2-9
一日休んで体調を回復させた健は、真っ直ぐにある人物の許へ向かった。
その手には両手剣を模した木剣が握られている。
今は剣術の授業の最中だ。前回の授業で素人同然の剣術を見せた健は、今から天才へと生まれ変わる。
その餌食となる相手は――。
「王様、手合わせをお願いします」
今回も今回とて講師として立つ和幸の目を真摯に見つめて頼みかける。
珍しく光を宿した瞳を見つめ返し、なんとなく事情を察した和幸は快く引き受ける。
やたらと目立つ形で、今までにない爽やかさを見せる健を不気味に思いながら、木剣を正面に構える。
呼吸を落ち着ける健は力のセーブに意識を傾けながら、一歩踏み込んだ。
「身体はもう大丈夫なのか」
「一日休ませてもらいましたから、ご心配なく」
疑うような視線を無視して、健は木剣を振るう。少し前まで素人だった人間とは思えない洗練された動き。
本来の力を少しばかり解放させただけの健に、和幸が驚くわけがなく、難なく剣撃を受ける。
まだ優雅や良には及ばないとはいえ、新入生の中で上位にくるくらいの実力ではある。
「いいのか? 目立ちたくなかったんだろ」
「目立ちたくはありませんけど、こだわりがあったわけじゃないので。作戦に必要なら妥協しますよ」
互いの耳に囁くように交わされる会話はギャラリーたちには届かない。そもそも激しい剣舞の合間に呑気な会話が繰り広げられているなんて想像してもいないだろう。
普段よりスピードを落としているので、二人には退屈なくらいだが。
「ま、協力ぐらいはいくらでもするさ。っと、そろそろ終わらせるぞ」
瞬き一つで応じた健は一手、深く斬り込んだ。それをあしらった流れのまま、和幸は健の首筋に木剣を突きつけた。
乱れた息遣いを落ち着けるように呼吸する健はその顔に笑みを浮かべてみせる。
「やっぱり王様はお強いですね。全然敵いません」
「お前も強くなったじゃないか。動きが格段によくなっている。誰かに指導してもらったのか?」
明らかに嘘と分かる表情と言葉に内心でツッコミを入れつつ、和幸はそう問いかけた。
その問いを待っていたと言わんばかりに健の笑みが深まった。爽やかの一言に尽きる笑顔は、健をよく知る和幸からしてみれば不気味さが上回る。
「キング……優雅さんに教えてもらったんです」
決して大きくはなく、それでいて響き渡る声で健は答えた。真っ赤な嘘を。
それによって周囲の興味の対象は健から優雅へと変わる。
彼が拒まないことを知っていて、健は自分の隠れ蓑として利用したのだ。
「そういえばこの後、鍛錬場の使用許可申請をしているらしいな。熱心なのはいいことだ。俺が指導してやろう」
「えっ……と、お忙しーでしょーし、遠慮させてもらいます」
思わぬ申し入れの中、何とか演技を立て直した健に和幸が見せるのは意地の悪い顔だ。
「仕事のことは気にするな。この程度、大した負担にならない」
作り笑顔が向かい合って数秒、健は折れたように息を吐いた。
「お願いします」
ため息に近い言葉に首肯する和幸は満足げでそのまま、他の生徒たちの指導へと戻る。
和幸から指導を受けること自体は悪いことではない。
本当に指導する気があればの話だが。
そのまま、以前と同じように良と手合わせをして時間を潰した。少しだけ本来の力を解放させた健相手だと良もやりやすそうだ。
急成長を遂げた健でも手合わせを願い出る者はいない。それだけ外の人間と関わり合いになりたくないと思っているだろう。
「今日の授業はこれで終わりだ。そうそう、稟王戦の参加者はまだ募集中だ。新入生だからと遠慮せず、どんどん応募してくれ」
授業の最後に和幸はそんなことを言っていたが、実際に参加を表明するものはいないだろう。この場に残っているものを除いて。
そんなことを考えながら健は授業後、鍛錬場に残った二人へ目を向ける。
鳳優雅。武藤良。そして健の三人は稟王戦に向けての鍛錬という名目で鍛錬場の使用許可を得ていた。健が他の二人を誘った形である。
そして指導者として名乗り上げた人物が一人。
「完っ全に面白がってますよね、王様」
「人聞きが悪いこと言うなよ。ちゃんと熱心な生徒の力になりたい気持ちもあるぞ。年度初の稟王戦に参加する新入生なんて珍しいしな」
「そりゃあ入って数週間後に開催される大会に参加する人なんて少数派でしょ。粋がってるなんて思われなくないでしょーし」
「派閥をアピールするためのものっていう側面も強いからな」
やはり狭いコミュニティの中にいれば自然と派閥というものが生まれる。
稟王戦はより強い派閥に入るため、自分の力を誇示する名目で参加する者も多い。
が、年度最初の大会だけは様相が少しだけ違い、派閥そのものが新入生へ力を誇示するためのものになっているのだ。
この稟王戦の後、勧誘が激しくなるのは毎年の慣例である。
「キングは勧誘すごそーですよね。どこに入ろーとか考えてるんですか?」
「特には……。健は考えているのか?」
感情を読み取らせない、けれども人懐っこさを感じさせる表情で健は悩ましげな声を出す。
「俺は健が作るのもいいと思うけど。なんだかんだカリスマ性あるし」
「分かります!! 健兄さんならアカデミーの頂点に立てられますよ」
良の言葉に無邪気な賛同が重なる。声から正体を突き止めた健は人好きのする表情から一変、目を細めて声のした方へ目を向ける。
案の定、そこに立っているのは健付きの執事(見習い)にして双子の弟である岡山悠だ。独りだけだと思いきや、梓と見知らぬメイドを後ろに連れている。
「こちらは知世さん。優雅さんに仕えているメイドさんです。梓さんのご友人らしいですよ! そしてそして、実は僕たちだけじゃなくて……」
「えへへ、悠くんに誘われて来ちゃった」
「初めて入ったけどすごいね。思ってたよりも広い!!」
ひょっこりと顔を覗かせ、初めて入る場所を興味津々に見回すのは春野家の双子だ。
予想外の来客はこれで終わりではないらしく、悠のにやにや顔は止まらない。
それに反比例するように健の顔はどんどん険しくなっていく。
「よっ、健も良も久しぶりだな」
最後の人物は日焼けした顔に笑顔を乗せて、快活にそう言った。
瞑目し、息を深く吐き出した健は再び開かれた目で和幸を見る。
無機質な目に怒りは宿らない。ただ冷たい光があるだけだ。
「一応言っておくが、冤罪だぞ。俺は関与していない」
「……八潮さんか」
管轄こそ違うものの、桜稟アカデミーのセキュリティを管理しているのも門衛である。
和幸が何もしていないと言うのなら、航輝に入門許可が与えられるよう手配したのが八潮であることは間違いない。
門衛内でかなり広い交友関係を持っている八潮だ。違う部署の同僚どころか、そこのトップと親しくても不思議はない。
「来ない方がよかったか? 迷惑なら帰るぜ」
「そーいうわけじゃないよ。王様、航輝に許可書を発行してあげてください」
「すぐに手配しよう。さすがのお前も友達には優しいんだな」
「航輝と俺は友達じゃないよ。……俺は悠と大事な話があるから、航輝は良たちと話してて」
友達であることを否定されても航輝は気にした素振りもなく、仲睦まじく会話を繰り広げる良と双子の輪の中に混ざっていく。
友達になろうと誘ったときから、事あるごとに否定され続けているのでもう慣れ切っているのだ。
気にしない航輝。だからといって、誰も気にしないわけではない。
「平気なの?」
優雅である。
「俺が友達だと思ってたら友達だろ? 健がどう思ってるかは関係ねぇよ」
「航輝は昔からこんな感じだからね。健もずっと友達じゃないって言い張ってるし」
初対面の人物からの質問に驚きつつも、航輝はすぐになんてことない口調で答えた。
その後に、何度も繰り返された光景を思い出す良が補足するように言葉を続ける。
「……俺は航輝ほど割り切れてるわけじゃないけど、似たようなものかな」
「どうして……」
「健が優しいことを知ってるから、かな」
そういう良の視線の先にいる健は悠と和幸と何かを話している。
大事な話と言っていたが、三人の間には和やかな雰囲気が漂っている。
健の表情はいつもより柔らかく、心を許していることが傍から見ても窺える。和幸の表情も親愛に満ちている。
理事長と生徒という関係を越えた間柄のように思える。
「健のこと、気になる?」
不意の鈴の音のような声が滑り込んだ。大きな目が優雅の心を見透かすように向けられている。
「健はね、すっごく悪い人だよ。怖くて冷たくて、優しくて温かい人なの」
そう言葉を紡いだ星の横顔は健への愛情に満ちていて、震えるほどに美しい。
思わず見惚れる優雅の前で、星の目はさらに和らいだ。
「すみません、キング。騒がしーでしょう? 鍛錬もまともにできませんし」
「鍛錬って剣道のか? 健がやんの?」
「そーだね。剣道じゃなくて剣術の、だけど」
悠たちとの話を負えたらしい健の言葉に、航輝がいち早く反応する。好奇心に満ち溢れたその目には「見たい」の三文字がありありと書かれている。
それに気付いて健は考えるような無言。傍らに立つ星もまた期待を込めた視線を注いでいる。
「手合わせする? 健がいいなら、だけど」
「俺は構いませんよ。元々、そのためにいるわけですし」
二人が戦う意志を示せば、空気はそのために整えられる。
優雅は授業で使った木剣を持ち、健もまた悠から木剣を受け取って構えた。
同じ木剣のように見えて、健の持つものは幾分か軽く作られている。
「お先にどーぞ」
隙のない構えを取る健の言葉を受けて優雅は踏み出した。
鋭い一閃が走り、健はそれを軽い木剣で受け止める。鍔迫り合いで互いに距離を詰めた健は渾身の力で薙ぎ払う。
咄嗟に身を引いて避けた優雅の、わずかに乱れたバランスを狙うように健がさらに踏み込む。
木剣が激しくぶつかり合う音。なんとか態勢を立て直した優雅は一合、二合と健と木剣を交わす。
互角のように見えて、一手一手で優雅の方が上回っている。木剣がぶつかり合う度に、そのズレは徐々に形になって現れる。
「……っ」
健の手が弾かれ、その隙に潜り込むように優雅の鋭い一手。
「そこまで!」
手合わせの終わりを告げる声が響き、健は長い吐息で乱れた呼吸を整える。
「いやぁ、すっげぇな。初めて見たけどやべー! マジでやべーよ、二人とも!!」
「よかったね」
興奮気味に駆け寄る航輝へ、健は素っ気ない言葉を返す。
冷めているともとれる反応だが、分かる人には分かるくらいに和らいだ表情が別の印象を抱かせる。
「良は昔から稽古だなんだってやってたけど、二人もそんな感じなのか?」
「そう、かな。家の方針で昔から……」
苦々しい表情を一瞬だけ見せた優雅は窺うように健の方を見た。
きっと誤魔化すのだろう。そんな確信を抱く視線を否定するように健は口を開いた。
「俺は春野家に厄介になってた時期があったから、そのときにね」
嘘は言っていない。
春野家で暮らしていた時期はあったのも、その時に剣術や術の使い方を教えてもらったのも事実だ。
ただ字面以上の複雑さがそこに隠されているだけ。それをわざわざ説明しないだけ。
「そうなんだ?」
「んー、うちって無駄に広いし、部屋もいっぱいあるから訳ありの子とかを一時的に預かってることがあったんだよね。有能そうな子を引き抜いて、いろいろ教えたり? 健君もそんな感じじゃないかなぁ」
春野家にいたというのなら、と当事者であろう夏凛に問いかける良。
良の考えを裏切って、当事者であるはずの夏凛は他人事のような言葉を紡いだ。
不思議そうな視線を良から受け取る夏凛はどこか悩ましげに唸る。
「私は会ったことなかったんだよ。星から話を聞いてはいたけど」
夏凛たちは預けられた子との接触を制限されていたわけではない。短い間とはいえ、家族のように、友人のように過ごした者たちも少なくない。
そうでない者ももちろんいたが、必ず和幸から紹介を受けるので、必ず一度は顔を合わせている。
まったく会ったことのない健には、何かが隠されているということなのだろう。
不用意に探る危険性を夏凛はよく知っている。だから聞かない。
「良も手合わせしたら? 彼女にかっこいいところ見せてあげなよ」
「健兄さんに、優雅さん、王様。対戦相手は選り取り見取りですもんね。みんな、すっごく強い方ばかりですし」
「俺はもー少し休憩してからがいーかな」
この話題は終わり、と告げるように良へ話を振る健。その視線が悠の方へ向けられ、一瞬だけ剣呑な光をまとった。
いつもの健らしくない激情を感じ取り、激しい違和感を抱えながら見つめる。
「健、どうかした?」
「ん、なんでも――いや、野暮用を思い出したから少し席を外すよ」
悠と視線を交わしたのを最後に健は鍛錬場を後にした。
くだらない野暮用だ。すぐに終わらせる。
そんなことを考えながら。