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入れ忘れてたワンシーン追加しました。すいません!!!
その日、八潮は白衣をまとった青年を連れてきた。和幸もよく知るその青年は余所行きの笑顔を貼り付けて、
「お久しぶりです」
と、深々と頭を下げた。その姿を見る和幸は確認するように八潮へ視線を寄越す。
八潮が連れてきた青年の名はレオン。妖界の王直属の処刑部隊副隊長を務めている。
使いとして派遣されてくることも多く、和幸も馴染み深い妖だ。
史源町に滞在しているとはいえ、この場にいることに疑問は尽きない。
「王様が潜入するときのために変装のプロを招待させてもらいました」
「プロというほどではありませんが、私で力になれることがあるなら、と思いまして」
そんな殊勝なタイプではないことを知っている和幸は視線でその真意を問いかける。
「健さんに借りを返すいい機会だと思っただけです。なかなか、巡ってこない貴重な機会ですから」
健に利用されるのではなく、健の落ち度をカバーするタイプの返し方は確かにそうそう巡ってこない。
どうせ返すならこのタイミングがいいという気持ちは和幸にもなんとなく分かる。
同じに返すでも掌で踊らされる形は避けたい。
「にしても、わざわざレオンを呼ばなくても、そういうツテがあるんじゃないか」
健や悠が潜入する際、衣装やメイクを担当している人物がいるという話を聞いたことがある。
「あるにはあるけど、今はそのツテも使えへん状況でしてなぁ」
「ああ……なるほどな」
処刑人のほとんどは健が一人で回し、健が一人で管理している。
健がいない今、連絡先が分からないなんてことがあってもおかしくない。
「衣装は用意してあるんで、とりあえずメイクの方をお願いしてもいいですか」
「分かりました。少し失礼します」
言って、レオンは持ってきた鞄からメイク道具を取り出し、慣れた手付きでメイクを施していく。
メイクされる経験はあまりないので少しだけ擽ったい。
明らかにメイクしていると分からないように、それでいて元の顔が分からないようにしなければならない。それなりの技術を必要とするものを、ほとんど素人の和幸でも再現できるレベルでなければならない。
その絶妙な加減を見事に叶えたメイクが出来上がる。鏡で自分の顔を見ながら、和幸は感嘆の息を漏らす。
「さすがの出来だな」
「ほぉ、すごいもんやな。別人みたいや」
「これで認識阻害の術をかければ大丈夫かと。健さん相手でどこまで通用するかは分かりませんが」
相変わらず、健を強く警戒している様子のレオンである。気持ちは分かる。
「お二人とも思ってたよりも落ち着いているんですね」
零れるようなレオンの言葉に和幸と八潮は揃って顔を見合わせる。
健が敵が回った事実は字面以上の脅威と言える。健を知っている者ほど、今の状況を知って、冷静ではいられないだろう。
勝てるわけがないのだ。健に敵うわけがない。
どうしようもない現状に途方にくれるのが普通だろう。二人がそうなっていない理由の一番は慣れだ。
「あいつが春野家を裏切ること自体、そんなに珍しいことじゃないからな」
「そんなあっさりと……」
「制限ばかりの春野家とは比べ物にならないくらいの好条件で勧誘する奴は少なくない。条件がいい方につくのは普通だろ」
「裏切るゆうても、必要な情報やら何やら手に入れてちゃっかり戻って来るんやけど」
言うなれば、裏切ったふりだったのだ。毎度毎度、本当に裏切ったと思わせるような態度で、こちらはもうすっかり慣れてしまった。
さすがに今回ほど大事になることはなかったものの、慣れというものは恐ろしいである。
お陰で冷静に事にあたることができているので、そこはよかったかもしれない。
「今回もそうだという可能性もあるんですね」
「いや、それはないだろ」
考え込むようなレオンの言葉を和幸はあっさり否定する。
「まあ、これは俺の勘だけどな」
これまた和幸はあっさり言葉にする。健の勘ほどではないが、和幸の勘もそこそこ当たる。
伊達に春野家の当主をしていない。
「前々から思っていましたが、お二人って不思議な関係ですよね」
主従とも違うし、友人関係でもなければ、親子でもない。いや、和幸は健のことを自分の子供と同じくらいに思っているが、健の方は和幸を親のように思ってはいないだろう。
健の視点で立ってみれば、主従に近いのかもしれない。
「協力関係ってのが一番しっくりくる表現かね」
「広い表現使ってきたなぁ」
呆れた口調の八潮も特に否定をするつもりはないらしい。
和幸自身にもはっきりした言葉が見つからないくらいに健との関係は複雑だ。むしろ、健と付き合うのならこれくらいの関係性の方がいいのかもしれない。
「そうだ、月は元気にしてるか?」
「はい、今回のことを聞いて我々も気にかけていますし。今は藤咲家に泊っているので心配はないでしょう」
藤咲家には強力な結界が張ってあるし、そこに暮らす者は和幸の知る人間の中で最強に位置する。
なんだかんだ学校でも月の周りにいるのは戦闘力で信頼のおける人物ばかりだ。レオンもこう言ってくれているし、そこまで心配する必要はなさそうだ。
「随分手厚いな?」
「春野家当主に恩を売るいい機会と言いたいところですが、月さんはレミの友人ですから……」
「随分手厚いな?」
「やかましいです」
少しニュアンスを変えた言葉にレオンは短く返す。
二人の脳内にいるのは同じ少女だ。少女といっても、和幸よりも生きてきた時間は長い。
初めて会ったのは彼女がまだ深窓の令嬢をしていたときで、和幸がアカデミーに入学する前。
あの頃の和幸は世界を冷めた目で見ていた。そんな中、彼女は世界の温かさを連れてきてくれた。
和幸にとって大切な人の一人で、それゆえ幸せを強く願っている。
「まぁ、レミが幸せそうでよかったよ」
「心配しなくても、不幸にはしませんよ」
そこは絶対に幸せする、くらいは言ってほしかったが、ここは妥協しておこう。
そんなこんなでレオンに、メイクの指導をしてもらい、その日は別れた。元々、ヘアメイクは得意だったが、メイクもわりと楽しいかもしれないと思い始めている。極めるのもよさそうだ。
「王様に必要ないスキルやけど」
そんなことを八潮が言っていたりもしたが、気にしない方向で。
「和心のときも思ったが、ここの場所を教えてもよかったのか」
今は和幸が隠れ家として使っているが、元々は処刑人の隠れ家のような場所のはずだ。
認識阻害をかけてあるくらいだし、知られないようにしていたのは間違いない。
「まあ、無闇矢鱈に、だったら怒られるやろうけど、どっちも口は堅さで信用できますし。和心さんは前から知ってたしなあ」
「そうなのか?」
「有能で話の通じるお人やし、今までも何度か協力してもらっとるんです」
部外者なのに、という気持ち以上に和心なら問題ないという思いの方が先立つ。
誰よりも強い芯を持っている彼女は感情に流されることがない。立場を超えた行動をすることもなく、裏社会への理解もある。
正直、和幸も手元に置いておきたい人材だ。出来損ないの神の一人、龍王を主に据えている彼女は協力者以上に絶対にならないが。
「なんというか、今回のことがあって知るが多いな」
「こっちも意外でしたわ。陰鬼さん辺りから聞いてるかと」
「陰鬼の役目はそういうのじゃないからな」
陰鬼の任せているのは健の監視と護衛。とはいえ、基本的に和幸への報告義務があるわけではない。
「王様が気にしてないなら俺から言うことじゃありませんけど、健のことを甘やかしすぎじゃありません?」
「いいんだよ。どうせ制限しても意味ないんだから」
吐き捨てるように呟きながら、動かしていた手を止めて手鏡を見る。
八潮を話しながら、改めて変装メイクの練習をしていたのだ。レオンのものを再現するのにも慣れてきて、手鏡には少し面影を変えた和幸の姿がある。
後は、とこちらは手慣れた様子で髪をセットしていく。
「ほんまに器用やな」
感心したような八潮の声に和幸はその出来栄えに満足したように頷く。
これなら早々にバレることはないだろう。たぶん。
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ふと聞こえた声に星は顔を上げた。
桜稟アカデミーから春野家へと移っても、星の軟禁生活は変わらない。ただ場所が春野家の自室に移ったことで退屈感は減ったように思う。
病弱で部屋で過ごすことが多かったので、部屋の中でできることは揃っている。
「少しだけなら大丈夫かな」
部屋の外に出たことがバレたらきっと怒られるだろう。
それでも聞こえる声が気になって仕方がなかったので、そっと外に出た。
聞こえてきた声を頼りに歩を進め、廊下の隅に蹲る少年を見つけた。
「貴方、大丈夫?」
そっと駆け寄り、声をかける。持ち上げられた顔は大量の涙と鼻水で汚れていた。
どうやら体調が悪くて蹲っていたわけでないようで、そこだけはほっとした。
「確か……文月壬那さんですよね。何かあったんですか」
「ぐすっ、俺が……俺のせいで師匠が」
壬那が師匠と呼ぶ人物が誰なのか、星は知っている。
ずっとそう呼びながら健の周囲をうろついていたのを何度も目にしたことがある。
健は素っ気なくあしらうばかりだったけれど、彼のことを嫌ってはいなかった。
「健に何かあったんですか
「師匠の目を怪我させたのは俺なんです。あの日は頭がぼうっとして、でも強くなるために必要なことだって思い込んで、それで」
涙声で説明で星はもうだいぶ前に思える決闘の日のことを思い浮かべた。
あの日、健が負けたのは目を怪我していたからというのは大きい。そうでなければ、あんな失態を見せることはなかっただろう。
それでも壬那のことを責める気を起きない。
彼の言葉を聞いて、操られていたのだとなんとなく分かったから。
「大丈夫です。健は気にしていませんよ」
「でもっ」
「大丈夫。だって健ですよ? 今に全部元通りにしてくれますよ。そうしたらちゃんと謝ればいい。きっといつもの顔で許してくれるから」
何度も何度も「大丈夫」と語りかけているうちに壬那も落ち着いてきたようだ。
それから少しだけ二人で話して、星は自室へと戻った。
再び、一人きりになった壬那へ近付く影がある。
「泣いているのね」
紡がれた声は美しい。一度耳にすれば、鼓膜が歓喜に震えている。
顔を上げれば、息を呑むほど美しい少女が微笑んでいた。世界は彼女と壬那だけに切り取られる。
「後悔しているのなら、罪を償いたいと願っているのなら、私に力を貸してくれないかしら」
絶望から救い上げある天使のようなその姿に、壬那の心は柔らかに解かれていく。
そっと差し出された手を当たり前のように取った。