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いつものように高いコンクリートの壁を飛び越えた健はいつもと違う道を歩き出す。今日はこの前のように引き止められることもない。
十分も経たず辿り着いた目的地は監獄かくやと言うほどに厳格な雰囲気を漂わせる。実際、監獄としての役も担っている。
来る者を拒絶する外観に物怖じすることもなく、固く閉ざされた門の前に立つ。端末を取り出し、いくつかの操作をすれば間もなく門が開かれる。
「お邪魔しまーす」
小声で侵入をした健は堂々と建物の中を闊歩する。
ここは門衛の寮である。門衛はみな、この寮での暮らしが義務づけられている。家族と縁を切り、厳重な監視下のもとでの日々を余儀なくされるのだ。
中に入るためには、いくつもの手続きをする必要がある。春野家当主も例外なく。
が、そんな面倒なことをいちいちしていられないというのが健の意見だ。
平然と向かい来る住人たちとすれ違い、「201」と書かれた扉の前に立つ。ノック音を聞いて出てきたのは八潮で、きょろきょろと周囲を見回している。
「なんや、気のせいか」
小さな呟きで合点がいった健は自身にかけた術を解く。
隠業の術の応用だ。認識阻害の術と掛け合わせて一時的に透明人間を作り上げていたのだ。
決して少なくない人が通る廊下を平然と歩けていたのはこれが理由だ。
「お、おお。びっくりしたわ。早う中に入り」
「お邪魔します」
案内されるがままに足を踏み入れ、意外と綺麗な部屋に腰を落ち着ける。何度か訪れたことのある部屋は以前来た時よりも物が増えている気がする。
「毎回毎回、よう入ってこれるな。有名ハッカーも裸足で逃げ出すセキュリティやで」
「ただのプログラムとはちょっと違うからね。術式についてもそれなりの知識がないとダメだし」
寮のセキュリティは術式を組み込んだプログラムによって制御されている。プログラミングと術式、双方に精通しなければ破ることはできない。
健が突破できた理由、それは――。
「ま、作った当人には関係ない話だけどね」
「そうやった。うちのセキュリティは健が作ったものやった」
元々あったセキュリティを書き換えたのが健である事実を、八潮は今更ながらに思い当たる。
寮だけではなく貴族街のセキュリティは健が書き換えたものは少なくない。元あったものを多少いじっただけとはいえ、とても小学生とは思えない。
八潮は健を見るたびに中身は何百年も生きた賢者なのではないかと疑ってしまう。
「んで、何の用なん?」
「ここ二、三週間で門以外から街に入った人がいるか知りたくて」
「……検挙されてないのも含めると三十二件やな。自分のことを除いたら三件か」
三週間分の記録を振り返り、記録されていない部分すら網羅してしまう優秀さ。
八潮が門衛になったのはたったの三年前。その優秀さと人好きのする性格から先輩からの信頼を得て、瞬く間に重要な役目を任される立ち位置にまでなった。
あの日、八潮に示した道が間違っていなかった。門衛の奥深くに協力者がいることは健としても喜ばしい。
「……三件」
行方不明となった巫女は二人。そして未だ帰ってきていないらしいスラム街の子供たち。数は合う。
「場所は見当ついてるの?」
「まったく。どっこにも形跡は見つからへん。噂に聞く隠し通路を使ってるなんて話があるくらいや」
「隠し通路、ね。本当にあるのかな」
「自分が知らんなら俺にも分からへんよ。……そうや、昨日貰った菓子があるんやった。食べるやろ?」
答えを聞くよりも先に棚からお菓子を取り出す八潮。藤咲堂と書かれた包装紙は健のお気に入りの和菓子屋のものだ。
偶然ではないのは隠す気のない八潮の表情を見れば一目瞭然だ。
何故みんな、自分を餌付けしたがるのだろう。差し出された大福の絶妙な甘さを堪能しながら、そんな疑問を抱く。
「健のことやから見当くらいついてんのと違うん?」
「ん、なんとなくはね。範囲が広いから絞れてるとはいーがたいけど」
明言しないということは八潮が知る必要はないということだ。ならば、八潮は健の判断に従うだけ。
聞けば答えてくれるだろう。それを知っていて聞かないのは八潮自身がそれで満足しているから。
必要な情報だけ与えられ、必要な時だけ使われる。健にとって都合のいい人間であることが八潮の望みだ。
「また何か分かったら教えて」
「任せとき」
そうして門衛の寮を後にした健は次の目的地について思考を巡らせる。
まだ情報が少ない現状だ。今のところ、関係している可能性が高いと分かっているのはスラム街のみ。とはいえ、日を置かないうちに訪ねて警戒されるのは避けたい。
「犯人の所在より監禁場所を調べる方が早いかな。となると――あ」
「久しぶりね」
蠱惑的な声が耳朶を打った。美しすぎる声に鼓膜は歓喜に震えている。
女性らしい起伏にとんだ身体を覆うのは漆黒のドレス。所謂、ゴシックロリータと呼ばれるものだ。
艶のある闇色の髪をサイドテールにして括っている。肌は新雪のごとき白で、唇は血を零したように赤い。絶世の美女といって差し支えないほどの美少女である。
「どーしたの。こんなところにいるなんて珍しーね」
「貴方に会いに来たの。全然会いに来てくれないんだもの、寂しかったわ」
「何か分かったの?」
豊満な胸を押し付けるように迫る少女に言葉を返す健は顔色一つ変えない。
素っ気ない健の態度はいつものことで、少女はつまらなそうに離れる。
「一人、誘拐されたわ。氷宮巳夜さん、今回の件を調べていたみたいね」
「見てたみたいに言うね」
「見てたもの」
さらりと言ってのける少女。物言いたげな健の視線にもお構いなしだ。
見ていたのなら助けろ。そんな言葉が意味をなさないことを知っている。
こちらの手駒を見せずに手がかりとなるものを得られたのは健にとってもありがたい。そんなことを考えながら人払いの術を発動させる。
「詳しい話を聞かせて」
「闇市に珍しいお客さんがいたから興味本位で後をつけたの。警戒心剥き出しなのに、まったく気付かないんだから滑稽だったわ」
暴力的な美貌に嘲笑な微笑みを浮かべる。整った顔立ちはどんな表情をしても絵になる。
歪みきった性格をそのまま表情に映し出しながら少女は言葉を続ける。
「行方不明事件を調べてるのはすぐ分かったわ。闇市まで辿り着いたことを考えると健より有能かもしれないわね」
「その有能さが裏目に出たところかな」
「そうね。有能だけど爪が甘いのね。だからあっさり誘拐されてしまう、四件目のお店を訪ねたときだったわ」
店まで分かっているとは。一気に犯人に近付いたという事実は逆に慎重さを生む。
罠なのか、本当に不用心なだけなのか。こればかりは犯人の目的が分からないばかりは判断できない。分からないままに動けば巳夜の二の舞だ。
「それともう一つ伝えたいことがあったの」
「何?」
もったいぶるような少女の態度に構わず、無機質な瞳はただ見つめる。少女は一つ息を吐き出した。観念の吐息すらも色っぽい。
「闇市で春野夏凛を見かけたわ」
これまで一つとして感情を映し出さなかった瞳が驚きを宿す。
春野夏凛。春野家当主であるところの和幸の三女で、健の婚約者である少女の双子の妹だ。といっても、健はそこまで親しいわけでもなく知っているのはオカルトが好きというくらいだ。
なるほど。確かに、いわく付きのものが多く売られている闇市に興味を持っていてもおかしくない。
昨日といえば、星が岡山家を訪れた日でもあり、一人であることをいいことに闇市へ行ったのだろう。
「まさか夏凛さんも誘拐されたなんて言わないよね」
「いいえ。件のお店の前を何度か通っていたけれど見向きもしなかったわ」
否定されたことに安堵する反面、不審が募る。
春野家当主の娘ともなれば、その価値は巫女に勝るとも劣らない。パーティに多く出席している分、知名度でいえば巫女よりも高いと言える。
情報が少ない上に護衛がついている巫女を狙うよりも、夏凛を狙う方がリスクは少ない。
「一人で手一杯だったのか、巫女じゃないといけない理由があるのか……」
「普通に考えれば前者でしょうね」
「だろーね。告げ口するよーで気乗りはしないけど、報告しといた方がいーか」
一度目は何もなくても、二度目までそうとは限らない。
犯人の目的が判然としない以上、楽観視もできない健は情よりも理性を取る。
話してどうするのかは和幸の判断で、それから先は家族の問題だ。健が踏み込む余地はない。
「件の店の監視はお願いするよ。可能だったら術の痕跡も調べて」
「人使い荒いわね。そういうところも好きだけど」
わざと色っぽい仕草で了承する少女。
暴力的な美貌に宿るのは笑みだ。赤い唇を裂いた笑みは、枯れはてた老人の情欲すらも掻き立てる魅力に満たされている。
それを前にしても健はやはり表情を変えない。だからこそ、少女は健を愛おしく思うのだ。
全てを失った自分の、全てを捧げてもいいと思うくらいに。