表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/111

3-4

 暗闇の中に立っている。眠れば、必ず訪れるその場所との付き合いも十年以上になる。

 いや、暗闇との付き合いはもっとずっと前からだ。


 今、健が立っている暗闇は十年以上付き合ったものよりも、少し懐かしい気がする。

 何せ、常に傍に感じていた気配がどこか遠くに感じる。黒の中にぽつりと浮かぶ紅い目すらない。


「眠っている。いや、眠らされているのかな」


 呟く声は独り言で、静かに響き渡る。

 いつもなら、そろそろ姿を現すあれも今回は出てくる気はないらしい。


「今の俺じゃ、目覚めさせるのは無理かな。ごめんね、もうちょっと待ってて」


 最後にそれだけ呟いて健はその目を開けた。

 開けた先に光が差し込むことはない。布越しに光のようなものをわずかに感じるだけだ。


「あ、起きたんですね。ついでに包帯を変えましょうか」


 身じろぎに気付いたらしい悠の声に小さく頷いて、身体を起こした。


 ゆっくりと包帯を解かれた先で目を開けても、朧げな世界しか映し出さない。靄がかかっているような、白いフィルター越しの世界。

 その中にそっと肌色が差し込み、仄温かい光が健の目を包み込んだ。


「んー、やっぱり厳しそうですね」

「元々分かってたことだから……。王様やキングに手合わせしてもらって感覚は掴めてきたし、心配はいらないよ」


 そう言葉を紡いだ健の中に心配はあった。理屈では説明できない不安感がずっと付きまとっている。

 深い眠りにつく彼の存在を遠くに感じるせいかもしれない。


 少し前に悠や和幸と、鬼神の力を制限している存在の話をした。生憎、健にも心当たりがない。

 それも近いうちに分かるのだろうが。


 そんなことを考えていれば、懐から微かな振動が伝わってきた。仕事用のスマートフォンを取り出して、耳に当てる。


「……ん。思ってたより早かったんですね。じゃあ、その情報はあの子の方に……はい、よろしくお願いします」

「誰からですか」

「清雅さんだよ。ちょっと調べ物をね」


 先に一件で協力者となった清雅は貴族社会に顔が広い。

 弱かったところを上手くカバーしてもらう結果になったので、非常に助かっている。

 短い健の言葉に悠が掘り下げることはなく、「終わりました」と健から離れる。


「無理しないでくださいね」

「分かってるよ」


 何度も繰り返されたやり取りで、悠の不審の目が向けられる。信用されていないと考えながら、はぐらかすように笑い、そうして健は西園寺徹(さいおんじとおる)との決闘へと向かった。




 自信家で高慢。典型的なお貴族様である徹は不満を全身から漂わせている。


 何せ、相手は外の人間で、入学してから間もない新入生で、今は目の見えない状態なのだから。

 そんな相手と戦わなければならない現状は彼の高いプライドをひどく傷つけるものだ。


 一度受けた決闘を棄権することを意味する。けれども今回は延期することを至が提案し、健が断ったことになっている。

 実際はそんな申し出なんてなかったわけだが、影響力の高い人間の発言が真実となるのは世の常だ。


 健がいくら違うと訴えても聞き入れてもらえはしないだろう。狭い世界は弱い者に優しくない。


「俺をなめたこと後悔させてやる」


 なめたことなど一度としてないわけだが、ここはあえて否定しないことを選ぶ。

 どうせ切り捨てられるのなら無駄なことはしない。


「では、これより泉宮至の代理人、西園寺徹と岡山健の決闘を開始する。双方、構えを取れ」


 審判を任された教師の声により、向かい合った二人はそれぞれ構えを取る。

 数秒前までざわめきを生み出していた観客も静まり返り、審判の次の言葉を待つ。


「始め!」


 鋭い声とともに徹が真っ直ぐに切り込んだ。

 対する健はいつもより遅い速度に一拍置きながら模擬剣で受ける。


 徹が切り込むたびに歓声があがる。最大派閥が関わっているだけあって、観客の数が多い。

 目が見えない分、いつもより多く拾ってしまう声にうんざりしながら、徹の攻撃を払う。


 雑音が多くても、健にはちょうどいいハンデだ。徹の出す音、彼の気配だけを選び抜いて頭の中で姿を描く。一ミリのずれのない姿を。


「至さんが認めるだけはあるな。でも、お前は負ける。何せ、相手が俺だからな」


 生中、実力がある分、その自信はどこまでも高く積み重なっている。

 自分の力を信じて疑わない姿はどこか単純で想像しやすい。

 徹の動きを覚えてきたところで、健は守りに徹していた動きを攻めへと転換させる。


「――」


 鋭さを持った健の動きが不意に鈍った。

 鮮明に描いていたはずの徹の姿に霞がかかり、健の動きを鈍らせる。

 刹那だけ感じ取った気配が健の心を掻き乱し、冷静さに釘を刺す。


「――」


 まただ。また感じた。

 そう思った瞬間、ぶつかり合うはずだった模擬剣がすれ違う。


「勝者、西園寺徹っ!」


 静かな宣言により、場は歓喜を宿した声が立ち上がる。

 そうして健はこの日から泉宮至の従者となった。


 ●●●


 アカデミーに在学している大多数が想像していた形で決着した決闘は優雅に大きな衝撃を与えた。


 健が負けることなど初めて見た。目を怪我していても、負けるはずがないと思っていた気持ちが裏切られたとそう感じてしまうほどに。


 もしかしたら負けることも作戦のうちなのかもしれない。そう邪推してしまう心もあった。

 従者になったと言っても、健と話す機会は今まで通りで大きく変わったことはない。


 いや、なかった。今までは。


「使用人を外したって聞いたよ」

「従者に従者は不要だと泉宮さんに言われたものですから」


 平然とした顔で答える健の言葉におかしいところなんてどこにもない。至の言葉にも不自然なところはない。

 それなのに激しい違和感を覚えるのは、どうしてだろう。胸の辺りが嫌にざわついている。


 健付きの使用人から外された梓は一先ず春野家で働くことになったらしい。そして悠は――。


「健も悠の居場所は知らないの?」

「悠も子供じゃないし、心配しなくても大丈夫だよ」


 悠は健の使用人を外されたその日から所在が知れない。

 連絡もつかないのだと昨日、良が言っていた。電話は繋がらず、メールの返信もない。


 心配だ、と口にしていた良とは対照的に健は素っ気ない。その口振りから察するに居場所を知っているのとは違うようだが。


「じゃ、俺は泉宮さんに呼ばれているので」


 淡白な口調で席を立つ健は引き止める間を与えずに去っていく。違和感だけを残して。

 この違和感は何なのだろう、と考えて、はたと気が付いた。


 至に従順に振る舞う健の姿に優雅は違和感を覚えていたのだ。至の傍にいる健を目にするたび、覚えていた複雑な感情もきっと同じことなのだろう。


 この日から少しずつ、健と会う機会は減っていき、同時に違和感はどんどん膨れ上がっていく。

 健が食堂に来ることはなくなった。授業に来る回数も日に日に減っている。


「健が寮を引き払ったらしい」


 良が持ってきた知らせはここ最近、何度目かの襲撃を与えた。


「泉宮さんの部屋で暮らすってこと?」

「だと思うよ。最近、会う機会も減ってきてる気がするし、まるで――健を閉じ込めようとしているみたいだ」


 何気なく口にされた良の言葉は膨れ上がっていた違和感に名前をつけた。

 健の価値は何も和幸との繋がりだけではない。剣術の腕だけではない。


 傍にいればいるほど、健の有能さを感じることになる。ずっと手元に置いておきたいと思ってしまう気持ちはよく分かる。


「もう前みたいに話せないのかな」


 寂しげな表情を見せる良に返す言葉を優雅は持っていない。

 否定できるほどの根拠はなく、肯定することは心が拒否してしまう。


 結局、どうにかしたいという不安だけを抱えて日々を過ごすしかなかった。

 いつしか、健は授業に出ることはなくなり、会うことも完全になくなっていた。


 元々、他者との関わり合いを避けていただけあって、健がいなくなっても生活が大きく変わらない。

 喪失感を感じる間もなく、流れるいつも通り日常にもの悲しさを覚える。


 まるで、健はいつか自分のいなくなる世界を想定しているように。


 そんな矢先だった。――春野家当主が行方不明になったという知らせが届いのは。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ