3-7
インターフォンを鳴った先に開かれた扉の前に立っていたのは生真面目な印象の少女だった。
「お初にお目にかかります。私は龍月和心と言います。八潮さんに頼まれて、日用品の買い出しをしてきました」
「これは丁寧に、ありがとうございます。私は紅鬼衆の一人、雷鬼と申します」
外見に違わず、性格も真面目らしく、和心と雷鬼は互いに頭を下げる。
真面目同士の交流を通りすがりに目にした和幸は怪訝そうな表情を見せる。
「和心か。久しぶりだな。少し上がっていったらどうだ」
「お久しぶりです。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
生真面目に絵に描いたような少女は史源町に滞在する妖退治屋だ。
そして、和幸が知る数少ない龍王の眷属である。
神生ゲームの始まりに関わった出来損ない神の中で最も謎の多い龍王。万物を見る力と万物を紡ぐ力の二つを持つ彼の、後者の力を得た唯一の存在。
和幸の知るの中でたった一人、龍王と最低限のコンタクトが取れる人物でもある。
「事情は八潮さんから聞きました。大変なことになっているようで」
「恥ずかしい話だけどな。ああ、日用品の買い出ししてくれたんだってな。助かるよ」
「いえ。私にできることがあれば、いくらでも力を貸します」
和心は風紀を正すという、たった一つの信念のもとで生きている。その信念にそぐわないのであれば、和心はいつだって協力的だ。
有能さも折り紙付きで、彼女の申し出は正直ありがたい。
「これは貴族街の問題だ。部外者の力を借りるわけにはいかない。買い出しをしてくれるだけで十分さ」
「そうですか。差し出がましいことを言いました。すみません」
素直に頭を下げる姿には好感が持てる。お茶を持ってきた雷鬼にまで丁寧に礼を言い、話す相手の目を真っ直ぐに見る。突き抜けた真面目さなのに、頑なさは少しもない。
「……晶奈は元気にしてるか」
「はい。勉強の方も順調です。晶奈さんはとても優秀で、こちらも教えがいがあります」
その顔に柔らかな微笑を浮かべて答える。
かつて和幸が引き取った天涯孤独の少女。特殊な能力を持っていたことにより、人に馴染めなかった彼女は今、社会勉強として和心と同じアパートで一人暮らしをしている。
似た立場にいる和心にサポートをしてもらいながら。
「力の方もだいぶコントロールできるようになっているようです」
それから彼女の近況をいくつか話して和心は去っていた。
「落ち着いたら久しぶりに会いに行ってもいいかもしれないな」
そんなことを考える和幸の目の前で光が瞬いた。
その眩しさに目を瞑り、再び目を開けたとき、そこには新たに扉が現れていた。
「扉? 一体、どこから……」
困惑とともに触れ、迷いとともに扉を開く。開いた先で中で見えたら、という思惑はあっさり裏切られ、眼前に広がる暗闇に考え込む。
「何かの罠か?」
ここに和幸がいることがバレたのだろうか。しかし、ここまであらかさますぎる罠を相手が仕掛けてくるだろうか。
そう思わせる類の罠なのかもしれない。健が敵という事実は和幸に裏の裏の裏まで考えさせられる。
力を制限されていると聞かされていたも、やはり警戒してしまう心はおさえられない。
「誰か一緒に連れていくか」
雷鬼はダメだ。彼女にはここを守ってもらう必要がある。
百鬼も同じく、別荘から動かすわけにはいかない。他の鬼たちはみな、貴族街にいる。
呼び寄せることは可能だが、そうすれば少なくとも桜宮家当主には居場所がバレてしまう。
「……考えるだけ時間の無駄か。仕方ない、潔く行ってみるか」
最終的に己の勘を信じることに決めた和幸は緊張した面持ちで足を踏み入れた。
眼前に広がるのは簡素な部屋だった。中心に鎮座しているテーブルの上に置かれたパソコンとスマートフォン。
他には何もない部屋にはさらに奥へ続いているようで、闇に呑まれた廊下の姿が遠目に確認できる。
「これは……健のスマホか?」
健は仕事用、情報屋用、プライベート用と三つのスマートフォンを使い分けている。機種もカバーもすべて同じなので、どれなのかは判別つかないが間違いない。
「流石にロックはかけてあるか」
何か情報を得られればと思っていたが、そこまで甘くはない。当然、パソコンの方もロックがかけられていた。
「手掛かりはなし。先に進むか、進まないか」
真っ暗な廊下を見て、悩ましげな表情を見せる。正直、進みたくない。
電気のスイッチも見当たらず、ため息を吐くように足を踏み出せば、廊下が明るく照らされた。人感センサー的なものだったらしい。
床も壁も灰色一色で統一された廊下にはいくつもの扉が並んでいる。
「鍵は、かかってる。当然といえば当然だが、せめて何か手掛かりは欲しいな」
ぼやく和幸がいくつ目かの扉に触れた瞬間、静電気のようなものが走った。
小さな痛みに手を引っ込めた和幸の目の前に文字が浮かび上がる。灰色の扉に現れたのは『貴族街』という文字だった。
この部屋には鍵がかかっていない。踏み入れた和幸を資料室という言葉が似合う部屋が迎えた。
透明なガラス付きの棚に理路整然と並べられた資料はすべて貴族街にまつわるもののようだ。
春野家で管理されている資料の写しもある。しかも手書きだ。
「ここは健が集めた資料の保管庫みたいなものなんだろうな」
和幸が入れなかった部屋にもおそらく同じような資料が置かれているのだろう。
「というか、これ全部手書きか⁉ あいつも別に暇じゃないだろうに」
ガラスは触れただけで掻き消え、中の資料をなんとなしに見て呟く。春野家が管理しているものの写しだ。
基本的に持ち出し禁止の資料をすべて記憶して、書き写したのだろう。丁寧に細かい部分で表現を変えてあったり、別の情報を付属してあったり、と持ち出したわけじゃないという屁理屈がつけるような仕様になっている。
「ん、あれは……」
目に入った泉宮家と書かれたファイルだった。成り立ちが系譜、歴代当主やその親族について丁寧にまとめられたそれを手に取ったとき、紙の束が零れ落ちた。
『泉宮至調査報告書』という言葉に心臓を鷲掴みされた思いで拾い上げる。今まさに欲しているとも言える情報だ。
主に最近の動向についてまとめられている。あとは交友関係やアカデミーでの成績について。
ありとあらゆる情報が詰め込まれ、よくここまで調べたと感心するほどだ。
「手掛かりになりそうなものはないな。天晶を手に入れた経緯も不明のようだし」
すでに健が目を通した内容だろうから当然か、と考えながら、和幸は部屋から出た。
再び灰色の空間へと出た和幸の視線は自然と、ある一点へ導かれた。
神生ゲーム。そう表示された扉へ。
今回の事件とは関係なく、惹かれるように足を踏み入れた。同じように理路整然と並べられた資料が和幸を迎える。
「鬼神に、妖姫……龍王はやっぱり少ないな」
もっとも謎に包まれていると言われる出来損ない神はやはり情報も少ないようだ。
脳裏に過った藍色の影から逃げるように視線を巡らせる。
守鬼。藍の子。この部屋は和幸の心を掻き乱すものが多い。それなのにガラスは一つも消えてくれない。
どうやらこのガラスは結界のようなものらしい。おそらく資格があるものが触れると消えるのだろう。
中に入れはしても、和幸にこの部屋の資料を見る資格はないらしい。
息をつき、部屋を出ようとした和幸を蒼い光が引き止めた。眩しさに目を細め、誘われるように伸ばした手に一冊のファイルがおさまっていた。
「天晶……。これは⁉」
天晶とは帝天がもたらす神器の一つである。適合者は他者を操ることができる。
これは帝天が持つ、万物を操る力に由来していると思われる。
主となる玉と、それに連なる複数の玉から構成されている。適合者は主の玉を持つことで他者を操り、連なる玉を飲み込ませることで完全に洗脳することができる。
玉を破壊すること以外で洗脳を解く方法はない。
「つまり玉を破壊すればいい、と。八潮たちもそれに向けて動いているんだろうな」
問題なのは健が相手だということだ、と天晶について綴られた文字を追いながら考える。
「神器ってのは聞いたことないな。妖具とは違うのか?」
呟く和幸の掌で蒼い光が瞬いて、いつの間にか捲れていたページには神器について書かれていた。
しかし、先程から不意に瞬く蒼い光は何なのだろう。
そう思ったときだった。一際大きく光が瞬き、どこからともなく現れた薄い本が宙に浮かんでいる。蒼い光を溢れさせ、神秘的な空間を作り出すそれにただ魅入られた。
「ち、てい……?」
まったく知らない単語をぽつりと呟いた。
全知を司る神とだけ書かれた説明。その正体について言及する文は途中で消えていく。
眉を寄せ、本を見つめる和幸の横で唐突に扉が開かれた。
「姿が見えへんと思っとたら、やっぱりここにおったか」
「八潮か」
急に開けられた扉に驚き、八潮の姿も認めて息を吐くように呟いた。
気が付けば、宙に浮いていた本も、手に持っていたファイルも消えている。
「ここは健が集めた資料が置いてあるところだと思っていいのか」
「というより、処刑人の拠点みたいな感じやね。扉が開いてて驚きましたわ」
「拠点、ね。だから、ここまで凝った仕様になっているのか。無駄に手が込んでるな」
「さすが健って感じするやろ?」
妙に得意げな八潮と話す頃には蒼い光のことはすっかり忘れていた。綺麗さっぱり、そんなもの最初から知らなかったように――。
「今日は来ないのかと思ったぞ。和心を代わりに寄越すくらいだし」
「ほんまはそのつもりやったんけど、ちょこっと王様に提案がありまして」
苦い顔を見せる八潮の顔を見て、いい提案ではないことだけは分かった。
それでも聞かないという選択肢はなく、和幸もまた苦い表情を見せながら「なんだ?」と返す。
「至さんが正式に王様の後釜になることが決まったらしいです。アカデミーを休学して、春野家の屋敷で暮らすそうで」
問いかけの答えではない言葉に怪訝な表情を見せる和幸。
「それで王様にはそこに潜入してほしいなーって」
「他の奴がしてるんじゃないのか」
「それはそうなんやけど、王様の力も借りたいとのことでして」
八潮はあくまで指示を受けている側で、問い詰めても意味はない。
姿を隠している身で敵の拠点に潜入するなんて危険な真似をさせるくらいなのだから、それなりに意味があるだろう。
健が選び抜いた人間なら下手な真似をしない信用はできる。
「分かった。引き受けよう」