つの街を包み込む。


〈よくも、よくも……〉

「流石に時間を操ったともなれば、見過ごせないよね。悠長にそーしてていーのかな」

〈おのれ……お前はなんか、すぐに潰してやります。今のうちに好きなだけ調子に乗ってやがれです〉


 唯一、紫に染まらない白い塊が少女の形を作った。

 白髪に真っ白な目、真っ白なセーラー服をまとった少女は恨み言を吐いて、すぐに掻き消えた。


 桜宮家当主が操れるのは貴族街の中だけ。どうしたって外との時間のずれが生まれてしまう。

 それを解消するために創造神たる存在を焚き付けたのだ。どうせ、来るのは分かっていたから。


「俺としても不安要素が多い作戦だったけど、なんとかなったかな」


 その呟きは紫の世界の中へ消えていった。


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