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3-6

 開かれた扉の先に立っていたのは不安げな顔をした妹だった。


「星、どうしよう。お父様が……」


 今にも泣きそうな顔をしている夏凛と、その後ろに立つ桐葉の神妙な表情で何かあったのだと悟った。

 起きてすぐの姿の星はとりあえず二人を部屋の中へ案内する。


「りっくん、紅茶を入れてあげて」


 小さい時から知っている執事が紅茶を入れる音を聞きながら、星は夏凛へと向き直る。

 父に何かあったことは察していた。死んだわけではないのは二人の態度から分かっていて、それでもとんでもないことが起こっていることだけは理解できた。


「何があったの?」

「今朝がた、父から連絡がきて」


 そんな枕詞に続いて、桐葉は春野和幸が行方不明になったと告げた。

 和幸の側近にして、桐葉の父である龍馬が寝室を訪れたときはすでにもぬけの殻だったらしい。


 ただ、事態はそれだけでは終わらない。


「幸様には桜宮家当主を殺害しようとした嫌疑がかけられているようで……それを苦にして失踪と考えられているみたいね」


 言葉を選ぶような桐葉の声を聞く星は思っていたよりまずい状況らしいと思考を巡らす。


「もしかして私たちも隠れた方がいい?」


 濡れ衣だと当然のように結論付けた星はその先を見て問いかける。


 桜宮家当主の殺害未遂ともなれば、処刑人が動いてもおかしくない。桐葉はあえて口にすることを避けていた懸念を口にした。

 こんな状況ででも星は少しも動揺しておらず、ただ冷静に世界を見ていた。


「そうね。ルートは用意してあるみたいだから、すぐに支度してもらえるかしら」

「うん、分かった」


 頷く星はふと引っかかりを覚えて、首を傾げた。

 桐葉は龍馬からの伝言を伝えただけ。そして、龍馬の言葉も誰かからの伝言のような気がしたのだ。


 胸の辺りを柔らかに撫でるこの感覚はもしかすると――そこまで考えた星はふと玄関の方へ目を向けた。

 星の反応に遅れて鳴り響いたインターフォンで場の空気に緊張が走る。


「私が出てきます」


 星付きの使用人たる淕の申し出に桐葉が無言で頷いて答える。

 淕の背中を見据える桐葉の横顔はいざという時の打開策を考えているようだ。

 それを横目に星は立ち上がり、玄関の方へ向かっていく。


「星様っ⁉」

「大丈夫」


 笑って答えたその先で星は想い人を見つけた。

 無機質と言われることを多い目には一つの感情も宿っていない。目を合わせると少しだけ和らぐあの目が今はない。そのことを悲しいとは思わなかった。


「おや? わざわざ出て来てくれたんだね、春野星さん?」

「……泉宮さん。何の御用ですか」


 健の方ばかり見ていたせいで、気付くのが遅れた。心配げな淕の視線を受けながら、星は柔らかに笑う。


「君を、僕の妃に迎え入れようと思ってね」


 至の言葉を聞きながら星は健の様子を窺う。

 相変わらずの無反応。表情がピクリとも動かなければ、その目に星が映ってすらいない。


「星! ダメだよ」


 星の考えを読み取ったように声をあげて引き止めようとするのは健ではなく、夏凛だった。


「なんだったら、君でも、いいんだよ。髪は染め直してもらうことになると思うけど」

「……っ…」


 声を詰まらせる夏凛の手を星はそっと触れた。


 琥珀色の髪を真っ黒に染めた夏凛の髪。多くの者が快く思っていなくても、夏凛が夏凛らしくあるために必要なことだということを知っている。

 何よりも星は黒髪の夏凛が大好きなのだ。


「分かりました。謹んでお受けします」


 真っ直ぐに至の目を見て、はっきりとした口調で告げる。周りの反応は気にも留めず、微笑みながら至の手を取った。


 これ別に犠牲なんかではない。星は夏凛を守るために行くわけではないのだ。

 だから大丈夫だ、と微笑んで、至と行くことを選んだ。


 ここで少しだけ星の想い人の話をしよう。

 彼はとても小さい。初めて会ったときはまだ星の方が小さかったのに、気付けば身長を追い越してしまった。


 ゆっくりとした時間を歩む細い肩にはたくさんのものが乗っている。

 その重さに潰されないほど強い人だ。とても優しくて傍にいるだけで温かくなる。

 同時にとても恐ろしくて冷たい人だということも知っていた。


 そしてこれは星だけが知っている彼の姿――。


「信じてるよ」


 至の少し後ろを歩きながら星は小さく呟いた。零れるようなその声を彼の耳はちゃんと拾っているはずだ。

 それでも、やはり無反応な姿を見て、至に気付かれないように笑みを浮かべた。


「君にはしばらくこの部屋で過ごしてもらうよ」

「分かりました」


 案内された部屋に足を踏み入れた星は中を見回し、牢獄のようだと小さく笑う。

 最低限、必要なものだけが置かれた部屋。言えば、きっと欲しいものを用意してくれるだろう。

 でも、ここから出ることは絶対に許してくれない。分かっていて選んだことだ。


「あれ? どうして陰鬼がいるの?」


 これから過ごす部屋に視線を巡らせていた星は、人影があることに気付いた。いや、この場合は鬼影と言った方が適切か。

 ある事件を境に健の護衛を務めるその鬼は、星とも親しい間柄だ。


「私は健様の護衛を任されていますので。今は迂闊に近付くこともできませんが」


 長い前髪で隠れた困り顔の返答に星は「なるほど」と頷く。

 心優しいこの鬼はきっと星のことを心配して、わざわざ姿を現してくれたのだ。


「話し相手ができてよかった」


 これから一人きりで過ごすことになると思っていたところだったからなお、嬉しい。


「星様は健様は、その……」

「大丈夫。全部分かってるから、心配しなくても大丈夫だよ」


 今の健は、健であって健ではない。

 そのこと気付いたのは数日前に遠目で見かけたときだ。それからついさっき、久しぶりに健を目の前にして、洗脳されているのだと理解した。

 冷たすぎる健の反応に星の心は少しも揺らぐことなく、ただ納得だけがあった。


「健は天才だけど完璧ではないから」


 健はいつだって完璧な人間であろうとする。隙のない姿を見せつけ、どんな失態でもまるで最初から仕組んでいたように演じてみせる。


 どこまでも遠く、高みに立つ圧倒的な強者。その後ろに見える小さな影を星の目だけはいつだってきちんと捉えている。


「私は私ができる範囲で手助けしたいの。だから、ここに来たんだけど……もう動いてる人がいるみたいだね」


 もしかしたら、健が根回しをしていたのかもしれない。

 そんなことを考える星は陰鬼の顔から消えない不安と心配に笑いかける。


「大丈夫だよ。健なら大丈夫」


 小学生のときから護衛として四六時中、傍にいた陰鬼は人一倍不安が大きいのかもしれない。星と同じように陰鬼もまた健を近くで見守っていた人なのだ。

 そんなことを考えて、星は陰鬼が姿を現してくれたことを心から感謝するのであった。


 ●●●


 オレンジ色の光が世界に影を落とす頃、八潮を出迎えたのは美しい女性だった。

 金糸雀色の髪を結いあげたその女性は、目端に涙を浮かべた状態で丁寧に頭を下げる。


「八潮様、ようこそいらっしゃいました」


 貴族街の中では下っ端の下っ端なので、ここまで丁寧に接されると妙なこそばゆさがある。

 彼女の名前は雷鬼(らいき)。普段は春野家の別荘の管理と守護を担当している紅鬼衆の一人だ。


 和幸たちの身の回りをする人材として八潮が声をかけたのだ。なお、別荘の方は百鬼が代わりを担っている。


「どうも、雷鬼さん。奥、上がらせてもらいます」


 一言、挨拶を返して八潮は奥に進む。

 不便だろうから、と八潮が貸したスマートフォンをつついていた和幸がわずかに視線をあげる。


「今日も来たのか」

「ちょこっと報告せないけへんことができましてなぁ」


 渋い顔を見せる八潮に訝しるような視線を寄越しつつ、和幸は向き直った。

 一瞬で引き締まっていく空気。その切り替えの早さはいつ見ても感心する。


「ここはいい知らせと悪い知らせ、どっちがいいって聞いた方がええんやろか」

「そんな映画みたいな前振りはいらん」


 緊張感を持った空気を茶化すような八潮に呆れた声が投げかけられる。


「んじゃ、まずは残された使用人ですけど、あのまま至さんが迎え入れることになるみたいですよ」

「最低でも龍馬辺りは処分を受けると思っていたが……」

「春野家の使用人は有能な人ばかりやし、洗脳して使った方がええっちゅう判断でしょうな」


 そうは言っても、不可解さは消えない。


 どんなに優秀な人材だからといって、重罪者たる和幸の側近をしていた人材を今までと変わらない条件で雇うなんて聞いたことがない。せめて、発言権を奪うような立ち位置に置くのが普通だ。


 泉宮至という人間がその辺りの警戒を疎かにする人間ではないことは和幸も、八潮もよく知っている。


(それを上手い具合に丸め込む手管はさすがやなぁ)


 後ろで手引きしていた人物の姿を思い浮かべ、そんなことを考える八潮である。


「で、もう一つの報告になりますけど」

「悪い方の知らせか」


 表情に苦いものを混ぜる和幸に苦笑しつつ、八潮は言葉を続ける。


「星様が至さんの婚約者として迎え入れられたそうです」

「星が? どういうことだ」

「俺にも詳細は分からへんけど、至さんの誘いを星様が受けた形らしいです。夏凛様も場にいたらしいですし、守るためかもしれへんけど」


 口にしながら、星がそんな献身的な思いだけで動いているわけではない、と考える頭がある。

 あくまで八潮がそう思っているだけで、本当のことはどうか分からない。

 なにせ、八潮に情報を流している人物も詳しい事情は分からないと言っていたのだから。


「陰鬼さんが傍にいるらしいし、そこまで心配する必要はないかと思います」

「そうか。陰鬼もいるのか」


 影の薄さで忘れがちだが、陰鬼は今も健の護衛の任についている。


 至の言葉で梓と悠は健付きの使用人から外されたものの、陰鬼はこれには及ばない。そもそも至は陰鬼の存在を知らないのだ。

 ただ至の命令通りに動くだけの健がわざわざ言うようなこともないだろう。


「星は健と会ったのか」


 その問いかけに込められた期待は八潮にもよく分かる。

 洗脳されても、愛や絆の力で正気に戻るというのは漫画やアニメでよくある話だ。

 健に対してそれを一番に発揮できるのが星だというのは、二人を知る多くの者の共通認識である。


「顔を合わせはしたけど、特に変化はないそうで」

「そうか」


 期待を裏切られたことへの感情を見せないままに和幸は短く呟いた。

少し前にTwitterで創作裏垢を作りました。

作品についていろいろと語るアカウントです。興味があればフォローをよろしくお願いします。

@2538_ura

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