3-11
その日、和幸は至に呼び出された。至の私室に足を踏み入れ、健に見つかった二日前があっての呼び出しに緊張をしながら執務室を訪れた。
執務室にいたのは至と健。そして、フードを深く被った、見るからに怪しい二人組だった。
「急に呼び出して悪いね。こちらは占いを生業としている者たちだ。知り合いに紹介されてね」
見た目だけではなく、その肩書きも怪しい。闇市関係の人間か、と改めて観察する。
後ろ姿、それも黒いローブをまとっているので正確なことは言えないが、男女の二人組のようだ。
少し肌を撫でた気配が見知っているもののような気がして瞬きをする。
「実は、一昨日、僕の部屋に侵入した者がいたらしくてね。健が見つけたけど、取り逃した、と」
「そう、なんですか」
「健も顔は見ていないようでね。占い師が言うには、最近入った使用人が犯人らしいということで君を呼び出したんだよ」
健はしっかり和幸の顔を見ていたはずだ。それが見ていないことになっているのは、悠が行使した術のお陰だろう。
それも、そこにいる占い師とやらが無駄にしたようだが。
まったく、余計な真似をしてくれる、と考えたところで違和感が過った。
「申し訳ありませんが、そういった心当たりは一つもありません」
「そうか。でも、僕もそれを素直に信じるわけにはいかない。占い師殿、彼のことを見てもらえるかな」
微かに頷いた小柄な影が和幸と向かい合う。
フードから色素の薄い髪が零れ落ち、宝石をはめ込んだような目が和幸をじっと見つめる。
隠された状態でも美少女の片鱗を見せる顔立ちは和幸のよく知るものだった。
つい最近、話題に上った人物の姿に驚きつつ、それを感じさせないように向き直る。
「この方は……っ」
言葉を詰まらせた少女は震える声で隣に立つ人物に耳打ちする。
「何か見えたのかな」
「はい。この方は至様がお探ししている人物です」
少女に付き添う人物の正体も読めてきた和幸の耳をいつもと雰囲気の違う声が擽る。
二人が作ろうとしている流れを悟り、和幸はそっと後退りをする。
「――春野和幸様です」
「健」
短い呼びかけとともに小柄な影が迫る。常人を超えた速さをその目で捉えながら和幸は隠し持っていたナイフで防ぐ。甲高い金属音が始まりを告げる。
細身の剣が次々と切り込まれ、そのすべてを懐に忍ばせていたナイフで捌いていく。あり得ないスピードのそれを和幸は当然のように目で追う。
とはいえ、本気の健相手にいつもと違うスタイルで長くは続かない。
仕方ない、と小さい息を吐き、霊力に命令を与える。
「……っ」
沸き起こった炎が駆け巡り、咄嗟に避けた健の服を焦がす。
すかさず切り込む和幸は反撃しようとする健の手元へ風を巻き起こす。そちらへ気を取られている隙に細身の剣を弾いた。
宙に舞う剣を舞い、桜流剣術で振るう。二、三振りのうちに奪った剣は和幸の手から消えていく。
還元。健は固定化した術に限って、元の霊力に戻すことができるのだ。
霊力の消耗を考えなくてもいい健は使い捨てるように武器を使う。
「思ってたよりも卑怯な手を使うんだね」
「俺の実力じゃ、真正面から戦っても天才には敵わないからな。だからといって諦めるわけにもいかない」
和幸だって天才と言われる人間だ。それでも敵わないと思わされる天才がすぐ傍にいた。
誰に勝っても、その人物には絶対に勝てなかった。正道で無理なら、と和幸は邪道と言える戦い方も覚えたのだ。
春野家当主という立場から公の場で控えてきたそれを健も知っているはずだが。
(これも洗脳されてる影響か)
知らないならやりやすくて助かる、と再びナイフを構える。――これだけ稼げば、十分だろう。
「王様ばっかに気を取られててええの?」
聞き慣れた声がいつもの口調に戻って、場を打った。
無機質な目がそちらを向いて見開かれる。驚きに満ちた健の顔は珍しい。
その視線の先にいるのは至に、ナイフを突き立てる八潮の姿があった。
「自分がそないな顔するなんて珍しいなあ。ええもん見れたわ」
被っていたフードを取った八潮は人好きのする笑顔を見ている。
その姿に、和幸は特別驚かない。占い師がこちらを向いたときから、片割れが八潮だと気付いていた。
何なら八潮に、時間を稼ぐようにアイコンタクトで頼まれたくらいだ。
「健、この男を殺せ」
健という強い味方がいるせいか、表情から強気を消さない至が冷酷に告げる。
即座に健は八潮を狙って動き出し、八潮は動きを読んでいたように至から離れる。
その間に和幸はそっと占い師の方へと歩み寄る。
「久しぶりだな、晶奈。お前が協力してるなんて驚いたぞ」
「ゆ、幸様の力になりたくてっ……」
隠れるようにフードを引っ張り、身を縮こまらせる少女を柔らかい表情で見る。
彼女は家族を殺され、天涯孤独になったところを和幸が引き取った少女だ。名を梅宮晶奈という。
戸籍こそ動かしていないが、和幸にとって娘同然の存在だ。
か弱い少女を守るように立つ和幸の視線の先で八潮と健が激しい剣舞を見せている。
「その程度で俺に勝てると思ってるの?」
「俺なんかじゃ、自分に勝つなんて無理な話や。でも――」
細身の剣をナイフで受ける裏側で、ブーツから二本目のナイフを引き抜く。慣れた手付きの流れで、お留守になっている部分へ切りかかる。
火花が散る激しさで刃がぶつかる。健は反射で生成した剣の柄を遅れて握り、ナイフを振り払う。
細腕からは想像できない力強さに、八潮から零すのは笑みだ。
「俺は健に一度勝った男だ。今のあんたはあの時よりも弱い」
健の攻撃から距離を取った八潮の姿が消失する。
暗殺時代、カメレオンと呼ばれていた八潮の真価。認識阻害の術を発動し、完全に気配を断った八潮の姿を捉えるのは難しい。
その場の空気に完全に同化してしまうその姿はまさしくカメレオン。
「なるほどね」
小さく呟いた健は攻撃を仕掛けるために姿を現した一瞬を利用するように剣を振るう。
速すぎる剣撃を避けた先で生成された鎖が八潮の身体を絡めとる。
「身動きのとれない状態じゃ、姿を消されても困らない。――さようなら」
一突き。的確に、寸分の狂いもなく急所を狙った攻撃に八潮はまともな抵抗すらできない。
無感動に抜かれた剣が血を溢れさせる。倒れる八潮を見届けて、彼の動きを封じていた鎖が消え去った。
死者にはもう興味がないとでもいうような態度で、健の冷たい目が和幸を見る。
身構える和幸の前にふと影が差した。
「晶奈?」
小柄な影が、それよりもっと小さな人物と向かい合う。剣先を汚す血に顔を青くしながら、晶奈はじっと健を見つめている。
「起動――縛布一〇〇%」
晶奈の行動を不審に思う和幸の耳に滑り込んだ小さな声。
その声に呼応するように現れた光が健の身体を拘束した。少し前までとは真逆の状況を作り出した八潮はそっと立ち上がる。
その身体には怪我もなければ、服が血で汚れているわけでもない。戦闘の激しさだけを残した八潮がそこにはいた。
「どーして……」
「ははっ、らしくないこと言うなぁ。いつもの自分なら考えんでも分かるんと違う?」
いつものように親しみを感じさせる口調で彩った八潮の目は笑っていない。
「何をやっている⁉ 健、今すぐ不審者をすべて排除しろ」
「無理や。あの術は健の本気を完っ全に再現したものや。いくら健でもそう簡単に解くことはできひんよ」
焦燥を宿した至に答えた八潮の指では見覚えのある指輪が光っていた。悠が使っていたものと同じ指輪だ。
妖具もどきと言っていた悠の言葉を思い出し、和幸は一人、八潮の言葉に納得する。
健の術は一級品だ。いくら健でも簡単に、そう簡単に解くことはできない。多少の時間稼ぎはできるはずだ。
そして、八潮はその時間で何かをするつもりなのだ。そんなことを考える和幸は晶奈の目が銀色に輝いていることに気が付いた。
「ごめんなさい」
「や、やめっ」
謝る晶奈と怯える健。その先で銀色の目と無機質な目が邂逅し――。
●●●
晶奈は生まれたときから人の心というものを見ることができた。
貴族街という世界で尊ばれる巫女とは所以を異なる力を周囲は気味悪がった。
存在を秘匿するように育てられた晶奈が外の世界を知ったのは皮肉にも、屋敷の全員が暗殺者に殺された後だった。
関わりの薄かった家族が殺されたことへの悲しみも憎しみも晶奈の中にはない。
そんな感情が育つような育てられ方をされてこなかったから。
訳も分からないままに取った手の先で、晶奈は様々な感情を知っていくこととなった。感情を知った今でも、殺された家族へ思う心はない。
晶奈にとって、手を差し伸べてくれた存在が教えてくれた世界だけが大切なのだ。
「梅宮晶奈さんですね。王様を助けるためにちょこっと協力してもらえませんか」
突然現れた関西弁の男にそう言われたとき、最初は断ろうと思った。
けれど、こんな自分でも、人々が気味悪がる力でも、大切な人を守れるなら、と手を取ったのだ。
晶奈も大切なものを守れるようになりたかった。
だから今、晶奈はおびえながら彼の前に立っている。その瞳を銀色に輝かせながら。
目を合わせる。それだけで晶奈はその人の心を見ることができる。
銀色の力に誘われるように、晶奈の目には真っ暗な世界が映し出されていた。何もない黒い世界に怯えながら、その奥に潜む存在を探す。
「本当の貴方は……とても臆病で、弱くて、それを気付かれないように必死の思いで取り繕っている」
「やめ、ろっ」
力を使っている間の晶奈はトランス状態となり、見えたものが無意識のうちに零れていく。
対する健は身動きのとれないまま、らしくない震えた声を出している。
たとえ、どんな人間でも心の一番弱い部分を覗かれて、冷静なままではいられない。
「――ひっ」
暗闇の奥の奥、静かに潜む存在を見つけて晶奈は小さく悲鳴を上げる。
見る人を委縮させる恐ろしいその存在は晶奈が探していたものだ。
沸き立つ恐怖心を和幸への思いで塗り潰した晶奈はそっと手を伸ばす。
「おね、がい……力を貸して」
晶奈が持つのは「心を見る力」だけ。相手の心へ干渉するほどの力はない。
それでも今だけはと願って伸ばした手は、健の心の奥に潜む存在へ触れた。
視界は暗闇から森の中へと変わる。余計な雑音をすべて取り除いたような静謐な森の中。
一人の立つ青年が時折吹く風が慈しむように手を伸ばしている。風の中に薄紅色の花弁が混じって、青年は口元に笑みを乗せる。
「そこで見ているのは誰だ?」
尋ねる声は晶奈の存在に気付いていた。
さすがは出来損ないの神。力の気配を感じ取ったのだろう。
「ふむ、龍の眷属か」
納得したような青年の呟きとともに闇の中で紅が開かれた――。