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2-3

 薬屋との約束通り、暗闇に包まれた路地裏を訪れた鳳大雅は鼻孔を掠めた鉄臭さに顔を顰める。

 馴染みのないものだったからこそ、それが血の臭いだと気付くのが遅れた。

 踏み出した足が踏んだ水溜まりが赤いものだと、闇の中では判別がつかない。


「だれ、だ……?」


 闇の中、動く気配に問いかける。


 返事はなく、凝らした目に小柄な影が映し出された。フードを目深に被ったその人物は大雅の存在に気付くか否や、身を翻して地面を軽く蹴る。

 跳躍一つで建物の屋根に乗る驚異的な身体能力を見せつけられ、大雅の頭は一つの結論を叩き出す。


「お前、処刑人か?」


 目をつけられた。そんな焦燥を抱えた問いかけにフードの人物が静かに振り返った。


 冷たい視線に射抜かれる。およそ人間のものとは思えないほどに凍りついた目に見下ろされ、大雅は心臓が止まる思いをした。

 視線が凶器になることもあるのだと思わせるような視線。


 全身が硬直し、声の一つすら発することのできない状況で、大雅はただ相手の顔を見ることにだけに集中する。


 正体不明の処刑人。


 その正体を掴めれば、兄の役に立てる、と。


 兄とも、弟とも違い凡人の器しかない大雅はこんなときにしか役に立てないのだから。

 そうだ。目をつけられたのならば、殺される前に殺してしまえばいい。


 処刑人が恐れられているのは、正体が分からないから。

 正体を突き止めてしまえば、殺せる。大雅は処刑人の顔を見た、まだちゃんと覚えている。


 例の情報屋に頼めば、きっと突き止めることなんて簡単だ。

  薬屋を頼れば、弱体化させることなんて簡単だ。


 届く。凡人の刃を、きっと届かせる。

 処刑人が去っていた先を見つめるその目には、純粋な意志を纏った光が宿っていた。


 ●●●


「また逃げるんだ? いつまでそーしてるつもりなの」


 声が聞こえる。幼い子供らしい高めの声は嫌な冷たさを持って語り掛ける。

 嫌だ、聞きたくない。そう思うのに耳を塞ぐべき手が動かない。


 指一つ動かない身体はまるで自分のものではないようで、必死に紅い力に呼びかける。

 最後の最後の頼みの綱は肝心のときには答えてくれない。


「君の手は、君の歩んだ道のりは血で濡れている。罪で汚れている」


 健は否定するように首を振り、拒絶するように目を瞑る。

 自分は悪くないと。ただひたすらに言い聞かせる健に向けて手が伸ばされる。


 健のものよりも白く小さい手。何よりも恐ろしい華奢な手が健の首にかかった。


「――――いっ」


 文字通り飛び起きた健は硬いものにぶつかり、その場で悶絶する。涙目でぶつかったものの方を見れば、同じように悶絶している人物の姿があった。


 大方、眠っている健の顔を覗き込んでいたのだろう。

 まだ痛む額をさすりながら「大丈夫?」と声をかける。


「だいっょうぶで……うぅ、痛いですぅ。健兄さんの石頭~」

「はいはい、痛い痛いの飛んでいけー」


 棒読みで悠の額を撫でる。気休めに用いられる呪文は、治癒の術を使うことによって本当に痛みを追いやる。

 目端に滲んだ涙を拭う悠を横目に健は、身体を伸ばした。床で眠っていたせいで、全身が凝り固まっている。


 そこまで長く眠っていたつもりはない、というかそもそも、いつ眠ったのかすら覚えていない。


「お疲れみたいですね。何か問題でも?」

「ん。ちょっと面倒なことに、なったかな」


 現実逃避するように遠くを見つめる健。思い返すのは数時間前の出来事だ。

 桜稟アカデミーから遠のいた健はいくつかの用事を済ませてから取引現場へと向かった。阻止が目的ではないので、隠業の術をかけてこっそりと見守るように。


 しかし、健を迎えたのは取引をするターゲットではなく、血だまりの中に倒れ伏す男だった。

 絶命していることを確認した健は背後に気配を感じて振り返った。隠業の術をかけているので姿は見えないはずだという考えを打ち消すように、その人物は確かに健を見つめていた。


 隠業の術がいつの間にか解けていたのである。辺りに漂っていた甘い香りが原因だろう。

 一瞥しただけの男の顔を思い出す。今回の事件の資料と悠から貰った情報を重ねあわせれば、その正体も大体検討がつく。


「それで逃げてきたってわけですか。うーん、罠の可能性はなかったはずですけど」

「罠とは少し違うかもね」

「始末しなかったんですか?」


 子供さながらの無邪気な顔と声で問いかける悠。

 無邪気さゆえの残酷さとも、短絡的な思考回路を所以するものとも違うことを健は知っている。


 処刑人の正体は知られていない。数ある噂のほとんどが想像の産物。

 理由は単純。目撃者はみな、もれなく殺されているからだ。


 正体を知られていないことが処刑人自身の身の安全を守るために重要なことなのである。

 それを知っているからこそ悠は無邪気さとはかけ離れた冷静さで問いかけたのだった。


「この際だから利用させてもらおーと思って」

「考えがあるというわけですか。納得しました」


 引き下がる悠は素直だ。不満すら感じさせないそこには健への絶対的な信頼があった。


「ところでさっきから気になってたんですけど、その白い粉は何なんですか?」

「幸せになれる魔法の粉、だよ。舐めてみる?」

「露骨に怪しいものを差し出さないでくださいよ」


 目の前に差し出された白い粉を半眼で見つめた悠は、無表情の中に笑みを浮かべる健を見て、また視線を戻した。

 眉を寄せ、変わらず差し出されたままの粉に手を伸ばした。そして指についた少量の粉を口に含み、舌の上で転がす。


「……甘い」

「サトウキビの汁を搾り、上澄み液を煮詰めて結晶にしたものだよ」

「砂糖じゃないですか! 脅かさないでくださいよ」


 健の説明と、もう一度口に入れて味を確認した悠は安心したように息を吐いた。

 全身で安堵を表現する悠に健は笑い、別の袋を指し示す。


「ちなみにこっちは小麦粉。まあ、押収品ってところかな」


 指し示された粉を舐める悠は健の言葉に首を傾げる。


「通りすがりの美女が手を貸してくれてね。腹いせってわけじゃないけど、ついでだから成分を分析しよーと思って」


 なんてことのない口調の健に受けられるのは疑いの目だ。

 少し前まで確かにあった信用はすっかり姿を消している。健の言葉が信じられないとは違うベクトルの疑いに苦笑で返す。


「用意周到すぎませんか。本当に嵌められたんですよね?」

「狙ってたわけじゃないでしょ。念のための下準備を裏切らないだけだよ」

「本当ですかぁ? その辺に関して健兄さんはまったく信用できませんからね。……それで分析して何か分かったんですか」


 悠が舐めたのはただの砂糖で、ただの小麦粉だ。舐めてからそれなりに時間が経っているが、それらしい効果が出る気配もない。


 そもそも健が怪しい効果のあるものを悠に舐めらせるわけがない。多分。きっと。悠はそう信じている。

 断言できないのは、試しだなんて笑って実験体にされる可能性が多少なりともあるからだ。


「僕的には市販の砂糖や小麦粉と変わらないようにしか思えませんけど。これが本当に取引されてる怪しい薬なんですか? 全然、信じられません」

「実際、市販のものと変わらないよ。高級品ではあるけどね」


 言いながら、健は未開封の袋を差し出した。案の定、白い粉が入っている。


「これには筋力増強の術が付加してある。さっき悠が舐めてたのは疲労感や不安感が消えるような術が付加してあった。もちろん、解除してあるから安心していーよ」

「なるほど……。あれ? それって地味にヤバい奴じゃないですか」

「取り締まりにも引っ掛からないわけだし、いろんな組織やら国やらが欲しがりそーだよね。こんな芸当が出来る人なんて限られてるし、独占状態でがっぽり稼げる」


 貴族街では基本的に薬物に関する取り締まりはない。流石に表立って商売するものはいないが、闇市辺りにでも行けば誰でも簡単に手に入れられる。

 自分自身だけではなく、使用人や愛人に薬を使っているような者も少なくない。そういう趣味を明け透けにする者も一定数存在するくらいだ。


 そんな中、健に依頼が来たのは外部に対する影響を考えたものだ。

 影響が大きければ大きくなるほど、貴族街の立場も危うくなる。下手したら戦争に発展するなんてことも十二分にあり得る。

 まさか負けるなんてことはないだろうが、和幸としては避けたい事態なのだろう。


「ま、顔バレしたことも含めて、上手い具合に利用させてもらうよ」


 無表情に宿る微笑に黒いものが混じっている気がしてならない悠である。


「それで、悠の方はどーだったの?」


 お馴染みの無表情に戻った健の問いかけは話の終わりを告げ、悠は「気付いていたんですか」と苦笑する。

 健から任された役目を完遂した悠はあることについて調査をしていた。完全なる独断だ。


 そうして帰ってきた悠を出迎えたのは白い粉に囲まれて眠る健だ。死んでいるような寝姿にぎょっとして、顔を覗き込んだところで目を覚ました健と頭をぶつけたのである。


「東堂梓さん、すごく優秀な方のようですよ。なんでも、併設されている使用人学校を首席で卒業されたとか」


 悠が調べていたのは梓のことだ。和幸が選んだ人物だから、健に害をなす可能性は低い。

 しかし、低いだけで全くないわけでもないのも事実。コンマ以下の可能性があるのなら悠は彼女を信用しきれないし、健を任せる安心感がほしいから調査したのだ。


 過保護な忠誠心と、深すぎる愛情からの行動を受け流す健は必要な情報だけを頭に入れる。


「健兄さんに仕える者同士、仲良くなれたらいいですよね。使用人のノウハウなんか教えてもらって、スーパー執事に進化しちゃいますよ!! 期待しててくださいね」

「頑張ってね」


 半ば投げやりな返事をする健は床に散乱している白い粉が入った袋たちを虚空へと投げる。

 片付けるようにみせて散らかしているような行動の中、投げられたはずの袋は消失した。


 鍵と同じように、一鬼からもらった秘密道具である。不可視の道具箱と言えばいいだろうか。

 もっと分かりやすく言うなら、ゲームによくあるアイテムボックスである。どこにいても自由にものの出し入れができる。


 空間を操る力を応用して作り上げられたものであり、初めて会ったときにもらったものだ。

 紅鬼衆をまとめるあの鬼は、何かと理由をつけて力を込めた道具を健に贈ってくれる。


 利便性の高い空間を操る力は、健の専門外なのでありがたいし、好意は素直に受け取るが、甘やかされている気がしなくもない。


「あ、もうこんな時間ですか。健兄さん、いってらっしゃい。お気をつけて」


 話しながら着替えを済ませていた健は、甘やかす筆頭に見送られながら部屋を後にした。


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