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2-16

 意識が覚醒する。開かれたはずの目が捉えるのは闇ばかりで、一拍の間を置いて自分の状況を理解する。


 目隠しをされている。手足に嵌められた金属製の枷は霊力を奪うことで強化される代物のようで、全身に気怠さが付き纏う。


 健のように霊力頼りで、非力なタイプの人間には有効な手だ。

 そのうえ、


「…っ……」


 思わず零れそうになる喘ぎを噛み殺し、呼吸を落ち着ける。

 疼くのは優雅に施された傷、そのさらに奥だ。そこから全身を蝕む何かが思考に靄をかける。


 有効的すぎるほどに有効的な手。

 思考力を奪うことは健の力を封じる上で、二番目に有効的な手段と言えるだろう。


(これはただの毒ってわけじゃないな)


 ただの毒程度のダメージであれば、健の思考を奪うまでには至らない。致命傷を与えられたとて、健の思考力がここまで奪われることは早々ない。


 回らない頭で考える健の視界が急に晴れた。


「やっぱり起きてたか」


 晴れた視界に映るのは清雅の顔だ。

 意識を失う前と変わらないその姿は拘束されている健の姿など見えていないかのようだ。

 侮っているとも、警戒しているとも違うその態度。


「気分はどうだ? って良いわけないか」

「そーですね」


 努めて普段通りに装う健の反応も予想していたと受け入れる。


「余裕だな。敵と会うってのにそれらしい武器も持ってなかったしな。目ぼしいものはこれくらいか」


 そう言って清雅が持ち上げたのは健が首からさげていた水晶に似た石だ。桜の花弁を模した石はいくつもの術式を込められた、言わば妖具を呼べる代物だ。

 とはいえ、かけられている術はサポート用な上に、持ち主にしか扱えないようになっているので奪われたところで何の問題もないが。


「いろいろ探って悪かったな。これも必要な措置だ、必要な警戒だ。分かるだろ?」

「ええ、まあ」

「にしても、驚くくらい傷だらけだな、お前。処刑人ってのは想像以上に過酷ってことか、それとも春野家当主にはそういう趣味を持っているのか」


 挑発とは違う、からかうニュアンスを持った言葉に健は何も返さない。

 毒に蝕まれたままの健にいちいち言葉を返すほどの気力はない。


 そんな話が出回ったところで、数ある根も葉もない噂の一つになるくらいだ。むしろ、健的にはそちらの方が面白いので、やはり言葉は返さない。


「まあ、いいか。とりあえず、今後のお前の処遇についてだが」

「ボクは解剖したいケドな。知れば知るほど、キミってヒトが気になっちゃうよ。ナカを開いて、よーく観察したいな!」

「俺には分からない思考だな。お前もそう思うだろ?」

「俺は少し分かりますよ」


 緊張感のない会話に同調する。

 呼吸は乱れ、思考はまとまらないまま。けれども、毒に蝕まれた状況にも慣れてきた。


 この毒の回りは遅く、身体を害するような力は強くない。思考に靄をかけるのが最大の効能と言える。

 靄を無理矢理取っ払い、こうして思考を回すだけでも、かなりの気力を持っていかれるので厄介ではあるが。


「おいおい、もしかしてお前もマッドサイエンティストなのか? まともな人間が俺しかいないじゃないか」

「分かる、だけです。知識欲は強い方なので」


 頭の回らないなら反射で動けばいい。

 誘導するための喋るのでなく、何かを誤魔化するために喋るのでなく、本能のままに言葉を紡ぐ。


 十年以上も前から処刑人として生きてきて、油断ならない相手と対抗したことは数知れず。

 その経験は健の中に染みついている。何より、保険がないわけでもない。


「それで、俺はこれからどーなるんですか」


 話の軌道修正をするために問いかける。

 切り札を切るタイミングを見計らうように。


「おっと、そうだったな。最終的に殺すことには間違いないが、何個か要求を呑んでもらいたい。お前という人間を無駄にするなんて勿体ないことはできないからな」

「ボクの要求はァ、キミの臓器をいくつかと、血を少しかな。本当はもっと欲しいケド、怒られちゃうからね」

「俺はそうだな、鳳家から手を引くこと。これをお前から上の伝えてくれ。連絡手段はちゃんと用意してある」

「どーせ殺されるなら要求を呑んでも呑まなくても一緒だと思いますけど」


 薬屋の方に関していえば、殺してからどうとでもなる要求だ。

 その辺りも含め、淡白に要求への答えを返した。


「一緒なら呑んでくれても問題ないだろ。今のお前に逃げる術はないんだから」

「本当に?」


 短く問いかけた健はすぐ後ろ、手が届くほど近くにある剥き出しの足に触れた。

 健のものではない。当然ながら清雅のものでも、薬屋のものでもない足へ。

 誰の意識からも外されたその人物はささやかな合図に応じてそっと足を引いた。


「影寄せ」


 紅い波動を背中越しに感じながら、健もまたその目を紅く輝かせた。


「悠」


 短く名を呼んだ。協力者の一人にして、健に仕える執事にして弟である人物の名を。

 たった二文字の響きが、空気を震わせ、空間に揺らぎを与える。

 揺らぎはいつしか小さくなり、人影と入れ替わるように消えていった。


「呼ばれて飛び出て、ジャジャジャジャーン」


 気の抜けた声は、もともと大した緊張感のなかった空間に響き渡った。

 突然の登場に驚きを隠せない清雅と薬屋の二人を前に、執事服をまとったその人は恭しく頭を垂れる。


「お初にお目にかかります。健兄さんの執事兼弟兼守鬼、岡山悠です」


 名乗り上げ、無邪気を詰め込んだ笑顔を向ける。


「な、んだ。どうやって現れた」

「呼ばれたのでバビューンと飛んできた、なんて説明はちょっと意地悪ですかね」


 首を傾げ、確認するように健を見る悠。

 拘束されたままの姿で首肯する健に頷き返し、悠が改めて清雅の方へ向き直る。


「僕と健兄さんは特別な繋がりがあるんですよ。健兄さんに呼ばれれば、僕はどこで何をしていたってその場に駆けつけます。そして、こんなこともできるんです」


 言って悠はそっと健の身体に触れる。

 拘束を解く目的ではない、触れるだけの行為で悠は表情を曇らせる。


「うっ、頭がぼんやりとします。うぅ、しんどくはないけど地味に辛い奴ですね」

「後は俺に任せて、ゆっくり休んでて」


 カシャリと音を立てて、健の動きを封じていた枷が外された。

 影を引き寄せることで枷の鍵を盗み取った陰鬼の仕業である。


 立ち上がり、埃を払い、服を正し、軽く伸びをした健は一歩前に出る。思考を妨げる霞は取り除かれた。


「さて、と、処刑人の仕事を始めましょーか」


 掌の中に細身の剣を生み出した健の姿が消失した。再び現れた時には薬屋の眼前へと迫っており、軽い挙動で剣を振るった。

 反射的に身を引いた薬屋の身体から赤い飛沫があがる。


「このっ」

「影縫。申し訳ありませんが、貴方にはしばらく大人しくしていただきます」

「なんだ、お前……一体、いつから!?」


 ここでようやく全員に姿を現した陰鬼は影で清雅を拘束した上で丁寧にお辞儀する。

 陰鬼の動きに合わせて揺れる長い前髪からは紅い目が見え隠れしている。


「私は貴族街の守護者、紅鬼衆が一人、陰鬼と申します。今は健様の護衛も任されております」

「……なるほどな。もしかしてずっといたのか?」


 驚き、戸惑いからすぐ回復した清雅は冷静な結論に至る。至った上で清雅は抵抗をやめて、観戦へと思考を切り替える。


 健が斬りつけ、決着がついたかのように見えた二人の戦いは今始まろうとしていた。

 高速で繰り広げられた剣撃が薬屋の腕を斬り飛ばした。少しの刃こぼれも嫌うように健を捨てた健の手は別の剣が握られている。


「ヒヒッ、速いねぇ。やっぱり、ここで解剖しちゃおっかな。きっとそっちの方が楽しいヨネッ」


 片腕を失ってもなお、薬屋の態度は変わらない。痛覚でも切っているのか、気味の悪い声をあげて、肘から先が失われた手を楽しげに振っている。


「キミの面白いトコロ、もっとボクに見せてよ、ヒヒッ」

「これは……なるほど」


 迫るものの気配に驚き、健が視線を向けた先で理解する。

 それは腕だ。鋭い鉤爪が目立つ腕は健めがけて一直線に宙に進み、辿り着く寸前で炎に呑まれた。

 自分に襲い掛からんと迫っていたものの行く末に目もくれない健は右に跳ぶ。


「あら、意外にムズカシイなぁ、これっ!」


 健がいた場所へ走る触手がうねり、追尾するように逃げる健を追う。

 触手は薬屋の腕だ。先程、追ってきたのは健が切り離した薬屋の腕。どちらも薬屋の能力によって変えられたものだ。


「逃げないでくれると助けるなァ」

「では、こーしましょー」


 生成したばかりのナイフを次々に投げ、触手を切り刻む。バラバラとなって落ちた触手はすぐに姿を変えて、爆ぜた。


 反射的に張った結界が健を爆発の衝撃から守る。

 派手な爆発のわりに威力はそこまで強くはなく、健の意識を逸らすためのものだとすぐ理解する。


 結界の生成、理解するまでの数秒は致命的だ。健は利き腕を犠牲に鋭い虎爪を備えた蹴りを退ける。


「かふっ……ごほっこほ」


 薬屋から大きく距離を取った健は込み上げる血を吐き出し、咳き込む。

 思考に靄をかけるものとは違う、身体を蝕むタイプの毒。


 健の右腕を切り裂いた虎爪は毒を変化させたものだったらしい。

 傷をつけてすぐに変化を解いて毒を仕込む、優雅に渡されたナイフの仕掛けと同じだ。


「極力、触れない方がいーみたいです、ね」


 全身を駆け巡る痛苦を飲み込んで呟いた健は薬屋から一定の距離を取り続ける。

 応戦はしない。ただひたすらに距離を取ることを選び続ける。


「悠」


 名を呼べば、向けられた目と視線が混ざり合う。

 迷いなく伸ばされる悠の手に健の手が刹那だけ触れた。身体を蝕む異物が移動する感覚を味わえば、健の身体は軽くなる。


「ソレ、どういう仕組みなのか気になるなァ。毒を全部弟クンに移してるの? 気休め? 二つの毒に蝕まれて身体は大丈夫なのかなァ。人より丈夫なの? 気になる、気になるよ!」


 両足をカエルのものへと変えて大きく跳躍する薬屋。一瞬で、距離を詰めた薬屋はその手を刃へと変えて悠を狙う。


「おっと」

「申し訳ありませんが、ここから先をお通しすることはできません」


 剥き出しの刃に黒いものが巻き付いている。

 紅い輝きを持つ目を鋭くさせた陰鬼が悠と薬屋の間に立つ。


「ん、んんー、動けないなァ」


 黒いもの、陰鬼が操る影は範囲を拡大し、薬屋の全身を締め上げる。


「鬱陶しいよ!」


 薬屋がまとうローブが変化、無数の針が影を細切れにする。

 飛び散るのは血で、驚く薬屋の懐に、小柄な人物が滑り込む。健だ。


 健は数倍に強化された蹴りを叩き込み、もっとも遠い壁まで薬屋を吹き飛ばした。


「ごほっ、ナニナニ? 一体どういうことなのカナ。あの黒いのはナニモノ?」


 全身、血濡れで咳き込む口元から血を零しながら立ち上がる薬屋。

 その身体を覆い隠していたローブが失われ、その素顔が明らかになる。


 声がそうだったように顔もまた中性的だ。楽しげにあがった口角とは裏腹に目は虚ろで淀んでいる。

 女性らしい起伏もなければ、男性らしい逞しさもない、ただ細いだけの身体。


「あれは影ですよ。貴方の影です。傷をつければその分、貴方に返ってくる。ダメージは多少引かれますけど」

「かげ、影か。オモシロイね。どうやって操ってるのか、解剖してみたら分かるかなァ」


 口角を上げて、楽しげな声をあげる薬屋の目はやはり虚ろなままだ。

 あべこべな表情。中性にこだわるような身体つき。

 それら薬屋の言葉と合わせて、健は理解を胸に落とした。


「まずはキミを先に解剖しようカナ」


 傍に落ちていた瓦礫を拾い上げた薬屋は純白の気配を漂わせて、ローブへと生まれ変わらせる。

 新しいローブを身にまとい、自身の顔を隠して向かい合う。

 それを見つめる健は今がタイミングだと口を開いた。


「薬屋を名乗っていることと解剖という表現で誤解しそうになりますけど、全然マッドサイエンティストじゃありませんよね。人を切り刻みたいだけの快楽殺人者です」

「だから何? ボクはボクのしたいようにしてるだけだよ。他人がどんな名前で呼んだって関係ないネ」

「本当に、他人の評価なんて関係ないって言えるんですか?」


 自分を貫く返答をする薬屋を冷たい声が突き刺した。

 目深に被ったローブで隠された目に鋭さが増した。戦闘が行われていたとは思えないほど緩んでいた空気が張りつめていく。


「他人のことなんて気にしていないのなら、そんなローブで素顔を隠す必要もないと思いますけど」

「これは隠してるんじゃない! ファッション……そう、ファッションだよ。好きで着てるだけだよ」


 冷静な声に今までとは違う感情的な姿で反論する薬屋。

 必死さが窺える態度は否定すればするほど健の言葉を肯定する。


「中性にこだわっているところを見る限り、性に関して複雑な何かがあるんでしょーね」


 それは小さな呟き。

 辛うじて聞き取った薬屋は触手へと変化させた指を力任せに振るった。


「性別なんてくだらないものどうだっていいでしょっ!! そんな、くだらないもの、ボクは超越してる。キミの弟クンだって、本当は弟なんかじゃないんだから」

「その言い方だとどっちを指してるのか分かりにくいですが……。まあ、はい。そーですよ。性別なんてどーでもいい。自分が好きな姿でいたらいーと思います」

「……っ……ボクってば、ちょっと感情的になっちゃったかな。ゴメンネ、謝るよ」


 加熱されていた薬屋は変わらない冷静な返答に息を吐いた。

 元に戻した手でローブを握り、落ち着きを取り戻すために健から距離を取る。

 それは健という存在を恐れているようにも見える。


「さァ、再開させようか。キミを殺さないといけないからネ」


 解剖から殺すという表現へと変えた薬屋は殺意を込めて、その目を白く輝かせた。

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