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2-8

 東堂梓には夢がある。使用人という立場にいながらおこがましいと思う人もいるだろう。


 それでもずっと描いてきた夢なのだ。

 幼い頃、母の仕事場で見た光景。梓は当主たる青年と、彼の傍に控える二人の使用人に目を奪われた。


 ただそこに立っているだけ。それなのに彼らの間から強い信頼が感じ取れた。

 本来は影に徹するべき使用人が誰よりも輝いて見えたから。


「唯一無二を見つければ、貴方もきっと輝けますよ」


 その秘密を知りたくて無邪気に問いかけた梓におさげのメイドはそう答えた。

 その日から、唯一無二を見つけることが梓の夢となったのだ。


 使用人学校を首席で卒業した梓にはいろんな家からの誘いがあった。まさに選り取り見取りで、梓は夢を叶える第一歩に胸を震わせた。

 たくさんのスカウトのすべてを受け、試用期間を経て、すべて断った。どこにも梓の唯一はいなかった。


 断り続けた梓を雇おうと思う家はいなくなった。使用人のくせにお高くとまっていると言われ、夢を叶えられないまま、梓の使用人人生は終わりを迎えようとしていた。


 そんなとき、春野家当主から誘いを受けた。あの日、梓に夢を与えた人物からの招待状。

 微かな期待とともに引き受けて今、ここにいる。


「……あの方はきっと見抜いていらっしゃたんでしょうね」


 本当に微かな、砂粒ほどの期待を諦念で塗り潰そうとしていたことに。


 あの無機質な目はすべてを見抜く。その上であんなことを言ったのは梓に断ってほしいからだろうか。

 それとも――梓の期待に応えてくれるというのだろうか。


「梓さん」


 名を呼ばれ、振り向いた先には無邪気さに彩られた顔がある。


「健兄さんのお水ですか?僕が持っていきますよ」


 梓とともに健付きの使用人をしている人物である。

 弟でありながら執事になることを選んだ理由は分からない。兄同様に謎が多い人物だ。

 何度注意しても兄と呼ぶことをやめないことを除けば、とても優秀な人材ではある。


「あ、そうそう。梓さんが健兄さんを運んでくれたんですよね。ありがとうございます」

「私は私の仕事をしただけです。お礼を言われるようなことではありません」


 冷たくあしらうような答えに、双子というのにあまり似ていない顔がじっと梓を見つめる。

 嬉しげな表情。いつも通り無邪気に彩られた顔にはいつもと違う本当が宿っているような気がする。


「……なん、でしょうか」

「梓さんもそろそろ絆されてきたかなーと思いまして。こちら側に来るのも時間の問題ですね。仲間が増えるのは僕もすっごく嬉しいですよ!」


 肝心なところを暈すような言い方で悠はそう答えた。


 この双子はもしかしたらこういう言い方が好きなのかもしれない。顔ではない別のところでよく似ている。

 違うところをあげるとしたら、健の寝室へ向かう背中に逃げ道を指し示す気がないことだろうか。




 ノックを三回、声が返ってこないままに扉を開けた。


 部屋の主はベッドの上、布団を鼻まで被った状態で、目だけを悠へと向けた。

 不審と警戒が募った視線を受けながら近づく悠は持ってきた水をベッドの傍らに置いた。


「お加減はどうですか?」

「……」

「環境が変わって疲れが出たんでしょうね。仕事の方も立て込んでますし」

「……」


 返ってくるのは無言ばかりで、さしもの悠もため息を吐いた。それでも表情から無邪気さは消さない。

 悠には健が不審の目を向けてくる理由に見当がついている。その上で惚けるような態度を取っているから、余計に宿る不審が強くなっているのだ。


「どーやって丸め込んだの?」

「丸め込むだなんて人聞きが悪いこと言わないでください。ちょっとお願いしただけですよ? 十分だけ健兄さんを好きにしていいとは言いましたけど」

「勝手に許可しないでよ。お婿に行けない身体になったらどーすんの」


 無言の訴えをやめた健は身体を起こし、非難の視線を悠に浴びせる。


「そうならない相手をちゃんと選んでますよ。彼女は自分の美学に沿わないことはしませんし」


 今回の最大の功労者とも言える少女の姿を思い浮かべながら悠は答える。

 健が不機嫌そうに振る舞うのは少女と悠に嵌められたからである。


 昨夜、闇市で作戦を実行した後からの記憶が健にはない。最後に見たのは悪魔的な美貌を持つ少女の微笑み。目が覚めたら自分の部屋だ。


「油断したな。次からは気を付けないと」

「僕的にはありがとうございますって感じですから、そのままでもいいですよ?」


 口を動かしながら、悠は手を動かすことも忘れない。てきぱきと健の診察を進める悠の手が服を捲り上げようとしたところで止められる。


「そこはいーんじゃない?」

「ダメですよ。ちゃーんと王様から報告は受けているんですから。丸め込まれたりなんてしません」


 ちなみに悠は陰鬼から咳をしていたとの報告も受けている。だからこそ、少女に協力を仰いで健をこのベッドに寝かせるに至っている。

 あらがえないと判断した健はされるがままで、悠は露わになった白い肌を青紫に汚す痣を見つめる。


「んー、治癒をする必要はなさそうですね。二日安静にしてたら、すぐによくなりますよ」

「却下。二日もゆっくりしてられないよ。今は仕事だってあるし、入学早々授業に遅れるのは困る」

「後者は問題ないでしょう!? まあ、健兄さんならそう言うと思ってましたし、折れるしかないのも分かっています。ので、今日くらいはゆっくり寝てくれると助かるんですけど」


 ジト目で見つめる悠に「大丈夫」と返す健はどこ吹く風だ。

 十数年も繰り返している問答であるが、一度として悠の意見が聞き入れられたことはない。

 不毛だと分かっていても、やっぱり悠はこの問答をしてしまう。心配で心配で仕方がないこの心を、少しは理解してほしいものだ。


「例の件はどーだったの?」


 悠が少女に協力を仰いだのは自分だと警戒されるというのと他に、別件の用を頼まれていたからでもある。

 あらかさまに話題を変えられたことを不満に思いながらも悠は自分の役目を果たすために意識を切り替える。


 健を心配し、守るのも悠の役目。

 健の言葉に従い、命令に準ずるのも悠の役目。


「鳳家自体は黙認してるみたいですね。長男の清雅さんに一任して、ギリギリまで行く末を見守るつもりようです」

「利益が上がるなら願ったり叶ったり、状況が悪くなったら切り捨てればいい。合理的だね」


「実の弟まで合理の枠に嵌めてしまうんですね。当主の座を辞退した人間と思えません」

「当主でなくとも実権は握れる。優秀な弟を祭り上げて、自分は裏で糸を引く。キングは身代わり人形って感じかな」


 淡白な物言いの中に同情なんてものは感じられず、無機質の瞳は変わらない冷たさだ。


「天才だったばかりに可哀想ですねぇ」

「キングは天才じゃなくて秀才タイプだよ。勉強も剣術も、血の滲むような努力を重ねて手にしたものだ。兄の期待に応えるため、どれだけ自分を犠牲にしてきたんだろーね。俺はそれを利用させてもらうわけだけど」


 声は淡白。瞳は無機質。言葉は冷酷。顔は無表情。

 読み取りにくい感情に宿っているのはやはり同情ではなく、言葉通りの冷酷さでもないことを悠の目は見抜いている。

 伊達に何年も傍にいないという思いで、口を開く。


「健兄さんは相変わらずお優しいですね」

「今そんな話してなかったと思うけど?」


「まあまあ、細かいことは気にせずに。……そうそう、言われた通りアカデミー内の流通ルートも突き止めましたけどどうします? 潰しますか?」

「大本を叩かないうちは無駄だよ」


 今度は悠によるあらかさまな話題逸らしを健は小さなため息とともに答える。

 物言いたげな視線の裏で目まぐるしく思考を回している兄の姿を悠は無邪気に見つめる。


「一週間後には稟王戦がある。きっとかなり儲かるだろーね」


 稟王戦とは桜稟アカデミーで定期的に開催されている剣術の大会だ。

 己の力を示すために手っ取り早い方法でもあり、より大きな派閥に入るために躍起になる者も多い。


 よくも悪くも狭い社会だと、自分の立ち位置というのが重要になってくるものなのだ。


「あまり目立つことはしたくないんだけど仕方ないか。天才が本気なれば、秀才も薬も相手にならないことを教えてあげよーか」


 薄く笑うその姿は悪魔そのもののような恐ろしさを纏っていて、悠の大好きな健の姿に笑みを浮かべる。

 それはそうとして、件の問答を再開させた悠がこの日一日だけの勝利を得たことを記しておこう。


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