2-11
模擬剣同士が激しくぶつかり合う。
常人が入り込めない剣舞を誰もが固唾を呑んで見守っていた。
両者の実力は拮抗している、ように観客には見えているだろうが、優雅の目は圧倒的なその差をしっかり捉えていた。
大振りの攻撃の隙をついて懐に潜り込む小柄な少年。
動きの一つ一つに迷いなんて存在せず、その時その時の最善を選び取る。
平穏な世界しか知らない人間には決して辿り着くことのできない領域。
彼は一体どんな人生を歩んできたのだろう?
「優雅」
ネガティブに思考を回していた優雅は振り向いて驚いた。
「……大雅兄さん」
「よっ、順調に勝ち進んでいるみたいじゃねぇか。この試合の勝者が次の相手か?」
「そう、ですね」
肯定する優雅の目はどこか不安に彩られている。
大雅を知る一番の天才すら恐れる存在なのだと目を眇めて、戦う小柄な少年を見つめる。
彼の正体を、大雅は弟以上に知っている。
処刑人。無機質な瞳の冷たさに貫かれた感触は今も忘れ難い。
何人、何十人の人間を殺してきた人間だ。確かに恐ろしい。
でも、優雅には彼に勝ってももらわなければならないのだ。
大雅が稟王戦にかこつけてアカデミーまで来たのは、処刑人を討つ役目を弟に託すためだ。
「なんだよ、不安なのか? 仕方ねえな、俺がいいものやるよ」
言いながら、背負っていたものを優雅に渡した。
「これは……!」
「次の試合で使えよ。俺のとっておきだ」
袋を取り除いた先に現れたのは、優雅が使っているものと同じ模擬剣だ。
違うのは重み。模擬剣とは違う、真剣の重みだ。
驚く優雅の肩に腕を回した大雅は「お前の好きにしたらいい」と囁くように告げた。
結局のところ、優雅は兄に逆らうことはできない。そんな打算が見え隠れする囁き。
大雅が薬屋から受け取ったあの剣には特別な力が込められている。掠めただけでも十分な効果を発揮するらしい。
そこから先は、優雅なら大丈夫。天才の弟なら大丈夫。
「お、決着がついたみたいだな。次の試合までまだ時間もあるし、ゆっくり考えればいいさ」
戦場に行く前の戦士に集中する時間を与えるように、大雅は優雅から離れていく。
かなり悩んでいるらしい弟の後ろ姿を最後に一度だけ見て、大雅は今度こそ、その場を去っていった。
●●●
目の前に立つ人物は大衆の注目を受けながらも、普段と変わらない表情で佇んでいる。
三十分ほど前まで激しい剣舞を見せていたというのに、その童顔に疲労の色は見られない。
構えるのは同じ外見をした模擬剣。に見せかけて、優雅を持つのは大雅から受け取った真剣だ。
優雅は兄に逆らえない。どんなに悩んだって、その結論は変わらなかった。
微かな罪悪感を抱きながら鋭く輝く切っ先を健へと向ける。
模擬剣とは異なる輝きを放つそれに健は、わずかに目を細めただけだった。
「始め!」
隙のない構えを取る二人に審判の声が降りかかる。と同時に、優雅が飛び出した。
先手必勝。健相手ならば少しでも意表を突いて勝ち筋を拾うしかない。
無機質な目が見開き、驚きに彩られる。それを狙い通りと考える優雅の一手が弾かれた。
何とか耐え抜き、即座に斬り返して攻撃へと移行する。一拍の間を置いて健の持つ模擬剣が煌めいた。
反応が遅れたにもかかわらず、二本の模擬剣はタイミングを合わせたようにぶつかった。
まるで狙ったようにコンマ数秒早く動く健の攻撃。鋭い音が響き渡るたびに二人の剣舞は少しずつずれていく。
観客が気付かないくらいの些細なズレは、少しずつ、少しずつ大きくなっていく。
長引けばそれだけ優雅の勝ち筋は失われていく。
優雅は勝たなければならないのだ。兄の期待に応えるために勝たなければならないのだ。
焦燥に背中を押されながら剣を振るう優雅を静かな光を湛えた瞳が見つめている。
お前に勝ち目はないのだと、そう告げられているような気がした。
(どうして……っ)
岡山健は恵まれた人間だ。人並みを軽く外れた頭脳と、春野家で鍛えたという剣術。
常人を超えた才能を持っているにもかかわらず、健が周囲から向けられているのは期待とは違う信頼だ。
優雅が決して得られなかったものを当たり前としてそこに立っている。
(なんでっ)
唯一、勝っている家柄すらも健という人間を前にしてしまえば、価値のないもののように思えてしまう。
いつだって優雅は彼の佇まいと、その風格に圧倒されていた。
勝っているはずのものですら、負けているのではと錯覚させられてしまう。
(届かない……っ!!)
渾身の力を込めた一閃が鋭い金属音を鳴らす。細腕からは信じられないほどの力で押し返される優雅は堪えるように歯を食いしばる。
震える真剣。震える模擬剣。軋む音が互いの限界を知らせている。
耐久度でいえば、優雅の持つ真剣の方が高い、と込める力を強める。徐々に強まる優雅の力に今度は健が押され始め――急に力を緩めた。
前のめりにバランスを崩した優雅を避け、健は横から斬りかかる。
今までに比べたら軽すぎる一撃はあっさりと真剣の先を切り飛ばした。
「そろそろ肩の力を抜いた方がいーと思いますよ」
くるくると宙を舞う刃はまるで自由の象徴のように思えた。
自分は手に入れることができない自由を羨むように見上げた首筋に模擬剣が突き付けられた。
どんなに努力を重ねても結局天才には届かない。
「勝者、岡山健!」
初めて兄の期待を裏切ってしまった事実に打ちひしがれる優雅へ、あまりにも無慈悲すぎる審判の声が届いた。
真剣というお膳立てすらされていたのに、優雅の剣撃は一つとして健に届かなった。
「お二人ともお疲れ様です! いやぁ、すごかったですね。ドキドキでしたよ」
控え室に向かう二人を、紅潮させた顔で出迎えた悠は興奮気味にそう告げた。
素っ気ない態度の健は結果に興味ないとでもいうように、短い言葉を交わしてすぐに奥へと進んでいった。
残された悠はそれを笑顔で見送り、くるりと優雅へと向き直る。
「優雅さんもお疲れ様でした。惜しかったですねぇ。剣が折れたりしなければ勝てたかもしれないのに」
「そんなことない」
思っていたよりも冷たい声が出て、悠の顔は驚きに彩られる。
二、三回の瞬きを経て、その顔はいつもの無邪気なものへと戻っていった。
「謙遜しなくても大丈夫ですよ。優雅さんの勝ち筋はちゃんとありましたから」
根拠を示されたわけでもないのに、その言葉にはどこか真実味があった。
同時に、勝ち筋を自分で捨てたのだと言われているような気がして、鋭い何かが優雅の心に深く深く突き刺さった。
●●●
真っ直ぐに選手用の控え室に戻った健は倒れるようにソファに腰かけた。
これまでに三試合戦ってきた健の身体はすでに疲労困憊であった。全身が上げる悲鳴に耳を傾けるように目を瞑り、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。
「お水です」
「ん、ありがとーございます」
梓から差し出されたコップを受け取り、口をつける。冷たい水が喉を通り、身体中に染み込んでいく。
健がこんなにも疲れているのは単純な話で、いつも通りの戦い方ができないからだ。
剣術のみの戦闘で、使い慣れた重みとは違う武器。何より、力制限をかけた状態で、激しい攻防を繰り広げていたのだ。
健には体力がない。致命的なまでにない。
だからこそ短期決戦は基本中の基本で、ほとんど動かないのが健の戦闘スタイルであった。
「キングの相手はしんどかったな」
実力のある人物相手に制限をかけた状態で戦うのは想像以上に体力を使う。
一歩間違えれば、負けていたかもしれない。
せっかくした下準備を無駄にはしたくないし、優雅にあれの相手をさせるわけにはいかない。
(あっちも術がかけられた真剣を使ってたし、お相子だよね)
最後の一撃に健は霊力を乗せた。刹那だけの鋭利さをまとった模擬剣が優雅の真剣を切り飛ばしたのである。
極限までに力を抑えた一瞬だったので、和幸や悠ぐらいにしか気付かれていないだろう。
「失礼しますよーっと。健兄さん、お客様をお連れしましたよ」
「やっほー、健。お疲れ様はちょっと早いかな」
「……星? どーしたの」
無邪気な声に続いて姿を現した婚約者を健は目を見開いて出迎える。
珍しく素で驚くその姿は星の登場が予想外だったことを告げるものだ。
お互いのことをお互い以上に理解している。だから星は来ないと思っていた。
なのに。
「驚いたでしょ。でも私、ちゃんと言ったよ? 差し入れ持っていくって」
「ああ、言ってたね」
忘れていたわけではない。今の今まで素振りを見せなかったこともあって、あの場限りの冗談だと思っていたのだ。
「はい。星ちゃん特製だよー、なんて」
差し出されたのは小さな箱。中に入っていたのは生クリームをふんだんに使ったケーキだ。
ケーキの姿を認めた瞬間、幼めな顔立ち相応の笑顔がこぼれた。
「星には敵わないな」
「お~、レアな健兄さんですね。はっ、写真におさめないと!!」
一瞥で悠を黙らせつつ、健は差し入れのケーキを口に運ぶ。
健好みの味付けに整えられたケーキは幸福の塊だ。一口食べるごとに蓄積した疲労が回復していくような気がする。
「ん、美味しいよ」
月並みの褒め言葉でも、星は心から嬉しそうに笑う。
どんなに飾られた言葉よりも、シンプルな健の言葉の方が星は幸せにさせてくれる。
「決勝、がんばってね」
「まあ、ほどほどにね」
謙遜するように返した健はやがて本題に入るように悠へ目を向ける。
自分の役目をきちんと理解している悠はその視線を合図に手に持っていたものを差し出した。
それは白い布に包まれていた。受け取る健が布を開いた先にあるのは折れた刃、先の試合で健が斬り飛ばしたものである。
「筋力低下、疲労増幅、他にも何個か術がかけられてるね、んー」
複雑に絡み合った術式に目を向ける健。悩ましげな声を出し、刀身にそっと触れる。
「却下」
小さな隙間を見つけ出して呟いた。一部が消え、正常な形を保てなくなった術式に介入して少しずつ絡まった糸を解いていく。
数分も経たずして刃にかけられていた術が完全に消失した。優雅が持っている部分も含めて。
「さてとそろそろ行ってこよーかな」
「健兄さんなら余裕ですよ。僕も精一杯応援します!」
片手を上げて答える健を無邪気に見送る悠は梓がうかない顔をしていることに気が付いた。
「どうしたんです? 何か気になることでも」
「いえ、部外者の私の前であのようなことをしてもよかったのかと思いまして」
健と悠が何かを隠していることを梓は知っている。
同じ部屋で暮らしているのだ。いくら気を付けていても、夜中に出掛けていることは分かってしまう。
重い雰囲気で何かを話している姿も何度も見てきていた。
「健兄さんが大丈夫と判断したから大丈夫ですよ。部外者じゃないって判断かもですけど」
試すような口調の悠は反応を窺うように梓を見る。
表情に大きな変化ない。けれども、手応えがないわけでもなく、密かに微笑むのであった。