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2-6

 桜稟アカデミーを首席で入学した秀才、鳳優雅は取り巻きのように連れそう同級生から逃げるために足を運んでいた。

 偶然か、必然か、数分前までいた演練場に戻ってきた優雅の耳に何かがぶつかり合う鋭い音が聞こえてきた。


 妙に人気がなく、響き渡る鋭くも美しい音に惹かれるように優雅は歩を進めた。そうして格子の隙間から見える光景に釘付けになった。


 演練場にいるのは三人。うち二人が手合わせをしていて、残る一人がそれを見ている状況だった。

 辛うじて認識できる速度でぶつかり合う剣撃。どちらの動きも美しいほどに洗練され舞台の一幕を見ているようだ。


「……ぁ」


 繰り広げられる光景にのめり込んでいた優雅は唐突な決着に息を漏らした。

 現実に返った優雅はそこでようやく手合わせをしていた人物の正体へ目を向ける。


 一人は貴族街で知らない人がいないほどの有名人。貴族街の統治者である春野和幸だ。

 桜流剣術の使い手として五本の指に入るらしい彼ならば、あの洗練された動きも頷ける。


 問題は誰が相手をしていたかだ。そう考えて視線を動かし――目が合った。

 冷たさを宿したその目はすぐに和らげられ、手招きをされた。今更、逃げるなんてことできるはずがなく、優雅は演練場へ足を踏み入れるのであった。


「すみません。近くを通りかかったら音が聞こえてきて……」

「いや、構わない。見られて困るものでもないしな」

「俺は少し困りますけど……。まー、口が堅そーだから大丈夫かな」


 誰もが頭を垂れる貴族街の統治者の前で平然とそんなことを言うのは小柄な少年。

 次席で入学した人物であることを優雅は知っている。名前は確か、岡山健。

 外から来た人間だという話は、取り巻きのように付き添う生徒たちから聞いたものだ。


「ここで見たことはどーか内密に」


 悪戯っぽく片目を瞑る彼は、剣術の授業でも和幸と手合わせをしていた。

 しかし、その時の健は素人同然の動きをしていた。あんな凄まじい戦いを繰り広げ、ましてや和幸に勝利するなんてありえない。


 演技、していたのだろうか。

 胸中に湧いた問いかけを悟ったように健は薄く笑った。


「ただえさえ悪目立ちしてるのに、これ以上目立つのは避けたいので……。すでに先輩方には目を付けられてますし」


 そう言う健はそっと自身の腹部に触れる。件の先輩方によって施された痣を示す仕草の意味を優雅は知っていた。


 実は健が先輩たちに絡まれているシーンを目撃していたのである。

 身を隠し、助けるかどうか迷っているうちに先輩たちは去り、優雅は出るタイミングを逸してしまったのだ。


「さて、と。王様も忙しいでしょーし、今日はお開きにしましょーか。ご指導ありがとーございました」

「指導というほどのことは何もしてないが……。むしろ、俺の方が勉強させてもらったしな」


 最後に嫌味のような言葉をくっつけた和幸を最後に、密かに延長されていた授業は終了した。

 和幸は仕事に戻ると先に戻り、健も良とともに戻っていく。


 残された優雅は懐から取り出したものを無言で見つめる。

 それは、薬ケースだ。何種類もの薬が綺麗に分けられて入れらている。


 これは健が先輩に絡まれていた場所に落ちていたものだ。ものがものだけに早く返さなければとは思っているが、どこか冷たさを感じさせる健の顔を見ると尻込みしてしまう。


 いや、今からでも返すべきだ。追いかければまだ間に合うだろうと、早足で駆けていく。


 と。


「んー、ここに落としたと思ったんだけどな」


 地面にしゃがみ込み、何か探し物をしている人物を見つけた。

 そこは優雅が薬ケースを見つけたところであった。


「あ、キング。さっきぶりですね」


 一回り以上大きな制服をまとった少年は優雅の姿に気付いて、薄い笑みを浮かべてみせる。

 その隣に、別れた時は一緒にいた良の姿はない。


「え、と……もしかして、これ探してる?」

「そーです。見つかってよかった。キングが持っててくれてたんですか」


 正直、ここまで愛想のいい人間だと思っていなかった優雅は少し驚きながら頷く。


 優雅の予想は実際、間違いではない。中学時代までの健を知る者がいれば、別人のようだと評するだろうし、親しい者なら何か企んでいるのだと疑うことだろう。

 無表情でいることが多い顔には、人好きのする笑顔が浮かべられている。


「どこか悪いの?」

「いーえ、ほとんどがサプリメントですよ。後は胃薬とか、頭痛薬とか……いざという時の予備薬ですね」


 言いながら受け取った健は中身を見て、自分のものだという最終確認をして懐にしまった。


「本当にありがとうございました。今度何かお礼をさせてください」

「いや、そんな……」

「そーしないと俺の気が済まないので。……それじゃ、また」


 ひらひらと手を振って去っていく健を見送るしかない、優雅の懐で着信音が鳴った。

 驚き、画面に映し出された名前を見て顔を曇らせる。それでも出ないという選択肢は優雅の中にはなかった。


「……もしもし、大雅兄さん。どうしたの、わざわざ電話をかけてくるなんて……なにかあった?」

『あー、まあ、ちょっとな。お前の方こそどうだ? アカデミーの方は』

「うん、それなりにやってるよ」

『お前は鳳家の星だからな、期待してるぜ』


 問いかけに誤魔化すような言葉が返ってきたことよりも、その言葉が優雅の心を大きく揺さぶる。


 期待。期待だ。

 その単語一つで優雅の心が鉛のように重くなっていく。


 父よりも、二人の兄よりも少しだけ優秀だった優雅は、そうであることが当然のように鳳家の看板を背負わされた。

 夢や望みを抱く心が育つよりも早く、優雅の道は『期待』という言葉で塗り潰された。


『……実は、少し面倒なことになってな』


 ようやく本題に入ったらしい兄の言葉を聞いて、優雅は身を固くする。


『処刑人に目を付けられた。お前の方にも何かあるかもしれねぇし、一応連絡しておくわ』

「だい、じょうぶなの? 処刑人なんて……」


 貴族街で都市伝説として語り継がれる殺し屋。その存在がただの噂ではないことは、成長して裏社会に近付くほどに鮮明になっていく。

 処刑人に目を付けられたら最後。それが貴族街で暮らす者の中で息づく常識だ。


『心配すんな。ここだけの話なんだが、処刑人の正体を突き止められそうなんだ。つっても姿を見ただけど……ま、すぐに素性も分かるはずだぜ』


 兄の口振りから、またいつもの情報屋に頼んだのだと察した。

 何年前からだったか、兄が贔屓するようになったインターネット上の情報屋。


 昔からそういうことに詳しかった兄が見つけていたその情報屋は驚くほどに優秀な人材で、珍しく長兄が褒めていたのを覚えている。


『取り敢えず、気を付けろよ。お前は鳳家の星なんだからな』

「うん、大雅兄さんも気を付けて」


●●●


「貴方、もしかして鳳優雅さん、ですか」


 剣術の初授業から数日経ったある日。そんな無邪気な声に呼び止められて、優雅は立ち止まる。

振り向いた先にいたのは、執事服をまとった少年だ。

年は同じくらいだろうか。浮かべられた無邪気な笑顔が実年齢を分からなくしている。


「何か……?」


 誰かに顔が似ている気がするものの、面識のない相手に優雅が向けるのは困惑だ。


「僕は岡山悠って言います。健兄さんの執事をやってるんですよ」


 胸を張るように答える少年は言動もまた無邪気さに包まれていた。

 健兄さん、という単語に疑問符を浮かべ、すぐに岡山健のことだと思い至る。

 兄弟なのだろうか。しかし、執事をしている言葉が素直に結論付けるのを邪魔する。


「あっちで健兄さんたちが食事をしているんです。よろしかったら一緒にどうですか?」

「いや、俺は……」

「まあまあ、遠慮なさらずに。こっちですよー!!」


 難色を示す優雅を無視して、悠はその手を引っ張って連れて行く。

 執事とはとても思えない言動に優雅は困惑を隠せず、周囲にいる生徒は不愉快そうに眉を寄せる。

 当の本人は少しも気にする素振りを見せず、目的の場所を見せびらかすように優雅へ振り返った。


「ほらっ、ここですよ」

「キング? どーしたんですか」


 突然現れた優雅の姿に驚くは健は悠の姿を見て得心が言ったように息を吐いた。


「すみません、悠が迷惑をかけたみたいで」

「迷惑ってなんですか! 僕は健兄さんのお友達を増やそうとしただけなのに……。優雅さんも迷惑じゃなかったでしょね? ね?」

「ええっと」


 無邪気な圧に押されていく優雅を見て立ち上がる健は、二人の間を引き裂くように悠を引っ張る。解放されて息を吐く優雅に向けられるのは穏やか笑顔だ。


「どーせですし、一緒に食事でもどーですか?」

「私も鳳さんとお話してみたいと思ってたんだよね」


 提案する健に同調する形で声をあげたとは共に食事をしていたらしい星だ。


 他にも、良や夏凛が一緒の席に着いている。この四人が同じ中学校に通っていたという話は噂で聞いたものだ。

 仲睦まじいその姿は噂を証明するもので、そこに立場の差なんてものは存在しない。


「せっかくだしお邪魔するよ」


 少しの羨望から生まれた言葉に健は、いや、健たちは柔らかな笑顔で受け入れた。

 一瞥する優雅に後ろに控えていたメイドが一礼で応え、引き下がる。まもなくすれば、優雅の分の食事を持ってきてくれることだろう。


「鳳さんは、いや、鳳君かな?」

「好きに呼んでくれて構わないよ」

「じゃあ、鳳君かな」


 人懐っこく話しかけてくるのは夏凛だ。金に近い琥珀色の髪を黒く染め上げた少女がオカルト好きの変わり者ということは社交界でもかなり有名だ。


「健兄さんはキングって呼んでるんですよね。相変わらずの敬語ですし、健兄さんってばもうちょっと親しげにしたらいいのに」

「ほっといてよ、癖なんだから」


 相変わらず執事らしからぬ態度で話に混じる悠に、健は冷たい声と目を返す。


「夏凛にも未だに敬語だもんね。桐葉さんとかにも敬語だし」


 援護射撃のように口にした星は悪戯っぽい笑顔で笑い、不満げな顔で健が見返す。

 イメージとはまったく違う表情で、強い違和感を覚えた。


「癖、なんだね。俺はてっきり遠ざけるためにやってるんだと思ってた」

「癖だよ。貴族街に出入りしてると敬語じゃないだけで問題にされたりもするしね。自衛とも言う」

「健兄さんの場合、敬語の中に敬意なんてちっとも入ってませんけどね」

「悠には言われたくない」

「僕はちゃあんと敬意を払いつつ、敬語を使ってますよう。健兄さんとは違います」


 言い張る悠を適当にあしらいつつ、優雅へ向き直る健は「騒がしくてすみません」と微苦笑を浮かべる。


「そういえばキングも稟王戦にでるらしーですね」


 稟王戦とは早い話、アカデミーで定期的に開催される剣術の大会だ。


 入学式からまもなくして開催される稟王戦に参加する新入生は少ない。優雅は兄の言葉により参加を表明しているが、年によっては新入生の参加者が一人もいないこともあるらしい。

 だからこそ、健の言葉に疑問符を浮かべる。


「“も”ってことはもしかして……?」

「良も参加するんですよ。俺は、今のところ未定です」


 その言葉に安堵している自分がいることに気付いた優雅は仄かに驚く。


「健が参加するなら差し入れしてあげようかな」

「星が差し入れしてくれるなら参加してもいいかな、なんて。冗談だけど」


 独特な空気感を作り出す二人の目の前で優雅は己の心の内に疑問符を浮かべ続ける。

 どうして、安堵したのか。その答えに辿り着くのは簡単で、けれども目を逸らすように疑問を遠ざけた。


 この日から彼らと共に過ごすことが増えた。今まで関わりあってきたどの人物とも違う空気感はなんとなく落ち着くような気がする。

 彼らの誰一人として、優雅の外側に貼られたものに何の興味あるものがいないからかもしれない。

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