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1-2

 史源町で一、二を争う大きな建物を見上げる少女がいる。

 身に纏うのは目の前の建物――春ヶ峰学園小等部の制服だ。背中に流した髪は金に近い琥珀色で、フリルをあしらったカチューシャをつけている。大きくて丸々とした瞳に宿るのは仄かな期待。


(ほし)―、はやく来ないと置いてくよー!」

「今行く!」


 先を歩く妹を追いかけるように学園の方へ歩いていく。

 叔父が学園長を務めるこの学園で、これから短いような長いような学校生活が始まろうとしている。

 新しい場所に対する不安。それ以上に胸を占めているのは久しぶりに彼に会える喜びだ。


 昨日、出迎えには来てくれなかった。不満はない。来ないと分かっていたから。

 直感だ。そして同じ場所が今日、彼と会えることを告げている。


「私たち、一緒のクラスじゃないんだって。ちょっと残念だけど仕方ないか」


 残念そうな口調でそう言ったのは双子の妹、春野夏凛(はるのかりん)だ。

 本来は姉である星と同じ、金に近い琥珀色の髪を黒に染め上げ、二つに括っている。

 顔の造形。背格好。ありとあらゆるものが星と瓜二つで、髪が染められていなかったら見分けがつかないほどだ。


「今日は会えそう?」

「どうかな、分かんない。……でも、きっと」


 きっと。きっと会える。


 期待とは違う星の思いを読み取った夏凛はそっと懐からあるものを取り出す。

 掌にすっぽりとおさまっているのは水晶だ。占い師を連想させるそれを得意げに持ちながら、夏凛は「占ってしんぜよう」とやはり得意げに告げた。


「ふむふむ。自分から行動すると吉。差し出された手は素直に取るべしってところかな」


 夏凛の占いはよく当たる。生まれてからずっと一緒にいる星ですら外れたところを見たことがない。

 占いの仕方は様々。今回は水晶を使ったが、タロットを使うこともある。

 どんな道具を使ったとしても、どんな方法を用いたとしても、夏凛の占いが間違いなく当たる。


 何よりも心強い妹の占いに背中を押され、不安を期待で塗り替えた星の新しい一日が始まる。


「ハジメマシテ。担任の村中デース。ナイストゥーミーチュー」

「よろしくお願いします」


 担任の先生は変わった人だった。顔立ちは純日本にもかかわらず、何故か片言の日本語を操る人物だ。

 日本生まれ、日本育ちという話は、教室に向かう道中で本人から聞いたことだ。

 面白い人だ、と星は思う。笑みの裏側で、楽しい日々への期待をさらに膨らませる。


「ここが星さんの通うことになるクラスデース! それでは、呼ぶまで待っててクダサーイ」


 先に教室へ入っていく村中を見送る。壁越しに聞こえる声にそっと耳をすませば、仄かな緊張が胸を締め付ける。

 何気なく横を見れば、同じように廊下で待たされていた夏凛と目が合う。

 さすが双子と言うべきタイミングに思わず頬が緩み、二人でひっそりと笑い合う。緊張は解けた。


「緊張してる?」

「ちょっとだけ」

「星なら大丈夫だよ。きっとモテモテだ」

「夏凛だってモテモテだよ」

「どうかな」


 口パクとジェスチャーで会話していれば、教室から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


「呼ばれたみたい」


 そう言って、ひらひらと手を振って別れを告げる。

 改めて教室へと続く扉の前に立ち、大きく息を吐き出す。空になるくらい息を吐き出し、新鮮な空気で肺を満たしていく。顔に浮かぶのは愛しい笑顔だ。


 期待だけを表に出して、一歩、星は教室に足を踏み入れた。

 と同時に聞こえてきたのは少年たちの歓声だ。想像を遥かに上回る美少女の登場に男子生徒のほとんどが歓喜の渦に飲み込まれる。


 有頂天な空気に包まれるクラスの中で、表情を変えないままに中心に立つ。

 春野家当主の娘として社交界に乗り込むことに比べたら、このくらい大したことはない。


「みなさん、初めまして。春野星と言います。よろしくお願いします」


 薄い唇から零れるのは可憐な見た目を裏切らない美麗な声音。

 男子生徒たちはこぞって口を噤み、息を呑んで、春野星という少女をただ見つめる。


 丁寧にお辞儀する姿すら完成されている。星が自分の席へ行くまでの一挙一足、クラスの全員がただ見つめる。魅了されるように、見惚れるように。

 星は一番後ろの窓際から二番目の席にちょこんと座る。左側は空席で少し首を傾げる。

 右側は――。


「春野さん、よろしくね。私は花巻弓歌(はなまきゆみか)よ。困ったことがあったら気軽に頼って」


 凛とした雰囲気を纏った少女が座っていた。小学生とは思えない大人びた顔立ちは和らげられ、優しさだけを宿していた。

 いい人だと表情から感じ取った星は「よろしくね」と心からの笑顔で返す。

 彼女とはきっといい友達になれる。花咲く笑顔の裏で星はそんなことを考えるのであった。


 美少女の転校生ともなれば、待ち構えているのは質問タイムだ。人見知りとは無縁の性格である星はこれを快く受け入れて、机を囲む生徒たちと談笑に興じている。

 机に集まっているのは女子生徒ばかりで、男子生徒は星の顔を遠くから見るだけに留めている。


「ねえ、隣の人は休みなの?」


 何気なく、気になったことを聞いてみれば、楽しかった雰囲気が一瞬にして揺らぎ始めた。

 笑みを浮かべていた顔を曇らせて、複雑げに視線を絡み合わせている。


 そんな中、一人だけ身を乗り出す少女がいた。太いフレームの眼鏡をかけた少女だ。使い古された手帳を片手に、彼女は得意げな笑みを見せている。


「ここは私こと(れい)ちゃんが教えてあげよう! 彼、悪魔くんのことを、ね」

「悪魔くん……?」


 星の言葉に少女、澪は眼鏡を直す仕草をして頷く。


「死神とも呼ばれてるね。学園一の問題児のことさ!」


 大仰な前置きを、心底楽しげに紡いで澪は手帳にかかれている言葉を淀みなく読み上げる。

 学園一の問題児といっても、暴力を振るったり、授業の妨害をしたりしているわけではない。彼は入学以来、一度として授業に参加したことがない。そういう意味での問題児である。


 彼の不登校生活は学園長に認められている、合法ともいうべきものだ。

 全てのテストで満点を取る。それが学園長によって彼に与えられた不登校の条件である。

 以来、彼は全てのテストで満点を取り続けている。小テストも、抜き打ちテストも例外なく。

 穴を探そうとする教師陣を嘲笑うように、テストのときだけふらりと現れては満点を叩きだしていく。


「飛び級の話も出てたけど断ったらしいっていう話もあるよ」

「……そっか、そうなんだ」


 約束を守ってくれている。疑わっていたわけではない事実を、思わぬところで知って温かいものが心に満ちていく。

 囁くような言葉とは裏腹に喜びが零れ出していく。可憐な笑顔は周囲をたちまち魅了していく。


「……」


 傍にいたがために星の囁きを聞き逃さなかった澪は刹那だけ思案気な表情を見せる。


「彼の噂は事欠かなくてね。いろいろあるよ? ヤクザと知り合いとか、人を殺したことがあるとか、裏社会の牛耳ってるとかね。後は、すっごい美人で魔女みたいな恋人がいるとか……」

「澪、あまり春野さんを怖がらせるのはよくないよ」

「いやぁ、ごめんごめん。つい楽しくなっちゃってさ」


 手帳を閉じた澪は、星の前で軽く手を合わせて謝罪を口にする。


「悪魔と契約したなんて眉唾な話まであるぐらいだからね~。ま、噂は噂だし」

「そうだね。私は噂で聞くほど悪い人だとは思ってない。春野さんもあまり気にしない方がいいよ」


 必要以上に怖がらないように気を回してくれる弓歌に「大丈夫だよ」と笑いかける。


 大丈夫。だって星は知っているから。

 空席の主が、とても強くて、とても優しくて、とても暖かい人であることを知っているから。可愛いところがたくさんあることも。


 誰よりも彼のことを知っている自信があるから噂を聞いたくらいで何かが変わることはない。

 星の中で、彼という人物が揺らぐことは絶対にない。永遠にそんな日は来ない。

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