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2-7

 

 すっかり日の落ちた世界を一人の少年が歩いている。時刻は深夜零時に差しかかった頃。

 店仕舞いをした店舗の横を通り過ぎ、商業区の奥へ奥へと進んでいく。


 人工の光から背を向けるように進んだ少年の出迎えるのは怪しさ満点のゲートだ。

 何十年も手入れされていないことが明らかなそれには苔がこびりついており、今にも崩れそうな様相を保っている。


 ここは闇市と呼ばれる場所だ。その名の通り、闇取引で手に入れた品物を売る店が多く集っている。

 とはいえ、少年がここに訪れたのはそれらの品物を買うためではない。


「こんなところでうろついてるなんて危ないわよ、坊や」


 小学生くらいの子供が闇市にいれば嫌でも目立つ。灰色のフードを深く被る少年が格好の的だというように近付いたのは妖艶な美少女だ。


 蠱惑的な笑みを浮かべたその顔は、暗がりの中でも一目で分かるほどに美しい。露出度の高いゴスロリで包まれた身体はモデル体型と言っても差し支えないレベルで引き締まっている。

 大きく開いた胸元を強調するように腕を組み、目線を合わせるような仕草に少年は不満げな表情を見せた。


「子供扱いしないでよ」

「あら、高校生だって子供でしょう?」

「年変わらないくせに」


 悪びれることなく答える少女に少年こと健は目を細めて見返した。


「相変わらず冷たい反応ね。もう少し狼狽してくれればいいのに」


 冷たい視線に残念そうな言葉だけを返す少女は改めて健に向き直る。

 蠱惑的な笑みは変わらず、多くの男を魅了してやまない姿を前にしても、やはり健は少しも動じない。


「作戦は手筈通り。数分もすれば彼が来るはずよ」


 悪ふざけはここまでというように状況を端的に伝える少女。

 小さく頷いた健は作戦内容を反芻しつつ、その先の手を考えるように意識を内側へ向ける。


 今回の作戦は相手の動き頼りな部分が多いので、予想外な事態に対処できるように細かく確認しなければならない。


「貴方にしては雑な作戦よね。私の知らないところで何か企んでいるのかしら」

「どーだろーね」


 誤魔化すような健に笑みだけを返した少女はそれ以上言葉を重ねることをやめる。そのまま持ち場――待ち合わせの場所へと歩を進めた。


 問いかけは確認だった。少女が一番好きな健が失われていないのならば、何も言わず、何も聞かずに協力する。


 夕顔(ゆうがお)という名の情報屋としての役割を果たすだけだ。

 管理人カガチが作り上げたチャットルーム『The Game of Life』。代理として管理の権限を与えられているのは二人、それぞれコスモスと夕顔を名乗っている。


「貴方が大雅さん、かしら? 私は夕顔と言うのだけれど」


 チャットルームの人間として依頼主に直接接触するのが夕顔の主な役割である。

 カガチの正体を知る者は複数人いても、彼がカガチとして会うことはない。コスモスはそもそもその正体を知る者がほとんどいない。


 チャットルームの人間として表でも活動しているのは夕顔一人だけだ。

 矢面に立たされているとは思わない。適材適所だ。

 仮に夕顔の性質を利用されているのだとしても、それはそれで構わないと思う。


「貴方が……。チャットのときとイメージが違いますね」

「タイピングは苦手なのよ。無愛想でごめんなさいね」


 健と話している時にそうしていたように胸元を強調するように腕を組む。表情、声音、仕草、すべてに相手への好意を詰め込めば、相手はたちまち夕顔から目を離せなくなる。

 人並みを外れた魔貌と、高い練度による魅了の術の掛け合わせに抗える者はそうはいない。


「協力してくれて助かるわ。処刑人の正体を探るとなると簡単にいかなくて……。でも処刑人の顔を知ってる貴方がいてくれたらとても心強いわ」

「い、いえっ! 処刑人の姿を見つけたら報告すればいいんですよね!?」

「ええ、頼りにしてるわ」


 鼻息荒く答える大雅の腕に胸を押し付けるようにすり寄る。

 下心しか感じられない視線の先を、ちょうど今通りかかった愛しい人へと繋げた。魅了の術の応用である。

 夕顔ばかりを見ていた目が自然と健の方へ向けられる。


「あっ」


 声は大きく、下手すれば健にも聞こえてしまいそうだ。いや、下手をしなくても聞こえているだろう。


 彼は使い物にならないと心中で役立たずの烙印を押した。それはある意味、幸福なのかもしれない。

 役に立つと判断されれば、彼は永久的に夕顔の駒として使われることになるのだから。


「彼が処刑人なのね。ああ、なるほど……彼ね」


 視線にこっそりと本物の恋慕を混ぜた夕顔はその目を細めてみせる。


「何か、ご存知なんですか!?」

「少し、ね。確か桜稟アカデミーの新入生の中にいたはずよ。もっと詳しいことが知りたいなら調べることもできるわ。処刑人で、アカデミーの生徒となると時間はかかると思うけれど」

「いえ。それだけ分かれば十分です。いろいろとありがとうございます。あのっよろしければ……っ」


 焦るように言葉を紡ごうとする大雅の唇に白い指をあてる。

 妖しげな笑みとともに近付けば、大雅は身を固くする。その反応を楽しむように目を細め、甘い吐息とともに口を開く。


「今日は来てくれてありがとう。会えてよかったわ」


 声は麻薬だ。一音一音が狂おしいほど、なめらかに耳の中へと滑り込み、脳を融かしていく。

 思考はぐずぐずに溶かされ、正常な判断力は奪われていく。


 その目は夕顔だけを見つめ、その耳は夕顔の声だけを捉える。

 暴力とまで言われる魅了の本領発揮。いや、これはもはや洗脳だ。


「だから今日はこれでおしまい。お家に帰って眠りなさいな。私と会ったことは夢だと思って全部忘れて……ああ、手に入れた情報まで忘れてはダメよ。貴方は処刑人を殺さなければならないんだから」


 美しい声音に従うだけの人形と化した大雅を見送り、夕顔はそっと視線を動かした。

 その先にいるのは幼い少年。顔立ちに似合わない大人びた表情で、一瞥だけをくれた夕顔の想い人は踵を返した。


 それを今日一番に冴え渡る微笑みで見つめ、誘うように掌を向ける。漂う甘い香りが健の身体に纏わりつき、その意識を奪った。


 ●●●


 身体が重たい。火をまとった怪物が入り込んだように全身が熱くて、呼吸が上手くできない。

 苦しくて、苦しくて、涙が零れる。目端から零れた雫が布団を濡らした。


 心までが軋んで、暗闇からじっとこちらを見つめる紅い目に呑み込まれるのでは、と一人震える。


 一人は嫌だ。独りは嫌だ。

 寂しくて、淋しくて、いないと分かっていてもたまらなくなって手を伸ばした。


「ぱ、ぱ……っ」


 伸ばした手が誰かに掴まれた。

 驚いて、涙で潤んだ目を開けば、困った顔をした女性が覗き込んでいた。


「旦那様ではなくてすみません」


 謝る女性の手は温かく、疼いていた寂しさは瞬く前に消え去っていた。

 求めていていた手とは違うものだったのに心が晴れ渡っていく。


 医者として今も現役で働く両親の代わりに雇われた家政婦。朗らかに笑う彼女のことは嫌いではなかった。


「林檎をすりおろしたものです。食べられそうですか?」


 小さく頷いて身体を起こした口にそっとスプーンが差し出される。

 咥えれば口の中に広がるのは甘酸っぱい林檎の風味だ。


 思わず綻んだ顔に女性は仄かに笑って、


「元気になったらアップルパイを作りましょうか。私の得意お菓子なんですよ」


 暗い感情はもうどこにもない。ただアップルパイを食べる楽しみを抱えて眠りにつく。


 次、目覚めたときにはもっと元気になっていると信じて。



 どれくらい眠った頃だろうか。ふと影が差し込み、大好きな人の気配を感じて目を開ける。


「パパ……?」


 声を漏らした健は目を開いた先にいる人物を見て、静止した。常に有り得ない速さで回っている思考さえも停止して、寝転ぶ自分を覗き込む人物をただ見つめる。


 そうしてゆっくりと状況を理解して、息を吐いた。


「今のは忘れてください」

「え、と……」

「今のは忘れてください」

「はい、大丈夫です。忘れました」


 何とか普段の調子を取り戻した健はまだ戻り切れていない目で梓を見つめる。疑うような視線の中に、普段のような恐ろしさは感じられない。


「何かお召し上がりになりますか」

「……イ」

「え?」


 上手く聞き取れず、聞き返す梓の前で、健はどこか遠くを見るようにその目を細めた。


「アップルパイを作るのが得意な家政婦がいたんですよね。半年くらいで辞めちゃったんですけど」


 急に振られた話題についていけず、梓はわずかに首を傾げて健を見返す。


「東堂さんっていう人で……梓さんのお母さんですよね?」

「確かに、母は家政婦をしていた時期がありましたが……その頃の話は聞いたことがないので」

「そーいうものですか。王様辺りに聞いた方が早いかな」

「母に何か用でも……?」


 この頃には完全にいつもの姿を取り戻した健は得体の知れなさをまとって微笑んだ。

 心の内を悟らせないようにする表情を前にしても、梓は健の心をなんとなく感じ取れた。一瞬でも、健の心に触れたせいかもしれない。


 無機質な瞳に恐ろしさを感じていたのに、今はもう感じない。


「どーでしょーね。元気にしてる姿を見られたらそれで満足かな」


 得体の知れなさを抱えた笑顔。その奥に隠されたものの触れたから――触れたから何なのだろう。


「試用期間は一週間。じっくり俺を見極めて納得できる答えを選んでください」


 紡がれた言葉はまたしても唐突だった。波立たない目はじっとこちらを見つめている。

 言われるまでもなく、梓は自分の心に従った選択肢を選ぶつもりだ。


 今までだってそうなのだから、今回だって。

 妥協しようという心に嘯いた梓をその目は見抜いていた。


「喉が渇いたので、水を持ってきてもらえますか」

「かしこまりました」


 示された逃げ道に従うように梓は部屋を出た。

 彼はきっと梓の噂を知っているのだろう。それでいて変わらずに振る舞う姿には、興味がないのとも、懐が深いとも違う何かが宿っているように思えた。


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