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2-4

 今日は剣術の授業の初日。寮から演練場までの道のりを一人、思索に耽りながら歩んでいく。


 これからの生活のこと。処刑人の仕事のこと。


 学校生活と処刑人の仕事との両立はいままでもしてきたことだが、アカデミーでは以前ほど自由に動けない。新しくメイドがつくこともそうだし、厳重に管理された環境であることもそうだ。

 そんな中、すでに処刑人として動かざるえない案件が迷い込んだことに文句を言うべきか、最初に経験できることを喜ぶべきか。


 ――また逃げるんだ? いつまでそーしてるつもりなの。


 冷たさだけ含んだ声が思考を揺さぶった。忘れるための努力を嘲るような声に思わず足を止める。


〈健様?〉


 目を瞑り、呼吸をゆっくり繰り返し、心を落ち着ける健に護衛として付き従う鬼が案じる声をあげる。


 ――君の手は、君の歩んだ道のりは血で濡れている。罪で汚れている。


 知っている。そんなことは知っている。

 自分が重ねてきた罪の数も、奪ってきた命の数も全部覚えている。

 全てを背負って生きていくと立てた誓いを裏切るわけにはいかない。

 そうして弱さを切り捨てた健は大きく息を吸い込み――。


「――っ、けほっ、ごほっ」

〈健様!〉

「だい、だいじょーぶ。ちょっと噎せただけ」


 込み上げる咳を呑み込み、曖昧に笑えば向けられるのは冷ややかな真紅の瞳だ。

 信用されていない。そんなことを口にすれば、今までの行動を省みろと言われるのは間違いない。


「昨夜は床で眠ってしまわれておられましたし、風邪を召されたのでは……」


 毛布をかけるまではしたが、起こしてしまう可能性を考えてベッドに運ぶまではしなかった。

 睡眠を疎かにしがちな健は眠りが浅く、何かあればすぐに目を覚ましてしまう。


 健が眠り始めたらなるべくそっとしておくのが暗黙の了解だ。

 今回はそれが裏目に出てしまったのかもしれないと陰鬼は表情を曇らせた。


「陰鬼は心配性だね……こほっ」


 呆れた口調の健は虚空に手を伸ばし、薬のケースを取り出した。ボールチェーンで繋げられた三つのケースから錠剤を取り出し、生成した水で流し込む。

 幾ばくして落ち着いてきた呼吸で息を吐き出した健は近付く足音に気がついた。


「手、出さないでね」


 小声で陰鬼に念押しした健は足音の正体を迎える準備を整える。人畜無害な新入生を装って。

 現れたのは三人組の男。襟につけられた石は一個で、一学年なのだと判断する。

 とはいえ、制服はそこそこ年季が入っているので最低でも三年はアカデミーにいると思われる。


「おっ。お前、あれだよな。次席で入学したヤツ」

「マジで!? 見た目はただのガキにしか見えねぇけどな」

「マジマジ。ってことはあれだよな、ポイントたくさん持ってるってことだ。なぁ、俺らにちょっと分けてくれね?」


 ポイントは互いの同意さえあれば自由に譲渡することが出来るため、他人から譲り受けたポイントで生活をしている者もいるのだ。


 アカデミーに入学する者は大きく二つに分けられる。

 箔をつけるために入学した者と、家から厄介払いされた者だ。健は前者で、彼らはおそらく後者。


「それは、ちょっと……」

「別にいいだろ? ちょっとだけだからさ」


 流れるように左右を固められ、前に立つ一人が顔を覗き込む。逃げることができない完璧な布陣だ。

 もともと逃げるつもりのない健は愛想笑いでこれを受ける。


「俺らもあんま手荒な真似したくないんだよなー」

「でも……ぐっ」


 断る姿勢を貫く健に表情を変えた男はその拳を叩き込む。思わず身体をくの字に折った健に、今度は左右から蹴りを加えられる。


「ほら、これ以上痛い思いはしたくないだろ?」


 髪を掴みあげられた健は苦悶の表情で、男を見上げる。が、その視線は男を通り過ぎ、その後ろにいる存在に向けられている。


 気配を潜めたその存在の姿は男たちの目には留まらない。けれど、健の目は長い前髪から覗く真紅の目に怒りが宿っていることを確かにとらえていた。


「あーあ、つまんね。もう行こうぜ」


 地面に伏した健に殴る蹴るの暴行を与えていた男たちはしばらくして興覚めだと立ち去っていく。

 完全に気配が遠ざかったことを確認した健は平然とした顔で立ち上がった。口の中に入った土を吐き出しつつ、自分の状態を確かめる。薄く結界を張っていたお陰でほとんど怪我はない。


 ただ――。


「んー、これくらいなら問題ない、かな」


 最初に貰った一撃はかなり重いもので、捲り上げた服の下に痣を一つ見つけた。

 悩ましげにそれを見つめた健は静かに服を元に戻した。普通に生活する分には問題ないという判断だ。


〈制服も汚れてしまっていますし、一度寮に戻られては?〉

「んー」


 曖昧な声で返事を返す健はそのまま軽く自分の身体をはたいた。

 土を落とすような仕草で汚れた制服が一新されていく。結界を張り直したのである。

 服が汚れているように見えて、実際は全体に薄く張っていた結界が汚れていただけなので、張り直せば万事解決だ。


 寮に戻れば、健の主治医たる悠がいる。咳の件とい、痣の件といい、悠に診てもらいたい陰鬼の思惑を健は見事に裏切ったのである。


「あれ、健? こんなところで立ち止まってどうしたの?」


 聞き覚えのある声に振り返れば、良が立っている。

 道端に立ち尽くしたままの健に怪訝そうな顔を向けた良はそっと手を伸ばす。形の良い頭を撫でるように伸ばされた手は黒髪からゴミを掬い取った。


「髪が乱れてるけど、何かあった?」

「ん、それは気にしない方向で」


 服の汚れはなくせても、髪の乱れは瞬間的に治すことはできない。手櫛で整える健の言葉を素直に受け入れた良はそれ以上触れないようにそっと口を閉じた。




 桜稟アカデミーの授業は基本的に選択性だ。自分の興味のある授業を自由に選ぶことができる。授業によって得られるポイントの数も変わってくるので、自分の力量を見定めて上手く選んでいくのだ。


 ともあれ、そんなアカデミーにも必修科目というものがある。

 それが剣術である。男子生徒限定の必修科目、その特別講師として立つ和幸は目の前に座る生徒たちを順繰りに見つめる。


「お前たちの実力を見極めるため、まずは二人でペアになって手合わせをしてもらう。と、その前に」


 真っ直ぐにこちらを見つめる生徒たちの中から一人を見つけ出し、


「見本として俺として手合わせをしてもらう。そうだな……鳳優雅、前に」

「はい」


 言われて前に出たのは優等生然とした見た目の少年だ。

 三男坊ながら跡取りに選ばれた優秀さは桜稟アカデミーを首席で、しかも満点入学したことからも証明されている。


 新入生にして一学年のキングの称号を得た彼は見本にちょうどいい。


「そこから好きなものを選んでくれ」


 木刀は両手剣からナイフ、果てはフランベルジュのような癖のあるものまで取り揃えてある。

 剣術の授業と言っても特定の流派を教えるものではなく、元の力を向上させるためのものだ。


 だからこそ、より本来の形で手合わせできるように、様々な刀剣を模した木剣が用意してある。

 和幸が当主になって以来、使われたところを見たことのない木剣もいくつかあるが、それはそれである。


 優雅が選んだのはオーソドックスな両手剣だ。貴族街でもっともポピュラーな桜流剣術の構えを取っている。

 第一の型。これもまたもっともポピュラーなもので、見本としては百点満点だ。


 和幸も同じ構えを取って向かい合う。二人から少し離れた位置で審判役の龍馬が立っている。


「好きなタイミングで来るといい」


 緊迫した空気が場を包み込む中、息を吐き出して心を落ち着けた優雅が一歩踏み出す。


 無駄のない動きで繰り出された剣撃を和幸は構える木剣で受ける。数秒の鍔迫り合いの後、激しい剣のぶつかり合いが始まる。

 一合、二合と木剣を重ねながら、和幸は優雅の動きを分析する。


 元の型を丁寧に再現した動きには生来の生真面目さがよく出ている。日々、基礎的な鍛錬をかかしていないことがよく分かる身体から放たれる剣撃は、今まで相手してきた生徒の中でも段違いだ。

 優雅の分析を終えた和幸は終わりに向けて木剣を振るう。


「そこまで!」


 和幸が持つ木剣の切っ先が優雅の首筋で止まったところで、龍馬の声が降りかかった。


「さすがの腕前だな。俺から言うことはないくらいだ」

「ありがとうございます」


 アカデミー全体で見ても、上から数えた方が早い実力を持つ優雅に対する講評は純粋な誉め言葉だ。細かい修正点はあるものの、学生としては申し分のない域に達している。


「もう一人くらい前に出てもらうか。そうだな……」


 迷うように再び生徒たちを見回す和幸は一人の少年と目が合った。

 自然な仕草で目を逸らした彼も、それが無駄なことくらいよく分かっていることだろう。

 そう思って和幸は、


「岡山健」


 悪戯心で名指しし、健は無表情の中に苦いものを混ぜて前へ出る。

 そして、何種類もある木剣の前で逡巡するように立ち止まった。


「どうした? 好きなものを選べばいい」


 善意で口にした言葉が嫌味にしかなっていないことを物言いたげな視線で気がついた。

 健が使う武器は基本的に自分の霊力で生成したものだ。非力で、細身なものや刃渡りの短いものばかりなそれらは見た目よりも軽く作られている。


 対して木剣は健の事情を省みない重さで作られている。いつも使っているものと似たものはあっても、重さは明らかに違う。

 そういう逡巡を刹那に抱えた健は優雅が手に取ったのと同じものを手に取る。


 ようやく向かい合う健の構えを見て和幸は密かに感動を覚えた。


(健がちゃんと構えをしてる!?)


 普段の健は構えなんてしない。ただ立っているだけの隙だらけのようで全く隙のない立ち姿がデフォルトだ。


 手合わせた回数は数知れず、ちゃんと構えをとっている姿を見たのはいつぶりだろう。

 それがたとえ、優雅の構えを真似ただけの隙だらけのものであっても。


「王様?」

「ん、ああ、始めてくれ」


 思考を切り替える和幸に向けて繰り出される攻撃は完全に素人のそれだった。

 細腕は重い剣に振り回され、いっそ不気味なくらいに隙だらけだ。


 傍から見れば、見様見真似の素人剣舞。けれど、実際に手合わせをする和幸には高い実力のもとで作り出された演技であることが手に取るように分かった。

 なにせ、素人丸出しの中で和幸の攻撃を巧みに誘導しているのだから。


 それにただ従うのは何となく腑に落ちないので、少しリズムを崩してやろうと動く。


「……っ」


 示された道筋を逆らうように動かされた切っ先に、健は小さく息を漏らす。

 狙い通りにリズムは崩せたが、その影響力は狙いから大きく外れていた。


 生まれた隙に和幸自身も驚いて反射的に突きを繰り出す。左腹部を狙う、容赦のない突きに息を詰めた健はそのまま尻餅をついた。


「そこまで!」


 互いに呆気にとられて数秒、二人はその声で我に返った。


「悪い。大丈夫か?」

「あ、はい。少し驚いただけなので」


 講師と生徒という仮面を被り直し、差し出された手を取って健は立ち上がる。


「型を意識しすぎだな。もう少し肩の力を抜いてもいいだろう」


 和幸のそんなアドバイスが最後を飾り、二人の手合わせを終わった。健が生徒の集団に戻るのを見届けた和幸は改めて口を開く。

 健に言いたいあれやこれは後で言うとして、和幸はここに講師として立っている役目を果たすことを優先する。


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